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「そもそもおまえは、私の誕生日のその日、王都内のとある邸宅に移り住むことになっていたんだ。その邸宅は王家が借り上げたもので、そこでしばらく過ごす予定になっていた。だから私の誕生日の祝いがなされている間に、おまえはそちらに引っ越しているものと思い込んでいた。まさか王都から出ているとも知らずにな」


 事態が発覚したのは翌日の昼。殿下が突然その邸宅を訪れたのがきっかけだ。そこで彼は私の不在どころか、そもそも到着していなかったことを知った。屋敷の使用人たちは「引っ越しの予定が延期になった」という知らせを受け取ったと証言した。王宮からもたらされる伝令は誰から届いたものかきちんと記録される。受け取る側もそれが本当に従うべき命令かを精査しなければならない。


「その伝令の送り主がカイエンだった」


 殿下の腹心として彼を支える立場の者からの伝令であれば、使用人たちが疑いもせず従うのは当たり前。その時点で、私の不在は誰に不審がられることもなく見過ごされた。翌日殿下が思い立って訪ねなければ、もっと長く知られることはなかっただろう。


「急ぎおまえの行方を追うための指令を出そうと思った。だが、それを止めたのがカイエンとマクレガー侯爵令嬢だ。私は2人から、ユーファミアが自分の意思で王宮を出て行く決意を示したと聞かされた」


 カイエン様はともかくとして、メラニア様は普段王宮にはいない。それがその日はお父上である宰相閣下の忘れ物を届けるという名目で本宮の方にいた。カイエン様が彼女を呼び出し、そして2人が私の希望を叶えるために私の逃亡に手を貸したと証言したらしい。


「そんな……私は確かにマクレガー家と契約はしましたが、逃亡だなんて」


 ますます青ざめる私に、殿下は「わかっている」と頷き返した。


「私も初め信じることができなかった。おまえが私に無断で傍を離れるなど……ずっと離れたがっていたなどと、到底信じることができなかった。だがおまえが書いた別れの手紙を見せられて……おまえの本心は、やはりここを離れることを希望していたのか、と」

「別れの、手紙?」


 なんのことかと首を傾げると、殿下は胸元から便箋を取り出した。開かれたそれを目にして「あっ」と声を漏らす。


「確かに、これは私が書いたものです」


 それは殿下と最後の晩餐を終えた日、部屋に戻る直前カイエン様から声をかけられ、書いてもよいと言われたあの手紙だった。だが成人を迎えられ、メラニア様と婚約も間近の殿下を煩わせないよう、当たり障りのない言葉を綴った。確かにこの文面なら別れの挨拶に見える。というより、別れの挨拶として書いたのだがら間違いない。でもこれは、そうした事情下においてしたためたものだから、致し方ない。


「この手紙を見せられ、2人がおまえから今後の進路について相談を受けていたと聞かされた。ユーファミアの希望は王宮を辞し、自活することだと。王家の用意した道ではなく自分の力で生きていきたいと職を求めていたところに、別邸に移される話を耳にして、これ以上束縛されたくない、一刻も早く新しい職場に行きたいと願ったため、王家との契約がきれたその日に王宮を出る手助けをしてやったのだと言われたよ。私にその事実を伝えれば引き止められて面倒なことになるから言わないでほしいと念を押されたとまで」

「そんな……そんな事実はありません!」


 私は震えながら首を強く振った。あれだけお世話になった殿下に何も言わぬまま飛び出すなど、失礼にも程がある。私は無能な人間だが、最低限の礼儀くらいは身につけているつもりだ。それに、別邸に移される予定だったという話も初耳だった。もしそう命令されればマクレガー家の契約など受けず、素直に従っていただろう。


 私の必死の訂正に、殿下は小さく息を吐いた。


「では、あの2人が言っていたことは嘘だったと思っていいんだな? おまえが……私の束縛を嫌がって新しい世界を望んでいたというのは」

「そんなことは絶対にありません。できることならここにずっといたいと……!」


 言いかけた口をはっと閉じる。殿下の傍にいたいのは本当だった。けれど殿下とメラニア様の仲睦まじい姿を見続けるのは辛いと、そう思って逃げ出す決意をしたのではなかったか。


 落ち着かない自分の心にいろんなものが揺らいでいく。縋るものが欲しくてーーーつい殿下を見上げてしまった。


 私の視線の先で、殿下は泣きそうな表情をしていた。そんな表情のまま、小さく「よかった」と漏らした。


「私はおまえに嫌われていたのかと……」

「―――!!」


 今度は反射的に首を振る。私が殿下を嫌うなどと、それはまったくもってありえない。たとえメラニア様と結婚されても、その事実は変わらない。


 殿下は泣きそうな表情のまま、今度は笑みを浮かべた。今まで見たことのない表情だった。


「カイエンとマクレガー侯爵令嬢からおまえの逃亡の事実を告げられ、それでもそれが受け入れられなかった私は、あらゆる手段を使っておまえを探そうとした。それこそ騎士団まで使おうと父上にも進言したほどだ。私は私で魔法でおまえの行方を辿れないか、公務も放り出して考えた。人の気配を探索する魔法がないことをこれほど悔やんだことはなかったぞ」


 魔法は万能ではない。どれも日常生活を少し便利にしてくれるという程度だ。魔道具や魔法陣もしかりだ。


「おまえの気配を辿れないなら別のものを辿ればいいと思い、私は己の気配を辿ることにした」

「え?」


 己の気配、と聞いて思い出す。他人の気配を追いかけることはできないが、自分の気などを探索することは可能だ。たとえば自分が長年愛用していたペンなどは、自分以外の者があまり触れていなければ自分の気を辿って意外と探し出せたりする。


私の思いつきは殿下の深い頷きで肯定された。


「おまえが最低限の日用品以外はほとんど城から持ち出さなかったことはメイドたちから聞いている。あぁ、ちなみに彼女たちも、おまえは別邸に移るものと当然思っていた。それも一時的な別れで、すぐ王宮に戻ってくるとわかっていたから、まさか本当の別れになるかもしれなかったと知ってかなり動揺していたぞ。まぁ、それはさておき。何か……たとえば私がおまえにプレゼントした物だとか、そうした物ーーー私の気が移った物であれば、多少薄れていたとしても探せる自信があったのだが……結果としてそれも不可能だった。王都のはずれまでは辿れたが、その先はからっきしだ。もちろん、微弱な気配だから物理的な距離の制限はある。いくら私の魔力が強くとも、それが限界だったと考えるべきだ。だが、もしそうではなかったら? なんらかの遮断の力が働いて消されたのだとしたらーーーそこに魔道士が関与していると考えるべきだ」

「あ……」


 殿下の言葉で思い出したのはリーゼさんの存在。彼女は馬車全体に防御魔法をかけていた。防御魔法は物理攻撃から内部を守る効果が一般的だが、その実は遮断の力である。つまり内部に何があるのかを漏らさないことになる。もちろん程度は様々だが、リーゼさんほど高位の魔道士であれば殿下のわずかな気を隠すことはできそうだ。加えて彼女はその魔法を、到着した別邸全体にもかけていた。屋敷にいる間は使用人から防犯上の理由で窓を開けるなと指示もあった。あれは殿下の探索の力を封じるための方略だったのか。


 そこまで考えてはっとした。リーゼさんは今どうしているのだろう。私を逃したのが彼女の計画だと、マクレガー家の騎士であればすぐに気づいたはずだ。


「殿下! お願いです。リーゼさんを助けてください!」


 話の腰を折る失礼も構わずに殿下にそのことを訴えた。おそらく彼女の防御魔法が働いて殿下の気配が遮断されていたと考えられるわけだが、最終的に私を救ってくれたのは彼女だ。その事情を話すと、殿下は扉の外で控えていた侍従にすぐさま言付けた。


「ユーファミア、大丈夫だ。マクレガー家が抱えるほどの魔道士だ。平民とはいえ実力も相当なものだろう。その命を易々と失わせるような愚行は、さすがにあの家でもしないだろう」


 彼女を保護するよう指令を出すのを聞きながら、それでも迅る気持ちを抑えられなかった。


「だが、やはり魔道士の力が働いていたのだな。鈍った私の頭も多少は動いていたということか」


 自嘲ぎみに笑う殿下は、そのまま話を続けた。


「仮にカイエンたちがおまえの望み通りに逃亡に手を貸したとして、魔道士まで動かすのは事が大きすぎる。そのことに気がついて、今回の出来事は単におまえの逃亡の手助けだけとは限らないと思い始めた。何よりマクレガー侯爵令嬢がおかしなことを言い出したことも相俟って、裏があるかもしれぬと考えた」

「メラニア様がおかしなことを、ですか? いったい……」

「……あの女は、自分が伴侶となって私と王国の未来を支えるのがユーファミアの願いだと抜かしやがった」

「……はぁ」


 抜かし……とかなんとかよくわからない言葉はあったが、その発言自体にはなんらおかしなところはない。訂正を求めるとすれば、私が心の底から望んでいたかどうかという点だけだが、それはいらぬ話だろう。


「あの、メラニア様のお言葉に、どこかおかしなところがありましたでしょうか」

「……っ! ユーファミア、おまえは私とあの女の結婚を望んでいるのか?」

「望むも何も、決定事項ですよね?」

「決定事項などではない!」

「え、でも、殿下もメラニア様もお似合いで、皆それを望んでいらして……」

「お似合いでもないし誰も望んでなどいない! 少なくとも私は望んでないぞ!」

「えぇ!?」


 さきほどからあまりにも無礼ではしたない声を上げ続けている私を許してほしい。それくらい衝撃的な話が目の前で次々と繰り出されていた。


「で、殿下はメラニア様と相思相愛でいらっしゃいます、よね?」

「だから違う! なんでそんな話になって……いや、それも私が悪いんだが……!」

「でも学院でもずっと仲睦まじくて」

「あれは! 私の気持ちを知ったあの女とカイエンの勧めでそうしていただけだ。あの女は私の本当の気持ちの隠れ蓑になってくれると、最初はそういう約束だったんだ」

「隠れ蓑、ですか?」

「あぁ、つまり、だな。私には心をかけている人物がいてーーーだが彼女は身分的に王太子である私に嫁ぐことはその時点では難しかった。成人すれば状況も変わってくるし、なんなら他家の養子になるでもしてどうにでもできるが、学院に通う年齢の間はそうもいかない。一方で私の立場で婚約者が決まっていないのも大いに問題があった。そんなとき、あの女が言い出したんだ。自分がカモフラージュの役目を負ってやる、と」


 殿下の説明では、学院に入学した時点でそうした申し出があったらしい。メラニア様はメラニア様でしばらくは自由にいろんなことを学びたいという欲求があったものの、高位貴族で宰相の娘という立場では独り身で居続けることも難しい。けれど殿下の婚約者候補という立場があれば、親も騙せる。そうして成人した暁には種明かしをすれば、自分に傷がつくこともなく、王太子である殿下に恩も売れる。この計画に、諸々の事情を知っている腹心のカイエン様も賛同し、2人は偽りの恋人を演じ続けていた。


「マクレガー侯爵家の令嬢を敵に回してまで私に媚を売ってくるような者は国内にはいないからな。一方で私は私で自分が心をかけた相手を外敵から守ることもできると、そう思っていたのだ。……まさかその当の相手にまであの女との仲を信じられていたとは思っていなかったがな」


 いやそれも私の落ち度だが、とこぼす殿下を信じられない思いで見つめ返す。殿下のお相手はてっきりメラニア様だとばかり思っていた。それはフェイクで、本当のお相手は別にいる。


 だがそれがわかったからといって、特段何かが変わるわけではない。。殿下の隣に立つ人が、メラニア様から別の誰かに変わっただけだ。いったいどこの御令嬢だろう。あまり身分が高くないということであれば子爵家や男爵家、あるいはどこかの分家の御令嬢だろうか。分家で思い出したのはマーガレット様のことだった。マクレガー侯爵家の分家のご出身であり、ご本人やご家族に爵位はない。だがマクレガー家の縁戚でメラニア様のおぼえも良く、お父上は王宮の高官でもある立場から、爵位はなくとも貴族と変わらない生活をされている。


 あれこれ頭の中で詮索する私に「絶対に違うぞ」と語気も荒く殿下が告げる。はっと我に返ると、殿下は「続きを話す」と再び説明を始めた。


「とにかく。私との仲はあくまで演技で、気の無いフリをしていたあの女が突然、自分を婚約者に据えるべきだと言い出した。私の気持ちを知っているはずのカイエンもそれに同調するーーーその様子を見て、ユーファミアが王宮から姿を消したこの事件は、もっと深いところにまで根を張っているのではと考えた。たとえば裏にマクレガー宰相やバルト卿の存在もあるのではと。マクレガー宰相は裏の読めない男だが、バルト卿は母上の筆頭事務官でもあり、私の思いや行動にもずっと協力的だった。その彼が裏で義理の息子を操り私を騙していたのかと思うとやりきれぬ思いがあったがーーー結果的に彼はシロだった。バルト卿はおまえが王宮を辞すことをまったく知らなかった」

「わ、私、バルト伯爵にはマクレガー家との契約が持ち上がった頃からちゃんと相談していました。バルト伯爵も賛成だとおっしゃってくださって」

「直接バルト卿に会ったか?」

「いえ、カイエン様を通じて面会を申し出ていたのですが、断られてしまって」

「それはカイエンが揉み消していたんだろう」

「そんな……では、私がマクレガー家と契約したことは、バルト伯爵はご存知なかったということですか?」

「バルト卿だけじゃない、父上も母上も、おまえはただ一時的に別邸に移るだけだと思っていた。おまえの行方不明の報を聞いて心底驚いていたぞ」

「陛下と王妃陛下もご存知なかった……!?」

「あぁ」


 あれだけお世話になった国王ご夫妻だ。本当なら直接ご挨拶申し上げたかった。だがお忙しい彼等の時間を奪うなどもってのほかとバルト伯爵からお達しがあったため遠慮したのだ。そしてそのお達しは、直接バルト伯爵から伺ったのではなく、カイエン様からもたらされた知らせだ。


「私、陛下と王妃様になんて失礼なことを……!」


 彼等からすれば長年目をかけてきた娘がなんの挨拶もなしに王宮を飛び出したということになる。あまりの自分の失礼な様に背筋が凍る思いがした。


「心配しなくていい。父上も母上も、おまえがカイエンに騙されていたことはもうわかっていらっしゃる」

「カイエン様はなぜこんなことを……。私、何か恨みを買っていたのでしょうか」


 と言いつつも思い当たる節がありすぎた。優秀なカーティス殿下の傍に私のようなお荷物がいたことが、そもそもカイエン様には不服だったと知っている。私を王宮から、カーティス殿下の傍から追い出したいと思っていたことも。けれど私も己の分は弁えている。こんな手の込んだことをしなくとも、契約が終われば出て行く予定にしていた。そんな中でマクレガー家の話に乗ったのは各方面から勧められたことも大きい。カイエン様は私にマクレガー家の契約を結ばせたかったのかもしれない。でもそれはなぜか。


 私の疑問に殿下は「恨みならまだ良かったがな」と呟いた。


「とにかく、カイエンとマクレガー侯爵令嬢が結託していることは間違いないと思った。背後関係はおいおい洗うとして、まずはおまえの行方を探すことが先決だ。だがあの女は口を割る気配がない。バルト伯爵を引っ張り出してカイエンに口を割らせようとしたが、カイエンは逃亡には手を貸したが、行方についてはあの女に任せきりで知らされていなさそうだった。そうこうするうちにいつの間にかあの女が王宮から姿を消した。隙をついて自分の屋敷に逃げたんだ」


 すでに「あの女」呼ばわりになっている時点で、殿下の気持ちが本当にメラニア様にないことはわかった。けれどメラニア様はどうだろう。いろいろな場面で釘を刺されていたことを思い出す。殿下とのことを勘違いするなと言わんばかりの数々の言動。彼女がカモフラージュ役を買って出ていたのだとしたら、殿下の本命のお相手から私を遠ざけるために繰り出されたもの、ということになる。だがそれにしてはメラニア様の言葉の端々に滲む思いはあまりに重く深い。


「メラニア様は、殿下のことを本気で愛していらしたのではないでしょうか」


 カモフラージュの役目を申し出たのは本当だろう。だがその本意が、殿下と殿下の思い人を守るためでなく、自分が殿下の傍にいたいという気持ちからだったとしたら。


 私が脈絡もなくそう呟くと、殿下は渋い顔をした。


「その可能性も含めて、とにかくあの女が私と結婚することを望んでいることは見てとれた。それが本人の意志か、マクレガー宰相の命令か、その両方かはわからないが……ただこの状況であの女が王宮から姿を消したことで、おまえの命が危険に晒されることになると思った」

「私の命、ですか?」


 この流れでまた私の話になり、そのつながりが見えず首を傾げた。


「王宮には魔道士たちによって巨大な結界が張られている。それは外からのあらゆる攻撃から私たち王族を守るためだ。そして中からの行動も制限されることになる。例えば、王宮から外へ放つ伝令魔法はすべて監視されているから、おいそれと密命を飛ばすこともできない」


 政治の中枢でもある王宮内では様々な伝令魔法が飛び交うが、それらはすべて監視下にある。だから人に知られたくない内容は王宮内では飛ばさないのが常識だ。


「おまえの失踪に魔道士が絡んでいることは想定済みだった。周到な計画が張り巡らされていることも。その状況であの女を野放しにすればどうなるか……。おまえを人知れず殺す命令を出してもおかしくないと、私は判断した。だから父上に頼んであの女の捕縛命令を出してもらおうとしたのだが、明確な罪が立証されているわけでもない状況でそれはできないと突っぱねられた。カイエンとあの女の証言だけならまだしも、おまえが綴った手紙もあったからな。マクレガー宰相などは“リブレ子爵令嬢がご自分の意思で王宮を辞したと見るべき”と主張してきやがった」


 誰もが、ユーファミア・リブレは王家との契約が満期を迎えた後、学友たちの助けを借りてひっそりと王宮を辞したと、そう思い込まされていた。メラニア様とカイエン様がそれを主張し、証拠の手紙を見せた。その状況で殿下だけが、私の行動をおかしいと感じ、捜索するよう叫び続けた。だがその声はどこにも届かずに。


「ならば自分で探し出そうと意を決した。魔力をフル展開させておまえや自分の気配を辿ろうと」


 既に日が暮れた王宮の一室で、己の力を研ぎ澄ませながら気配を辿る。じりじりと時間ばかりが過ぎ、夜半となったそのときーーー。


「微かだが、私自身の魔力が展開されたのを察した。そしてーーーおまえが私の名を呼んだ気がした。だから私は飛んだ」

「飛んだ……」


 その言葉と、あの森で男たちに襲われていた私を掬い上げてくれた逞しい腕とが重なる。王都から遠く離れた森の中で、確かに殿下は飛んできたかのように突如として現れた。


「そうです、なぜ殿下はあそこにいらしたのですか? 王都からゆうに1日は離れている場所だったのに」


 気がつけば王宮の見慣れた部屋にいたこともそうだ。すっかり意識から抜けていたけれど、見過ごせない事象だった。


「4代前のイゴール王にも、その前に現れた桁外れな魔力持ちの王族にも、皆に共通する力がある。これは王家の秘事として、国主となる者とその伴侶にしか語り継がれない事実だーーー」


 殿下は一度言葉を切り、そして深い藍色の瞳で私を射抜いた。


「私は転移魔法が使える」

「転移、魔法?」


 聞き覚えのある言葉だった。それは学院のとある魔法学の授業で出てきた言葉。その授業で習うのは、不可能とされる魔法とその原理だ。たとえば、伝令魔法が可能なのに人や物を転移させることがなぜ不可能なのか、などといったことを学ぶ。


「……転移魔法は不可能だと習いました」

「一般的にはな。使えるのは現代では私だけだろうな。現代だけでなく、どの時代でも、魔力量が過多な王族だけに開花する能力らしい。自分でもそんなバカなと思っていたが……2日前、成人したと同時に使えるようになっていた。どういう原理で成り立っているのかまではわからん」

「それって、とてつもなく凄いことなのでは……」

「あぁ、とてつもなく凄いことなんだろうな」


 転移が可能となればあらゆる魔法学の基礎が型崩れになってしまうほどの大発見だ。魔力なしの私でもそれがどれほどのことなのかわかる。


「だがこの能力は公には決してできぬ。まさしく王家の秘事なのでな。これが広まればどうなるかーーーわからぬはずはあるまい?」

「……」


 この魔法にせよ、あらゆる「不可能」とされている魔法がなぜ不可能なのか。それは悪用された場合の恐ろしさを考えればわかる。転移魔法が可能なら、戦時下に敵将の陣地に乗り込みその首を獲ることなど容易い。そんなことが横行すればあらゆる国が滅んでしまう。


 私は生唾を飲み込んだ。これは触れてはならぬことだ。意識して追い出そうと考えを巡らす。


 そして思いついた疑問があった。


「殿下はなぜ、私があそこにいると気が付かれたのですか?」

「正確に言うと私が気づいたのはおまえの気配じゃない、私自身の魔力の発露だ。おまえ、あそこで何か私の魔力を放出するような行動をしなかったか?」

「殿下の魔力……あっ!」


 ひとつだけ、思い当たる節があった。男たちに羽交い締めにされ、詰襟の夜着代わりのワンピースが破かれたとき、胸元のポケットからこぼれ落ちた一枚の用紙。


「殿下の書かれた伝令魔法の魔法陣……」


 多くの者が使える伝令魔法だが、魔力なしの私は当然使えなかった。そんな私のために、学院や王宮で使える伝令魔法の魔法陣を支給してもらっていた。殿下と24時間行動を共にする契約で動いていた私だが、ときにそうできない場合もある。もしものときに伝令が飛ばせるようにとなるべく持ち歩くようにしていた。ワンピースのポケットにそれを入れていたのは単なる保険だ。夜に殿下の魔力暴走が起きた際、隣室からすぐに駆けつけて治療に当たっていた。外に侍従の方々を始め多くの使用人たちが控えている状況で、私が伝令魔法を使わなければならないことなど起きるはずもないが、万が一ということがある。


 それがいつもの癖で、あのポケットに入れていた。服が破られ、飛び出した魔法陣の用紙が指に触れたとき、私は確かに殿下の名を呼んだ。おそらくそれがきっかけで魔法が発動したのだ。


「でも、距離がありました。魔法陣を使った魔法が作用する範囲はせいぜい建物ひとつ分くらいです」

「だろうな。だが、私は間違いなく自分の魔力の気配とおまえの声を拾った」


 それはありえない話。だが、現実に殿下はあの場所に現れ、私を救ってくれた。


「魔法でも解決できぬものを、人は奇跡と言うのだろうな」

「奇跡……」


 現実味のないその響きが思いのほかしっくりきて、私はそうかもしれないと思わずにいられなかった。









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