20
2週間の離宮での避暑暮らしが終わり、王都に戻った私たち。通常運転の毎日を過ごした後、学院の新学期が始まった。
メラニア様はお休みの間に訪れた南国の話を披露され、殿下にお土産を渡していらした。殿下の休暇の話を聞きたがっておられたが、殿下はいつも通り離宮で国王陛下と狩りをしていたと答えていた。
殿下たちと少し距離が空いたタイミングで、不意にカイエン様が私に問いかけてきた。
「あなたはどんな休暇を過ごしていたのですか」
「私ですか? えっと、殿下とともに離宮に参りました」
「そこでは何を?」
彼の薄青の瞳が詰問するかのように私を見据える。胸に湧き上がるのは殿下とともに馬上の人となったときの熱や息遣い、私の膝で穏やかに目を閉じる美しい相貌―――。
だがそれをカイエン様に聞かせるわけにはいかない。私は小さく首を振り答えた。
「いつも通り、陛下と殿下の狩りされる姿を遠くから見守っておりました」
「それだけですか?」
「……はい。あと、王妃様のお茶に招かれました」
厳しい視線から逃れるように別の話題を取り出すと、カイエン様は微かに眉根を動かした。
「王妃陛下とはどんな話を?」
「特には。湖でのピクニックの話をお聞きしたり、離宮の図書館の蔵書について話したり……」
嘘ではない。実際にそういう話もあった。
「図書館にはリーヴァイの詩集の珍しい版があったので、それを貸していただきました。全部は読めなかったのですけれど、また読みにくればいいと殿下がおっしゃっ……」
「馬鹿なことを」
言い終える前に低い声が私の言葉をばっさりと切った。
「殿下はあと1年で成人を迎えられる。あなたの役目はそこで終わるのです。再び離宮に行くことなど、あるはずがないでしょう。つまらぬ夢は持たぬことです」
「……はい」
わかっている。すべて殿下や王妃様の優しさだと。誰よりもよくわかっているのに、それを人から指摘されると余計に辛くなる。
「そういえばわたくし、南国旅行の後にマクレガー領にも足を運んだのですけれど」
午後の昼下がり、教室移動をしている最中、メラニア様がふと思い出したかのように呟かいた。殿下とカイエン様は先を歩かれていて、その背中がちらちらと見えている。
「そこで興味深い記録をみつけたのです」
「記録、ですか?」
「えぇ。数代前のご先祖様が残された日記ですわ」
マクレガー侯爵家は遡れば建国時にまで辿り着く名家だ。ご先祖の記録が大切に残されているのも想像できる。
「かつてマクレガー本家のかなり遠縁に、ユーファミア様と同じ魔力がない娘がいたそうで、たまたま当時の王太子殿下がカーティス殿下のような強力な魔力をお持ちの方だったため、その娘が治癒係に抜擢されたのですって」
「本当ですか?」
「えぇ。わたくしもまったく知らなかったのですけれど……その、この話はどうやら我が一族内ではタブーになっていたようで、その日記も資料室の目立たないところに隠すように置いてあったのです」
古い資料で魔法関連のレポートを書こうと思いたったメラニア様は、ご実家の資料室を整理されていて、たまたまその日記を見つけたそうだ。
「そこに書かれていた内容が……その、あまりにも無惨な話で。そのせいで一族に受け継がれることなく、葬られようとしたのではないかと思っています」
「無惨な……話、ですか」
マクレガー家が表沙汰にしたくない内容であれば、私が問うわけにはいかない。けれど同じ魔力なしの娘の話ということで気になって仕方なかった。
メラニア様は先を行く殿下とカイエン様の背中をちらりと見た後、声を顰めた。
「本当は一族以外の方には教えてはいけないのだと思いますけれど、わたくし、それを読んでどうしてもユーファミア様が心配になってしまって……。ユーファミア様、わたくしがこの話をしたこと、内緒にしてくださいますか?」
「も、もちろんです」
「殿下にもカイエン様にも漏らさぬよう。ただユーファミア様の胸のうちにだけ止めるとお約束くださいませね」
そうしてメラニア様は、かつての魔力なしの娘の話を始めた。
「その娘は、当時の王太子殿下の元にあがり、治癒係を7年ほど務めたそうですが、その後隣国に追放されたのです。理由は彼女が、王太子殿下の婚約者の暗殺を試みたからだそうですわ。なぜ暗殺などに手を染めたのかというと、どうやらその娘は身の程もしらず、王太子殿下を愛してしまったそうなのです」
ひゅっと息を呑む音が溢れた気がした。それを気取られまいと喉に強く力をこめながら、なるべく平常心でメラニア様の話の続きを待った。
「王太子殿下には相思相愛の婚約者がずっといらして、娘は彼女さえいなくなれば殿下が自分を愛してくれると思い込んだようです。幸い暗殺は未遂に終わりました。婚約者の方は高位貴族で、娘はマクレガー家に連なるとはいえ平民に近い暮らしをしていたほどの遠縁。貴族の殺害未遂となれば重罪ですが、長年王太子殿下の治癒係を務めた成果から罪が軽減され、隣国への追放という形で収めたのだそうです」
自分の一族に連なる娘の罪の話だからか、メラニア様の歯切れもやや悪くなる。
「娘の父親は領内で警備の仕事をしていたようですが、事件をきっかけに仕事を失い、結婚していた姉も離縁され、間の悪いことに母親も急逝するなど、一家は実質離散したのだとか。我が一族から罪人が出たことで、当時の当主も責任を取る形で、宮廷での仕事を辞したのだそうです。ひとりの娘の分不相応な思いが、思わぬ不幸を呼び寄せたのですわ」
その言葉のひとつひとつが鋭い刃のように私の全身を刺した。身体中のあらゆる組織が温度をなくし、冷えた指が静かに痙攣する。
「一族の恥となる話ではありますが、ユーファミア様の状況とどこか重なって見えてしまいまして……もちろんユーファミア様はそんな愚かなことをなさる方ではないと、わたくしちゃんと知っていますわ。ね、そうでしょう?」
心配そうに覗き込むメラニア様になんとか是の答えを返す。メラニア様はほっとしたようにふわりと微笑んだ。
「よかったわ。わたくし、ユーファミア様には幸せになっていただきたいの。殿下に誠心誠意遣えてくださっている方ですもの。わたくしにとっても他人ではありませんから」
そしてメラニア様は遠くにいる殿下の背中を追いかけていった。少し離れたところにいたマーガレット様とシャロン様も併せて移動していく。
私はその場に立ち尽くしたまま動くことができなかった。学院にいる間殿下の側から離れてはいけないのに、メラニア様のように無邪気にあの背中を追いかけることができない。否、本当はずっと心で追いかけてきた。それが許されないと知っていながらーーー。
だけど私の判断の狂いが、家族にも影響を及ぼす可能性を示唆されたら、私は心を閉ざすしかない。
閉ざしてもなお、胸を打つ金の髪と藍色の瞳、冷たい唇の感触―――。
消せないのならもう、心を殺すしかない。