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「殿下がどうやって私を助けてくださったかはわかりました。でも、まだわからないことだらけです」


 頬を両手で包みながら、私はこの膨大な量の情報を処理しようと努力していた。その中でもまだ解決できていないことがたくさんある。


 メラニア様とカイエン様は結託して私を王宮から追い出したようだが、なぜそんなことをする必要があったのか。契約が終了すれば私は用無しだ。放っておけば出て行くしかないわけだし、わざわざ追い立てる必要もない。あぁもしかしたら、王家が用意したとかいう別邸に私が移り住むことが気に入らなかったとか? メラニア様が殿下を愛していらしたことは間違いない。そんな殿下の近くに私がいるのが不都合だから追い出そうとしたということ? そして私を嫌っていたカイエン様もそれに協力した、と。


「でも、それだってせいぜい卒業までの間のことですよね」


 仮に別邸とやらに置かれたとして、その後卒業してそこから出て行くのであれば、わざわざ追い出しにかかるまでもない。追い出すだけならともかく、命を狙うほどのことがあったのか。


 不思議に思っていると、殿下が不意に目を逸らした。


「別邸は……確かに卒業までの仮の住まいにする予定だったのだが、その後のおまえの去就についてもほぼ決まっていて、だな」

「え? もしかして殿下は、私の卒業後の仕事まで決めてくださっていたのですか?」


 だとしたら大変失礼なことをしてしまった。それを知らずに勝手にマクレガー家と契約を結んでしまったことになる。


「そういえばマクレガー家との契約はどうなってしまったのでしょうか」


 既に私のサインを入れて先方にお返しした書類だ。契約不履行を訴えられてもおかしくはない状況で、私の命を狙ったとされるメラニア様が黙っているとは思えなかった。あぁそうだ、そもそもメラニア様はなぜ私の命を狙ったのかという疑問も解決されていない。私を亡き者にしたところでメラニア様に得なことなど何もない。いや、得がないだけで、私はメラニア様にひどく嫌われていたということなのか。それこそ殺してやりたいと思うくらいに。


 何が悪かったのだろうと心の中で反省していると、殿下が契約のことを口にした。


「そのマクレガー家との契約書のことだが、マクレガー宰相もあの女も、そんなことは一言も口にしていないんだ」

「え、そうなのですか?」

「私も、事情を打ち明けたカイエンの話で初めてそんなものの存在を知った。それはマクレガー領の孤児院で働くという内容だったんだな? それでサインをしたと」

「そうです。特におかしな内容ではなかったと思います」


 私が内容を思い出していると、殿下は「まぁどうせ無効だからかまわん」と切り捨てた。


「無効?」

「あぁ。おまえ、まだ誕生日が来てないだろう。未成年のうちにしたサインなど無効に決まっている」

「あ……」


 確かに私の誕生日は今月末だ。この国では未成年が契約をする場合、保護者のサインが必須になる。私が王宮と契約を結んだときも、母が連名でサインしてくれた。


「だが少々気がかりだな。おそらくその契約書はおまえを信用させ、さっさと王宮から切り離すために用意したのだと思うが、あの女ならともかく聡いカイエンが未成年のサインに気付かぬはずがない。それにおまえが戻ってきてあの2人の悪巧みが明るみに出た今も、それを持ち出さないのも不気味だな。まだ何か隠しているのか……」

「あの、殿下。もしご存知なら教えていただきたいのですが」


 本当なら蓋をしてしまいたい事実だが、そうも言っていられない状況だ。私は意を決して問いかけた。


「私は、メラニア様とカイエン様にいったい何をしてしまったのでしょうか。どうして彼等に王宮を追い出され、命を狙われることになってしまったのでしょうか」


 魔力なしの私は長年にわたって彼等に迷惑をかけてきたことはわかっている。だが、それは私を殺すほどの強い恨みだったのだろうか。私が気付かぬ深い闇があるなら、そこから目を逸らすわけにはいかないと思った。


「それは……」


 またしても目を逸らす彼に、私は縋った。


「殿下、お願いです。どうか真実を教えてください。本当は私に、悔い改めなければならない事情があるのではありませんか」

「違う、おまえは何も悪くない、それは何度も言っているだろう」

「ですが……」

「そうじゃない。全部私のせいなんだ。私が……おまえを好きになって、おまえが欲しいと思ったことに端を発しているんだ」

「え……?」


 目をぱちくりさせながら息を呑む。一度逸らされた目が、意を決したようにこちらを向いた。


「ユーファミア、私は、おまえのことがずっと好きだった」

「うそ……」

「嘘じゃない。初めておまえにあったときから……一目惚れだったんだ」


 美しい藍色の瞳が切ない色を浮かべて私を見つめていた。これも初めて目にする殿下の表情だった。


「おまえはただ契約者として私の傍にいるだけで、そんな気持ちはないと、わかっていた。それでも、おまえを求めずにはいられなかった。父上や母上、バルト卿も早々に私の気持ちに気付いて、おまえに王太子妃教育という名の家庭教師をつけ、学院にも在籍できるよう手配してくれた。さすがに未来の王妃が王立学院卒でないというのは外野がうるさいからな。そこまで協力するのだから、早くユーファミアに気持ちを打ち明けろと、顔を合わせるたびにせっつかれたのには参ったが……」

「え、王太子妃教育? 気持ちを打ち明け……る?」


 よくわからない単語に頭がますます混乱する。王太子妃教育ってなんだろう。私はそんなもの受けていない。


「学院の勉強とは別に家庭教師がついていただろう」

「あれは殿下の側仕えの身として、最低限身につけておかなければならないことだと言われて……」

「そんなもの嘘っぱちだ。まぁ、私がそう説明したのだから信じたのも仕方ないが……そもそも側仕えの知識として諸外国の事情や国内貴族の勢力図や知識、果ては社交術まで必要ないだろう。広すぎる。全部王太子妃教育だ」

「あれ、王太子妃教育だったんですか……」


 殿下の傍に仕えるというのはこれほどにも大変なことなのかと涙目になりながらも堪えて学び続けた、あれがこの国の最高教育だったのか。ある意味納得だ。まぁ今回の事件で地理が頭に入っていたおかげでなんとかなった部分はあるから、感謝しなければならない。


「私の気持ちにバルト卿が気づいたことで、必然的にカイエンも知り得ることになった。カイエンがバルト卿の養子になった事情は知っているな」

「確か、バルト伯爵の遠縁の方で、優秀さから伯爵に見出されたと」

「あぁ。おまえと出会う1年ほど前から付き合いがあった。ちょうど私の魔力暴走がひどくなり始めた頃だ。母上が信頼できる者を私の傍に置きたいということで、バルト卿が連れてきたのがあいつだ。優秀だし気もつくし、私の腹心だとずっと思っていたのだがな。まさかあいつが私を裏切っていたとは……」


 殿下の表情に影が刺す。2人の関係性は側から見てもずっと良好だった。多忙で優秀な殿下を支えられるのはカイエン様をおいてほかにない。将来は殿下の立太子、即位に合わせて彼もまた筆頭事務官や専属侍従になるのだろうと誰もが思っていた。


「カイエンはおまえのことが好きだったそうだ」

「……は?」


 またしても想像を超えた内容に、私は固まってしまった。カイエン様が私を……好き?


「そんな、あり得ません。カイエン様は出来の悪い私にいつも苛立っていらっしゃいました。嫌われることはあっても好かれるだなんて……」


 身分の低い私が、その能力のなさから恐れ多くも殿下の傍にいられるのだということを忘れるなと何度も釘を刺された。私は殿下とメラニア様の仲を邪魔する存在なのだから、迷惑をかけるなとも。


「それがあいつの作戦だったんだろう。おまえを私から、ひいては王宮から引き離し、いずれは自分のものにするために牽制していたんだ。もちろん表向きは私との仲を応援するふりをしてな。私とおまえが学院で仲良くしていれば、身分の差もあって貴族たちから反感を買い、おまえの立場がますますひどいものになってしまう。だからこそ表立ってはあの女と仲がいいふりをし、おまえのことは欠片も気にしていないという演技を続けさせられた。その裏でカイエンは私との未来を絶対に夢見ることなどないよう、おまえを徹底的に口撃していたんだ」

「カイエン様がそんなこと……」


 いつも冷たく厳しい表情で接していた姿しか思い付けぬあの人が、私を好きだったといわれても、現実感がまったく湧いてこない。なんとも言えぬ顔をしていると殿下気まずそうに唸った。


「私はカイエンの気持ちに気づかず、向こうは私の気持ちをとうに知っていた。それが、カイエンが今回の策略に加わった理由だ。あの女はカイエンの秘めた気持ちにも気づいていて、協力を持ちかけたそうだ」


 殿下を愛し、その婚約者の座を狙っていたメラニア様。そして私のことが好きで、殿下から引き離したいと思っていたカイエン様。2人の利害が一致し、殿下をも騙す形で学院での生活が始まった。卒業を間近にしてお互いの思い人を得るために最後の計画が立てられたというのが今回の事件の根幹だと、殿下は説明してくれた。


「カイエンはその契約があればおまえがマクレガー家に3年の間匿われるものと信じていたらしい。あの女もそれを保証したと。その間にあの女が私の妃に収まれば、3年後自分はおまえを迎えにいってプロポーズするつもりだったと供述している」


 マクレガー家の契約は確かに3年とあった。そういえばカイエン様は、メラニア様の好意に感謝して3年の間は余計なことは考えず立派に勤め上げるようにと念を押してきた。あの発言の裏にはそんな事情が潜んでいたのかと驚愕する。


「だが昨晩の出来事で事情が変わった。私がおまえを連れ帰り、あの女に殺されそうになっていたことを伝えると、あっさりすべてを白状した」


 メラニア様と結託し、私を王宮から引き離す計画をたて実行したと、カイエン様は打ち明けたそうだ。カイエン様の目的はあくまでも私を手に入れることで、殺すためではなかった。むしろそんな命令を出したメラニア様のことが信じられなくなり、素直に内々の取調べに応じているという。


 ただでさえ飽和状態に近かった私の脳は、ついに限界を迎えてしまった。くらりとする頭をかろうじて右手で支える。


「ユーファミア、大丈夫か!?」


「え、えぇ。あまりにも……信じられないことが多すぎて」


 テーブルを回り込み、私を支えようとしてくれる殿下にかろうじて頷き返した。頭の中でなるべくシンプルになるようにと整理整頓する。そもそもはメラニア様が殿下を好きで、私も殿下を好きで、カイエン様が好きなのは私で、殿下が好きなのも私―――。


「殿下が私を、好き……?」


 思わず飛び出した言葉を、ぼーっとする私の頭は拾うことができなかった。代わりに拾ってくれたのは殿下だ。真っ赤な顔でまたしてもふいっと顔を逸らす。けれどその視線は意を決したように、すぐに私の前に戻ってきた。


「あぁ、そうだ。間違いない。ユーファ、私はおまえのことが好きだ。だからどうか私の傍にしてほしい。契約者としてでなく、私の伴侶として」


 ふらつく頭に響く、愛する人の言葉。その一言一句が私が長年にわたって封じ込めてきた心に染み入り、ゆっくりと溶かしていく。


「私は……殿下を好きになってもよいのでしょうか」


 それは許されぬことだと、ずっと思ってきた。メラニア様から聞かされた、かつての分不相応な振る舞いで身を落とした娘の話を思い出す。あぁはなりたくないと思いながら、真実の想いに引きずられる自分がいた。


 それが叶うというならーー。


 私の問いに、殿下は温かな笑みを浮かべて手を広げた。


「もちろんだ。どうか私にその心を与えてくれ。一生かけて大切にする」


 その逞しい腕に守られ、馴染みの香りに包まれながら、私は引きずられるように目を閉じた。








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