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試験は無事及第した。
ひとり特別仕様の試験を受ける私は、他の生徒たちのように順位がつけられることはない。及第か落第か、それだけを試験後に先生たちから告げられる。
年度末試験において学年首席は王太子殿下だった。2位はカイエン様。上位10位までの結果は貼り出されることになっており、メラニア様は7位という順位だった。順位のみの掲示で、点数までは公開されていないが、3人ともトップ10から落ちたことがないのは確かだ。
メラニア様のご好意でお借りしていた書籍も返却した。私のためにわざわざ設けてくださったレポート課題に追われて、帰宅後もずっと机にかじりつきだったのだけれど、そのレポートを元に行われた魔法解析学の口頭諮問も合格となったのだから、感謝している。くだんのレポートはもちろんお達し通りにメラニア様にも提出した。後日とても丁寧なフィードバックまでくださった。やはりメラニア様も、あの魔法書を読み込まれておられたのだ。あっさり私の勉強につきあってくださったカイエン様といい、この国の将来の中枢を担う方々はなんて優秀なのだろうと、感心してしまう。
そうして季節は夏を迎え、今年も王家の皆様が短い避暑へと出発なさる日となった。
王都から馬車で半日ほどの距離にあるその離宮は、豊かな自然に囲まれた高台にある。離宮の背後にある森では狩猟が楽しめ、湖ではボート遊びも行われる。国王陛下も殿下も狩りがお得意で、彼らが楽しんでいる間、王妃陛下や王女様方、末の殿下は湖で涼を取られるというのが主な過ごし方だった。
殿下の治癒係として私も離宮へ行くことが許されている。もっとも遊びに行くわけではないので、殿下とともに行動するのはいつものことだ。田舎育ちの私は馬にもひとりで乗れるし、仕留めた獲物を見ても悲鳴をあげることはない。なんだったら捌くことだって可能だ。
馬術の腕自体は殿下や近衛の方々に劣るので、ついていくのがやっとではあるが、殿下が狩りに興じる姿を見るのは好きだった。時折笑顔までこぼれるその様は本当にリラックスしているようで、いつも私に対して見せる仏頂面ではない。国王陛下と競うように攻め込む彼を見失わないよう、小柄な馬を進ませる。殿下たちの馬は離宮で飼われているものだが、私の馬はわざわざ王宮から連れてきた。慣れない馬に乗せて怪我をしたら面倒だという殿下のお達しがあったからだと聞いている。本当にその通りで、私が寝込むようなことになれば、殿下はおいそれと狩りにも行けなくなってしまうのだから。
だから無茶をせず、細心の注意を払って森を進む。もし殿下が魔力暴走発作を起こしたとしても、周囲には近衛の方々が大勢いる。誰かがすぐに気づいて私を連れて行ってくれるだろうから、絶対に殿下を見失ってはいけないということでもない。ただ怪我をしないこと。それが第一だ。
毎年そう念じながら馬を駆ってきた。けれど、今年は折にふれ頭に過ぎる思いがあった。
私の何人か前を軽やかにゆく金の髪。弓をつがえる逞しい腕と真剣な横顔。12で初めてお会いしたときよりずっと素敵に成長された姿。
殿下は先月、17歳の誕生日を迎えた。私が殿下の治癒係として求められるのは、彼が18の成人を迎えるまでだ。その頃には魔力コントロールの力が十分つき、膨大な魔力の器となる身体の成長も十分となることから、暴走した魔力を吸収する必要はなくなる。つまり私は、あと1年でお役御免となり、殿下の御前を去ることになる。来年の夏の休暇を共に過ごすことはない。来年この場所にいるのは、私ではなくメラニア様だろう。
それを羨ましく思う気持ちは消せないが、妬む気持ちだけは持ちたくなかった。私の最後は、綺麗な思い出で埋め尽くしたい。
だから少しでも殿下のお姿が見える位置にいたいと、欲が出てしまったのかもしれなかった。
国王陛下の放たれた矢が、獲物を掠めた。だが致命傷にはならなかったようで、獲物は森の奥へと逃げていく。
「カーティス!」
陛下の声かけとともに殿下が勢いよく駆け出す。それに合わせて近衛が獲物の足止めをしようと弓をひいた。そのとき、私の頭上から鳥が一斉に飛び立つ気配があった。
その勢いで落下してきた障害物が、運悪く馬の目に当たったのか。いつもは温厚な私の馬がそれらを振り払うように身体を揺らした。
「ユーファミア様!」
私の護衛を務めてくれる近衛の声も虚しく、私は半身をしたたかに地面に打ち付けていた。
「……痛っ」
頭を打つことは免れたので意識は保っていた。打ったのは左半分の背中とお尻だ。片手を地面について起き上がることはできるから、腕は無事のようだ。
「ユーファミア様、大丈夫ですか!」
馬を降りた近衛が声をかけてくれる。
「えぇ、私は平気で……」
「ユーファミア!」
周囲を轟かすような大声に私はびくりと顔を上げた。つい先程私の目の先で駆け出していったはずの殿下が、私のすぐ隣にいた。
「え、殿下? あの、獲物は……」
「馬鹿者! そんなもの関係あるか! 怪我は!?」
「あ、あの……大丈夫かと思います。痛っ」
声をあげたのは殿下が突然私の左半身に触れたからだった。「うっ、すまない!」と慌てて手を引っ込める殿下に近衛が近づいた。
「殿下、ユーファミア様、失礼いたします。まずはお怪我を確認しませんと……」
いつの間にか国王陛下と陛下付きの近衛の方まで戻ってこられ、私は目を白黒させた。
「あ、あの……っ、私はこの通り平気ですから、皆様どうぞ続けてくださいませ。ご迷惑をおかけしてしまって本当に申し訳なく……」
「父上。私はユーファミアを連れて戻ります。私の近衛も預けますので、父上はそのままお楽しみください」
「ユーファミア嬢は大丈夫なのか」
恐れ多くも国王陛下のお声がかりがあり、私は情けないやら申し訳ないやらで泣きそうになった。
「陛下、貴重な余暇の時間に水を差すことになってしまい、申し訳ありません」
「そのようなことは気にするな。そなたにはいつも助けられておるのだからな。カーティス、あとは頼めるか」
「御意」
そんなやりとりの後、国王陛下は数名の近衛を連れてさらに森の奥へと進んでいった。残されたのは殿下と私の護衛役の近衛だ。
「ユーファミア、触るぞ。どこを怪我しているのかわからなければ治癒魔法がかけられぬ」
「え……っ」
治癒魔法は特殊で、火・土・風・水を総合させた魔法だ。一部の高位の魔道士しか使えないが、類稀なる魔力を持つ殿下にとっては造作のないことだ。
そして近衛を始め騎士の方々は、怪我の対処法もよくご存知だ。どこをどういう形で痛めているのか正しく判断できなければ命に関わることにもなる。騎士団で剣術を学んでいる殿下も当然それをご存知のはずでーーー。
殿下の手が私の肩に触れる。そこから手が下へと移動していく。
「ここは、どうだ」
「あの、大丈夫です」
「ここは……?」
「あの、少し痛いです」
手は背中から臀部、太ももへと移行していく。服の上からのはずなのにその手触りが燃えるように熱くて、私はわけもなく瞳をぎゅっと閉じた。
「い、痛い!」
殿下の手が足首に達したとき、ずきりとした大きな痛みを感じた。
「ふむ、肩や背中は軽い打身だと思うが、足首は捻挫しているかもしれないな。打身くらいなら治癒魔法でマシになるが、捻挫はやっかいかもしれぬぞ」
治癒魔法は万能魔法ではない。折れてしまった骨を治したり、病を回復させたりするような大掛かりなことはできない。軽度の痛み止めや擦過傷に効く程度だ。
言いながら殿下は素早く治癒魔法をかけてくれた。背中がぽわんと暖かくなり、痛みが軽くなるのがわかった。けれど足首の痛みにはほとんど効かなかった。
「戻って医師に手当してもらうしかないな。おい、そなたはユーファミアの馬を」
残った近衛に声をかけたかと思うと、殿下が私の背中と膝裏に手を入れ、素早く私を抱き上げた。
「で、殿下!? いったい何を……!?」
「おまえを離宮まで運ぶ」
「いや、あの! 私、ひとりで帰れますので!」
「足を捻挫しておいて何を言う」
「馬に、馬に乗せていただければ! 馬が運んでくれますので!」
「おまえの馬は目に怪我を負ったようだ。見ろ、充血している。それに一度振り落とした馬になどもう一度乗せられるものか」
「今のは事故です。何かが落ちてきて、それで驚いてしまっただけで……っ」
話が思わぬところに飛んでしまい、私は慌てて言い繕った。私を振り落とした罪で馬が処分されてはたまらない。
「わかっている。馬にとっても不可抗力だったろう。処分はしない。だからおまえも安心して大人しくしていろ」
そして殿下は彼自身の馬に私を乗せ、後ろから自分も乗った。
「背中はもう痛くないのだな」
言いながら私の腰に手を回す。途端に、背中に殿下の熱を感じて硬直した。初夏の汗ばむ季節で、シャツの上に軽装の防具を身につけただけの殿下の格好は、その心音を感じるほどに薄く、腰にしっかりとまかれた腕の逞しさのおかげで、馬上とは思えぬ安定感があった。私を気遣ってかゆるゆると進む馬足のリズムと、湖の方向から吹き上げくる心地よい風に晒された私は、いつの間にか睡魔に飲み込まれていた。