18歳 2
王立学院での生活が始まった。
入学して配られた新入生名簿を見ると、ゲーム通り、ヒロインと思しきピンクブロンドの女の子も、王太子であるエリックも、騎士団長の息子も、他の面々もいた。怖い、怖過ぎる……。
憂鬱だけど、ここまで来てしまったからには、学園生活を乗り切っていくしかないか……。
そういえば、新入生名簿を見ると、幼い頃、下町で近くに住んでいたローガンもいた。寄付金を積んだりはしていないだろうから、ここに入学するのは大変だっただろうけど、頑張ったのね……。
よし、私も断罪されないよう頑張ろう!
新入生を迎え、王立学院では浮足立った雰囲気が漂っていた。雰囲気につられ、私にも取り巻き、もとい、友達ができるかな、とちょっとワクワクした。
しかし、キツい表情が怖いのか、黒髪に黒目が好ましくないのか、私が姿を現すと、皆、距離を開け、畏怖の視線を向けてきた。
「そんなに怯えないでほしいなあ……」
ガックリとしながらの私の一言を聞いたエマが、さも当然のように言った。
「それは仕方がないかと。イザベラ様、ご自身が周りからどう認識されているか分かっていらっしゃいますか?」
「この国の人間のはずなのに、先日まで戦争をしていた隣国の代名詞である黒髪に黒目を持った、気が強そうで悪役っぽい令嬢じゃないの?」
「全然、違います。見た目については、凛々しいエキゾチックな美貌のご令嬢。今回の戦いで最も戦功の大きいアームストロング侯爵の一人娘で、母方は大国である隣国王家の血が流れている。領土内からの信頼は絶対的で、先の戦争の際は、イザベラ様の存在が領土をまとめ上げた。国内でも有数の資金力を持つイザベラ財団の創設者であり名誉理事長。王太子殿下とは、家族同然に数年を過ごした旧知の仲。身を挺して王都を戦火から守った実績もあります」
「王都では私はそんな風に受け取られているの?! スラム育ちで父からは駒扱いだし、財団については初期の出資者というだけで実権のない完全な名誉職。エリックからは絶縁宣言され、王都を戦火から守ったのはエマ達で、私は避難誘導すら失敗して怪我を負っているんだけど?!」
領土の皆とはそれなりに仲良くできているとは思うけど、それ以外が実態と違い過ぎて、目を丸くした。噂のいい加減さにぞっとしていると、更に、エマが言葉を続けようと口を開いた。
エマの様子に、ビクビクしながら、聞いた。
「……まだ何かあるの?」
「ええ。先日、終戦の条約が結ばれた日、王宮で戦勝会が開かれましたよね」
「父が参加して、私達は領土で犠牲者の鎮魂の儀式を執り行った日ね」
「そうです。参加していた侯爵家の人間から聞いたのですが……」
戦勝会には、国中の貴族に加え、我が国に助けを求めた隣国皇帝が参加していた。
戦勝会の初めに、王家を代表して、王太子であるエリックが挨拶を行った。その際、長く、王宮を空けてしまったことを詫びた後、アームストロング侯爵を始めとする戦いに参加した騎士、兵士の奮闘への感謝、今後、このようなことを起こさないためにも隣国との親交を深めていく必要性を語った。そこまでは良かったが、その後が問題だった。
「私は、隣国の情勢の確認のため、アームストロング侯爵家に長く滞在していた。そこでは、侯爵家のイザベラ嬢の、民のために力を尽くし、民をまとめ上げる姿から多くを学んだ。戦が終結した今、彼女から学んだことを活かし、私も、これからはこの王宮で、この国を導いていく所存だ」
国中の貴族が集まる場で、突然、王太子から社交界にもほとんど顔を出していない少女の名前が出たことで、ざわめきが起こった。
そんな中、隣国側から参加していた皇帝が挨拶した。まず、この国からの助力への感謝を述べた後、一時的に途絶えがちだったが、隣国でもこの国と再び親交を深めていきたいと意欲を語った。そこまでは問題なかった。しかし――
「今、ここにはいないが、突然、助けを求めた私に、力を尽くしてくれたイザベラ嬢に感謝の意を伝えたい。困ったときの友が真の友であるという。この国にとって、私の国もそういう存在になりたいと思っている」
ここでも、王太子が触れたのと同じ少女の名前が出たことで、一同騒然となったらしい。
私・イザベラとの親交を主張する王太子であるエリックと、それに張り合う隣国皇帝に、出席者一同、一体、何を見せられているのだろうと思ったらしい。私も意味が分からない。特にエリックは私を憎んでいる宣言までしたくせに……。
「そんなわけで、イザベラ様の挙動は、全貴族、何なら全国民から注目されています」
「うそでしょう……」
「気軽に話しかけようものなら、王家、隣国、有力貴族から意図を探られること間違いなしなので、よっぽどの気概、思惑がある人間以外は、遠巻きに見るしかないのでしょう。イザベラ様は諦めて、私と一緒にいましょうね」
何気ない会話も調査されている可能性があるということ? 悪役令嬢なので、薄々は無理かなあとは思っていたけれど、学院で友人などとんでもなくできなさそうだ……。さようなら、久し振りの学園生活……。それに、懸念事項がもう一つ……。
「注目浴びているようだけど、私、そんなに成績よくないのよね……。王家、隣国、有力貴族の皆様にそのことが伝わるのか……」
「心配するところがそこですか。流石、イザベラ様」
学院で、授業が始まった。この時間を利用して、断罪対策について考えてみようと、転生した後に思い出したことを書き留めていたノートを開いた。
まず、私の目指すところだけど、何だか色々なことがゲーム通りに進行していて、今更、できることも少ないし、多分、断罪は不可避……。
であれば、もう、処刑、自害を避け、逃亡、身分剝奪、国外追放のいずれかであれば、断罪でよしとする!!
えーと、逃亡ルートになるのは、覚えている限りだと、吟遊詩人、学者……って、ヒロインがどのルートか知らないと私のルートの予測もできないのか……。
でもこの大注目浴びている中で、ヒロインに接触して大丈夫? 下手に接触して、いじめたとかそういう話になるのも怖い……。
いつも頼ってばかりで申し訳ないけれど、やはりエマに探ってもらう?
しかし、ルートが分かったところで、私の一挙一動まで注目されている中で、どう原作改変するというのか。
ヒロインが私の処刑、自害ルートに入っていれば、エマに、ヒロインと誰かの仲を邪魔してほしいとか依頼するの? うっ……、ゲーム通りの悪役じゃないの……。
というか、困ったときはいつも「エマ」「エマ」って言って、恥ずかしくないの、私?
恥ずかしい……。しかし、自分で何かするより、エマに頼る方が確実……!
命を前には自分のちっぽけなプライドなんて――
こんな感じで熟考していたら、授業後、エマに言われた。
「有名人のイザベラ様が、授業中、気もそぞろだったということで、教師の方が顔を青くされていましたよ。お気を付けくださいね」
授業中の内職もできないとは……。悪役令嬢に厳し過ぎない?
というか、先生、私の授業態度が気になるなら、普通に言ってよお……。
王立学院では、乙女ゲームのヒロインであるピンクブロンドに空色の瞳のかわいらしい少女が、不自然にうっかり躓き、私にぶつかってきた。彼女は必死に私に詫びてきた。こんな怖い私に、彼女もぶつかりたくなかっただろうに、ゲームの強制力ってやつだろうな……。可愛そうに……。
同じ強制力に振り回される仲間と思えば、勝手に親近感が沸き、笑顔で問題ないことを伝えると、泣きそうな顔をしていた彼女が、花がほころぶ様に笑った。嫉妬しそうなくらい可愛かった。まずい。
また、四年前に王都で絡んできた騎士団長の息子が、何かを言いたそうに近付いてくることがある。もちろん避けているけれど、遠目からでも、前に会った時より、がっしりと大きな体躯になっていて、よく鍛えているのが分かった。
未だに、幼い頃、平手をお見舞いしたことを根に持っているのだろうか。加害者が言っては何だけど、あれはエマから彼を守るためだったのだし、そろそろ水に流してほしい……。
ある日の昼休み、エマと学院の中庭でのんびりしていると、どよめきが起こった。どよめきの正体は何か分からないが、何かしらのイベントであれば、巻き込まれないようにしないといけない。どよめきを背に立ち去ろうとしたところ、声をかけられた。
「やあ、イザベラ」
その声は、聞き覚えのある、低く威圧感がある男性のもので、ギクリと体を強張らせた。
恐る恐る振り返ると、ソフィア様の弟を連れた、隣国皇帝がそこにはいた。黒髪に黒目に、目立つ長身、何より、ただそこにいるだけで人を圧倒する貴人の雰囲気は、以前、会った時と同じだった。
なるべく迷惑だと伝わるように、顔を顰めて言った。無礼は承知だが、スパイ容疑がかかるより、よほどいい。
「皇帝陛下、こんなところで、如何なされましたか」
「条約の調整のため、この国に来ることがあったので、イザベラに会うため、学院に立ち寄った」
「まあ、それは身に余る光栄ですわ。畏れ多くて、身が持ちそうにないので、今後はこのようなことはどうぞご遠慮くださいませ」
ただでさえ、後ろ暗いことの多い私だよ。スパイだと思われたら、どうしてくれる……。
「遠慮することはない。私は君を頼ってこの国に来て、助力を求めたのだし、君に会える機会があれば、会いに来るのは当然だろう」
「畏れ多いことでございます。では、言い方を変えます。ここは学び舎です。陛下のような方がいらしては、気もそぞろになってしまい、勉学に励めませんわ。いたいけな学生をからかうのはおやめくださいませ」
「人脈を築くのも大事な勉強だろう。とはいえ、この俺を前にして、そのような言い方をできる度胸、やはり良いな」
ソフィア様の弟が口を挟んだ。
「良いでしょう。お勧めなんです」
「勝手に勧めないでください!!」
勝手なことを言い出したソフィア様の弟を、じろりとねめつけるように見た。
「貴方、ソフィア様の弟で商売人ということは知っているけれど、いつから女性の斡旋まで始めたの」
「やだな。友人の恋を応援したいのは、当然じゃないですか」
流石、商人。手八丁口八丁が得意。何が恋だ。
「皇帝陛下とオトモダチになられるなんて、流石ですね」
「ええ、ドラ息子同士、気が合いましてね」
面の皮が厚い二人に、全然、私の言葉が効いていないのを感じて、溜め息を吐いた。二人は尚も次々と話し掛けてくる。
「君の父上の領地は俺の国と接しているので、すぐだ。大恩ある貴女を招きたい。是非、一度、俺の国に来てくれ。きっと気に入る」
「イザベラ様、事業って大好きでしょう。今、隣国は色々変えている最中で、ビジネスチャンスもたくさんですっごい楽しいですよ。姉から話を聞いて、僕もイザベラ様と一緒に仕事をしてみたかったんですよね」
「一時的に、下らない権力争いを王宮でしてしまったので、国力は落ちているが、もともとこの国より領土も広く、資源もある。食の種類も豊富だし、娯楽もなかなかのものだぞ」
「いいですねえ、陛下にここまで言われていますよ。豪遊も贅沢もやりたい放題ですよ。一度、行ってみましょうよ」
その一度で、スパイ堕ちさせる気なんでしょう。手の内は分かっているんだからね……。
にしても、私の中では、まだ悪事を行っていないからセーフなんだけど、周りから見ればどうなんだろう……。ここまで親しそうに話しかけられている時点でアウトなんだろうか……。
使い捨てるつもりのくせに、親しげに近付いてくるのに、腹が立って言った。
「もう! もし、この国を追われて、あなたの国に行くことになった時は、いい加減な扱いをしたら、許しませんからね!!」
「……もちろん。我が名にかけて、絶対に君を守るよ」
こちらは怒っているのに、いつも自信満々で不遜な男がはにかむように笑うのに、力が抜けた。
手を取られ、手の甲に唇まで寄せられた。近くで見た少し硬そうな黒い髪と大きな黒い目には、いつも周囲に与えている威圧感だけでなく、大人の色気があった。触れた手は、大きく骨ばっていて、近付いてきた体は、すっぽり私の体が覆われそうに大きく、この国では慣れない甘いジャスミンの香りがうっすらした。
これは私をスパイにさせるためのお色気作戦なのか……。エマがさっと引き離してくれたけれど、うっかり惑わされそうになったのは内緒だ。




