10
12歳で殿下の傍に治癒係としてあがり、発作の度に彼にキスをした。天使のように美しい少年に恋するのに時間はかからなかった。そんな殿下と共に学院に通えることに、一時期私は有頂天になっていた。
だが、そんな私の惨めな鼻っぱしは、入学直後、メラニア様の登場であっさりと折れることになる。
「あなたがユーファミア様ですね。ずっとお話してみたいと思っていましたの。殿下の尊いお命を救ってくださる方ですもの、わたくしにとっても恩人ですわ」
初対面でありながら、爵位がずっと下の私の手を取り、琥珀色の瞳を潤わせながら微笑む少女は、もうひとりの天使そのものだった。メラニア様は私が殿下の傍にあがることになった経緯についてもよくご存知だった。
「ご実家の窮状を救うために、御身を王家に捧げる覚悟をなさったのですね。なんと勇敢で優しい心根なのでしょう。その家族思いの献身と王家への忠誠心に、殿下もわたくしも、必ず報いて差し上げるつもりですわ」
殿下の訳ありの側仕えという私に声をかける者もない中、メラニア様だけは話しかけ、微笑みかけてくれた。殿下の魔法実技の授業中、見学に回るしかない私のために、メラニア様は空き時間を利用して授業内容の解説をしてくれたりもした。魔法知識のない私にそんなことをしても無駄ではというマーガレット様たちの助言にも首を振り、「実にもならぬ授業を殿下のために付き合ってくれているのだから、少しでも退屈しのぎになればと思って。殿下は素敵な方ですけど、そういったことには疎いところがおありでしょう?」と微笑むのだ。
王太子殿下と幼馴染。小さい頃から王宮にもよく遊びにこられ、王妃様とも親交があったと聞く。殿下の魔力暴走が日常化し始めてからは何かの妨げになってはと王宮にあがることを遠慮しているそうだが、本来なら殿下の一番近くで過ごすはずの人だ。
私はもう一度深く息をつき、参考書としてお借りした書籍のページを開いた。知識を総動員させれば、ひとつかふたつくらい、レポートにまとめられる箇所があるかもしれない。
そのまま読み進めるうちに、昼時間になった。いつもは殿下にカイエン様、メラニア様たちと一緒に食事をとる。だが先ほどのマーガレット様たちの叱責を思い出し、このままここでやり過ごそうと思った。一食抜くくらい問題はないし、午後はマナーや語学の授業だからお腹がすいたとしてもなんとかなる。殿下の傍を意図的に離れることは本来なら許されないが、魔力暴走の発作が昨晩あったばかりだから、大目に見てもらえるはずだ。
だが無断欠席はよくない。私はカバンから一枚の用紙を取り出した。伝令魔法を魔法陣化したものだ。これがあれば魔法が使えなくても伝令を飛ばすことができる。最も小さな魔法陣なので、学院の中くらいの範囲でしか使えない。
この魔法陣は、離れているとき用にと殿下から頂いた。けれど私が飛ばす相手はカイエン様だ。一度殿下の言葉を鵜呑みにして殿下宛に飛ばしたら、メラニア様にそれとなく注意された。
「皆が見ている中、突然ユーファミア様からの伝令が届いたものだから、殿下が少しご気分を害されたみたいなの。あまり目立つ行動は避けられた方がよろしいかと思いますわ」
それ以降は、殿下と必ず行動をともにされているであろうカイエン様宛に飛ばすようになった。今も、別で昼食をとらせてほしい旨をしたため、魔法陣を発動させる。
そのまま伸びをしつつ、ページをめくった。もう少しで1冊目を読み終えるところだ。もっと時間がかかるかと思ったが、難解な割に興味深い内容で、思っていた以上に進みがよかった。レポートの1本はこのテーマで書こうかしらと思いついたとき、いきなりノックの音が響いた。驚きながら扉を見つめると、「ユーファミア嬢?」と聞き慣れた声がした。
「カイエン様」
「こちらでしたか。迎えにきました」
「私を、でございますか? あの、今しがた伝令魔法を飛ばしたのですが」
届かなかったでしょうかと問うと、彼は小さく息を吐いた。
「受け取って殿下にお伝えしましたが、その殿下が昼食は一緒にとるようにと仰せです。代わりに私が迎えにきました」
「そうでしたか。わざわざ申し訳ありません」
「いえ、これも職務のうちです」
昼食をスキップしよう作戦はあっけなく頓挫してしまった。片付けをしながら、そもそもカイエン様が迎えにくる必要はなく、私に伝令魔法を飛ばせばよかったのではと思い直す。
「何か?」
私の疑問が顔に出ていたようだ。誤魔化そうかと思ったが、そういった小細工はこの人には通用しない。通用しないというより、殿下に害なすものを排除する役割も担うこの人の前で、私は隠し事など許されない。
「伝令魔法で呼んでいただければと思っただけです」
「私が迎えにくることが不満でしたか」
「いいえ! そういうことではございません! ただ、大事なお役目をお持ちのカイエン様が私などの迎えにお時間をとられることを申し訳なく思ったのです」
「わかっているなら勝手なことはしないように。本当に、あなたは未だに稚拙な選択しかできないのですね」
「申し訳ありません」
薄青の瞳に浮かぶのは呆れか蔑みか。もう慣れたことだし、そう見られるのは当然だから、致し方ない。
カイエン様についてテラスへと向かう。お天気の日はここで昼食をとるのが日課だ。
「ユーファミア様、いらっしゃったのね」
メラニア様が笑顔で迎え、空いている隣の席を示した。
「ユーファミア様は試験勉強のために大事な時期なのだから、お誘いするのは遠慮した方がいいと申し上げたのだけれど……」
呆れたような目線を隣に座る殿下に投げる。殿下の前にはすでに食事が用意されていたが、まだ手付かずのようだった。
「私の傍にいるのが仕事のくせに、離れるのがいけないのだ。職務怠慢も甚だしい」
私が小さくなりながら謝罪し、末席についたのを確認した殿下は、食事を始めた。殿下の向かい側にはカイエン様が座る。私はメラニア様の隣、お向かいはシャロン様だ。私がここに現れた途端、シャロン様の隣のマーガレット様と2人して、私に鋭い視線を投げつけてこられた。朝のお2人の忠告があったにもかかわらずのこの様だ。呆れられるのも無理はない。
私はいつもどおり、無言で食事を流し込んだ。ここでの食事はまったく楽しくない。まだ王宮で無言の殿下と朝晩の食事を共にする方がずっと嬉しい。そしてなぜそう思うのかを考えてまた深く落ち込むのだ。
(私が、殿下を独占したいと思っているだなんて……)
誰かに知られようものなら、打擲されてもおかしくない重罪だ。ぶるりと肩を震わせ、目の前の食事に没頭する。砂を噛むようなその味を、自身への罰と思いながら。
メラニア様が次から次へとかわいらしいお声で話題を振り撒き、殿下がそれに相槌を打たれる。カイエン様も時折笑顔を見せながら参加する。マーガレット様とシャロン様がメラニア様に感嘆の言葉を送る。そんないつもの昼食が始まって、そして終わった。