13歳(エマ・ウィズダム 13歳)
イザベラ様にお仕えして、五年が経った。
私の想像など、イザベラ様は、軽く超えるお方だった。
まずは、求められれば、来るもの拒まずの姿勢で、侯爵領内の孤児院、救護院を改善していった。依頼があれば、領地の端だって飛んでいき、必要なものを調べ、手配し、きちんと運用されているかを監督した。
しかし、エリック様や私がお手伝いするとはいえ、侯爵領中の施設を一人で監督するとなると、いくらイザベラ様といえども、多忙が過ぎた。
心配になったので、身辺調査でも問題なく、実務に長けていそうなソフィア様に業務を託してもらえないかと、イザベラ様にちょっとした誘導をしたところ、イザベラ様とソフィア様にうまく乗っていただけたので、ほっとした。
イザベラ様とソフィア様が、イザベラ財団なるものを立ち上げたのは予想外だったけれど。
イザベラ様の周りは、予想外で溢れている。
イザベラ財団は、アームストロング侯爵家領内の孤児院、救護院などの福祉施設の運営の健全化のための資産援助、アームストロング侯爵家と領内の福祉施設の調整を行うことを目的として、設立された。
設立されるとすぐに、まずは、施設の必要物資の共同調達により、必要なものを適正な価格で仕入れるという実利を上げた。
その後、ソフィア様の奮闘により、領内に留まらない福祉施設の経営助言業務、育成した孤児院・救護院出身の人間の人材派遣業務を行うようになった。更に、教育や看護の研修を各方面に実施したり、救護院に薬学の研究施設や機能回復の訓練所を作ったりして、教育・研究分野にも力を注いだ。
こうした経験を活かし、今では、福祉の向上に資すると判断した事業への投資を行うようにまでなった。
イザベラ財団は、豊富な資金力を持つ上、名誉理事長がイザベラ様、理事長がソフィア様で、トップ二人が女性というこの国では珍しい組織であるため、国中から事業を行いたい意欲ある女性が集まり、活気に満ちている。
国で、女性が男性と遜色なく働ける唯一と言っていい、イザベラ財団への就職は超難関で、希望する人全員が、就職できるわけではないが、イザベラ財団が育つ下地になったアームストロング侯爵領に期待し、国中から多くの女性が集まり、アームストロング侯爵家の屋敷がある、侯爵領の中心都市で働くようにもなった。
もともと侯爵領には、私達、『影』の存在がいることに加え、国境沿いという立地から王家からの特別な許可を受け、アームストロング家お抱えの騎士団、兵団は、他の領地に比べて、質量ともに圧倒していた。このため、アームストロング侯爵家領の治安は、この国の中でトップクラスというのも、多くの女性を受け入れる下地となった。
最近では、そうした開放的な雰囲気に惹かれる男性も集まってきている。良く言えば質実剛健、悪く言えば保守的で地味だったアームストロング侯爵領は変わりつつある。
そして、ソフィア様の指導力、思い切った事業を行うのに十分な資金、挑戦の意欲を持った有能な人材、更に、イザベラ様を慕う領土中の人々の支持を集める財団の事業はますます拡大し、確実に、新進気鋭の国内トップクラスの巨大な事業集団への道を歩んでいる。
とはいえ、こうして将来性のある財団の生みの親になったイザベラ様は、それをひけらかすこともなく、「ソフィア様も皆も、本当にすごいわね……」なんて、ただ感服したように言っている。
そんなイザベラ様は、最近、この領土の国境沿いの警備の充実にご熱心だ。
確かに国境で小競り合いはあったが、父と私で隣国の皇宮での情勢を収集したところ、皇帝派と宰相派と王太后派で皇宮が分断されていて、この国に攻め入る余力なんてないという結論だった。
なのに、イザベラ様は、何故か、戦争が起こることを確信しているように急いでいる。
イザベラ様は、何をそんなに急いでいらっしゃるのだろうか。お優しい方だから、小競り合いの際、騎士や兵士達が傷ついたのに、心を痛められたのだろうか。
ここ何十年も隣国からの侵攻はなく、国境での小競り合いでも、この国が危なげなく勝利を収めたため、領内でも、イザベラ様の危機感を共有している人間がいるとは言い難い。しかし、領内で評判の侯爵家令嬢から、熱心に話を聞かれた兵士達も、巡回を受けた各村の人々も、イザベラ様が言うならば、と国境沿いの警備の強化に快く協力している。
人たらしというのは、こういう人を言うのだろうな。私も魅了された人間の一人だけど……。
そういえば、同じく、イザベラ様に魅了されたと思われるエリック様の様子が、最近少しおかしい。
今までイザベラ様を見つめる視線には、母を慕う子のような、たっぷり詰め込まれた敬愛以上の感情は見られなかった。
しかし、最近はそれ以外の感情も向けられているような気がする。それは執着とか嫉妬とかとにかく愛憎入り混じった仄暗いもののようだった。
エリック様は仕えるべき『主』として昔から認識していたが、私からすると、もともと遠い存在だと思っていたし、個人を知ったときには、骨肉の争いから逃げ出してきた、弱くて庇護すべき少年だった。
エリック様の感情に変化があったとして、私はどうすべきなのだろうか。
イザベラ様への敬愛が変わらない以上、エリック様がイザベラ様を害することなどありえないだろう。そもそも何もされていないというのに、『主』であるエリック様に何かを働きかけるなど畏れ多い。
静観が正しいのだろうとは思うが、それにしては重い視線を向けられるエリック様のことは気がかりだ。
いつも、このことについては考えても堂々巡りで、様子見という結論にしかならない。思わず溜め息が出た。
イザベラ様は、勿論、何にも気付いていない。いっそ羨ましい。