旅の4~6日目(エマ・アームストロング(21歳))
ソフィア様の結婚式に参列するため、イザベラ様と共に辺境伯領にやってきた。
旧知のソフィア様のご結婚はめでたい。侯爵家の人間と共に、敬愛するイザベラ様と遠出ができるのも喜ばしい。
しかし、いくつか不満もある。
まず、辺境伯だ。
ソフィア様と王都の騎士団の副団長の結婚式は、王都で行っても良かった。なのに、辺境伯が辺境伯領で結婚式を行うと主張した。王都の騎士団の副団長である自分の弟への、影響力の強さを示すためだ。
更に、ソフィア様が商家の出身ということで、結婚式で、両家の列席者の『格』を釣り合わせるため、王太子妃であるイザベラ様が呼ばれた。そのくせ、遠路はるばる辺境伯領に来たというのに、領土を上げて、歓迎することはなかった。自分自身は、王家と対立し、アルフレッド様の父である公爵を筆頭とする派閥に属するからだ。
また、ソフィア様が二度目の結婚で、商家の出であるということで、王太子妃を呼び寄せたとは思えないくらい、結婚式はごく簡潔なものだった。
ソフィア様夫婦は、イザベラ様に辺境伯領に来ていただけ、波風を立たせず済んだことに感謝していたし、イザベラ様にとっても外に出るいい機会にはなった。
だから、不満を飲み込んでいるが、イザベラ様も王家もアームストロング侯爵家もソフィア様もトレメイン家も、全部、舐めているとしか思えない。
苛立った気持ちがぬぐえないまま、結婚式と披露宴に続く夜会から、滞在先に戻ってきた。すると、イザベラ様から、笑顔で持参したという葡萄酒を差し出され、晩酌に誘われた。
ラベルを見ると、王家所有の葡萄園で作った葡萄酒らしく、そのちょっとしたことから、イザベラ様は王家の人間になったんだな、とチクリとした痛みを感じた。その痛みを忘れるように、差し出された葡萄酒をぐいと飲んだ。
月を見ながら、葡萄酒を片手に近況や昨今の国内外の情勢を話した。しかし、イザベラ様は、王家にいるとは思えないくらい疎かった。これなら、アームストロング侯爵家にいた時の方が、ずっと最新の状況を把握していたくらいだった。私が話すことを、イザベラ様は興味深そうに聞いていた。
その様を見て、改めて思う。次に、不満があるのは王太子殿下に対してだ。
イザベラ様に、殿下が国内の貴族の派閥争いについて伝えたくない理由は分かっている。
王家とアームストロング侯爵家でイザベラ様を王太子殿下の妃とすると決めたので、レイモンド公爵を領袖とし、貴族家の最大派閥である公爵家派は、王太子殿下の妃を送り込むことはおろか、候補者の擁立すらできなかった。
公爵家派はそれを恨みに思い、侯爵家に殿下が滞在中、イザベラ様が殿下を誘惑しただの、根も葉もない噂を、真実のように流している。殿下はそんな噂をイザベラ様の耳に入れたくなかったのだろう。
王宮では殿下が守られているのだろうし、今回は私が近くで見張っているから、イザベラ様はこの状況を知らなくても、問題なく過ごされるのだとは思う。
それでも、イザベラ様を、誰かに守られないといけないお飾りの王太子妃にするつもりなのか。
レイモンド公爵家派には注意するよう、イザベラ様に伝えながら、そのくらい、話しておいて欲しいという気持ちが抑えられず、公爵家派ではなく、殿下に対して非難めいた口調になったのだろう。イザベラ様が苦笑するように言った。
「色々な人が、思惑を持って近付いてくるから、エリックも大変だね」
「殿下ではなく、今、悪く言われているのはイザベラ様ですよ……」
「私はいいよ」
頓着のないその様子に思う。私が不満を持つ最後は、イザベラ様だ。
イザベラ様が侯爵家から王家に連れ出されたのは、百歩譲って良い。私とて殿下の気持ちを知りつつ、手をこまねくだけで、何もできなかった。形を整えられた殿下に、私が負けただけだ。イザベラ様も、予想外ではあったようだが、不満はないようだし。
それでも、イザベラ様が王都から出るのは三年ぶりだ。イザベラ様を目の届くところに置いておきたいという、殿下の意向が働いていることは、火を見るよりも明らかだ。なのに、イザベラ様は、それに対して、別に窮屈そうな様子はない。
侯爵領で、あれだけ、自分の足であちこち出向いていた人が、閉じられた世界で生きているのが気にならないのだろうか。
……気にならないのだろうな。これまでのご活躍だって、苦しむ人がいないよう、手を伸ばしていただけ。自分自身の処遇には無頓着だ。
でも、私はもどかしい。だって、人の為に、一生懸命働いて、泣いて笑って、表情豊かに生きていたイザベラ様を知っているから。
無私の心を持つイザベラ様が誇らしかったけれど、もう少し、今の状況に不満を持ってもいいのに。
だからといって、イザベラ様が納得されている今、私に何ができるというのか。
ご自身でも王宮や貴族の情報を集めるようにだけ忠告して、うっかり考えてしまった差し出がましい考えを追い出そうと、葡萄酒を煽った。
明日は、辺境伯領の街で最後の自由時間が予定されている。アームストロング侯爵領にいらしたときのように、久し振りにお忍びで出歩けるので、イザベラ様は楽しみなご様子だ。
その様子を微笑ましく見ていると、ふと思い付いたように、イザベラ様が笑顔で言った。
「そうだ。明日は街歩きする時は、私のことを本名で呼ぶのはよくないだろうから、敬称はつけず、ベラと呼んでくれる?」
「そんな……畏れ多いです」
「こんな時くらいいいじゃない。エマに敬称なしで呼ばれてみたかったの」
イザベラ様が悪戯な顔でこちらを見ている。思わぬ提案に、緊張しながら、名前を呼んでみた。
「ベラ……」
口にして、何故か、胸の鼓動が早くなり、顔が熱くなった。こんな呼び方を続けられる気がしなかった。
「う、無理です……。せめて、ベラさん。ベラさんで……」
「エマが照れる顔って初めて見た。可愛い……!」
そう言うと、イザベラ様は明るく笑って、私を抱きしめられた。私を抱きしめるイザベラ様の腕は細いのに、触れる全身は柔らかくて、華やかな大輪の花を思わせるいい匂いがした。
それだけで今まで抱いていた不満を全部忘れてしまった。どうあったって、イザベラ様に敵わないのを思い知らされた。
『可愛い』なんて、人生で初めて言われたし、そんな評価を受けたいと思ったこともないけれど、イザベラ様相手なら悪くなかった。