12歳(ソフィア・トレメイン)
その時、私は、暇を持て余していた。
裕福な実家の商家から貴族家に嫁いだものの、子ができず、嫁ぎ先の貴族に離縁された。
実家の商家に戻ったものの、実家には、跡取り息子である私の弟がいるため、出戻りの娘である私が、実家の商売に手を出すことは認められなかった。
女性だから、周囲の都合に合わせて、嫁がされたり、離縁されたりする。実家の商売に手を出すこともできない。
女性というものが立場の弱いもののように感じられ、うんざりすると共に、男に生まれた幼い弟が、ひどく羨ましかった。
そんなある日、アームストロング侯爵家のご令嬢が、福祉事業に熱心に取り組んでいるという噂を聞いた。
そのことを聞いた時は、優雅なことで結構だ、とか、嫁入りまでの箔付けだろう、とか、その程度にしか思っていなかった。
しかし、何せ暇だったので、気まぐれに調べてみると、アームストロング侯爵家のご令嬢は、『イザベラ』という名の、数年前に、市井に住む母の死により引き取られた少女だった。
アームストロング侯爵家は、三十歳を超えても、妻どころか、婚約者さえもいないという変人当主一人だけから成っていた。非嫡出子として生まれた彼女が認知されたのも、侯爵家を継ぐ人間がいないという背景があってだろうと、推測は容易だった。
アームストロング侯爵家自体は、堅実な領地経営で豊かであるが、当主が贅沢を好まないため、商売上のうまみはなく、懇意の商人も少ない。
最近、アームストロング侯爵家に引き取られた少女であれば、取り入れないだろうかと思って、近付いてみることにした。
女の子が好きそうな手土産をたくさん持って、アームストロング侯爵家の屋敷に行き、アームストロング侯爵家の令嬢に面会を申し出た。
勝手に、純真で偽善的な少女を想像して待っていたところ、現れたのは、珍しい黒髪黒目に、気位の高そうな小公女とも思える子供だった。
見た目の意外性に驚いたが、話してみてもっと驚いた。
気位の高そうな見た目に反して、ざっくばらんで、裏に抱えるものがほとんどない様子だった。幼いとはいえ、貴族としてこんなことで大丈夫だろうか?と勝手に心配になってしまった。
しかし、実際に、イザベラ様達が現場に行くのに同行させていただき、その心配は無用のものだったと知る。
イザベラ様は、現場でお客様扱いされるのではなく、そのざっくばらんさで、膝を突き合わせて、人と話し、汚れるのを厭わず、手を動かし、問題があれば、誰とでも、自ら折衝を行っていた。
そうして、自ら汗をかくことで、貴族と平民の垣根を越えて、周囲の信頼を得ていた。
当初、思い描いていた状況と違うのはまだ続く。
勝手に嫁入りまでの箔付けと穿って見ていたが、イザベラ様は福祉施設の改善の継続性を重視していた。
イザベラ様曰く、「私は、父の気まぐれで引き取られた娘で、いつ、家を追い出されたり、切り捨てられたりするかも分からない。だから、私がいなくても、救護院や孤児院の維持や改善ができる体制を作っておきたい」とのことだった。
そして、イザベラ様は、「ソフィア様、私を助けてくれないかしら?」と、素性の知れないはずの私に声を掛け、次から次へと仕事を任せた。
イザベラ様に請われるままに、何度も現場に同行しているうちに、私は、救護院も孤児院も、薬、清潔な布、衣類、食料、施設の修繕など、施設同士で必要なものが似通っていることに気が付いた。
商人が、それぞれの救護院や孤児院に要求する額を聞いて、もし、私が実家の商家の権限を使うことができれば、もっと上手に仕入れができるのに、と悔しい気持ちになった。
侯爵家のお屋敷で、イザベラ様の可愛い侍女から入れてもらった紅茶を飲みながら、ふとそのことを漏らした。
施設全てで共同調達できれば、大口顧客になれるので、商人に足元を見られることはないのに、と。
事業計画書も作っていない、本当に思いつきの話だった。なのに、それを聞くなり、イザベラ様は部屋から飛び出して行った。
そして、すぐに、国宝級なのではないかと思われる真っ赤なルビーにダイヤがあしらわれた首飾りを持ってきて、仰った。
「ソフィア様、素敵なアイディアね。是非しましょう、共同調達。これを売って、軍資金にしましょう」
恐れ慄く私に、イザベラ様は、自信満々に言った。
「大丈夫よ。これは私の母の形見で、侯爵家のものではないから、売っても犯罪とかにはならないわ!」
「イザベラ様、そんな大事なものはますます売れません……!!」
固辞する私と、売ろうとするイザベラ様で何度か押し問答をしたが、イザベラ様は、覚悟を決められているようで、全く退かなかった。
「これは、私の母の形見だけど、私は、この首飾りを残されるより、母に一日でも長く生きてほしかった。これを売って、一日でも命を長らえてほしかった。だから、人が少しでも楽しく生きるために使える可能性があるなら、そのために使わせてほしい」
イザベラ様は笑顔で続けられた。
「母のことなら、こんなものはなくても思い出せるわ。すごく厳しい人で強烈だったし、ずっと一緒に過ごしたから、私、思い出がいっぱいあるの」
その言葉を聞いて、私は首肯するしかなかった。
結局、首飾りは、アームストロング侯爵に売ることになった。
国宝級の品かつイザベラ様のお母様の形見なので、イザベラ様のお父様で、堅物と有名なアームストロング侯爵を売却先にでき、本当にほっとした。
イザベラ様と私は、お金を手に入れた。
宝石の鑑定、譲渡証明等々は私が主導したが、何せ高額な品だったので、嫁入り前に実家の商家で私が扱ったことがある取引額の最高値を悠々更新した。
共同調達を行うため、財団を立ち上げた。
城が一つ買えそうなくらいの軍資金、アームストロング侯爵家のご令嬢、貴族と商家に土地勘のある私が揃ったというのに、実績はゼロだし、悔しいことに女子供ということで舐められた。
施設全てが足並みを揃えてくれないと、商人に対して圧力をかけられないのに、共同調達を行う方が優位であることを各施設に納得してもらうのも、その後、商人から嫌がらせを受けたのに対応するのも、本当に大変だった。煮え湯を飲まされたことも数えきれない。
プレッシャーに押し潰されそうになったり、自分の不甲斐なさに落ち込んだりすることがなかったとは言えない。
でも、「切り替えて、次、行こう!」「生きていれば何とでもなる!」という明るい声や、「女子供だからって舐めてる」「今に見ていろ。地獄に落としてやる……」と怨念の籠った声や、「嘘でしょおおおお!!」と衝撃に思わずあげた悲鳴、「やったーー!!」という喜怒哀楽のハッキリしたイザベラ様の隣は、慰められたり、発奮させられたり、笑ってしまったり、一緒に喜びを共有できたり、とにかく居心地がよかった。
また、新しく浮かんだアイディアを話すと、いつもイザベラ様は肯定してくださり、どうすれば実現できるか、一緒に作戦を練ってくださるので、毎日が楽しかった。
そんなこんなで、ずっと一緒に事業に取り組み、イザベラ様と私の仲は、戦友と言って差し支えないものになっていった。
公表されていないが、アームストロング侯爵家には、エリック様という養子がいらっしゃる。
女性でも婿を取って、家を継ぐことは可能だが、やはり男性が家を継ぐ方が一般的だ。もしかすると、アームストロング侯爵は、イザベラ様ではなく、エリック様に侯爵家を継がせることも考えているのかもしれない。
ある日、イザベラ様が嫁いで、侯爵家を出て行く可能性について、イザベラ様に聞いてみたところ、いつものあっさりした口調で、仰った。
「嫁に行くかというとかなり怪しいのだけれど、将来、私が侯爵家から出て行くことにはなりそうなのよね」
そして、続けられた。
「だから、財団が軌道に乗ったら、ソフィア様に全権を譲りたい。財団の理事長を務めてほしい」
イザベラ様の言葉を聞いて、勝手に悔しさを感じた。
エリック様は私から見ても、素直で優秀そうな方だ。ただ、彼が侯爵家を継ぎ、イザベラ様が侯爵家を出られると、イザベラ様には何も残らない。この地に、こんなに尽力したのに。
イザベラ様は気にする人ではないと分かっているけど、女でさえなければ、間違いなく、侯爵家を引き継ぎ、この地を盛り立てていくのはイザベラ様なのに、女というだけで、何も残らないのは嫌だと思った。
だから、固辞されるイザベラ様に、財団の理事長を引き受ける交換条件として、財団の名前はイザベラ様の名を冠するものにしたし、イザベラ様を財団の名誉理事長に就任させた。
そして、副次的に、イザベラ様の名を借りたことで、財団を半端なものにはできないと気が引き締まり、私は仕事にますます身が入るようになった。
二年後、紆余曲折あったものの、財団の経営は軌道に乗り、アームストロング侯爵領の福祉施設の調達以外にも事業は拡大している。
そして、今日は、顧客として初めて、実家である商家に出向いている。
実家の商家は、一定の年商に加え、信頼がおけ、将来性もある相手としか取引をしない。イザベラ財団をここまで大きくできたと思うと、誇らしかった。
商談後、久し振りに会った弟が、溜め息交じりに、私に声を掛けてきた。
「姉さんが功績を上げたので、俺は大変ですよ。俺も大口顧客を開拓しないと、この家を継がせない、なんて、父さんは言っているんですよ。俺ができないなら、姉さんにこの家を継がせるんだって」
弟の言葉を聞いて、ぎょっとした。そして、咄嗟に言った。
「冗談は止めてよ。都合のいい。それに、私は、今の仕事を気に入っているんだから」
言葉にして、ハッと気付いた。昔、私は、実家の商売に私も参加したかった。男に生まれた弟が羨ましかった。
でも、今は、そんなことをちっとも考えていない。
偶然、辿り着いた先だったけど、私は、今の自分にも、今の仕事にも、満足している。そのことに気付き、静かな感動で震えた。
この場所に連れてきてくれたのは、結婚相手でも、家族でもなく、イザベラ様だった。
これまでも、仕事にやりがいを感じていたが、そのことに気付いてから、私には仕事に向かう、もう一つの目的ができた。
イザベラ様の名を冠したこの財団を、名誉も実務も、この国でもトップの事業集団にすることだ。
私が投げやりな気持ちでいた時、性別や身分に関係なく、一緒に仕事をしたいと、私を求めてくださったのは、イザベラ様だ。私を信じて色々なことを任せてくれた。
だから、私も必死に働き、ここまでくることができた。
いつかイザベラ様が何かを選びたくなった時、誰かのために犠牲になったり、性別や立場で望むものを選べなかったりすることなく、イザベラ様にも、満足いく未来を手に入れていただきたい。
そのためには、イザベラ様に強固な後ろ盾が必要だ。
侯爵家が、イザベラ様を守らないというのなら、私は、この財団を、イザベラ様の完璧な守護者に育ててみせる。