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1週間かけて中間試験が終了した。これから学院は2週間の短い休暇に入るというその日、私はメラニア様に声をかけられた。マナーの講座が少し早めに終わった教室で、殿下やカイエン様と合流する前のことだった。
「ユーファミア様は卒業後はどうなさるご予定なのかしら」
瞳をきらきらさせながらふんわりと微笑む姿は相も変わらず美しい。
「卒業後ですか? まだ何も決まっておりませんが、おそらく実家に戻ることになると思います」
今後のことについてバルト伯爵に相談したいと試験前にカイエン様にお願いしたが、「そんな先の話より目先の試験に集中すべきでは?」と返されたのでまだ叶ってはいない。第一希望は仕事に就くことなのだが、全くもって未定なので、メラニア様には第二希望について打ち明けた。
「まぁ、リブレ領にお戻りになるのですね。ですがご実家は弟君が継がれるのでしょう? 大変失礼ではありますけれど、ユーファミア様の居場所はございますの? いえね、ユーファミア様がご実家で肩身の狭い思いをなさったり、いずれお迎えする弟君の奥様とぎくしゃくしたりするのはあまりにもおかわいそうだと思いまして。大事なお友達がそんな状況で過ごすことになれば、わたくしだって悲しくなりますわ」
「ご心配ありがとうございます。ですが母も弟も将来のことは心配しなくていいと言ってくれていますので」
「血の繋がったご家族はそうでも、義理の妹となる方がそうとは限りませんわ。ユーファミア様はそれでも、ご実家でずっと暮らしたいとお望みなのかしら」
「それは……確かに家族には迷惑をかけたくないとは思いますが、私はこの通り魔力なしですので、就職は難しいと思います」
以前マーガレット様とシャロン様がうちで雇ってもいいとは言ってくれたが、おそらく私を気遣うための冗談だったはず。それくらいの機微は私にもわかった。
「そんなことありませんわ。ユーファミア様はとても努力家で謙虚な方ですもの。わたくし、実はユーファミア様をスカウトしたいと思っていましたの」
「スカウトですか?」
「えぇ。わたくしの実家にある孤児院の管理をユーファミア様にお手伝いいただけないかと思いまして」
「マクレガー家の孤児院……」
メラニア様は王都のマクレガー邸で生まれ育った方だが、ご実家のマクレガー領は王都からはるか西、馬を飛ばしても数日はかかる距離にある。広大な面積を誇る農業地だ。
「孤児院の管理人のひとりが高齢のため、近々退職する予定なのです。孤児院とはいえ我が家の名で運営されている以上、身元が不確かな者を雇いたくありませんの。その点ユーファミア様でしたら長年のお友達ですから、安心して任せられますわ」
「でも、私には魔力がないのですが……」
「まったく問題ありませんわ。院長が平民ではありますがそこそこ魔力を有していますので、生活魔法はどうにかなっているようですの。ユーファミア様が魔力なしであることを伝えておりますが、それでもかまわないと。院長は平民で学校も出ておりませんから、ユーファミア様には子どもたちへ文字の読み書きなどを教えていただければありがたいと申しておりました」
思いがけぬ申し出に私は驚いていた。仕事があればと思っていたが、まさかメラニア様のご実家での働き口を紹介されるとは思ってもいなかった。
孤児院で子どもたちに読み書きを教える、魔力はなくても構わない。破格の申し出であることは理解できた。問題は物理的な距離だ。マクレガー家の領地は王都を挟んでリブレ領とほぼ反対の位置。移動をしようと思えば下手すると1ヶ月近くかかることになる。いくら実家から独り立ちを希望していたとはいえ、この距離は想定外だった。
私の戸惑いを察したのか、メラニア様が私の手を握った。
「ユーファミア様、わたくし、本当にあなたに孤児院に来て欲しいと思っていますの。我が領は昨年の厳しい冬の間に肺炎を患った者が多く、両親を無くした子どもたちが何人かいるのです。親を失った子どもたちの心に真に寄り添えるのは、同じようにお父様を亡くされたユーファミア様をおいてほかにないと思っています。そうした心理的なケアも、慈悲深いユーファミア様なら上手に担ってくださるのではないかと思いまして」
父を亡くしてたちまち領政が立ち行かなくなり、母も倒れ、どうすればよいのか途方に暮れた日々を思い出す。あのように不安な気持ちを抱える子どもたちを救えるなら救ってあげたいとは思う。だが、なんの素養もない自分にはたして務まるだろうか。
「メラニア様、素敵なお話をありがとうございます。ですが、私ひとりでは決めかねます。殿下やリブレ伯爵、それに実家にも相談をしてみないと……」
「ユーファミア様、こちらの都合で恐縮なのですが、孤児院の管理人の職はマクレガー家の使用人と同等の条件で雇いますため人気が高くて……すぐに決めていただけるなら、わたくしも父に推薦しやすいのですが、時間を要するとなると他の方を優先せざるを得ません」
「まぁそうなのですね。でも学院の後期課程がまだありますから、私もすぐには働けないのですが……」
「後期課程は残り5ヶ月ですが、就職活動などを優先してもよいことになっていますわ。ですから早々に我が家との雇用契約を結んでいただいて、カーティス殿下の誕生日とともに王家の契約が満了したその足でマクレガー領にお越しいただければ問題ないかと。それくらいでしたら父も待ってくれると思います。採用手続きとなれば少なくとも3ヶ月ほどはかかるものですしね」
確かに最終学年の後期課程は必須の授業もほとんどなく、公的機関での登用を望む者たちは採用試験に向けた講座を受けたり、花嫁修行にシフトする令嬢たちはマナー講座などを追加で受講したりと、各々がそれぞれの道にわかれて活動してよいことになっている。早めに就職が決まった者たちは一足早く仕事に就いて、卒業式だけ出席するということもある。
齟齬なく運ぶ話ではあるが、問題はこの展開についていけない私の心だった。
「大変ありがたいお話ですが、やはり相談なくしては……」
実家の母に、何より殿下に、伝えたいと思った。それで何か返ってくるわけではないとしても、そうしたいと思ってしまった。
その心の揺れを、メラニア様は見抜いたようだ。
「ユーファミア様。わたくしたちはあと半年足らずで卒業ですわ。そして成人を迎えます。成人となれば、自分の道は自分で切り開かなくてはなりません。今までは王家に雇われていましたが、成人ともなれば、自分で今後の身の振り方を決めるのが普通ではないでしょうか。大変厳しいことを申し上げますが、ユーファミア様は少し……殿下に甘えすぎていらっしゃるように見受けられるのです。殿下の専属の治癒係で、あなたなくしては殿下はお命まで危ういという、その状況をユーファミア様ご自身が利用されてはいらっしゃいませんか?」
「そんな……私はそんなこと!」
「もちろん、ユーファミア様がそのような浅ましい心根の方でないことは、わたくしはよく存じ上げています。ですが周囲はなんと思うか……それに殿下も、あなたには自立を望んでていらっしゃいます。ご自身があなたに頼らざるを得ないお立場ですから無理は言えないようですが、正直あなたの将来まで面倒をみなければならないのは一苦労だと、お考えのようです」
「殿下が……」
「ユーファミア様、あなたと王家の契約は殿下が成人するまで。そのときはもう目前に迫っております。今この状況で、将来について何も決めていないということは、あなたの将来について王家が何かしら手を貸さねばならないということです。そのことについて、もう少し真剣に考えてみられてはいかがでしょうか」
メラニア様は鈍い私でもわかるよう、的確な言葉でそう告げた。殿下の思いを一番近くで汲まれている方だ。王家と殿下にすっかり頼り切っていたこの5年半。私は確かに殿下を治癒し続けた。けれどそれは契約の一種。見返りとしてリブレ領を再興させる支援をすでに頂いている。だから学院に通わせていただいたことは、プラスの計らいだ。
もともとの契約では私の将来は約束されていない。謝礼金や爵位などが過去に与えられた例はあるとのことだが、過去の治癒係たちはそもそも学院に通わせてもらっていたのかもわからない。彼女たちがどんな選択をし、どんな人生を歩んだのか、私は何も知らなかった。いや、ひとりだけ知っている。当時の王太子殿下を愛し、婚約者の暗殺を試みた娘の話を。
その末路を思い出しぞっとする私に、メラニア様はさらなる言葉を重ねた。
「ユーファミア様、今まで王家はあなたに最高の環境と立場を与えてくださいました。あなたがもしその御恩に報いたいと思うなら、王家から次の道を差し出される前に、ご自身で将来を選択なさるべきですわ。殿下の元を離れ、マクレガー領で新たな人生を歩むという選択です」
かつての魔力なしの娘は隣国に追放となった。それならまだ遠いとはいえ同国内のマクレガー領の方がマシと言えるだろうか。同じように王太子殿下を愛してしまった愚かな娘として、王都からも自領からも遠く離れた場所で生きていくのが、殿下を愛した罪を償うことになるなら。
「孤児院の契約は3年単位です。継続希望ももちろん可能ですが、もしその時点でやはりご実家に戻りたいと思われたら、それも叶います。今ユーファミア様に早急に必要なのは自立。まずはそれを目指して、一歩踏み出してみられませんか?」
そしてメラニア様は一枚の紙を私に見せた。
「契約内容が書いてある契約書ですわ。サインをいただきたいのですが、まずはじっくりと目を通されてみてください。何かわからないことがあればいつでも聞いてくださいね。孤児院の管理者は心優しいユーファミア様にぴったりだと思います。子どもたちにもユーファミア様の努力家なところを見習ってほしいのです」
「ありがとうございます。あの……このお話について、せめてバルト伯爵に報告させてはいただけないでしょうか」
実家の母への報告は後回しでもいいだろう。殿下のお耳に入れるのはもってのほかだ。だが私自身がバルト伯爵を通して契約を結んでいることを考えるとやはり無視はできない。伯爵にさえ報告すれば両陛下のお耳にも入るであろうから、お優しい陛下方にも安堵していただけるだろう。
「そうですわね。ユーファミア様にもお立場がありますものね。でしたらカイエン様にまずはお話を通されてはいかがかしら。それでお父上でいらっしゃるバルト伯爵にも伝わるのでは?」
「そうですね。もともと中間試験が終わったら、今後の身の振り方を伯爵に相談しようと思っていたんです。そうさせていただきます」
「いいお返事をお待ちしていますわ」
「はい。あの、メラニア様、いつもありがとうございます。こんな私にも気遣ってくださって……」
「あら当然のことですわ。殿下にとっての恩人はわたくしにとっても恩人ですもの。あなたの献身を、殿下もわたくしも一生忘れませんことよ」
メラニア様の琥珀色の瞳が鮮やかにきらめく。未来の王太子妃が紡ぐ感謝の言葉。王国の民として一貴族として、これ以上の誉はないはずだ。けれどそれを受け止める私の胸がずきりと痛むだなんて、なんて私は卑小な人間なのだろう。かつて分不相応な恋に身を焦がし罪を犯した令嬢のことを決して責めることなどできない。