7話
「さてさて。勘違いしてほしくないのじゃが、わしは説教をしたくてここにお主らを連れてきたわけではない」
俺と炎也は隣り合わせで扉の前に直立不動で立っている。体は指一つ動かすことができない。マヒロさんは説教するつもりじゃないというけれど、これは確実に怒られる奴だよね。炎也も同じことを考えているはず。
「ただ、けじめはつけねばならんのじゃ。周りへの示しとして、のお」
マヒロさんは理事長室の机の中をごそごそと漁って何かを手に取る。あれは、ハンコかな?
「これは『呪具』の一つでのお。お主らに罰を与えるものなのじゃよ。このハンコを一度押したら、もう一度わしが押すまでお主らには『制限』がかかるのじゃ。と、口で言うより試してみるかの」
マヒロさんは説明しながら近づいてきて、炎也の額にハンコを押し付ける。な、なにをされたんだ?
「ふむ、これで良しじゃ。お主には『優等生組』に出入りできないようにしたぞ」
「えええええ!!」
炎也の叫び声が理事長室に響き渡る。その悲痛な叫びも当然だ。炎也は優等生組に憧れていて、そこで授業を受けようとしていた。憧れの優等生な妖怪たちと恐ろしい妖怪になるために勉強しようとしていたのにこの制限はキツイだろう。
「なんでなんで!!」
駄々をこねる炎也。諭すというわけでもないだろうが、マヒロさんは落ち着いた声で炎也に正論をぶつける。
「いや、お主の理想と違う優等生組の妖怪が襲われ続けたら困るからのお」
「......」
ぐうの音も出ない正論とはこのことだろうか。炎也も反論できずに黙りこくってしまう。まあ、言い返せないよなあ。
「さて、これで炎也への罰は終わりじゃ。次にお主の制限じゃ」
マヒロさんが俺の前にやってきて、ひょこっと背伸びをする。そしてギリギリ届いた俺の額にハンコをぺたんと押す。特に痛いとかはない。本当にただ額にハンコを押し付けられた感覚。これで科学じゃ証明できないことが起きるというのだから不思議だ。
「えっと、俺は何を制限されたんですか?」
「うむ。お主の趣味が一つ出来なくなった。まあお主は言ってしまえば襲われただけじゃしのお」
「趣味......っていうと、色々あるんですけれど」
「そう。お主に趣味が複数あるからこそ『一つだけ』趣味が出来ないようになったのじゃ。すべての趣味を制限するのはあまりに大きい罰じゃからのお」
ふむふむ。まあ我ながら多趣味な方ではあると思うので、その中の一つが制限されてもあまり困らない。あ、音楽鑑賞とかは制限されると困るかな。仕事中はいつも音楽を聴いているし。
「えっと、何が制限されたかって分からないんですか?」
「それは分からんのお。まあ家に帰って確かめてみるんじゃな。さて、炎也は自分の教室に戻れ。やることがあるじゃろう。照光は自分の教室に戻らないでそのまま帰宅して大丈夫じゃ」
炎也は帰っちゃダメなのに俺は帰っていいというのは少し疑問だけれど、一先ずはここで解散というわけか。
マヒロさんが何かを呟くと、ふっと体を動かすことができるようになる。俺たちにかけていた妖術を解除したのだろう。
「学長!」
大分疲れたしやることもないのなら帰ろう、そう思って足を動かそうとすると、炎也がマヒロさんに飛びつく。どうしたんだろう?
「なんとか、何とかこの『制限』を解除できないですか!」
炎也にとっては本当に死活問題なのだろう。誇張ではなく、本当に泣きじゃくりながらマヒロさんに縋りつく。大分追い詰められているようだ。
縋りつかれたマヒロさんは苦笑いしながら炎也を慰める。
「まあ落ち着け。よいか? 先ほども言った通り、もう一度わしがこのハンコを押せばお主らにかけられた制限はなくなるのじゃ」
「それじゃあもう一度押してください!」
「そう簡単には押せん。ほれ、額に付けられた印を見るのじゃ」
マヒロさんがどこからか取り出した手鏡を炎也に見せる。俺も少し気になって、横から鏡を覗き込むと、額の印が確認できた。
『封』という漢字一文字が〇で囲まれている。そしてその〇の円周には三つの〇がある。ちょっとわかりにくい説明だけれど、時計で言えば十二時、四時、八時の位置に〇がある。結構シンプルな模様だなあ。
「ほれ、この三つの〇に注目するのじゃ。他の妖怪がここに妖力を込めることによって模様が浮き上がる。ここまで言えば分かるな?」
「他の妖怪に頼んで、この三か所の〇に模様を浮き上がらせることができればもう一度ハンコを押してもらえるということですね!?」
「その通りじゃ」
それを確認した炎也は立ち上がって理事長室から一瞬で出ていく。
「誰かあああああああ!」
「「......」」
あの様子だと、誰かに懇願してすぐに制限を解いてもらうみたいだ。まあ、優しい妖怪がいたらすぐに終わるだろう。
「さて、照光。初日から災難が続くのう」
「まったくですよ。回避できた災難もあった気がするんですけれどね」
文句を言っていても仕方がない。俺ものんびりと『制限』を解除しながら妖怪学校の潜入を頑張っていこう。仕事もあるんだし、あんまり疲れるようなことがなければオッケーだ。
「明日から本格的に授業などが始まるが......くれぐれも人間だとバレないように注意するのじゃぞ?」
「俺も食べられたくはないんで大丈夫ですよ。それではこの辺で」
ぺこりと礼をして理事長室を後にする。まあ俺も大人だ。どんな状況だろうと落ち着くという心構えは人生で培ってきたつもり。焦っても仕方がない、一つ一つ終わらせていこう。
さて、妖怪学校を後にして、来た道をなんとなく歩いて人目(妖怪目?)につかないところまで来たところでタイトに声を掛ける。
「タイト、もう出てきてよ」
「おお、そうじゃの。ふいー、カバンの中は窮屈で仕方がないのお」
カバンのジッパーを開けると、カバンから首だけをひょっこりと出すタイト。こうしてみると木彫りの熊ということも相まってペットみたいで可愛い。
「とりあえず色々言いたいことはあるけれど。一先ず俺はどうやったら家に帰れるの?」
「明日からは別の方法で帰宅できるが、今日だけは妖術を使う必要があるのじゃ。教えた通りに印を組んで、『橋』と唱えるのじゃ」
というわけで印を教えてもらうのだけれど......お、多い。十個以上の印の数だ。
「異界への出入りをするための術じゃし。正直、知っておる妖怪なぞ数えるほどしかおらんぞ」
「そんなものかあ」
さて、印を組み終わって言われた通りに『橋』と唱えると、目の前の空間が歪む。夏に見ることができる蜃気楼をグッと強くした感じ。ここに入ればいいのかな。
蜃気楼の中に足を踏み入れると、視界が一瞬暗くなって......次の瞬間、俺の家が目の前に現れる。おお、とんでもない技術。
空の色は青く、鳥の鳴き声や風に揺れる木々のざわめきが聞こえてくる。日はまだ高いけれど、時間を確認すれば異界にいた時間はちゃんと過ぎていることが分かる。どうやら異界にいっている間も時間は流れるようだ。
まあ色々なことがあったけれど。人間界に戻ってきたら人間として頑張らないとね。
「さてさて、とりあえず仕事しますか」
グーっと伸びをして仕事部屋へと向かう。さて、どこまで進めてたかなー?
作ったばかりの仕事部屋に入り、適当な場所にカバンを置いて机の前にどっかりと座る。そうだそうだ、ここまで描いたんだったね。
ペン立ての中のペンを手に取って、コマ割りだけしてある紙に下書きをしようと紙にペンを落とすーーー瞬間、
「!? いで!」
ぐるんと腕が後ろに引っ張られる。その衝撃に耐えられず、椅子ごと後ろに倒れ込む。えーっと。えーっと?
しばらくペンを握った腕が動かなかったと思えば、突然腕が動くようになる。それでも体を動かさずにぼーっと考える。
......こ、これって。
「あああああああああ!!」
理解した瞬間に叫び声が勝手に口から飛び出す。まずいまずいまずい!
「なんじゃなんじゃ騒がしい」
とことこと木彫りの熊のくせに二足歩行でやって来るタイト。いてもたってもいられず、タイトに飛びついてどうしようもない感情をぶつける。
「タイトのせいで炎也を上手くいなせなくてそのせいで罰を食らって制限された趣味が仕事でこのままだとあの両親のところに戻らなくちゃいけなくてああああああああああ!!!!」
「落ち着け落ち着け落ち着け!」
どんな状況だろうと落ち着く心構えは持っているつもりだけれど、そうは言っていられない状況もある。そんな教訓を得た俺は、ひとしきり落ち着くまで叫び回るのだった。
無理なものは無理だよね。