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そうして迎えた学院の卒業式。
私とカーティス殿下はともに出席し、同級生たちの祝福を受けることになった。私自身には友人と呼べる人はほとんどいないが、殿下は常に人の中心にいた方だ。メラニア様やカイエン様以外にも交流は多くある。
祝福の中にもどこか淡々とした空気を感じた。それは殿下を軽んじるものではない。私に注がれるものだ。誰もが殿下のお相手はメラニア様だと思っていた。それがこの1ヶ月で様変わりしてしまった。皆が戸惑うのも無理はない。そしてメラニア様とカイエン様が仕組んだことは表沙汰にはされてはおらず、私が勝手に家出し、周囲に迷惑をかけたことになっている。未来の王太子妃の行動として眉を顰める人がいてもおかしくはなかった。
そんな中、いつもメラニア様と一緒にいたマーガレット様とシャロン様と目があった。こちらを不安げに見つめるような視線。その周囲にメラニア様の姿を探したが、どこにも見当たらない。卒業後の進路によっては欠席する人も多い卒業式だが、メラニア様が欠席する理由があるとすれば、王太子妃選定から外れたこと以外に思い当たらない。
メラニア様がいない今、マーガレット様とシャロン様がこちらに近づいてくることはなかった。そんな彼女たちと私たちとを遠巻きに眺める人たちもいて、奇妙な空気が流れる卒業式となった。
卒業生総代として挨拶をされた殿下に拍手を送る。殿下は入学してから卒業するまで、ただの一度もトップの座を明け渡すことはなかったのだから当然の立ち位置だ。次席はカイエン様だったが、彼の姿は式典にはない。病気のため欠席と発表されているが、実質はバルト家に蟄居の身だ。
殿下の挨拶が終わり、次は表彰の時間となった。学生時代に功績を上げた者に対して学院から賞状が授与され、さらに夜に開催される卒業パーティでは国王陛下からも祝辞を賜る名誉ある立場だ。
6年間、成績において学院のトップを譲らなかったカーティス殿下をはじめ、芸術の分野で功績を残した者、魔法の各属性でトップクラスの技術を示した者などが次々と表彰されていく。
私には関係ないものと拍手を送る中で、突如として私の名前が呼ばれた。
「筆頭卒業論文、ユーファミア・リブレ殿」
「?」
なぜ自分の名前が呼ばれるのかわからず、首を傾げた私の背中を軽く押したのは、隣にいたカーティス殿下だった。
「ユーファ、呼ばれたぞ」
「はい!?」
裏返りそうになる声を慌てて収めつつ、殿下を見上げると、優しげな藍色の瞳が細く揺れた。
「卒業論文の最優秀者に、ユーファが選ばれたんだ。ほら、早く前に。バレンシア院長をお待たせしてはいけない」
「ええっ!? あの……」
軽く押し出される私の耳に「ユーファミア嬢が最優秀だなんて」「王室のコネクションじゃないの?」と呟きが聞こえる。その言葉、私も言いたいと思いながら壇上を見上げると、バレンシア院長が満面の笑みをこちらに向けていた。
訳がわからず壇上にあがった私に対し、院長が口を開いた。
「あなたの卒業論文は満場一致で最優秀となった。特に水魔法のエンゲルス先生の推挙が強かったほか、王宮の魔道士部からも絶賛の声があがっておる。我々も近年稀に見る優秀な出来の論文に出会えて、教員冥利に尽きるというものだ。これからもその優秀な頭脳を、この国のために捧げてほしい」
バレンシア院長の発言に、周囲からどよめきがおこった。格式を重んじる式典において、院長が個人の生徒に対し、ここまで発言することは例がなかった。賞状を受け取る私に、バレンシア院長がそっと告げた。
「毎年、最優秀の卒業論文は公開されることになっている。口さがない連中の戯言は、それで収まるだろう。気にせずともよい」
どう返事して良いかわからず、私はただただ頭を下げるのみだった。
バレンシア院長の囁きは、すぐさま現実となった。
「あ、あの、リブレ子爵令嬢……!」
「バカ! 今はバルト伯爵令嬢だろうが!?」
「あ、そうだった、失礼しました! バルト伯爵令嬢!」
講堂から出た私は、3名の男女に呼びかけられた。数日前にバルト家の養女となった私の戸籍上の名前は確かにバルトだが、学院の卒業はリブレの名前を選択していた。
「あの、学院ではリブレでしたので、どちらでも大丈夫です。その、ややこしくてすみません」
「いえっ! こちらこそ、世辞に疎くてすみません! あの、少しお時間よろしいでしょうか。我々は王宮の魔道士部に入局が決まっておりまして……」
「まぁ、魔道士部に」
王宮お抱えの魔道士部は、魔法のエリートが集う場所だ。魔法学院でトップ10入りが最低条件。その上に家柄や資質、学院時代の論文発表や研究成果が問われることになる。毎年卒業生の中から2、3人しか選ばれない、狭き門だ。
そんな優秀な方々がいったいなんの用だろうと、首を傾げる前に、はっと気づいた。
(この方々を差し置いて、私の論文が最優秀に選ばれるなんてことあるかしら)
バレンシア院長はああおっしゃっていたが、魔力なしの私にそれほどの力があるとは思えない。論文はカーティス殿下をはじめ、カイエン様もメラニア様も提出しているはずだ。学院の定期試験すら除外扱いだった私が、筆頭論文に選ばれること自体がおかしい。
だがそんな私の懸念は即座に払拭された。栗色の髪の女生徒が、2名の男子生徒を押しのけるように前に出てきた。
「もう! あなたたちはひっこんでて! あのっ、ユーファミア様の卒論、拝見しました! 水魔法の魔法陣の生成について、魔力と波動の組み合わせの可能性を広げる論理展開、本当に素晴らしいと思いまして!」
「そうそう! 独立した魔法に力学的な視点を、しかも魔法陣の形で入れるなんて、思いもつかなくて!」
「僕もエンゲルス先生の研究室にいたので、卒論は水魔法についてだったのですが、もっと早くリブレ子爵令嬢とお話してみたかったです。そうすればもっと踏み込んだ論文が書けたかもしれないのに……」
「まぁ」
御三方はそれぞれ、水魔法、風魔法、土魔法を専攻された学生で、公開された私の論文を既に読んでいるようだった。女子生徒が少し俯き加減で、こちらを伺った。
「お恥ずかしい話ですが、私、今年度の筆頭卒論は自分だろうと思っていました。魔道士部の入局試験もトップ合格でしたし。確かに殿下は聡明で優秀な方でいらっしゃいますが、座学だけなら私も負けていなかったと思っています。論理展開などは得意とするところですし。でも、まさかこんな伏兵がいらしたなんて。でもユーファミア様の論文を見て、自分の至らなさを痛感いたしました。あれは紛れもなく最優秀の論文です」
私に尊敬の眼差しを送ってくださる3名の方々の名前は既に思い出していた。殿下の傍付きとして貴族の方々のお名前も覚えさせられた。最もあれは王太子妃教育だったそうだが……とにかくそのおかげで、私は3名の方々にお声をかけることができた。
「リブロン子爵令息様、オールポート男爵令息様、それにバラディン伯爵令嬢様、私のつたない論文に身に余る賛辞をいただきまして、ありがとうございます」
「つたないなんてとんでもない! あの、できればもっとユーファミア様にお話をお伺いしたいのです。魔法を極めようとする女子学生なんて私の周りには皆無で……」
「ナタリーだけずるいぞ! 俺たちもまぜろよ!」
「あなたたちなんて、ユーファミア様の美しさに見惚れて碌に声もかけられなかったじゃないの! 誰が今ここまで話を運んできたと思ってるの?」
「仕方ないだろう! だって殿下がずっと辺りを睨ん……!」
「私が、なんだ?」
突然割り入った低い声に、オールポート男爵令息様が「ひっ!」と声をあげた。気づけば殿下は私の腰に手を回していた。
「あの、殿下! その、手が……!」
「ん? なんだ?」
微笑みながら私を見下ろす殿下に、「あの殿下があんなに優しい顔をするなんて!」と驚愕の声が広がる。
それは目の前の3人も同じだった。そんな3人に、殿下が声をかけた。
「悪いが今日は夜の卒業パーティの準備のために、この後も予定が詰まっている。急ぎ王宮に戻らねばならない。君たちも夜に陛下から表彰を受けるのだから出席の予定だろう。話はそのときでも良いのでは?」
「お、恐れながら、できればユーファミア様にお時間をいただき、魔法について語り合いたいのです。夏が明ければ我々は魔道士部に入局しますので、時間がとれるのはこの夏が最後のチャンスかもしれず……」
「ユーファは例年通り、この夏も私と離宮で過ごす予定だ。残念だが予定は空けられぬ」
「そんな! 1週間くらいいいではないですか!」
「1週間だと? そんなに空けられるわけないだろう」
「じゃあせめて5日!」
「ほとんど減ってないじゃないか。せいぜい1時間だ」
「魔法の話が1時間で終わるわけないでしょう? せめて3日!」
「そんなに長くユーファをやれるか!」
「……殿下、大変不敬ながら束縛の強すぎる男は嫌われますわよ」
「君はなかなか失敬だな」
「魔法の前にはすべてが無ですので」
ナタリー・バラディン伯爵令嬢と殿下の睨み合いが続く。それをおろおろしながら見つめる中、なぜか1日の折衷案が採択され、後日、私と彼らの時間が設けられることとなった。
そんな私たちのやりとりを、まるで顎を落とすかのように見ていた人たちが大勢いたことを知らないまま、私は殿下に促されるまま帰城した。