3
「そなたが魔力なしの娘か」
初夏の清々しい日差しが差し込む午後。王宮から遣わされたその人は、ジョナサン・バルト伯爵と名乗った。王妃宮の筆頭事務官である彼は、父より少し年上の、見るからに怜悧そうな男性だった。
滅多に客などこぬリブレ領にやってきた、それも王宮からの使者。無理をおして応対する母の隣で、私はその眼差しに射抜かれたように身体をぶるりと震わせた。
いつもなら私に向けられる侮蔑の言葉に黙っていない母も、相手が相手なだけに耐えているようだった。
「それで伯爵様、我が家にいったいどのようなご用事で……」
「そなたの娘に用がある。名はなんと申す」
「ユーファミアでございます」
「歳は」
「もうすぐ12歳になりますわ」
気圧された私の代わりにすべて母が答える。
「伯爵様、あの、娘が何か。この子は家からほとんど出たことがありません。ご迷惑をおかけするようなこともなかったかと思うのですが」
「娘が魔力なしというのは本当か」
「は? あの、それはどういう……」
「本当かと聞いている」
「……本当にございます」
「嘘偽りではないのだな」
「お疑いであれば教会でご確認ください。神父様がユーファミアの魔力の測定をしてくださいました。針は1ミリも振れませんでした。私も主人も確認しております」
「あいわかった。それなら好都合。わざわざ赴いた甲斐があるというもの」
そしてバルト伯爵は一通の書状をテーブルに広げた。
「端的に言おう。ご息女に王宮に伺候していただきたい。なおこれは国王陛下の御要請である」
書状にあるのは流麗な文字と荘厳な玉印。末端貴族ですら知っている国王陛下の御印だ。
「これは……ジョージ陛下の……」
母は毎年社交シーズンの王宮舞踏会に父と出席していた。その招待状が届くので見知っていたのだろう。そもそも王妃宮の筆頭事務官が来ている時点で、疑うべくもない。
「なぜ、娘が……ユーファミアが王宮に? 伯爵様がおっしゃる通り、この子には魔力がありません」
貴族は平民よりも高い魔力を持つがゆえ、その権力を誇示できる。その魔力を持たない私は、その点で言えば平民以下だ。王宮仕えは仕事内容の如何にもよるが、貴族ですら憧れる立場。そこに選ばれる理由が母にも私にも純粋にわからなかった。
「まさに、魔力のない娘を我々は求めているのだ。ご息女が仕えるお相手はカーティス王太子殿下。両陛下のご長男にして、未来の国王であらせられる」
ジョージ国王とアグネス王妃には4人の子どもがいる。長男がカーティス殿下、その下にアン王女、レイチェル王女、一番下がレイモンド王子だ。長男相続が一般的なこの国で、カーティス殿下は生まれながらにして王太子だった。
「カーティス殿下は間もなく御歳12になられる。ご息女と同じだな。勉学も剣術もともに優れ、すでに未来の為政者としての片鱗を見せておられる。何よりその高い魔力は魔力測定装置でも計測不可能なほどであり、四代前のイゴール王の再来とまで言われている」
「まぁ、イゴール王の……」
その名に私も聞き覚えがあった。神父様の元で見せていただいた王家の歴史に関する書物にその名があった。貴族は平民よりも高い魔力を有するものだが、とりわけ王家の直系は高い魔力を持つ者が多い。そしてそんな王家の中でも、火・土・風・水すべての属性を持ち合わせ、かつ測定できないほど高い魔力を有する者が何代かにひとり生まれるという。その者の治世は類を見ないほど発展するという言い伝えは、この国の民であれば子どもでも知っているものだ。
「カーティス殿下は間違いなく優れた王になられるであろう。夏が終われば王立学院に入学され、魔法を本格的に学ぶことにもなる。すでに火・土・風・水の初級魔法を習得済みでいらっしゃるからな」
「まぁ、12歳になろうというお歳でそれだけの魔法を使ってらっしゃるのですか? それではお身体にさぞや負担があるのでは……」
母の心配は尤もだった。魔法はその者の体力を大きく奪う。そのためある程度身体が成長していないと使用が難しい。貴族や魔力の高い平民が通うことができる王立学院に入り、そこで魔力の制御や魔法の使い方、さらには自身の身体を鍛える訓練を重ねることで、ようやく自在に操れるようになるのが一般的だ。それほどまでに身体を酷使する魔法を、初級とはいえ習得することは、普通の12歳の子どもに耐えられるものではない。
だがバルト伯爵は「その心配はない」と言い切った。
「イゴール王も10歳の時点で初級魔法を治めておられたという。カーティス殿下もその血を濃く受け継がれておられるのだろう。中級以上は学院に入学されてからになるであろうが、もしかすると飛び級で卒業されるかもしれぬな。いや、今はそんな話をしている場合ではなかった。問題は、カーティス殿下の魔力が高すぎることにあるのだ」
そしてバルト伯爵は眉を顰め、重々しく語り始めた。
「殿下の魔力は我々とは桁違いでいらっしゃる。そしてその魔力が、時に殿下の身体を蝕むことがあるのだ。高すぎる魔力が殿下の体内で暴走し、負の気となって殿下の体内に溜まっているようでな。どうにかそれを体外に排出させなければ、持ち主の体力を奪い続ける一方だ。今は王宮の魔道士たちが治癒魔法をかけることでなんとか治めているが、それも所詮は気休め。このままでは排出しきれない魔力が溜まりに溜まって、殿下の命までをも脅かすものとなるであろうというのが魔道士たちの見解だ」
「まぁ……!」
「我々側近としてもこのまま手をこまねいているわけにはいかぬ。特に母親でいらっしゃるアグネス王妃陛下の御心痛は大変重く、こうして王妃宮の筆頭事務官である私がここに遣わされた次第だ」
「それは、その、殿下におかれましても王妃陛下におかれましても、誠に御心配のことと存じますが、それと娘と、いったいどんな関係があるのでしょう」
「殿下のように高すぎる魔力を有する王族の治癒には、魔力のない人間が必要なのだ。かつてのイゴール王のときにも、魔力のない娘がかのお方を救ったと聞いている。今の世において魔力を一切持たぬ者は、ご息女以外に聞かぬのでな。そのためご息女には急ぎ王宮に伺候し、カーティス殿下を救っていただきたい」
想像もしなかった展開に、母も私も声を失うしかなかった。子爵家は下位貴族、直系であれど国王陛下やそのご家族に謁見する立場にない。そんな末端貴族の、しかも魔力なしで役立たずの自分が、王宮で王太子殿下に仕えるという。
「その……娘は王宮で、具体的にどんな仕事をするのでしょうか。この子はまだ12にも満たない歳で、家庭教師すらついておりません。もちろん、最低限のことは私どもが教えましたが……それでも、殿下に粗相をしてしまう可能性もございます」
「ご息女の仕事内容については、殿下の治癒に協力をいただくとしか今は説明できぬ。王家の秘事にもなっていることなのでな。ただ、ひとつ言えることは、殿下の暴走した魔力を吸収する必要があるということ。そしてそれは、ご息女のように魔力のない人間にしかできぬことなのだ」
「魔力を吸収、ですか?」
「左様。殿下の魔力が大量に溢れ出る水だとしたら、魔力なしのご息女は空っぽのグラスのようなもの。空であるからこそ殿下の魔力を注ぐことができる。これがもし少しでも魔力がある者なら、異質な魔力を受け入れることでその者も悪酔いしてしまい、こちらも命を落としかねない」
「そんな……それは危険なことではないのですか!?」
「いや、安心なされよ。ご息女の場合はなんら問題はない。なにせ混ざり合う魔力自体を持ち合わせぬのだからな。命に関わることは絶対にないと約束できよう。もちろん身体を傷つけるようなこともない」
「ですが……」
バルト伯爵の説明は、母にとって決して安心材料にはならなかったようだ。その顔色が蒼白なのは元からだが、さらに眉根を寄せた顔には影が差し、今にも昏倒してしまいそうだった。
そんな母を、伯爵の手前堂々と支えることもできず、私は途方に暮れていた。
「リブレ子爵夫人、いや、今は子爵代理であらせられたな。これは両陛下のご意志、いわば王命である。本来ならそなたにもご息女にも拒否権はないものだ。だが、大切な娘を親元より引き離してしまうことを慮って、あえて陛下は依頼という形をとられた。どうかこの御用命に是と頷いてはくれぬか」
そこまで言われて否と言える者はこの国の貴族にはいない。母が唇を噛み締めているのを見ながら、私もまた強く手を握りしめていた。
本音を言えば行きたくなどなかった。家も領地も大変な状況で、母までも倒れてしまい、5歳の弟を抱えて、私までがいなくなれば、この家はどうなってしまうのかーーー。そこまで考えて、そもそも私がいたところでなんの役にもたたないのだと思い直す。弟のクラウディオは王立学院に入学して魔法さえ身につければ、父と同じようにこの領地を盛り立てていけるだろう。一方で私といえば、荒れた領地を治すこともできなければ、治すだけのお金を稼ぐこともできない。ただの穀潰しとして、クラウディオと、彼の未来の家族とに養われながら、一生ここで暮らすのだ。
それはとてもみじめなことだけれど仕方がない。私には魔力がない。目の前の伯爵はそんな私に王宮で働かないかと言ってくれたけれど、そもそも私なんかが王宮できちんと働けるとは思えない。たとえ魔力なしの人間が求められているとはいえ、きちんと王太子殿下を助けられるとも思えない。
しばしの沈黙の後、再びバルト伯爵が口を開いた。
「こちらに伺うにあたり、子爵家について調べさせていただいた。なにぶん王太子殿下の側仕えの者を召し抱えるのだからね、慎重に運ばねばならなかったのだよ。どうやら先の災害の影響でずいぶんと苦労をしておられるようだね」
隣で母がぴくりと肩を動かす気配があった。伯爵は何も気付かぬ素振りで話を続けた。
「ご息女を王宮に伺候させてくれるのであれば、支度金として1000万ルイ用意しよう。その他に領地の復興に必要な魔道士も手配する。もちろん費用はこちら持ちだ。それから……ご息女には大切な仕事をしていただくのだから、給金として毎月60万ルイを支払うことを約束しよう。それだけあればあなた方も領民も助かることになるのではないかね?」
いかがか、と鋭く答えを求める伯爵の目は、母でなく私を向いていた。先ほどからまっすぐ彼の目を見ることさえできなかった私は、その視線に完全に縫い取られてしまった。
伯爵の口から紡がれた、今の私たちからすれば途方もない金額が、私の耳の中をこだまする。
荒れた領地を治すこともできなければ、治すだけのお金を稼ぐこともできない。ただの穀潰し。
そんな私に、それだけの価値があるのならーーー。
「私、行きます」
「ユーファミア!」
母が悲鳴のような声をあげた。
「お母様、元より王命のようなものなのです。断ることはできません」
「いいえ、いいえ、そうではないわ、ユーファ。両陛下も、娘を思う気持ちはわかってくださるはずよ」
「だからこそ、大切なご長男の命が危険にさらされている両陛下の思いに応えねばなりません」
「ユーファ、あなたが気にすることはないのです。お金は母がなんとかします。領地の復興も、責任は私にあるのです。あなたは、ただこの家にいてくれればいいの」
「その家すら存続が危ぶまれているのに? お母様、私はそこまで子どもではありません。きちんとわかっています。伯爵様がお約束くださったお金は、今我々に必要なものでしょう?」
「ユーファミ……!」
「そなたの返事、しかと聞いたぞ」
母の悲痛な叫びをかき消すかのように、伯爵は膝を打った。
「ならば早急に支度をしてもらいたい。必要なものはすべて王宮で揃える。身ひとつで来ていただいてもかまわぬ」
「承知いたしました。道中の着替えだけでも準備させていただいてよろしいでしょうか」
「一刻は待とう。その間に契約書を準備する」
伯爵と手早く会話を済ませて、私は母の目を見ることなく部屋を飛び出した。
貨幣のルイは日本円と同じくらいと思っていただけたら。