旅の7~9日目(リリー・ミラー(20歳))
国の端に位置する、山を臨む、長閑な辺境伯領の中心都市、それが私の生まれ育った街だ。
王立学院に通っていた頃、憧れてやまず、今は王太子妃になられたイザベラ様から頂いたストールとリボンをうっとりと見ながら、学園生活を思い出した。
国の端の領土からやってきて、なおかつ身分は平民――。
学業を認められ、国一番の名門である王立学院に入学することになったものの、きらびやかな王都にも学院に通う貴族や有力商家の皆様にも馴染めるか、不安だらけだった。
入学して間もない頃、緊張で身を固くしていた私は、あろうことか、王立学院で正面からとある女性にぶつかってしまった。それがイザベラ様だった。
凛々しく麗しい姿から、ぶつかってしまった相手は、名門貴族の家の方だとすぐに分かった。必死で謝りながら、緊張で身を固くしていると、無礼を厳しく咎められたって仕方ないのに、飾り気のない笑顔で「怪我はない?」とこちらのことを心配いただいた。その明るい笑顔と優しさに、一瞬で心を奪われ、ファンになった。
なんとかしてお近付きになれないだろうかと思っていたが、入学後一カ月ほどして、イザベラ様は王太子殿下の婚約者となり、その後、在学中に殿下と婚姻を結ばれ、公務が忙しいということで、学院でお見かけすることはほとんどなかった。
それでも、ごく稀に学院に登校されるイザベラ様を遠目から拝見するため、一生懸命、情報収集を行っていると、同じくイザベラ様に憧れている、騎士団長の息子であるというダニエル、イザベラ様の幼馴染で学問優秀なローガン、他にも、国中から王立学院に入るためにやってきた優秀な友人がたくさんできた。
我々をよく思っていない高位貴族の方々もいらっしゃったように思うが、何せイザベラ様が王太子妃というこの国の女性で一番高貴な身分になられたので、表立った嫌がらせをされることもなく、非常に充実した学園生活を送れた。
そんな学園生活を送り、故郷に戻ってからは、新聞でごく稀に伝えられるイザベラ様の近況を探す日々だったので、まさかイザベラ様と再びお会いできるとは思わなかった。
イザベラ様に頂いたスカーフとリボンに入った、繊細な刺繍を再び眺めた。リボンと刺繍糸を組み合わせ、繊細にモチーフを表現している。でも、美しいだけじゃなくて、リボンの使用は要所に抑えられ、布を強くするように刺繍は刺され、実用性もある。手芸には詳しいわけではないけれど、技術のある人が刺したものなのだろう。
しかし、それを作ったのが山に住む人だということは、少し意外な思いだった。
イザベラ様の前では言えなかったが、山の人間は、近年、街では評判が悪い。ギラついていて、荒っぽそうで怖い印象を与える上、街の人間をよく思っていないらしく、税金も納めていないという。
なのに、イザベラ様から頂いたような、こんな繊細かつ実用的な刺繍を刺しているとは。
山の人間の良いところまで見つけられるなんて、流石、イザベラ様だと考えに耽っていると、後ろから声を掛けられた。
「リリーさん。お待たせしました。旅の支度ができました」
振り返ると、一目で上質と分かる、艶やかな布を使った長いローブを身に纏った長身の男性がいた。前に見た、腰まで伸ばした長い輝く紫の髪も、切れ長の濃い紫色の瞳の神秘的な美貌も隠れてしまっていて、勿体なく感じる。
彼は、隣の公国の人間だが、この国に旅に来たとかで、私の実家が営む下町の食堂にやって来た。そして、食堂の味を気に入ってくれたということで、何度か来てくれたことで、話すようになった。
この国のことを、もっと知りたいということで、王都にある王立学院に通っていて、この国中に学院時代に親しくしていた友人がいる私が、この国の案内を頼まれた。
旅の費用は、全て、案内を頼んできた公国の男性が出してくれるという。
兄が家業を継ぐと言って実家に戻ってきた。親からは、折角、王立学院まで出たのだから、私は家業から離れ、別の仕事をしてもいいのではないかと勧められた。旅に出て、この国中を見ることは、今後について広い視線で考えるための、いい糸口を得られるだろう。
アルバイトだが家庭教師として教えているメルヴィン君は、何と王立学院へ飛び級での入学の話があったのに、ご両親に相談もせず断ってしまったということで、ご両親から謹慎を命じられ、授業も取りやめとなった。
不思議なことに、まるで『旅に出ることが決められている』ように条件が整った。
しかし、何故、憧れのイザベラ様が、私の故郷にいらしているこのタイミングなのだろう。うまくいけば、案内を買って出て、この街を案内するなんてこともできたかもしれないのに。
図々しいとは思うが、王立学院で、イザベラ様を追っていた私は、イザベラ様が身分をあまり気にしていないのを知っている。
「どうかしましたか?」
考えに耽っていたところ、心配そうに、彼に声を掛けられ、現実に引き戻された。
彼に早く辺境伯領を出たいと言われて、イザベラ様がこの領土に滞在中に、旅に出ることになってしまったのは残念だ。でも、お忍びでいらしているイザベラ様のことなんて話せるわけがなくて、ただ微笑んで、首を振った。
「いいえ、何でもありません。それでは行きましょうか」
もちろん、この機に、この国中を回れるのも、懐かしい友人達に会えるのも楽しみでないと言えば噓になる。
気分を変えて、彼の手を取り、懐かしい面々に会うため、この街から外へと、一歩、踏み出した。




