旅の18日目 エリックside
隣の帝国への外遊のため、アームストロング侯爵領で一泊、帝国で三泊、その後、再び侯爵領で一泊という日程を消化して、現在、王都への帰路についている。イザベラが王都を発ち、十八日目になった。
イザベラは未だに帰ってくる気配がなく、今日、報告書と短い手紙一つが届いた。
現在、王都に戻る馬車の中で、目の前には、ゲラゲラと笑いながら、届いた報告書を読む宰相補佐がいる。
「うわあ、すごいですね。侍女が誘拐事件に巻き込まれたのをきっかけに、隣の公国と繋がりのある悪徳業者の逮捕ですか。報告書に添えられている新聞記事を見ると、辺境伯領では大騒ぎみたいですね。更に、悪徳業者の関係者が辺境伯の屋敷や憲兵に入り込んでいるのを見つけた。
この事態を受けて、公爵家の腰巾着……いえ、公爵家派筆頭の辺境伯は王家に寝返るから許してほしいとか。全面降伏じゃないですか。派閥争いの勢力図が塗り替わりますね。この嵐の中心に妃殿下がいるんですか」
侯爵家の護衛から届いた報告書を読み終えた、宰相補佐が愉快そうに続けた。
「ははっ。妃殿下は、王家の忠臣であるアームストロング侯爵家のご出身でしたよね。政略結婚ですらなく、本当は公爵家派の勢力を削ぐための偽装結婚で、この時のための仕込みだったのですか? 殿下の手元から出さないようにしていたのも、公爵家派に自分の手駒を知られないようにするためだったのですか? 私にくらい本当のことを話してくださいよ」
完全に面白がっている宰相補佐に、しかめ面で吐き捨てた。
「私とお前との間にそんな信頼関係はない。いつも好き勝手言って。でも、敢えて真実を言うなら、我々は恋愛結婚だし、今回の騒動はイザベラの独断だし、そんな危険を伴うようなこと、私は全く望んでいない」
本当に何でこんな事態になるのか理解不能だ。苛立ちを含んだ私の声を気にも留めず、宰相補佐は続ける。
「すごいなー。流石に隣国王家の血を引くことまでは偽装できないと思いましたが、結婚前の妃殿下の功績である、母君の形見を売って財団を設立したとか、領土中の福祉施設の改善とか、王都の誘拐事件の解決とか、殿下が妃殿下と結婚するために話を盛ったのかと思っていました。あれも、もしかして全部、本当なんですか?」
「全部が全部、本当だ。私は一切絡んでない」
「……隣国皇帝陛下が妃殿下を頼り、この国に助力を求めたのも?」
「それどころか、隣国皇帝から、イザベラに結婚の申し込みまであった。私が話を潰したからイザベラは知らないけれど」
「…………それで、現在はこの国の王太子に見初められ、王太子妃ですか。妃殿下は妙な縁を引き寄せ過ぎじゃないですか。段々、笑えなくなってきました」
笑みが引きつってきた宰相補佐から目を逸らしながら、思う。
冗談みたいな経歴と実績だけど、イザベラ自身はごく普通の人間だ。野心もないし、勉強も好きじゃない。人目を引く凛々しい見た目で、一見、意志は強そうだけれど、人にも割とあっさり流される。
私が婚約を取り付け、結婚に持ち込んだ時も、まだ気持ちは私に向いていなくても、さしたる異論を出さなかったように。
まあ、嫌な思いはいっぱいしてきたはずなのに、懲りずに、よく知らない相手でも、何も含むものがない明るい笑顔を向けられるのはすごいけれど。人のことであっても理不尽には我が事のように怒って、全力で何とかしようとするのも、簡単にできることではないかもしれないけれど。
……前言撤回する。やはり『普通』ではないか。
報告書に添えられていたイザベラ直筆の手紙を手に取る。中には、辺境伯はこの事態に気付かなかったことを反省しているし、事態の解明に当たってくれた王都の騎士団の副団長や辺境伯の子も辺境伯を支持しているから、寛大な対応をしてくれれば有難い、とのこと。
最後に、申し訳程度に、外遊の見送りと出迎えができなかったことの詫びが添えられているものの、事務的な内容に終始している。
何だかなあ……。必要事項は伝えられているし、きちんと報告も上げてくるから、仕事としては間違っていないけれど、離れて寂しがっているのは私だけだと突き付けられるようで、ささくれ立った感情が治まらない。
外遊の旅程を思い出した。
隣の帝国に行く前、アームストロング侯爵領の国境沿いにあり、先の戦争では、一番の激戦地に建てられた慰霊碑に行った。
アームストロング侯爵やエマの父である家令、侯爵領の騎士団、兵団の団長ら皆と参ってから、アームストロング侯爵に慰霊碑がある村の村長を紹介された。緊張した村長から、丁寧な礼を取られた後、イザベラに村が元通りになっていることを伝えて欲しい、と言われた。
胸がチクリと痛んだ。本当は、彼らはイザベラに来て欲しいと思っていて、私はイザベラを連れて来るべきだったのだろう。
隣国の帝都で一泊二日の外遊を終え、別れ際に隣国皇帝から、国内の有力貴族の娘と結婚することを伝えられた。近隣の王家との縁談もあったらしいが、クーデターの後だ。まずは、国内の地盤固めをするという選択には納得する。「結婚式には、夫婦で参加してほしい」と誘われた。
色々あったが、隣国皇帝は、昔からの臣下や新たに登用した人間と共に、安定感のある国政をとっているようだ。安定感のある国との友好的な付き合いは、国同士のメリットになる。更に、それだけでなく、隣国皇帝とイザベラは親族だ。親交を深められれば、本人らにとっても信頼できる人間が増える上、国内での地盤を固めるのに有利に働く。付き合って、損になる相手ではない。
次の機会には、イザベラを連れてくるべきだと思う。
なのに、それを彼女に言い出したくない自分がいる。
今も、少しの間だけ、縁もない土地に行っただけだったはずなのに、それですら、全然、帰ってくる気配がない。本来、彼女がいるはずだった場所に戻って、本当に王宮に戻ってくるのだろうか。
戻ってくるとして、私が、強引にそこから引き離したと改めて気付いた時、彼女はどう感じるのだろうか。
そして、私はそれにどう応えるべきなのだろうか――
憂鬱な感情に支配されそうになっていると、宰相補佐が再び声を掛けてきた。
「王都に戻っても一仕事ですね」
「ああ。辺境伯領での調査協力のため、王都の騎士と王宮の文官の手配だな」
宰相補佐の話に集中するよう、頭を切り替える。
「後は王都に戻ったら、辺境伯領から送られてきた辺境伯の特別顧問の取り調べですね」
「送られてきた奴は何者か、分かっていることはあるのか?」
「王宮で、王立学院の卒業者名簿を確認したところ、同姓同名の人間が載っていましたが、全く別の人間でした。また、高度な教育を受けているようですが、この国では、彼を知る人間が全く見つかっていません。素性を偽装して、公国から送り込まれた間者の可能性もありますね」
国境の端を狙って、人を送りこみ、公国が騒乱の芽を育てようとしている。可能性としては十分に考えられることだが、やはりその事態を思うと憂鬱で、ため息が出た。
少しして、宰相補佐が言い辛そうに口を開いた。
「……レイモンド公爵家のアルフレッド様は、辺境伯領が接する公国の外交官でしたよね」
「ああ。一年以上、公国と辺境伯領の往復で、王都には戻っていないはずだ。公爵家は外交が得意だし、外交官として熱心に勤めているのかと思っていたが……」
宰相補佐の言いたいことはすぐ分かった。
「殿下が幼い頃、王宮を離れられていた間は、アルフレッド様が一番、次の王座に近い人間と目されていました。殿下が王宮に戻られ、地位を固められるのに、複雑な思いはあったでしょうね」
「……幼い頃から、王座を狙えという重圧はあったと思う」
「それでも、今の地位では、満足できなかったのでしょうか……」
「……まだ、何も決まったわけではない」
言葉ではそう言うが、私を排除するためであれば、レイモンド公爵家の嫡男にとって、公国と結ぶことにメリットがある。その可能性は排除できない。
それでも、王家の血を引く人間が、この国の民を売り渡してまで、王座を狙っていることを想像すると、苦々しい気持ちになった。
あと少しで王都に到着するとき、王都の方向から、早馬を飛ばした王宮の人間が来た。宰相補佐がそれに対応した。
「どうした?」
「辺境伯領の民を伴い、隣の公国の神殿から使者が来ています。急ぎとのことです」
「公国から? 珍しいな。用件は?」
耳を傾けていると、使いの為に来た王宮の人間が、逡巡しつつ言った。
「それが、隣の公国の王家が、レイモンド公爵家の子息と共謀し、この国で争いを起こそうとしているというのです」