19歳 2
まもなく、エリックと私の結婚の手続きが済んだ。
王立学院にはこのところ行っていないが、主人公はどうしているのだろうか……。悪役令嬢が完全に退場しているが大丈夫だろうか……と、ついつい、乙女ゲームの進行が心配になってしまうが、どうしようもないので、心の中でエールを送る。
そして、結婚の手続きを終え、正式に、私がエリックと結婚したので、アームストロング侯爵家にはエマが養子に入ることになった。その後、婿を取るという。
アームストロング家の爵位の継承は、王家としても大きな関心事項であり、エマを養子にするには、王家の許可がいる。その手続きのため、父とエマが王宮を訪れ、その場に、私も同席が認められた。
エリックが国王代理として本件を一任されたため、広々としたエリックの執務室に一同が会し、エリックが豪奢な執務椅子に、私がエリックの斜め隣の椅子に座り、相対するように、アームストロング侯爵である父と父に連れられたエマが正面に立った。
エリックと相対するなり、冷え冷えした声でエマが言った。
「イザベラ様を奪いましたね」
幼い頃、私達はエリックと共に過ごした仲とはいえ、王太子相手にその言い方はまずいのではとハラハラしたが、エマは一歩も退かない構えであり、エリックはそれを悠然と受け止めていた。
「奪うなんて、人聞きが悪いな。国王とアームストロング侯爵の許可も得ているし、手続きに遺漏はないよ」
「騙し討ちみたいに、イザベラ様を王太子宮に連れ去って、その後、私との面会も許さず、明らかにおかしな警備体制を取って、極秘に婚姻手続きを取ったくせに、ですか」
「もたもたしていると、エマや他の人間が実力行使でイザベラを奪いに来る可能性があったからね。エマならイザベラに危害は加えないだろうし、私も何があっても結婚すると決めていたけれど、結婚前に一悶着あって醜聞になったら、イザベラが可哀想でしょう」
「私利私欲のためのくせに、イザベラ様のためだとでも言うような言い方は止めてください」
激怒するエマを見ながら、申し訳なさを感じた。
あんなにエマとは一緒にいたのに、ほとんど何も言わず、結婚してしまったものね。話したことはなかったけど、エマは私と共に『王家の影』の役割を果たすことに使命感を持っていてくれたのかもしれない……。
なのに、まともに話すこともなく、私一人、家を出てしまい、不義理をしてしまった……。本当に申し訳ない……。
肩身を狭くしていると、エリックが足を組み、エマを見下ろすようにして言った。
「で、そんな物言いをして、エマは侯爵家を継ぐ気があるの? 継ぐ気がないなら、他の人間を探すけれど。侯爵家の養子候補の調査はもうできているよね。誰か、報告書を持ってきて。
分かっているとは思うけれど、侯爵家の後継ぎでもない、侯爵家の一介の使用人の君に、今までのようにイザベラとは接触させないから」
エリックの発言にピクリと耳を動かしたエマが、地獄の底から響くような低い声を出した。
「……お待ちください。侯爵家の後継ぎの役目、お引き受けします」
その回答に満足したように、エリックは笑顔になった。
「良かったよ。私としても旧知の仲で、イザベラを慕っているエマが引き受けてくれるなら、それに越したことはないからね」
父の隣で、悔しさに歯ぎしりする表情をしたエマに、エリックは少し顎を上げて、満足そうにした後、同情するように言った。
「もっとも、エマのことは可哀想に思っているよ。私だって、逆の立場だったら耐えられない。イザベラに侯爵家にいてほしかったのに、無念だったね。
今後のために教えておくと、君の敗因は躊躇があったことだよ。私が侯爵家に行く前から、君は私が王家の人間だと知っていたのだから、私がイザベラに執着を見せ始めたところで、全力で引き剝がすべきだった。君達の役割は『王家の影』で、王太子妃を輩出することではないのだから。もっと早い段階できっちり手段を講じれば、君ならイザベラを私に取られなかったのに」
そういう話だったっけ?と思い、エマをそっと見ると、エマと、ついでに隣にいる父も、苦虫を噛み潰したような顔をしていた。あれ、父まで?
戸惑っている私をよそに、エリックは話を続けた。
「まあ、私を弱い子供と思って甘く見ていたのだとしたら、王族を舐めるなと言いたいところだけど。私としては、君達が対応に躊躇してくれて助かったので、不問にしておくよ。
王族が絡んだことで判断が甘くなってしまったかもしれないけれど、君達の忠心と有能さは全く疑っていないよ。領民の気持ちも収まらないで大変だろうから、落ち着いたら、イザベラをたまに里帰りくらいはさせてあげる。
イザベラも王家に入ったことだし、これからも王家のためによろしくね」
エリックの表情はにこやかなもののはずなのに、背筋がぞっとする怖さがあった。何だか、私は人質のような……。エリックの笑みが邪悪過ぎて、悪役令嬢なのに囚われた姫君の気分を味わっているような……。そんな心地になるのは気のせいなのだろうか……。
それからしばらくして、王立学院の卒業式があった。
妃教育が私の学びの中心となり、あまり学院には通っていなかったので、ここでも肩身は狭かったが、私も卒業式に出席した。結婚式が終わるまでは、何があるか分からないということで、エリックにより、私の周りには厳戒態勢が敷かれていたけれど。
卒業式後、少ないものの見知った人に挨拶をしたり、エマから教えてもらったりして、何人かの卒業後の進路や近況を知ることができた。
エマは、私の結婚式が終われば、領地経営の勉強のため、アームストロング侯爵領に戻るとのこと。
ピンクブロンドの乙女ゲームのヒロインは、実家に帰り、商売を継ぐらしい。兄が王都で仕事をするので、母からの家業を手伝ってほしいと要請があったとのこと。そのことから、彼女が、戦争で家族を失ったわけではないと知った。
騎士団長の息子は、ゲームのストーリーと同じく、騎士団に入団した。騎士団では、入団後は、まずはこの国のどこかの地方で経験を積み、数年後、王都にある騎士団に勤めるというのが、よくあるキャリアパスだ。彼は、まずはアームストロング侯爵領と正反対の国境沿いに配属されたらしい。王都に戻ってくるまでに、私への恨みは忘れてくれますように……。
ローガンは王都で最も権威ある病院で、医者になるべく修行を始めた。経験を積んだ後、故郷に戻る予定とのこと。
ソフィア様は、イザベラ財団をますます大きいものにしている。王立学院の上位成績者の何名かもイザベラ財団に就職するということだった。自分の名前が冠されているものの、イザベラ財団に、今から就職できる気がしない……。
隣国皇帝は、自国の平定に奮闘中とのこと。ソフィア様の弟も、ビジネスチャンスと考え、ついて行った。
卒業式の後、結婚式が執り行われた。
ただでさえ麗しい見た目のエリックの、王族の豪華な婚礼衣装を纏った、堂々とした姿は、威厳を感じさせるもので、人々は熱狂した。
その隣に並ぶ私は、新婦のウェディングドレスを着ても、ちっとも可憐じゃない迫力があって、居た堪れなかった……。
久しぶりの王族の結婚ということで、パレードまであったのが辛かった……。
皆がそれぞれの場で活躍している一方、結婚式を終えた私は、何もせず、王太子宮でダラダラしていた。
結婚式後、エリックに王太子妃として何をするか今後の予定を聞いたら、見事に何も予定がなかった。
「私、王太子妃になってから、何もしなくていいの……?」
「イザベラは、何もしなくていい。ここでのんびり、私の帰りを待っていて」
「王太子妃になったのに公務も何もせず、王宮でダラダラ三昧って、悪女って言われない……?」
「王太子妃になる前から、私を含めた一部から傾国と思われていたので、今更だよ」
「思われていたの?!」
「ああ。だから、余計なことをせず、ここでじっとしていてね」
今日も、私の頬に一つキスを落として、エリックは公務に行った。一人になり、暇を持て余した私は、王太子宮の屋上にあるテラスに向かった。
宮殿は高台にあって、更に王太子宮は市街地寄りに立てられているので、屋上まで上ると、王都がまあまあよく見える。
大きな門の隣に王宮を警備する兵士達がいる。王宮に面した大通りでは荷馬車が行きかっていて、大通りに面した商店は活気がある。大通りから中に入った、もう少し細い通路には露天商が並び、その間を賑やかに子供達が駆け抜け、その明るい声が王宮まで届く。
主人公の家族も生きているというし、王都に戦争の傷跡は見られない。アームストロング侯爵領で犠牲になった騎士や兵を思うと心が痛いけれど、ゲームよりも戦争の傷跡は明らかに浅かったような気がする。
「何故か」や「何が」は分からないけれど、やはり私の知る乙女ゲームとこの世界は違っていたんだろうな。私も、全然違う結末を迎えているし。
何処かで誰かが原作を改変していた? この世界の創造神の悪戯?
まあ、考えても分からないことか。
きらきらと眩しい陽光の中、街は人々の活気で溢れている。この景色をこの目で見られるのが嬉しい。
ゲームのシーズンはこうして去り、私、悪役令嬢であるイザベラ・アームストロングも、予想外ではあるものの、なかなか悪くないエンディングを迎えたのだった。
終わりっぽいですが、あと2話、続きます。