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旅の13~15日目(メルヴィン(辺境伯嫡男))


目の前に妙な女がいる。フードをしても隠し切れない、珍しい黒髪に黒目だけでない。纏う雰囲気にやたら迫力があり、人の目を惹く美貌をしている。名前はベラというらしい。見た目だけでも目立つ存在だが、それだけでない。




書類を片付ける振りをしながら、彼女を見つめていると、何か考えていた彼女がこちらを向いた。大きな目で見つめられるのにドキリとした。ベラはそんな俺には気付いていない様子で聞いてきた。


「メルヴィン、この街で一番高級な布地を扱っている店はどこかしら?」

「高級品を扱うなら、中央広場沿いと三番街通りの商店だ」

「そう、ありがとう!」


俺が返事をすると、ベラは明るい笑顔で礼を言った。


先日、王都の騎士団の副団長を務める叔父が、ベラやその仲間に、俺が辺境伯の息子だと伝えた。だというのに、これまでと変わらず、躊躇いなく呼び捨てにして、ごく普通の少年相手のように話しかけてくる。

辺境伯の息子だと知っても、辺境伯の息子としてではなく、俺自身にここでの手伝いを続けて欲しいと望まれた。嬉しくなって、「聞かなかったことにすれば」なんて苦し紛れに自分から言い出したものの、呆れるくらいの躊躇のなさだ。


素性ははぐらかされるが、ベラは王都の騎士団の副団長を務める叔父と面識があるようだし、仕事でそれなりの地位の人間と接するのに慣れているのかもしれない。もしかすると王宮なんかにも出入りしているのかも。

王宮なんて身分でガチガチに階級が決められている世界を知っているのであれば、辺境伯の嫡男なんて言っても、所詮、田舎の領土の子供の俺なんて、気楽な相手なのだろうか。




そんなことを考えていると、ベラは仲間を伴い、街に出掛けるようだ。何をするのか知らないが、恐らく、先ほど聞かれた高級品店街へと行くのだろう。

淡い菫色の髪に濃い紫色の瞳のサラが、ベラにマントを差し出した。サラや山の麓の村の人間は、叔父が追っている悪徳業者の被害に遭っていたところ、叔父やベラに助けられたらしい。悪事を明らかにするのであれば力になりたいと昨日、山の麓の村から、同じ村の人間と共にやってきた。


「ベラさん、いってらっしゃい」

「ありがとう。いってきます、サラ」


ベラは俺に向けるのと同じ、明るい笑顔をサラに向け、サラは顔を真っ赤にした。


その態度は、俺に対しても、サラを始めとする村の人間に対しても、変わらない。

その様に、容貌は全く違うのに、俺に対するときも、街の子に接するときも、態度が変わらないリリー先生を思い出した。




後ろ姿を見送ってから、ポツリと言った。ベラの物言いから、俺のことは街の子だと思っているらしく、その態度は気安い。


「メルヴィンはいいなあ。街のこととかベラさんに色々聞かれて、ベラさんの役に立てて」


サラは、この場を取り仕切っているベラに憧れているのか、思い出しただけで、うっとりとした顔をした。恋する乙女を絵に描いたような姿だった。




「ベラさんって、何者なのかな」


サラは、しばらく、一人でああでもないこうでもないと考えていたが、結論が出ず、傍にいる俺にようやく気付いたように聞いた。


「メルヴィンはどう思う?」

「さあ。王都で勤める騎士団や国中に広がるこの財団の人間と知り合いみたいだし、王都で働いているとか。もしかしたら王宮にも出入りしているんじゃない?」

「王都……。王宮……。そんな遠いところに……。でも、煌びやかなベラさんなら似合うなあ……」


サラにとっては、王都も王宮も遠い存在なのだろう。がっくりと肩を落とした。


俺は貴族の子弟として、王都で、豪奢なドレスを身に纏った華やかな令嬢になら、これまで何度も会ったことがある。でも、ごく簡素な服を着ていても、サラは彼女らの隣に並んだってきっと見劣りしない。サラのような綺麗な女の子は見たことがない。

それに、一緒に仕事をする中で知った、山の麓の村の子供達の算術や薬学の知識は、街の子供達を上回っている。特にサラはリリー先生の知識に匹敵するのではないだろうか。ずっと山の麓の村にいたから気付いていないみたいだけれど、きっと王都に出ても、どうにでもやっていけるだろう。


それどころか――


「サラなら、王都にある王立学院に進学できるかもしれない」

「何、それ?」


王立学院はその名のとおり、この国の王家が王都に開いた名門校で、平民にも門戸を開いている。俺の家庭教師は、辺境伯領の平民だけど王立学院を卒業しているということを伝えると、サラは目を輝かせた。


そんな風に話していると、村の子供がやって来て、「メルヴィンは王都に行ったことがあるの?」とか「どんなところ?」とかあれこれ聞かれ、こちらが回答する度、何の忖度もない素直な反応を返してくれた。

質問するのに慣れていない俺が、たどたどしく山のことを聞くのにも、街の人間が、山の暮らしを分かっていないことが珍しいのだろう。皆が争うように答えてくれた。




自然に囲まれ、素朴で気さくな人々が住むこの領土が、好きだった。でも、少し寂しかった。この領土の同じ年頃の子供は、領主の子である俺には、一定の距離を空けられる。

かといって、王都に行っても、父や母のように、貴族の同士の付き合いにも馴染めない。

その寂しさを紛らわせるように、勉強した。学問は好きだったけれど、逃げでもあった。そうやって、自分の世界に閉じこもっていて、それで満足していた。


だけど、俺がそうして自分の世界に閉じこもっている間、叔父達が悪事に気付くまで、山の麓の村に住むというこの人達は、苦しい生活をしていたという。


俺は領主の子だ。もっとこの領土のことをきちんと知ろうとすれば、この人達が苦しむことはなかったのかもしれない。目の前の人達を前に、今は胸が苦しくなる。




少しして、ベラ達が街で買ったものを、手に一杯、抱えて帰ってきた。サラも、ベラのところに飛んで行って、会話に入った。


ベラは氷菓を買って来たらしい。早く食べないと溶けると、離れて作業していた財団の人達も村の人達も、慌ててお茶の準備を始めた。ベラの仲間が「何でこんな急いで食べないといけないもの買ってきたのか」と呆れ、ベラは「美味しそうだったから……」と子供が言い訳するみたいな返事をした。そのやり取りに皆が笑った。


ベラは、凛々しい美人なのに、本当に見た目だけだ。見るといつも、財団や村の人達と屈託ない顔で笑っているか、仲間に何か指摘を受けて悲鳴を上げている。


思い返して、ふと、皆が忙しく作業しているというのに、この部屋は穏やかで明るい雰囲気に満ちているのに気付いた。昨日会ったばかりだというのに、財団の人達と村の人達の間にもよそよそしさはなく、俺もここに来たばかりの頃から、居心地が良い。それこそ、身分を理由にここから去るのが惜しいと思ってしまうくらいに。


この空気を作り出しているのは、明るく笑うベラであることは間違いなかった。




山の麓の村から来た子供達に呼ばれ、一緒に氷菓を食べた。子供達は、氷菓を初めて見たようで、目を輝かせながら食べていた。


この人達が住むという山の麓の村とはどんなところなのだろう。好奇心のまま、村に行ってみたいと言うと、皆が歓迎してくれた。近いうちに来い、と誘われ、珍しく心が躍った。






夕方、家に戻り、父の執務室に入った。


父は、貴族の子弟との付き合いもうまくできない俺が、山の麓の村に行きたいなんて、嫌がるだろうけれど、貴族同士の付き合いとやらで、王都に行ってしまって、不在だ。今なら、叔父かベラに村に連れて行ってもらえるかもしれない。

街角で突然、俺が手伝いに呼ばれたときより、ベラも皆も、時間ができてきたみたいだし、明日にでも聞いてみよう。


山の麓の村に行く前に、人口、特産品、税金、沿革など、頭に入れておこうと考え、心弾む気持ちで、村に関する資料を手に取った。結局、書物に手を伸ばしてしまう自分には苦笑するが、実態を知るために手掛かりを得ようとするのは、きっと悪いことじゃない。


でも、ベラなら、あの屈託ない笑顔だけで信頼を得たのだろうな。そう思うと、悔しいけれど、ちょっと憧れる。








父のいない執務室で数時間、山の麓の村に関する資料を読んだ。夜が深まるが、資料を捲る手が止まらない。資料を読みこめば読み込むほど、拭えない違和感があり、冷や汗をかいた。


――数年前から、山の麓の村を取り巻く様子がおかしい。




「やあ、こんな遅くまで、何をしているんだい」


考えに耽っている中、突如、声を掛けられ、ハッと扉の方を見た。現れたのはアルフレッド様とこの屋敷で特別顧問として働く王都出身の男性だった。特別顧問はアルフレッド様が外交官になり、公国に隣接するこの領土に頻繁に来ることが決まった時に非礼がないようにと、数年前に父が雇った人物だった。


「……この土地のことを学ぼうと思いまして」

「そうか、立派だな。でも、子供には難しい書類もあるだろう。父上に聞いてからの方がいいのではないかな」


そんなことを言うと、アルフレッド様は、こちらに一歩、近付いた。


そういえば、父が公爵家派に入ったのは、アルフレッド様がこの領土に出入りするようになった頃だった。

高位貴族との付き合いを機に、変わることはあるだろうから、あまり気にしていなかったが、今は何か嫌なものを感じた。


「……父から、執務室に立ち入ることは、禁じられていません……」


笑みを浮かべながら、更に一歩近付くアルフレッド様に、書類を抱きかかえながら、言葉を返した。

そんな俺達を見て、特別顧問が厳しい口調で言った。


「メルヴィン様、辺境伯からは謹慎を命じられているでしょう。自室で大人しくなさっていてください」

「そうか。父親の言うことは聞いた方がいい。その書類は、俺が戻しておくよ」


そう言うと、アルフレッド様は俺が持つ書類に手を伸ばし、取り上げようとしてきた。




この書類は、奪われてはいけない――


咄嗟にそう思い、反射的にアルフレッド様を押し退け、転がるように執務室から出た。


そして、俺を呼び止める声を後ろに聞きながら、屋敷から飛び出し、夜の街を駆け抜けた。


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