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森の中にも道はあった。月明かりを頼りに早足で進んでいく。離宮で陛下や殿下方について狩りの場で馬を走らせていた経験がこんなところで生きてくるとは思わなかった。


 進みながら、リーゼさんの言葉を思い出す。マクレガー家が、メラニア様が私の命を狙っているという話。


 あの慈愛に満ちたメラニア様がそんなことをするはずがない。そう思いつつ、私はリーゼさんの言葉を否定せず、今こうして馬に乗っている。なぜなのか自分でもわからない。あのとき、事態を深く考える余裕がないまま外へと連れ出され、馬があてがわれた。慌ただしい中で、なぜ私はリーゼさんの言葉に従ったのか。


(……リーゼさんの言葉に従ったわけじゃない。メラニア様の言葉に従わなかったのだわ)


 メラニア様が私に勧めてくれた自立の道。それを今、私はふいにしようとしている。マクレガー領の孤児院の管理人というこの上ない職を捨て逃げ出しているのだから。それもただの口約束ではない、契約書まで交わしたもの。それを反故にするのは重大な契約違反だ。下手をすれば実家にまで累が及ぶ。宰相家を敵に回せば、いくら復興してきたとはいえ我が家など潰されてしまうだろう。冷静になればなるほど自分の犯した行動が大きな誤りだったとわかってきても、私は馬を止めずに進んでいた。


 この気持ちを言葉にすることは難しい。あれほどメラニア様に助けられた学園生活だったにもかかわらず、私は最後の最後で彼女に反旗を掲げた。それは小さな小さなこの胸の中で燻り続けた残念な思いの成せる技だ。


(私はずっと、殿下をお慕いしていた。だからメラニア様が羨ましかった。そしてーーー)


 心のどこかで、私にまで親切なメラニア様を、妬ましく思っていた。


 その事実を認めたとき、すとん、と胸に落ちるものがあった。メラニア様から聞かされた、大昔の哀れな娘の物語が思い出される。あの話を聞いたとき、背筋が凍るような思いがした。身体中の震えが止まらず、耳を塞ぎたくなった。それでも続きを聞きたいと願った。それはきっと、娘の姿に自分を重ねたから。私はそうはならないと、強く誓うことなどできなかった。


(私もあの娘と同じ。そして、彼女の選んだ道を、私も行くのだわーーー)


 愛する恋人同士の間に水を差す道化が私の役目なら、謹んでまっとうしよう。なんの因果かこうして馬上の人となりマクレガー家から逃げ出しているなら、どこまでそれができるのかやってみよう。


 そこまで考えた私は馬足を止めた。


「ここまでありがとう。おうちに返してあげたいけれど、できなくてごめんなさい」


 月明かりがさすとはいえ暗がりの森に馬だけを残すのは気がかりだったが、さきほどリーゼさんが防御魔法をかけてくれていたから、獣に襲われることはないだろう。運が良ければ屋敷に戻れるかもしれないし、ここは道の途中だから、誰かに見つかる可能性も高い。馬は貴重だからきっと連れて行ってもらえるはずだ。


 私は馬を捨てる決意をした。リーゼさんの話を本気で信じているわけではなかった。だが私が姿を消したとすれば、マクレガー家の騎士たちが私を探しにくることだけは確かだ。契約まで交わした使用人、それも数日前まで王家のお抱えだった貴族の娘だ。普通であれば捜索される。森の中とはいえ道を行けば、私よりずっと馬足の早い騎士たちに見つかるのは時間の問題だった。


 メラニア様の幸せを祈れない私は、かつての娘のように王太子殿下の婚約者に手をかけることまではさすがにしないが、逃げ出すことはできる。私はメラニア様の命を狙ったわけではない。ただ逃げただけだ。その罪はきっと私だけに与えられる。私の退職金は実家救済に当ててもらおう。そしてマクレガー家の庇護までも失った私は、隣国へ追放でかまわない。


 そう思いながら、私はひとり森へと踏み入った。無謀なことをしているとわかっている。ただ、リーゼさんが着せてくれたマントの裏には携帯食料といくつかの魔法陣を書き留めた用紙が縫い付けてあった。彼女がかけてくれた防御魔法もある。効果がいつまで続くかはわからないが、一晩くらいは大丈夫なはずだ。


 長年王太子殿下の治癒係として側付きの使用人をしていた私は、学院の勉強とは別に教師がつけられ、最低限の知識を叩き込まれていた。そのおかげかこの辺りの地理にも通じている。くるのは初めてだが、王都からの距離と時間、隣領の情報から、だいたいの当たりをつけていた。今は森の奥深く入ってしまったが、この森はそれほど広いわけではないと知っている。今も隙間から星が読めるし、明日また太陽が差し込めばそれで方向の検討がつく。


 逃げるのだ。誰から? 表立ってはマクレガー家の追っ手からだが、たぶんそれだけではない。


 封じたはずの、捨てたはずの、無謀な思いを、抱えて生きていくと決めた。私はあらゆる者たちの思念からこの心を守るために、今この道をゆく。


 それは、誰かに強制されたわけでも提案されたわけでもない、私が生まれてはじめて自分で決めた道だった。







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