14歳
王都から半年経たずに、実家であるアームストロング家の領地に出戻ってきた、悪役令嬢予定のイザベラ・アームストロングでっす。
流血沙汰に巻き込まれたことによる、強制送還でした……。
父から王都で社交なるものをするように命じられたものの、成果は全く出せなかった。
王都にいる貴族の皆様からすれば、私は、突然アームストロング侯爵家に現れた隠し子、かつ、隣国によく見られる黒髪に黒目の容姿という、うさん臭い令嬢だったようで、貴族の洗礼を受けた。
奇異の目、値踏みするような目、蔑むような目を向けられ、遠巻きにされたり、嫌みを言われたりした。
直接的な虐めはなかったし、傍にエマがいてくれたから、何とか乗り切れたものの、常時、悪意に晒されるというのはきつかった……。
……いや、違う。そういえば、一度だけ、思い切り、あからさまな敵意を向けられた。
私に敵意を露にしたのは、短い茶色の髪に、緑の鋭い瞳で、日によく焼けた肌をした、私と同じくらいの歳の騎士団長の息子だった。
彼は、隣国国内の政情が乱れ、この国に怪しい動きを見せていることを、騎士団長である彼の父から聞いていたのか、随分と隣国への悪感情があるらしい。
私が、隣国によく見られる黒髪と黒目をしているのが気に入らないらしく、とあるお茶会に呼ばれた際、参加者の子供達の前で、大分と突っかかられた。
やがて、私に罵詈雑言を掛け始めた彼に、エマが分かりやすく殺気を放ち出したので、これはまずい、と焦った。
エマが手出しする前に、と私から彼に平手を一発お見舞いして、適当な捨て台詞を吐いた後、お茶会から去り、急いで王都にあるアームストロング侯爵家のタウンハウスに戻った。
エマがキレたら、私ごときでは、到底、抑えられない。エマがいてくれたから乗り切れたけれど、一番、胆が冷えたのもエマがいたからだったな……。
実力行使、ダメ。ゼッタイ。
ちなみに、タウンハウスに帰って思い出したが、彼はゲームの攻略対象だった。
あいつ、こんな早くから悪役令嬢にスパイ疑惑を立ててたんかーい……。
ある意味、見る目があるが、ご勘弁願いたい……。
しばらくして、私が、貴族同士の交流ができていないことが、父にバレた。
それならば、せめて、王都の土地勘を身に付けておけという父の命で、辻馬車に偽装した侯爵家の馬車で、王都の外れの山村へ向かうことになった。護衛とダミーを兼ねて、侯爵家の若手使用人も一緒だ。
「はあ……。貴族同士で腹を探り合いするどころか、腹の探り合いにも入れてもらえない……」
全く貴族社会に馴染めていない現状に、溜め息が出た。
タウンハウスの執事に聞くと、有力貴族は、もっと幼い年頃から顔を合わせ、交流を深めているらしい。十三歳での参戦で出遅れとか、貴族の皆様も幼い頃から大変ね……。でも、私、そもそも見た目で警戒されているし、早くから参戦したとしても、意味はなかったのかな……。
詮無いことを考えていると、エマがとびきりの笑顔で、優しく言った。
「イザベラ様には私がついております。それに、小物同士の腹の探り合いとか、イザベラ様の能力をそんな卑小なところにお使いになることはありませんわ」
「ありがとう。エマ、大好き。うう、でも、収穫なしってお父様に何を言われるか……」
「どこか適当な高位貴族の家にでも忍び込んで、裏話の十個やニ十個なら、持って帰りましょうか?」
「いいのよ! そういう危険を冒さなくても……!」
エマが言うと冗談に聞こえないとか、裏話の個数の単位がおかしいとか、どこから突っ込もうかと思っていると、侯爵家の若手も声を上げた。
「アルダー伯爵家の大奥様の秘密なら、僕、知っているよ」
「私め、リンドール侯爵家の跡取り息子の不祥事なら握っております」
「そんなことを言うなら、オレだって、王家の秘密を……」
「馬鹿者! それはイザベラ様に言ってはいけないことだろう……!」
そして、馬車に一緒に乗っている侯爵家の面々による、恐ろしい暴露大会が始まった。つつくと蛇が出そうなので、突っ込まないことにしよう……。
ワー、皆、冗談が得意だなあ。
さて、王都は北辺を『暗黒の森』と呼ばれる森林地帯に接している。『暗黒の森』と呼ばれる所以は、手入れがされずに木々が混み合って生えているため、日光が入らないからで、更に、日光が差し込まないことで、根を張る草も生えないので、土を留めることができない。このため、雨が降ると簡単に山崩れを起こす。
実は、この『暗黒の森』を通れれば、アームストロング侯爵領が接する隣国への近道になるのだが、何せ足場が悪いので、誰も通っておらず、自然的国境になっていた。
とはいえ、アームストロング侯爵領以外で、この国で隣国と接しているのは、この『暗黒の森』だけなので、一度は見ておくように、というのが父の命だった。『暗黒の森』に接した王都の一番外れの村が最終目的地で、それで今日の遠足は終了だ。
もう少しで、『暗黒の森』に接する村に到着するという時になって、村からつんざくような悲鳴が聞こえた。
馬車の中に緊張が走り、皆でこっそり様子を窺うと、殺気立ち、武装した黒髪に黒目の集団が、悲鳴を上げる金色や茶色の髪をした、村の住民と思われる人々を引き摺っているのが見えた。
黒髪に黒目の集団は、隣国の人間だろうか。一目で、誘拐だと分かるものだった。
エマは、一瞬だけ私に目を移すと、ぽつりと言った。
「……私、イザベラ様の引きの強さが恐ろしくなってきました」
「ちょっと、私のせいにしないでよ!」
どうすべきかと蒼褪めながら考えていると、すぐに、落ち着きがあり、よく通るエマの声が、凛と響いた。
「総員配置に! 民間人の保護と救援を呼ぶ人間に分かれます。この場の制圧後、ヒューゴ、カイル、ジェーンは村に残された民間人の保護を、イザベラ様、エンリケ、私で、この場の人質と共に、この馬車を使って王都中心部まで救援を求めに行きます」
エマの指示を受け、侯爵家の人間がさっと武器を取り、馬車から飛び出した。戦闘のため、動きながら、エマが引き続き、指示を出す。
「イザベラ様は、狼煙を上げ、異変の第一報を王都に向けて発してください。この場の戦闘には可能な限り参加せず、人質の避難誘導と自らの身を守ることを優先で」
エマの指示を聞き、私は馬車から藁束を取り出し、戦闘から離れ、比較的、安全な場所を見つけ、火をつけた。
狼煙が上がったことに気付き、焦ったように、黒髪に黒目の兵士らが私のところに来ようとするが、エマら侯爵家の人間に阻まれ、それは叶わず、次々と倒されていく。
黒髪に黒目の兵士の数は多いが、動きがぎこちない。黒い森を通った強行軍の疲れが、残っているのかもしれなかった。
やがて、人質になっていた人達が、私の方へ逃げて来たので、馬車へ誘導しようとした。しかし、村の人達は、私を見て、戸惑い、足を止めた。人によっては、恐怖の表情を浮かべている。
どうしたのだろうかと思いながら、声を掛けた。
「馬車に乗って、王都の中心に救援を呼びに行きます! まずは乗ってください!」
しかし、返ってきたのは、反発の声だった。
「何を企んでいる!」
「俺達を捕まえてどうする気だ!」
村の人達の疑心と憎悪の籠ったその声を聴いて、ハッとした。私の髪と目の色が、攻めてきた人間と一緒だから、私のことを味方と信じていいのか分からないのだ。
「落ち着いて。私は味方です。馬車に乗って、王都中心部に救援を迎えに行きます」
説得を試みたものの、村の人達は信じられないようで、何やら不穏な相談を始めた。
「女は一人だ」
「馬車を奪うか……」
男性二人が、武器を持って、私に攻撃してきた。
これでも体術は叩き込まれていたので、民間人の制圧くらいはできる。傷付けないよう、気を失わせたが、私があっという間に男性二人を倒した恐怖のあまりか、数人の子供が、エマら侯爵家の人間と黒髪に黒目の兵士が交戦している方向に向かって、逆走した。
エマ達に押され、劣勢だった黒髪に黒目の兵士が、村の子供達が駆けてきたのに気付いた。兵士達の中でも特に大柄で、他よりも立派な装備をつけた男が、人質にできると思ったのか、ニヤリと笑うと、猛然と子供達のいる方向に走ってきた。
「待ちなさい! そっちは危険よ!!」
慌てて子供達の方に駆けて行き、走ってきた大男に向かって、ドレスに仕込んでいたナイフを投げた。
腕にナイフが刺さった大男が逆上して、大きな剣を抜いて、私に言った。
「女、何しやがる!!」
私に向かって来た大男を見て、すぐに、マズいことになったと察知した。体術を叩きこまれ、暗器の使用ができるといっても、争いを生業にしていない人間の制圧が可能なだけで、こんな大男に力勝負で勝てるはずがない。
「子供達、こっちは危険だから、馬車に向かって! 早く!! エマーーッ!!!」
大男が近付いて来たので、スカートの中に隠していたダガーを取り出した。私にできるのは、時間稼ぎくらいしかない。私はこの世界の悪役令嬢だし、まだ死なないはずだ。多分。
距離を空けつつ、大きな剣の直撃を食らわないよう、ダガーを身の前に持つ。数回は避けたものの、追い詰められ、ダガーを弾き飛ばされた。
嫌な笑みを浮かべた大男がゆっくり近づいてきて、大きな剣を振りかざした。私は周囲の様子をそっと窺った。そしてすぐに、大きな剣が私に近付き、左肩に斬りつけられた痛みが走った。
「グアアアアッ」
しかし、悲鳴を上げ、血を大量に噴き出したのは、大男の方だった。エマが、大男の真後ろから、敵の兵士から奪った剣で貫いたのだった。
動けなくなった大男を押しのけると、エマが青ざめた顔で駆け寄ってきた。隣国の兵士達は、大男が一太刀で倒されたのを見て、戦意喪失したらしく、後退していく。
「イザベラ様! 大丈夫ですか……?!」
「ありがとう……。エマが飛んできてくれたのが見えたから、何とかなるって思ったよ」
「自分自身が囮になるとか何事ですか! 私を過信せず、ご自身の安全をちゃんと確保してください!!」
エマは、左肩からの出血が止まらない私を横抱きにして、馬車へ向かった。途中で私を見て逃げようとした村の人たちを見つけ、殺意の籠った目で睨みつけ、大男を貫き、血が付いた剣の切っ先を向けながら言った。
「お前ら、そんなにイザベラ様に助けられるのが嫌だったか? そんなに嫌なら、この場に捨て置こうか?」
こんなに怒っているエマは初めて見た。ちょっと怖い。でも、彼らを捨て置かれると、ちょっと私が怪我した甲斐がないっていうか。それは勘弁願いたい。
「エマ、彼らは悪くないのよ」
アームストロング侯爵家の領地は、隣国と接しているので、少数派であっても、隣国の人間の血を引いた黒目に黒髪の人間が、普通に生活している。更に、侯爵家の人間が、私をごく普通に扱うので、この場で敵と間違えられる可能性があることを失念していた。あと、前世で黒髪と黒目に囲まれて生活していたのも、認識が甘くなった理由になったかもしれないな……。
「イザベラ様は甘過ぎます!」
「エマ、まあまあ、落ち着いて。さあ、皆さん、いつまた敵が戻ってくるか分からないわ。早く馬車に乗って。こっちは王都の中心部へ向かう道でしょう。大丈夫だから」
簡単に止血をしていると、やがて、侯爵家のエンリケが戻ってきて、馬車を動かしてくれたので、皆で王都の中心へと向かった。
憤怒の表情で村の人達を睨みつけるエマと、恐怖で顔を青くしている村の人達と一緒に乗る馬車は、大変、居心地が悪かった。
死ぬほどではないと分かっていたが、肩の傷は痛く、倒れこんでしまいたかったが、エマと村の人達の間にいざこざが起こらないかが心配で、道中は必死で目を開けていた。
こんなわけなので、狼煙を見てやってきた王都の騎士団に合流できた瞬間、私はほっとして気を失ってしまった。
気を失った後、ドレスにべっとり流血の痕があったこともあり、私は瀕死の重体と思われ、一同大騒ぎになってしまったらしい……。