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「居残って勉強したいだと?」


 殿下が眉間に皺を寄せる。


「つまりおまえは、私にも居残れと、そう言っているのか」

「あら殿下。そんなにお怒りにならないでくださいな」


 メラニア様が私の肩に手を起く。


「怒ってなどいない」

「怒っていますわ。ほらここに皺が」


 美しい指先を殿下の額に向けるメラニア様が、ふふっと愛らしい笑みをこぼす。青春小説の一節のようなきらきらした風景だった。


「だってユーファミア様が留年ってことになってしまえばあまりにもおかわいそうでしょう? 特に今年の試験は難関ですのよ? 私たちも協力して差し上げるべきですわ」

「それはわかっている。だから王城に戻ってからでも……」

「殿下、彼女にレポートを書くための時間を与えてあげるべきですわ。王城にいますと人の出入りも多くて集中しきれませんもの。たまには側仕えの使用人を労って差し上げてくださいませ。それとも殿下は、彼女が進級できなくてもかまわないとおっしゃいますの?」

「……っ、そんなことは言ってない」

「でしたら、よろしいですわね。良かったですわ、ユーファミア様、これで勉強の時間が確保できましてよ」


 我がことのように喜んでくださるメラニア様に、小さな声で礼を言った。殿下のお顔はーーー怖くて見ることができなかった。


「さっそく今日の放課後からよろしいですわね」

「ただし、30分だけだ。それ以上は許可できない」

「まぁ! ……それでもないよりはマシですわね。ユーファミア様、思う存分、とまでは参りませんが、お時間を有意義にお使いくださいな。ちょうどあの教室の外は中庭になっておりますから、私と殿下はそちらでお待ちしますわ。あぁ、マーガレットとシャロンは帰宅してもらって結構よ。カイエン様はどうされます?」

「私は学院にいる間は殿下の傍を離れることができないのですが……そうですね。せっかくですからユーファミア嬢の手伝いをいたしましょうか」

「え?」

「何!?」


 私と殿下の短い声が重なる。


「そ、そんな、カイエン様のお手を煩わせるわけには……」

「カイエン、おまえ、何を言っている。それなら……っ」

「殿下。ユーファミア嬢は本来、学院に在籍するだけの能力がないところを、王家の力で特別に許可されているのですよ。これ以上殿下が彼女を贔屓してしまえば、彼女の試験や進級にも王家の権力が働いていると噂されかねません。ここは第三者が介入すべきです」

「わたくしも賛成ですわ。ユーファミア様はとても努力なさっておられますが、実技試験が免除されても進学できている時点で、おかしく思う者は多いのです。これ以上いたずらに噂を大きくするのは彼女の信用をますます落としてしまうことになります」


 心配そうに私を抱きしめるメラニア様。彼女はこんなときにも優しい。


「カイエン様がお手伝いくださるなら、ユーファミア様もきっと心強いはずですわ。そうですわよね」

「あの、私、別にひとりでも……」

「今年度末の試験は失敗は許されませんよ。保険は幾重にもかけておくべきです。こうして議論している時間も惜しい。ユーファミア嬢、参りましょう」


 カイエン様の言葉と、メラニア様に背中を押されたことで、私は従うよりほかなかった。


 そうして私とカイエン様は殿下たちと別れ、書物が置かれた空き教室にやってきた。机に座した時点で、「そもそもこの参考書を借りて帰ればよかったのでは?」と思った。私がただの子爵令嬢で、大半の生徒たちと同じように寮生活をしているのであれば、大切な侯爵家の書籍を部屋に持ち込むことは、もしものことを考えたときに恐ろしい話だが、私は王宮に住んでいる。あの場所ほど安全なところはこの国においてない。


 それをカイエン様に申し出たところ、「やめておきなさい」と諭された。


「これはかなり貴重な本のようです。おいそれと貸し出しされるものではない。もしかしたらメラニア嬢はあなたのために無断で家から持ち出したのかもしれません。王宮のあなたの部屋は魔道士や事務官が出入りする可能性もゼロではないでしょう? 私も殿下の執務の手伝いのために休日や放課後はあの界隈に立ち入りが許されているくらいですからね。誰かに見つかればどこから持ち込んだのかと追及される可能性があります」

「そんなに貴重なものだったのですか」


 驚きに目を見開きながら、まじまじと本を開く。重ねてカイエン様が「それにーーー」と話を続けた。


「メラニア嬢の気持ちも汲んで差し上げないと。試験が終われば長期休暇です。殿下は例年、避暑に出かけますね? 私もメラニア嬢も休暇にまでは同行が許されない。少しでも殿下と2人きりで時間を過ごしたいという彼女の思いに、あなたも報いるべきでしょう。これだけ彼女から親切にされているのですから」


 その指摘には思い及ばず、私ははっとした。そうだ。毎年夏に、殿下は離宮に出かけられる。国王御一家揃っての外出だから、側仕えのカイエン様すら同行できない。私は、というと、当然殿下の治癒係として同行を許されている。離宮で過ごすのは2週間程度だが、夏季休暇自体は3ヶ月に及ぶ。侯爵令嬢としての顔も持つメラニア様もお忙しく過ごされるはずでーーー。


 仲の良い恋人同士が、家の都合で離れ離れになるのは辛いことだろう。そこに思い至らなかった自分を恥ずかしく思う。


「何を落ち込んでいるのですか。もしかしてカーティス殿下とメラニア様が共に過ごされることに嫉妬しているのですか」

「まさか! そんなことはございません!」


 思いもかけぬ指摘に大きく首を振る。そんなことはーーー思っていないといえば嘘になるが、それを正直に明かすのは許されないことくらい、痛いほどわかっていた。


「それなら良いですが。ユーファミア嬢、あなたは本来ならここにいるべき人ではないのですよ。あなたがここにいられるのは、魔力なしという体質であるが故のこと。決してあなた自身の力ではありません。殿下があなたの側仕えを許しているのも、メラニア嬢が寂しく思いながらも耐えておられるのも、あなたという存在が仕方のないことだと理解されているからです。そのことを少しでも申し訳ないと思うなら、落第・留年などという無様な真似で殿下や彼女の気を引くことはおやめなさい」

「……はい。申し訳ありません」


 殿下とメラニア様の気を引くために留年しようなどとは夢にも思っていない。けれど言い返す元気はもうなかった。どこまで行っても私は役立たずのお荷物令嬢だ。今はまた秀才と名高い未来の国王陛下の片腕である人の手を煩わせ、愛する者同士を引き裂こうとしている悪役でもある。


 揺らぐ頭をなんとか目覚めさせ、目の前の本に向き直った。30分という時間が永遠に思え、終わりのない砂時計をぼんやり眺めているような気がした。









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