15歳(アームストロング侯爵領 少年 15歳)
俺はアームストロング侯爵家領の孤児院の出身だ。
普通、自己紹介の時、孤児院出身であることを、わざわざ話さないと思う。ただ、この地についてはちょっと特別なのだ。
変わったのは、ほんの数年前で、領主様の家にイザベラ様というご令嬢がいらっしゃってからだ。
イザベラ様がいらっしゃってから、本当に色々な事があったので、全部を言うのは難しいのだが、最近あったことから、思いつくまま、話させてもらう。
もうすぐ俺は十六歳で、孤児院を出て行く年齢になる。
これまで、孤児院出身者が孤児院から出て行くときは、不利な就職をすることが少なくなかった。孤児院の院長先生か孤児院の先輩から、就職先を紹介してもらえれば万々歳、そうでなく、後ろ盾や伝手がなければ、街に出て、行き当たりばったりで職を探すという状況だった。
しかし、イザベラ様が立ち上げられ、国内でも有数の資金力があるというイザベラ財団が、年一度、若くても支払える程度の上納金で、孤児院出身者の後見人になってくれることが決まった。なお、後見が不要になった時点で、上納金の支払いは止めてもいいらしい。
そして、イザベラ財団が後見人になってもらった場合、就職先で孤児院出身者に問題が起こった時、仲介を、財団が行ってくれることになった。後ろ盾がはっきりしたことで、後ろめたいことがない雇用主は、孤児院出身の子供達を雇いやすくなったし、逆に劣悪な環境で働かそうとする雇用主は、孤児院出身の子供達の雇うのを避けるようになった。
俺も恩恵を受けた一人で、来年、孤児院を出て行く時は、アームストロング侯爵領の兵士として働くことが決まっている。
そもそも、孤児院から出るとき、兵士として働く道があるなんて知らなかった。
それを知ったのは、今年、孤児院から出るのが近い子供達を集めて、イザベラ財団から派遣された講師から、今後の就職についての講義が行われたときだった。
講師の先生は、これから就職可能な職業、イザベラ財団による後見人制度、後見人制度を申し込んだ場合の就職の仲介申し込み方法や就職後のトラブルの相談先等を示してくれた。
働き始めた後、どんな風になるのか想像もできていなかったので、講義を受け、光が差し、視界がパッと開けたような気持ちになった。
自分が何の仕事をしたいか考えたことがなかったので、講義後、恐る恐るイザベラ財団の講師の先生に聞いてみると、「一概には言えませんが、立派な体つきをされているので、体を動かす職業などいいかもしれません」と言われた。
手掛かりをくれただけでなく、「命の危険を伴うので、簡単に勧めることはできませんが、兵士もその一つです。特にアームストロング侯爵領の兵団は規律が厳しく、兵士の教育が行き届いていて、福利厚生も充実しています。見学に行ってみますか?」と、兵団の見学の算段までつけてくれた。
恐縮する俺に、講師の先生は、「貴方達が、私達の紹介する就職先に決めれば、我々は仲介料を受け取ることになっています。こちらもビジネスです」と、笑顔で気にしないように言ってくれた。
紹介された兵団に見学に行き、確かに言われた通り、秩序立っていて暴力的な上司や先輩はいなさそうで、雰囲気も良かったこと、寮での住居、食堂での食事が完備されていたこと、そして、この領地に少しでも恩返ししたいという気持ちで、兵士としての就職試験を受けることにした。
そして、幸いにも合格することができ、アームストロング侯爵領の兵士として、働くことが決まった。
孤児院の同じ年の子供達も、次々と進路を決めた。街のレストラン、イザベラ財団の事務、国中を回る運搬業者、イザベラ財団から奨学金を受けて、高等学校に行き、教師を目指す人間までいる。
皆、自分の希望する仕事に就くことが決まっていて、表情は明るい。
俺は孤児院で恩恵を受けたが、救護院なども同様の状況らしい。
これまで、救護院に送られれば、死へ一直線と恐れられていたが、今は物資も足りて衛生的で、病気になったときは心配することなく、診てもらうことができるという。
やがて、兵団から、配属先の連絡があった。国境寄りの詰所だった。
乗り合い馬車に乗って、俺が挨拶に行くと、上司や先輩になる人達は、俺を温かく迎え入れてくれて、世間話になった。
「最近は、イザベラ様が国境の警備の充実にご熱心で、ここは注目の詰所だ」
「俺は、湖畔の城の前線でイザベラ様をお見かけしたことがあるぞ」
「お前も、しっかり勤めていたら、いつかイザベラ様に会えるかもな」
そして、詰所や俺への激励から、自然と、イザベラ様の話になった。
「イザベラ様は、最近、王都で、隣国の兵士から王都の人間を庇って、怪我を負われたらしいな」
「おいたわしいなあ……」
「もう侯爵領に戻っていらしたんだ。俺らが守るさ」
皆、イザベラ様が好き過ぎる。
イザベラ様は、アームストロング侯爵領の孤児院、救護院の色々なことを改善した。今は、イザベラ財団の職員がその活動を引き継いでいるが、数年前までご自身が各地を回られていたので、彼女が汗を流して働いているところを見た人は多い。
また、ご自身も街歩きが好きらしく、領内には、イザベラ様の目撃情報で溢れている。本人は隠しているつもりらしいが、目立つ黒髪に黒目の気高い姿は、一目見ると、皆がすぐ分かるとか。
彼女に会った人の意見は大体同じで、「麗しいお姿なのに、自ら手を動かすことを厭わず、意外にも気さく」だ。そんなの魅力的でないはずがない。
そういえば、「私は黒髪に黒目なの」とか「俺は領地の下町出身だ」とか、これまであまりよく思われていなかったことが、この領地ではイザベラ様と同じという理由で自慢になっている。それは、ちょっと面白い。
実は、俺もイザベラ様にお会いしたことがある。五年前のことだ。
俺がいる孤児院は、修道院により運営されている。修道院の先生方は優しく、子供達も穏やかで、孤児院の居心地は良かった。でも、冬だけは別だった。
孤児院に冷たい隙間風が吹き込むので、子供達の継ぎあてをした古着と薄い毛布だけでは、寒さを防ぎきることができなかった。更に悪いことに、その年は、篤志家の寄付が少なく、薪を例年よりも確保することができなかった。いつもの冬でも辛いのに、今年は暖炉をくべる回数や温かいスープを飲む回数が減るのかと思うと、恐怖だった。
寒い冬が来る前、孤児院の運営元である修道院の院長先生が、藁にも縋る決死の思いで、アームストロング侯爵家に陳情に行ってくれた。この土地の中心都市の救護院に、最近いらした侯爵家のお嬢様が援助したという話を、どこからか聞きつけたらしい。
そして、侯爵家への陳情から戻ってきた院長先生は、一人の女の子を孤児院に連れて来た。うねる真っ黒な髪に鋭い黒い瞳の迫力のある女の子で、もちろん、それがイザベラ様だった。俺とは同じくらいの歳のはずの背格好だが、彼女の他者を圧倒する雰囲気に、見るなり委縮した。そこにいた皆がそうだったように思う。
そんな彼女は、孤児院に一歩足を踏み入れ、くるりと中を見回すなり、「大変じゃない!」と言って、孤児院をくまなく調べていった。傍にいた銀色の髪の女の子に雨漏りの応急対応を任せて、イザベラ様ご自身は、院長先生から熱心に話を聞いていた。
イザベラ様は、孤児院の中を一通り見て回ってから、侯爵家に戻られることになった。一同で見送りに出ると、厳しかった表情を和らげ、イザベラ様は力強く言った。
「この孤児院の掃除はすごく行き届いていた。皆がこの場所を大事にしているのがよく分かったわ。物資の不足については絶対に何とかして、凍えず、冬を過ごせるようにするからね」
今でも、孤児院では、その時の話で盛り上がるし、その時にいなかった子供達は興味深そうに聞いている。
「イザベラ様訪問の翌日には、もう色々な物が届いたのに、びっくりした」
「俺は、一緒に来ていた可愛い女の子が、木を切り出して、雨漏りの修理を始めた時が、一番驚いた」
「あの後も何回か来てくださったけれど、いかにも貴族のご令嬢っていう見た目なのに、存外、気さくに話してくださるんだよ」
イザベラ様は、孤児院の皆の、いや、領地中のヒーローだ。もちろん、俺にとっても。