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 夜半のことだった。夕食を済ませた後、自室に戻った私はいつもの癖で夜着に使用していた詰襟のワンピースに着替えていた。別荘に置いてあった詩集を借りてベッドの上で開く。窓から月明かりが差し込んで、十分明るい室内だった。生活リズムが変わったせいだろうか、なかなか寝付くことができない。


「はぁ」


 大きく息をついたそのときだった。部屋を控えめにノックする音が響いた。


「はい」

「ユーファミア様、リーゼにございます」

「リーゼさん?」


 夕食前まで魔法について語りあっていた彼女が部屋の外にいた。濃紺のフードをかぶった姿は旅装そのままだ。


「リーゼさん? どうなさったのですか、その格好……」

「ユーファミア様、急ぎ来てください」

「え?」

「時間がないのです、さぁ!」


 彼女は強く私の手を引いたかと思うと、唇に指を当て、静かにするよう伝えてきた。そのまま手にしていた同じようなマントを私に渡す。


「これを被ってください。物音は立てぬようにお願いします。急がなければ貴方様のお命が……」

「え?」

「さぁ早く! 私は、ユーファミア様を死なせたくはありません」


 そのまま引きずられるように階下へと降りた。玄関ではなくキッチンの方へと進む。奥には馬屋へと続く勝手口があった。マントを着るよう再度言われた私は移動しながらフードをかぶる。


「ユーファミア様、馬は乗れますよね?」

「え、えぇ。乗れますが……」

「ではこの馬を。ここを出て右に出ると森になります。森を抜ければ隣のジレイド伯爵領です。ジレイド領は移民の受け入れを積極的に行なっているところですから余所者でも目立つことはありません。逃げる先としては適切かと。もちろん森を抜けなければなりませんので危険はありますが……でも街道側へ行ってしまえばマクレガー家の騎士たちに見つかってしまいますので」

「あの、リーゼさん? ちょっと待ってください。どうして私が馬に乗って森に行かねばならないのですか? 私はメラニア様と契約してマクレガー領に向かう必要があります」

「マクレガー家が、あなた様のお命を狙っています」


 リーゼさんの鋭い言葉に、私は一瞬息をのんだ。


「お願いします、ユーファミア様。私は、あなた様を死なせたくありません。魔法学に関する類い稀なる知識をお持ちのあなた様は、きっとこの学問の発展に大きく寄与なさるはずです! それに、あなた様は、平民の私の話も熱心に聞いてくださいました。こんな経験は学院で教授たちと意見を交わしたとき以来です。卒業後はマクレガー家から一歩も外に出ることが許されず、同僚たちからも差別を受け、それでも魔法に関わっていたいからとひとりで耐えてきました。ユーファミア様、あなただけが、私のことをなんの偏見もなく受け入れてくださいました。だからこそ、あの伝令魔法が知らせてきた内容のまま、あなた様を失いたくないと思ったのです」

「ま、待ってください。なぜ私が命を狙わなければならないのですか? 私は、しがない下級貴族の娘です。命を狙われう理由なんて……」


 確かに王太子殿下の治癒係という稀有な地位についてはいたが、それも一昨日までの話だ。今の私はなんの地位も力もない、ただの魔力なしの娘にすぎない。それにマクレガー家がなぜ私の命を狙うのか。私は今から、彼の家ではたらくというのに。


 私の問いにリーゼさんは顔を大きくゆがめた。


「……あなた様を処分するようにという命令が、王都のメラニア様からつい先ほど飛んできたことは事実です」

「そんな……メラニア様がそんなこと」


 するはずがないという言葉は唇から溢れることはなかった。メラニア様の美しい瞳が浮かび上がる。あの目はいつも微笑みながら愛しそうに殿下を見つめていた。私のような身分の者にも慈しみを忘れない、そんな方。


 けれどその瞳が強く鋭い視線を向けてきたことが一度だけあったと唐突に思い出す。あれは数ヶ月前。久々に殿下が教室で魔力暴走を起こしたとき。教室に残り殿下に駆け寄る私に、去り際きつい眼差しを寄越したーーーもしあれが彼女の本心なのだとしたら。


 背筋がぞわりと震えるのがわかった。季節は初夏。空気もねっとりとした湿度を孕んでいるのに、私の周りだけなぜか凍りついているように寒い。


 横を見れば馬を引いたリーゼさん。魔法の話に花を咲かせていたときの興奮の色に染まっていた表情は消え、くしゃりとした泣き顔に変わっていた。夜中に私を呼び出し、なんの土地勘もないまま、初めて乗る馬を与え森を抜けろと言う。無茶な申し出であることはわかっている。出会ってまだ2日しかたっていない彼女と、学院で6年を過ごしたメラニア様。どちらを信じるかと問われれば迷う必要などないはずだった。


「……ユーファミア様、どうか! 早く出立しなければ騎士たちに気づかれます」


 街道の先を不安げに何度も振り返るリーゼさんの様子を見て、私も決心した。


「わかりました。ありがとうございます」


 こうして私は馬上の人となった。






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