旅の19~21日目(山の麓の村の若頭)
周りを見回すと、皆が笑顔だった。出口の見つからない暗闇から、昔のような明るい村が戻ってきた。
苦境にあった俺達の状況を変えてくれたのは、珍しい黒い髪に黒い目をしたキツそうな美女とその仲間だった。女はベラと名乗った。
ベラ達は、妻が金貸しに連れ去られそうだったところ、身代わりになり、現場を押さえてくれた。更にそれだけでなく、どうやったのか憲兵、王都の騎士団、挙句の果てには領主様まで巻き込んで、金貸しらがしてきたという全ての悪事を明らかにしようとしてくれた。
それだけではない。
山に人を呼び、街で祭りを開き、街に住む人間と山の麓に住む俺達を繋いでくれた。そこまでしてもらうことに、俺達が戸惑っていると、笑って「私が見たいから!」の一言で押し切られた。
実際、山に人を呼んだり、街で祭りを開いたりしたことで、街の商人から商談を何件も受けた。
上質の布を大量に購入したベラが、この村に刺繍を注文したということで関心を持ち、この街でも売りたいと刺繍を注文してくれた人もいたし、山の美しさに感動して、定期的に街からも人が来られるよう馬車を走らせたいという人もいた。
ベラの下で、サラ達、村の人間と共に働いていたメルヴィン様は領主様の息子だった。偶然、居合わせ、今回の事件の力になってくれた一人に、王都の騎士団で副団長を務めるという領主様の弟君もいた。二人は、領主様に掛け合い、憲兵が再びこの村に駐留するようにしてくれるという。
この村に、万が一、再び何かあっても、人の往来があれば、異変にも気付かれやすくなる。メルヴィン様も、街の人達、憲兵も力になってくれるだろう。きっと、前みたいに、村の人間だけで苦しむことはもう起きない。
全部、ガラッと変えてくれたのに、ベラ達は、恩に着せることもなく、明日、ここから去り、王都に帰るという。
悪徳な金貸しから金を借りて、辛うじて生活を成り立たせていた俺達だ。俺達に何かすることにメリットがあるとは思えない。何故そんなことをしてくれたのか、理由が分からず、戸惑った。正直なところ、今もずっと戸惑っている。
宴もたけなわになり、皆が酔っぱらっている中、妻が近付いてきた。
ランタンの灯りの中、酔っ払い、一部は酔いつぶれた村の人間やベラの仲間を見ながら、妻と顔を見合わせ、笑った。いつ彼女が奪われてしまうか、ずっと不安だったので、こんな穏やかな時間は久しぶりだった。
今、こうして笑えるのが奇跡みたいだ。
「嵐みたいな十日間だったな」
「本当に」
酔っぱらった恩人が、俺達の姿を見つけて寄って来た。勧められて、たくさん飲んだのだろう。赤い顔でヘラヘラと笑っていて、美人が形無しだ。
「クレアさん、ここにいたのね」
「ベラさん、本当にありがとうございました」
「いえいえ!」
妻の言葉に、酔っぱらって真っ赤な顔で、太陽のような笑顔を見せた。酔っぱらった今なら答えるかもしれないと、さり気なく聞いてみた。
「感謝している。でも、お前は何者なんだ?」
「ふふ、ナイショ」
酔っぱらっていても、そう簡単に口は割らないかと思っていると、独り言みたいに言った。
「でも、幼い頃、私は貧しくて。母と死別して辛かったから。貴方達の家族が離れず済んで、本当に良かったわあ」
明るい笑顔で言われた言葉に、妻と共に面食らった。
「それで、俺達に手を貸してくれたのか?」
酔っぱらったベラは、俺の質問には答えず、「あ、でも、今は私にも……。うん、そうね……」と何やらムニャムニャ言って、再び、ニコッと思い切り笑って「とにかく、仲良くね!」と言った後、うつらうつらとした。
銀色の髪の、整った美貌で、いつもベラに寄り添っているエマが、物音も立てずこちらに来ると、我々にお辞儀をして、ベラを回収していった。
「可愛い。でも、すごく頼りにさせてもらったわ」
妻がクスっと笑いながら言ったのに、同意する。
「あいつは、何者なんだろうな」
職業は分からない。謎の人脈と、出所の分からない金を持っている。胆が据わっていて、迫力がある容貌をしている。考えてみると怪しさしかない。でも――
「分からないことだらけだけど、あいつが悪人だったなら、この世界の誰も信じられなくなりそうだ」
「ええ」
明るい笑顔で、人の為に動く彼女を見ていると、何も知らないのに、そんな信頼を寄せてしまう。
友人のような、娘のような、姉のような、特別な存在だ。一生ものの、返すことができない恩ができた。
今は休暇中で、普段は王都に居るという。頑なにそれだけしか教えてくれない。遠い隣の帝国でよく見られるという、珍しい黒い髪に黒い目の不思議な女性。
明日から彼女がいないなんて信じられない。このままずっといてくれたらいいのに。
「その話、俺達も入れてくれ」
「メルヴィン様、サラ」
メルヴィン様とサラがやって来て、声を掛けてきた。領主様のご子息というメルヴィン様が、こんな辺境の村に自ら希望してやって来ては、村のことを知ろうとしてくれている。この十日間、驚くことばかりだ。
メルヴィン様が険しい顔をして言った。
「サラに聞いた。この村の苦境を救ったのは、ベラ達だと。何とか恩に報いたい」
メルヴィン様と共に来たサラは、目に大きな涙を浮かべていた。
「ベラさん達との別れが、こんなに早く来るなんて……。何かできることはないかな……?」
「気持ちは分かるが……。そもそも、ベラは何者なんでしょうか?」
王都の人間を知っている可能性がある、メルヴィン様に聞いた。しかし、メルヴィン様は悔しそうに首を横に振った。
「分からない。ただ、ベラは王都の騎士団で副団長を務める叔父や、王家の息が掛った財団の幹部と面識があった。しかし、その両方が、絶対に彼女の正体について、口を割ろうとしない」
「今回の件で随分と金を使ってくれたようですが、その出所も分からないでしょうか?」
山に街から人を呼び、街で祭りを開くため、この数日、ベラと行動を共にしていた、メルヴィン様とサラが答えた。
「ああ。ただ、十年近く、お金を使う機会がなかったから、金が貯まっていると言っていた」
「旅が終わったら、使う機会がないから、気にしなくてもいいとも言っていたわ……」
二人の言葉に戸惑った。
「十年近く? 子供の頃から何かしらの仕事をしていたということでしょうか。それに、そんなに長い期間、金を使う機会がないというのはどういう状況なのでしょうか?」
子供の頃からする、そんな拘束が長い仕事をするという状況を思い浮かべることができず、ベラの正体が益々分からなくなった。そんな中、妻が心を決めたように言った。
「皆、聞いて。私は山を越えた先にある隣の公国出身なんです」
「お前……、今、言わなくてもいいだろう……」
妻が山を越えた公国出身であることは、行き倒れていたのを助けた時に聞いていた。しかし、ずっとそのことは隠していたはずだった。
「いいえ。もしかすると、ベラさんに関係するかもしれないの。公国の王家は、神殿に権力を抑えられているのに長年不満があり、何としてでも権力を奪い返そうとしていた。そのため、公国の王家は、孤児をある施設に集めていた。そこに集められた子供達は、監督官の元、厳しい訓練を受け、諜報員へと育て上げられていた。私も、その中の一人だった」
母親の出自を初めて聞いたサラが絶句した。不安を少しでも和らげたくて、サラの手を握った。妻が続けた。
「育てた人間は様々な外国に送られ、公国の王家のための諜報を行った。それだけでなく、外国の内部に入り込み、平和な土地であっても、争いを起こすよう命を受けることもあった。私はそれに耐えられず、逃げ出してしまった……」
妻がここまで話して、ようやく意図が分かった。ベラも同様に、幼い頃から諜報員として働かされているとすれば、辻褄が合う。
「まさか、この国でも、王家が同じような施設を運営している? そこで王都の騎士団で勤める叔父達と知り合ったのだろうか?」
「幼い頃から十年も拘束され、ようやく一時的な休暇を得られた……?」
「数年前、隣国では政変があり、今の隣国の国王は、この国の王家を頼り、国を立て直したとか……。結果だけ見ると、この国の王家は、隣国への大きな影響力を持つこととなった……」
「ベラは髪と目の色が、この国では珍しい、隣国でよく見られる黒色だ。諜報員として、異国に紛れ、何かをするには、これ以上ない人材だろうな……」
ベラ達がこれまで過ごしてきた時間を思い、場が重い雰囲気に包まれた。




