18歳 3
ある日、エマがエマの父に呼び出されたため、一人でひっそりと王立学院の裏庭でくつろいでいると、下町に住んでいた幼い頃から良く知る、懐かしい顔を見つけた。まっすぐ彼の元に向かい、声を掛けた。
「ガキ大将、もとい、ローガンじゃない。私のこと、分かる? 小さい頃、近所に住んでいたイザベラよ」
ローガンは振り返ると、少し驚いた顔で私を見てから、言った。
「イザベラ……様、勿論、覚えていますよ」
「よかったわ。寄付金なしでの入学は大変だったでしょう。王立学院への入学おめでとう!」
「私のことを覚えて、気に掛けていただいていたなんて、光栄です。でも、私なんかに親しげに話しかけていいのですか?」
「ええ? 何、その話し方。同郷の仲間じゃない。ははーん。子供の頃のガキ大将っぷりを周りに知られるのが恥ずかしいのね。……いや、私みたいなのと知り合いだとばれると、ローガンにとって良くないの?」
「俺じゃなくて、貴女の立場が悪いでしょう」
「何で? ローガンと昔からの知り合いだって知られて、何がまずいの?」
私が市井の出であることは知られているはずだし、まだ悪事を起こしていないのに警戒される意味が分からず、思ったまま聞くと、ローガンは困ったような顔で、溜め息を吐いた。そんな態度を取られると、私が物分かりの悪い子供みたいじゃないの。ローガンのくせに生意気よ!
ムッとしてズカズカと近付き、ローガンを改めて見ると、濃い灰色の髪、藍の瞳に切れ長の目は幼い頃と変わらないのに、全然知らない男の人がいた。
子供の頃は隣に立つと肩を並べる大きさだったのに、見上げないと目が合わない。丸く子供らしかった顔の輪郭はなくなり、短く切り揃えた髪に、スッと通った鼻梁が目に入った。広い肩幅に、まっすぐ伸びた背筋が、ごくありふれた白いシャツを清廉なものに見せていた。紺色のパンツを履き、手元には、分厚い学術書を持っている姿は、勉学に励む学生のものだった。
いつまでも子供だと思っていた幼馴染が、大人になっているのをその時になって、ようやく知った。子供時代と変わらないと思っていたのは、私ばかりだったのだ。
取り残されたような気持ちでいると、ローガンから話を振ってきた。
「一人でいるの、珍しいですね」
「エマが呼び出しを受けたからね。これまでの行動のせいで色々巻き込まれることは多いんだけど、友達はエマしかいないから、エマがいなくなったら一人なのよね」
「そうなのですか」
穏やかな昼下がりに、静かな時が流れた。ふと思い立って、私からも聞いた。
「そういえば、学院では何を学んでいるの?」
「医学です」
「なるほど。難しそうだけれど、直接、人の役に立てる学問でいいわね。医学を学ぶことにしたのは、おば様の病気があったから?」
何気ない質問だったのに、ローガンは沈黙してしまい、返事がなかった。
どうしたのかと横にいるローガンの方を向くと、赤い顔をしながら、私の方にまっすぐに視線を向け、何かを言おうか言うまいか迷うように、口を開けたり閉じたりしていた。そして、私と目が合ったことで、覚悟を決めたように口を開いた。
「勿論、それはきっかけだけど、貴女が、国の弱い人間に手を差し伸べてくれた。救護院も他も、物資や人手が足りた。次に、良くしていくなら、医療の技術がいると思ったんだ」
「……そっか」
「図々しいかもしれないけど、貴女が拓いてくれた道を、もっと良くしたい。貴女のことは、子供の頃からも、これまでも、これからも、ずっと一生、その、尊敬している」
真っ赤になりながら、一生懸命、気持ちを伝えてくれるのにつられて、私も照れてしまい、顔が熱くなった。
ローガンの言うことには驚いたが、子供の頃からずっと私に好意を持ってくれていた人がいたのだと知って、嬉しかった。
そういえば、私からエマ以外の誰かに声を掛けたのは、学院に来てから初めてだった。
幼い頃、ローガンと仲が良かったわけではないけど、少なくとも子供の頃から好意を持っていたというし、私の命を奪ったり、破滅に追い込んだりすることはないはずだ。
誰かと一緒にいて、安心するのは久し振りだと思い至った。
静かな裏庭は、太陽の日差しが柔らかく差し込み、木々が芽吹いていた。ふっと、青空を見上げると、爽やかな風が吹いた。
そして、決意した。
「勉学を修めた後は故郷に戻るつもりなの?」
「まあ、修行した後だろうけど、そのつもりです。故郷に恩返ししたいという気持ちは持っているので」
「素晴らしいわね。ねえ、その時、私も連れて行ってくれないかしら?」
「は? 何を言っているんですか? 俺だって知っているくらい、お前、いや、イザベラ様は、色々なところから引手数多でしょう」
「いやあ、私を利用しようとする動きがあることは知っているんだけど、そういうのに巻き込まれたくないっていうか。巻き込まれて破滅する前に、こちらから貴族社会を出て行くのもいいかなって思って。そもそも、私には、貴族社会って合っていない気がするのよね。街で暮らせたら、そっちの方が性に合っているんだろうし……。あ、そういえば、私の祖母も隣国の王家に連なる貴族家から駆け落ちして、アームストロング侯爵領の街に住んでいたらしいのよね。そう考えれば、全くない話でもないんだろうし……」
思うことを思うままつらつら話していると、ローガンの赤くなったと思った顔が、ますます赤くなった。そして、私の後ろに視線を移し、今度はさっと顔を青くした。
どういうことかと思って、後ろを振り返ると、冷気すらも感じさせるくらい怒った雰囲気を漂わせながら、笑みを湛えるという器用なことをするエリックがいた。
「久し振り。イザベラは、本当に私を怒らせるのが上手だね」
「エリック……、いえ、王太子殿下……、どうなされましたか?」
「これまでのように、エリックでいいよ」
「あ、ありがとうございます。何で、そんなに怒って……」
意味は分からなかったが、あまりの迫力に、思わず後退った。
「国王と侯爵を説得できたので、迎えにきた」
「へ?」
エリックがそう言うなり、私は屈強な騎士二人に両腕を掴まれた。
「貴女を放置していると国が乱れる。私と一緒に来てもらうよ」
「えっ、ちょっと待って。私、まだ何もしていない……!」
「……もう十分しているでしょう」
エリックは呆れたように言うが、主人公虐めだって、隣国に利するスパイ活動だって、本当に私はまだ何もしていない!
エリックは、私を置いて、ローガンに向かい合って、諭すように言った。
「君も、イザベラから言われたことは忘れなさい。思わせぶりなことを言われたと思うが、この人は深い意味もなく、ただ考えなしで言っているだけだ。多少なりとも、この人と付き合いがあったのだから、分かるよね」
深い意味がないって、ひ、ひどい……。姉弟として長年過ごしたのに、嫌われるとここまで言われるの……?
「万が一、彼女の言葉に意味があったとして、君に、このトラブルメーカーの対処はできない。彼女の身柄は私が預かる」
ローガンは驚いていたが、それを聞くと、諦めたように無言で頷いた。
えっ、トラブルメーカーって思っているの? ローガンも?!
視界にエマが飛んでくるのが見えた。エマなら証言してくれるはずだと思い、縋るように聞いた。
「ねえ、エマ。私、何もしていないわよね? ずっと一緒にいたエマなら証言してくれるわよね?!」
しかし、エマは悔しそうに拳を握りしめた後、静かに首を横に振った。それを見て、ショックを受けた。
「私、何かしていた? じゃあ、その時に止めてよ! 友達でしょう!!」
捉えられた私を、冷え冷えした目でエリックが、引いたようにローガンが、痛ましそうにエマが見ている。エリックが突き放すように言った。
「もう手遅れだよ。もう幼い頃から、何件引き起こしてきたか……。無自覚な分、質が悪い」
えっ、無自覚に悪役令嬢していたの? 無自覚なのに悪役令嬢なの?
そうこうしている間に、王太子であるエリックと、悪役令嬢であるイザベラのいざこざに気付いた学院の人達が集まってきた。
集まってきた人達の中には、ピンクの髪のヒロインも、騎士団長の息子も、他にもゲームで知っていた面々もいた。
……この場面は、完全に断罪じゃないの!!!
まだ、学院に入学してから一か月も経っていなかった。
想定よりかなり早く起こった断罪に青ざめている私を、エリックの命を受けた騎士二人が、丁重だが強引に、学院から連れ出す。
「待って。話せばわかるわ」「こんなつもりでは……」「わざとじゃなかったのよ~~!」と、思わず、悲鳴を上げた。後から考えれば、完全に悪役のセリフだった。
そして、引っ捕らえられた私は、王宮に連れていかれた。