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3日後の王太子妃選定会議は、あっけないほど簡単に終幕した。
国王陛下、王妃殿下、バレンシア院長が私に、マクレガー宰相、ドリス近衛総長、マーズ内務長官がメラニア様に票を投じた。最後まで読めなかったマーズ内務長官はメラニア様についたことになる。
3対3の場合、カーティス王太子殿下の意向が加味される慣例に則り、私は王太子妃に内定した。
この3対3という数字は重い内容だ。とくに宰相、近衛総長、内務長官の賛同が得られなかったということは、今後のカーティス殿下の御世に大きな影響を及ぼすことになりうる。私も政治、貴族、軍部の支持を得られなかった王太子妃として、彼の隣に並び立たなければならない。
殿下の側には公私にわたり彼を支えたカイエン様はもういない。王妃様の筆頭事務官だったバルト伯爵は私の養父となることが決定した今、すでに王宮から辞し、第一線から身を引いている。
そして会議の噂はあっという間に貴族間に伝わった。3対3の結果のことのみならず、メラニア様が殿下に裏切られ捨てられたという偽の情報までが出回っている。
重苦しい空気の中、私の18の誕生日に合わせて、嬉しいことがあった。
「ユーファミア! まぁ、ずいぶん綺麗になって……」
「ねえさま!」
王宮を訪ねてくれたのは母と弟のクラウディオだった。12歳の誕生日の直前に故郷を離れ、以後一度も会うことが叶わなかった家族との、6年ぶりの逢瀬だった。
「お母様、クラウディオ!」
飛び込んだ母の胸は懐かしい匂いに包まれていた。こぼれ落ちそうになる涙をこらえつつ、私は久々に心の底から安堵することができた。私たち親子に気を遣ってくれたのだろう、客間にはしばらく家族だけの水入らずの時間が流れた。記憶にある母より少しふっくらしているのと、5歳だったクラウディオが11歳になって、お茶を飲むマナーも様になっている様子がなんとも微笑ましかった。
「クラウディオもずいぶん大きくなったわね」
「あれから6年ですもの。よくお勉強しているのよ。お父様に似たのね」
「ねえさま、僕もう風魔法の初級が使えるようになったんだよ!」
「まぁすごいわ!」
学院に入学するのは来年。父が亡くなった直後はクラウディオの学費も工面できるかどうか怪しかったが、王宮からの人員の派遣のおかげで今では領も持ち直し、以前よりも税収は潤っているそうだ。とはいえ母もクラウディオも散財するようなタイプではなく、以前と同じ、身の回りのことはすべて自分で行うようなつましい暮らしを送っている。
「本当に、あなたが王太子妃になるだなんて……あぁ、勘違いしないでちょうだい。反対しているわけではないの。でも、あまりにも驚く話で。バルト伯爵から手紙を頂いたときも信じられずに、なかなかお返事ができなかったくらいよ」
「ごめんなさい……きっと混乱させてしまったわよね。私、はじめはマクレガー侯爵家の孤児院で働くと伝えたから」
「マクレガー家? 孤児院……? それってどういうことかしら」
「ほら、私、この冬に手紙を送ったでしょう? 卒業後はマクレガー家でお世話になることが決まった、って」
「あなたからそんな手紙、あったかしら。記憶にないのだけど」
「え?」
「私が受け取ったのはバルト伯爵から、あなたが王太子妃の候補にあがっているという手紙と、そのために伯爵家に養子に入る必要があるというものだけよ?」
「そんなはずは……」
「あなたからもらった手紙というなら、そうね、最後にもらったのは1年前かしら。確か今年も離宮で夏休みを過ごしたという……」
「そんなはずはないわ。私、卒業後の進路の手紙を書いたわ。お母様も“おめでとう、誇りに思う”って返事をくださったじゃない」
「あぁ、その返事なら……」
母の返答を遮るように、部屋にノックの音が鳴り響いた。私が声をあげると、入ってきたのはカーティス殿下だった。その姿を見た母が慌てて立ち上がり、釣られてクラウディオも起立する。
「家族水いらずのところをすまない。その、どうしてもユーファミアの顔を見たくてな」
「……殿下」
以前、私とは視線も合わせず最低限の言葉しかかけてくれなかった殿下とは真逆の対応がここしばらく続いていて、私はなかなか慣れることができずにいた。赤面する私と、王太子殿下に礼を尽くす母と弟、という何やら気まずい状況。殿下はすぐさま母に声をかけた。
「リブレ子爵夫人、ならびに令息。遠路はるばるようこそ王宮へ。初めてお目にかかります。どうか顔をあげてください」
「ご丁寧にありがとう存じます。殿下におかれましてはご機嫌うるわしゅう。また我が娘が長きにわたりお世話になりました。お礼を申し上げることが遅くなり大変申し訳ございません」
「世話になったのは私の方だし、礼を言わねばならないのもこちらです。ユーファミアがいなければ私は成人することすら難しかった。そして今は私の生涯の伴侶として彼女を大切にしたいと思っています。夫人から大切な御令嬢を取り上げる様な形になってしまい、申し訳なく思っています。ですが、私は一目見たときから彼女に恋をしてしまいました。どうか私と御令嬢の仲を認めていただきたいと思っています」
「まぁ、我が娘はなんと果報者でしょう。親としてこれほど嬉しいことはございません。これからもよろしくお願い申し上げます」
母の目尻にうっすら浮かぶ涙に、私も釣られて泣きそうになってしまった。けれど殿下の前ということで気丈にも耐えた母を倣い、私も顔をあげた。
「殿下、今、私が送った手紙の話をしていたのです」
直前まで母と交わしていた会話について説明すると、殿下は納得したように頷いた。
「おまえの手紙はすべて検閲が入っていたからな。それは王家の秘事に関わることなので致し方なかった。すまないと思っている」
「いえ、それは当然のことですもの」
「それだけじゃない、おそらくいくつかの手紙がカイエンに握りつぶされていたはずだ。その中のひとつが、卒業後の進路に関するものだったんだろう。リブレ子爵夫人の元にはその手紙は届かず、代わりにバルト卿からの婚約者妃候補の話題のみが届けられた。さすがのカイエンも父伯爵の手紙までは操作できなかっただろうからな。夫人はそれに対して返事をくれたのではないかな?」
「そういえば……」
マクレガー家への就職の手紙の返事は「おめでとう、あなたを誇りに思う」というものだった。あれは就職が決まったことへの賛辞ではなく、婚約者候補についての祝いだったということか。
「でも、私があの手紙を送ったのは中間試験のすぐ後です。え、そのときにはもう、婚約者候補だったんですか、私」
「……だからそうだと言っただろう。そのために王都に離宮も用意していたと」
「そんな前から……」
確かに実親への報告は早くに行われるべきだ。それにしても本人である私には何も告げず、実家には婚約者としての打診がなされていただなんてーー。
まじまじと殿下の顔を見ると、殿下は不意に顔を逸らした。
「順序が逆だったのはわかっている。けれど卒業前におまえを囲い込んでおかなければ誰かに取られてしまうから……ご実家には早めに伝えただけだ」
「そんな、とられるとか、そんなことあり得ません」
「ありうるんだ! おまえは私の側付きだったから表立って誰も近づいてはこなかったが、おまえを気にしている者は多くいた。本人の素養もさることながら、利用価値が高い存在だからな」
「利用価値、ですか?」
「未来の王太子である私を救った英雄だぞ。多くの貴族がおまえを望むに決まっているだろう」
「でも、私は魔力なしですから、そんな……」
「それは関係ない。確かに貴族の中では魔力が高い方が優れているという見方もあるが、必ずしもそれだけが価値ではない。王太子の覚えがめでたい女性を妻にしたいと望む連中は相当いる。特に継げる爵位もないような貴族の次男三男あたりはおまえを娶って子を成し、あわよくば私の将来の子どもの乳母にすることで自分たちも出世したいと考える者が多くあるだろう」
「そんなこと」
あるはずないと続けようとしたが、母の視線を感じ思わず口をつぐんだ。
「ユーファミア宛の縁談はいくつか舞い込んでおりました。娘は王宮仕えの身ですので、私の一存だけでは決められぬとお断り申し上げました」
母の言葉に殿下が「ほらな」という視線を向けてきた。
その後バルト伯爵とも面会し、私の養子縁組手続きがとられた。18歳の誕生日、私はユーファミア・リブレからユーファミア・バルトとなった。学院の卒業式の3日前のことだった。