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旅の6日目 エリックside


幼い頃の夢を見た。




漆黒の静寂の中、真っ黒に波打つ髪の小さな女の子が、バルコニーの手すりを握りしめ、肩を震わせていた。


顔を伏せ、小さく母を呼びながら、一人で声を殺して泣きながら、こちらに背を向けているその姿は、よく覚えている。初めて、イザベラが泣いているのを見つけた時だとすぐに分かった。




彼女の傍に行きたいのに、夢の世界でも足を動かせない。現実の時と同じように、彼女に近付くことはできなかった。




◇◇◇◇◇




朝日で目が覚め、無意識に、いつも隣にいる温かい存在に手を伸ばした。手が宙を切り、イザベラが王都を離れていたのだと思い出し、空虚さと欠落感に包まれる。


彼女が隣にいるようになったのは、たったここ二年のことだというのに。慣れというのは恐ろしいな、と思う。




のろのろと寝台から起き上がりながら、夢に引き摺られるように、幼いイザベラが初めて泣いているのを見つけた翌日のことを思い出した。


強いと思っていた義姉が、母を呼びながら泣いていたのに驚いて、眠れない一夜を明かした。やがて、朝が来たが、どんな顔をして顔を合わせればいいのか分からない。それでも、いつまでも自室にいるわけにもいかず、緊張して、イザベラがいるはずのダイニングルームに向かった。


でも、イザベラはいつも通り朝食を頬張り、大好きな屈託ない笑顔で私を迎えてくれた。そして、唖然とする幼い私を置いて、朝の支度をさっと終えて、外に飛び出していった。


夜中に一人で泣いたって、翌朝には立ち上がって、前を向いて、人の中で思い切り笑える。私が好きになったのは、そんな女の子だった。






イザベラは、今頃どうしているのだろう。


自然豊かな辺境伯領で、ソフィア様の結婚式に参加して、馴染みのエマや侯爵家の人間達と一緒だ。幼い頃みたいに、他人に囲まれて、明るい笑顔をしているイザベラしか思い浮かばなかった。


生まれ育ったアームストロング侯爵領に帰らせると、里心がつかないかが心配だった。隣の帝国への外遊に連れて行くには、イザベラに好意を寄せていた皇帝との接触に気を揉むことになる。


だから、侯爵領とも隣の帝国とも真反対で、知り合いも多くない辺境伯領ならと思って送り出したけれど。自由な生活を思い出して、王宮に戻りたくないとか思っていないかな。






つまらない気持ちで、いつも通り執務室に行き、侍従に渡された書類に目を通していると、この王宮では若く、私とも年が近い宰相補佐が入ってきて、イザベラがいない今のうちに、と一つ伝えてきた。それは、私が側妃を迎えてはどうかという提案だった。


眉間に皺を寄せ、即座に回答した。


「断固拒否する」

「まあまあ。お気持ちもっともですが、ただ、そういう提案があったことだけお耳に入れたく」

「そもそも、まだその制度が廃止されていなかったのが驚きだ。祖父や父ですら側妃など迎えていないだろう。誰からの提案だ?」

「レイモンド公爵が、公爵家の派閥の貴族の娘を送り込みたいようです。何なら、公爵の娘を嫁がせてもいいとか」


言い出した家の名を聞いて納得した。レイモンド公爵家は、王家の血筋の人間が臣籍降下した際に興した家であり、更に、父の姉も王家から降嫁している。近年では、この国では王家に次ぐと言って間違いない家だった。


「なるほど。過去のしきたりや格式が好きなだけある。とはいえ、言いたいことが多過ぎて、何から言えばいいのか……。

まず、あの家は、幼い頃からずっと、私の失脚を狙っていた筆頭だと思うのだが。いつの間に掌を返したんだ?」

「殿下がいなくなれば、王家を継ぐのはレイモンド公爵家からになりますものね。でも、このところ、殿下が王宮での立場を固められているのを見て、殿下と競うのを諦められたようです。王家との和解の証に、妃を出したいのだと思いますよ。評価されたようで、良かったですね」

「嬉しくない……」


うんざりしたが、まだまだ言いたいことがある。


「それに、万が一にも側妃を迎えたところで、私はイザベラのところにしか通わないし、公爵家派の妃が冷遇されているとなれば、今以上に、仲が険悪なものになるだろう。公爵は何を考えているんだ?」

「レイモンド公爵も公爵家派の人間も、アームストロング侯爵が戦功を盾に娘を嫁がせたのではないかとか、殿下がアームストロング侯爵家に滞在中、妃殿下に誘惑されたのではないかとか、考えているのですよ。だから子供が産まれる前なら付け入る隙があると考えたのでしょうね」

「公爵家派の人間が、そういう話をしているのは知っていたが、イザベラの悪評を流すためだけではなく、本気だったのか……」


宰相補佐が非難めいた口調で、私に言った。


「こんな風に思われるのは、公爵や公爵家派が主催する社交の場に、殿下が妃殿下を伴わないようにしているせいもあると思いますよ。公務も、国家の機密に関することは陛下と殿下で抱えてしまいますし」

「それは、イザベラに嫌な思いをさせたくないからで……」

「我々には厳しいくせに、妃殿下には本当に過保護ですね……。妃殿下だって、アームストロング侯爵家の跡継ぎとして育てられたのでしょう。そうした風評や重責に耐えられないというわけではないとは思いますが」

「……分かっている。私が、彼女に私と結婚したデメリットを感じてほしくないだけだ」


私の言葉に、宰相補佐が呆れたような視線を送ってくるのを遮るように、続けた。


「……イザベラの分は私がするし、あと数年でそんなことを言い出せないくらい、公爵も公爵家派も圧倒する。それでいいだろう」

「まあ、それで殿下のやる気が出るならいいですけどね」






宰相補佐が去り、しばらく王宮の執務室で書類仕事をしていると、外遊の準備のため、イザベラの父のアームストロング侯爵が報告書を持ってきてくれた。


「殿下、失礼いたします。このところの帝国の調査書です。外遊前にどうぞご確認ください」

「ありがとう。いつも世話になるね」


報告書を受け取った後、いつもの仏頂面で、でも少し聞き辛そうに、間を開けて、侯爵が聞いた。


「……イザベラは、どうしていますか?」


間を開けて問われたその質問から、イザベラに、一度、侯爵家に戻ってきて欲しいと思っていること、そのための時間があるかどうか探りを入れられていることを察した。侯爵領には、侯爵を含め、彼女を待っている人間がいるのだろう。

でも、侯爵は、一度送り出した娘に帰ってきて欲しいなんて言い出せる人間ではないし、イザベラはそんな親心に気付いていない。


だから、今も敢えて気付かない振りをして、笑顔で言った。


「王宮での生活にも慣れようと、一生懸命、頑張ってくれていますよ。どうかしましたか?」

「いえ……」


侯爵から何も言い出されないのをいいことに、話は続けなかった。


とはいえ、今頃、エマ辺りが、侯爵家に一度戻ってきて欲しいなんて、イザベラに言っているかもしれない。

イザベラから帰りたいと言われたら、どうしようか。どうにか認めない理屈は立てられないだろうか。

いや、イザベラが言い出した時は、エマに説得されていたとしても、自分の意思でもはっきり決めた後だろうから、無理だろうな。やはり目を離さなければ良かった。




そんなことを無意識のうちに考えてしまった後、ふと我に返り、自分の狭量さに呆れた。


でも、イザベラが目の前にいるときは忘れていたけれど、所詮、自分はこんな人間だった。




王宮の中で、隣で笑っていてくれれば、こんなことを思い知らされることはないのに。彼女には嘘がないから、それだけで彼女はここで生きてくれるんだと、十分信じられる。




一週間、離れているだけで大袈裟だと自嘲する気持ちと、やはり行かせなければ良かったという後悔がせめぎ合う。


早く戻ってきて、目の前で、いつもの顔で笑って欲しい。


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