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翌日、目を覚ました私はしばし、自分がどういう状況に置かれていたのかを忘れていた。見慣れた天井に違和感を覚えることもなく、ただ、カーテン越しに入ってくる日の光が思っている以上に明るいことに気づき、ようやくはっとした。
寝過ごしたと思い急ぎ身を起こす。その途端、身体のあちこちに微かな痛みが走り顔をしかめた。なぜ身体が痛いのか。ベッドから下りざま手足を見下ろすと、見覚えのない格好をしていることにさらに驚く。私が身につけているのはどう見ても夜着だった。眠る時は詰襟のワンピース。こんなもの、ここしばらく身につけていない。
そこでようやく自身が置かれた状況を正しく思いだした。私は一旦王宮を出て、マクレガー家縁の別邸に滞在していた。そこで魔道士のリーゼさんに促され、夜半の森をひとりで抜けようとした。そこへ追っ手と思われるマクレガー家の騎士たちが現れ、私は彼らに捕まってーーーでも、その場にカーティス殿下が現れた。
(何が起きたの? 昨夜のことはすべて夢だったとか?)
だが身体のあちこちに残る痛みには覚えがある。裾をかるくめくってみると足には擦過傷。腕には押さえつけられたときにできたと思われる鬱血痕。地理的に一晩で戻ってこられる距離にはない場所にいたのに、私は今、見慣れた王宮の部屋にいる。
混乱する頭を抑えていると部屋にノックの音が響き渡った。
「ユーファミア様、お目覚めでしょうか」
「あなたは……」
それは王宮滞在中、私の世話をしてくれていたメイドのひとりだった。彼女がここにいる。やはりここは王宮の私に与えられた部屋に間違いない。
「ユーファミア様……っ!」
ぼーっとした私が受け答えにまごついていると、突然彼女が駆け寄り、私の前で勢いよく頭を下げた。
「申し訳ございません! 私どもは、殿下よりユーファミア様が心地よく過ごされるようお世話申し上げるようにと厳命を受けておりましたのに、ユーファミア様を危険な目に合わせてしまいました!」
頭を下げる彼女の肩が震えている。涙声の彼女に私は思わず手を伸ばした。
「あの、大丈夫ですか? その、あなた方はいつもとてもよくしてくださっておりました。私は感謝の気持ちでいっぱいですよ?」
私付きのメイドたちはローテーションを組んでいるが、私が王宮を去る前日、担当してくれていたのが彼女だ。ここを去ることと今までのお礼を告げると、「私どもはユーファミア様のお幸せをこれからも願っております」とにこやかに返してくれた。
その彼女が今、まるで床に這いつくばらんとするかのように頭を下げ、泣き崩れている。
「あの、私は平気ですから! こうして無事戻ってこられましたし」
なぜここに戻ってこられたかは謎だが、今はそんなことを考えている場合ではなかった。
「それより、私はなぜこんな格好をしているのでしょう? それに今は何時でしょうか。私、寝過ごしてしまったようで……」
見慣れぬ夜着はなんだか居心地が悪くて両腕を抱きしめると、彼女ははっとしたように顔をあげた。
「大変失礼いたしました! お召し変えをお手伝いさせていただきます。今すぐお手水をお持ちいたします!」
涙を強引に拭き取りながら彼女が一旦部屋を出て、すぐに朝の支度が始まった。顔を洗いさっぱりしたところで、自分の身体が意外と綺麗なことに気づく。マクレガー家の別邸は人手が少なく、湯あみをすることができなかったので、昨晩は手ぬぐいで身体を拭いただけだった。その後森を彷徨うことになったので汗だくだったはずなのだが。
「その、ユーファミア様。湯浴みの準備もできております。昨晩意識を失われた後、失礼ながら私どもでお身体を清めさせていただきました。それから医師の診察を手当も終わっております」
「まぁ、そうだったのですか。お手間をとらせてしまい申し訳ありません」
「いいえ、とんでもないことでございます。私どもにできることはそれくらいしか……湯浴みの準備をいたしますね」
「でも、私、かなり寝過ごしてしまったようで……」
「ユーファミア様はお怪我をなさっておいでなのです。今日1日はゆっくり養生なさるべきですわ。ただ……王太子殿下が面会を求めていらっしゃいます」
「殿下が!? 大変、急がなくては!」
「いえ、ユーファミア様がゆっくり過ごされることが第一と申しつかっております。殿下は大変心配をなさっておられまして、お目覚めになったら知らせるよう、合わせて言付かっております。湯浴みをして身支度をされる時間は十分にございますよ」
「でも、殿下をお待たせするなど……」
誕生日を迎えられ、成人された殿下はますます公務でお忙しくなられるはずだ。私がそんな方のお時間を奪うわけにはいかない。だが、本来はここにいてはいけない私がまた舞い戻ってきてしまった状況は、殿下にとっても厄介ごとに違いない。ここはひとつ今一度支度を整えて、改めて王宮を出ていくべきだろう。
そこまで考えて、そもそも私はマクレガー家との契約を反故にしてしまった罪があることを思いだした。私がここに舞い戻ってきていることはマクレガー家に知らされるのだろうか。メラニア様が殿下と婚約間近であることを考えると、その可能性は十分にあった。
(そうね、きっと騒ぎを起こした私を処罰するために呼ぶのだわ)
殿下からすれば愛する恋人の顔に泥を塗った私を許し難いはず。私が目覚めたことで今頃メラニア様やお父様であるマクレガー宰相に連絡をとりつけているところかもしれない。
この後の断罪を考えると正直のんびり湯浴みなどできる気分ではなかった。けれどメイドに懇願され、私は浴室へと向かった。
そうして湯浴みを終えた後、メイドたちが準備した着替えに目を剥くことになる。
「無理です! ドレスなんて着られません」
「ですが、王太子殿下のご要望です」
「そんなはずは……」
メイドたちが用意したのは淡いピンクのデイドレスだった。ちなみに私の普段の格好はワンピースだ。使用人であるからドレスなど着るのはもってのほかだし、そもそも成人もしていないし、何よりいつ何時殿下が魔力暴走を起こされるかわからない状況で、走ることもかなわないドレスなど着ているわけにはいかなかった。
「ユーファミア様、こちらのドレスがお気に召さないのであればこちらはいかがですか」
メイドたちが差し出したのは濃い藍色のデイドレスだった。
「あの、いつも着ていたようなワンピースは……」
「残念ながこちらのクローゼットにはございません」
私が普段着にしていたワンピースは持ち出してはいなかったのだが、私がいない間に処分されてしまったようだ。それは当然のことだから文句のひとつも言えない。
「では、みなさんと同じおし着せを……」
メイドたちが着ているエプロンドレスであればいつものワンピースとさほど変わらない。だが彼女たちは真顔で「なりません」と首を振るのみだった。
このままでは裸で殿下と謁見しなくてはならなくなる。涙目になりながら2つのドレスを見比べ、せめて地味な方をと藍色のドレスを指さすと、メイドのひとりが「殿下の瞳と同じお色ですものね」と微笑ましく呟いた。
「やっぱり! ピンクにします」
結局私は当初の予定どおり、ピンクのデイドレスを着せられるはめになった。
「お髪も整えましょう」
さらにメイドが言い募るのを必死で止める。私はこれから殿下にただ謁見するのではない。マクレガー家との契約を反故にし逃げ出したことを断罪されにいくのだ。そんな状況でどうして着飾ることなどできよう。きっと彼女たちは私が何をしでかしたのか知らないのだ。仕える相手が舞い戻ってきたので、いつもの通りに世話をしているだけの彼女たちに罪はない。
「あの、髪は普通にしてください」
「でも、せっかく綺麗なお髪ですわ。私どもはずっとユーファミア様をもっと着飾りたいと思っていたのです」
「いいえ。お願いします。どうかこのままで……!」
浮かれた格好で殿下やメラニア様の前に出たくなかった。なぜ逃げたのか、そう問われてうまく言い逃れできる気もしない。
「ユーファミア様……わかりました。ではサイドにひとまとめにいたしましょう」
確かにこのデイドレスで髪を無造作に流しているだけでは逆に悪目立ちしてしまう。妥協しどきだろうと頷くと、彼女たちがほっとした表情をした。
そして私の支度が整ったタイミングで、殿下の来訪が告げられた。
「え? 殿下がいらっしゃったのですか!?」
この部屋に殿下が来るなど、一度もなかったことだ。そもそも本来なら私から伺わなくてはならないところ。一瞬なぜ、と思ったが、あぁと納得いく。
(きっと私が逃げ出さないように迎えにいらしたのだわ。このままメラニア様とマクレガー宰相がおいでのところに連行されるのね)
目線をさげ、拳を握りしめる。着たこともないピンクのデイドレスのふんわり広がる裾が涙で滲んでいく。こんな浮かれた格好をしている私を見て殿下はなんと言うだろう。愛する人の鋭い叱責に、果たして私は耐えられるだろうか。
心が決まらぬまま扉が開けられ、部屋に殿下が入ってくる気配がした。顔をあげることなどできなかった。私が最後に見た殿下は、生誕祭の前日。ともに夕食をとった後、別れの挨拶を告げたときの振り返った顔―――。
(いえ、違う)
その後、私は殿下と会っている。昨晩、森でかの人に助けられた。私を胸に掻き抱き、耳元でささやいた彼の声がふと蘇る。
その温かさと優しさの気配を思い出して、思わず顔をあげた。いつの間にか殿下が目の前にいた。
「でん……」
「ユーファミア!」
私の唇が閉じないうちに、カーティス殿下の胸に深く抱きしめられた。




