3話
そんな思考を中断するように、バアン! とロッジの扉が勢いよく開く。
「!?」
な、なんだなんだ? 女性に釘付けだった視線が反射的にロッジの方へ向く。そこには、筋骨隆々な男が立っていた。
「さて、やってしまいなさい」
「かしこまりました、お嬢様」
「え”」
男が一歩こちらに足を進める。あの、
「私のものにするって、物理的に?」
「ええ。私の邪魔をする奴は一人でも少ない方がいいし、妖術の練習台になるやつは一人でも多い方がいいです」
「邪魔って、まだ何もしてないし、これからなにかするつもりもないけど」
「いるだけで邪魔なんですよ」
随分な物言いだ。ただ、黙ってこちらも捕まるわけにはいかない。逃げ出すべきだろう。逃げ出すべきなんだけれど、
「ここ、どこ?」
森の中だということは分かるけれど、逆に言えばそれしか分からない。自分たちがいた世界とは違う異界での土地勘なんて当然ない。つまり、逃げるべき方角が分からない。
その場で動くこともできずにもたもたしている間にも男が迫ってくる。や、やばい。
「......お前、金の匂いがする」
ジリジリと後ずさりをしていると、背中が何かにぶつかる。バッと振り返ると俺と同じ学生服を着た人が立っていた。
背はすらりと高く、細身。ツンツンと跳ねている短い茶髪と怠そうな目つきが特徴的だ。加えて、黒い手ぬぐいを口元に巻いているのも特徴的。表情が見えないようにしているのだろうか?
「助けてほしいか? 有料だが」
「え、う、うん」
なんでこんなところに? という疑問は当然浮かんでいるけれど、それよりもまずはここを脱出して落ち着いて話をしたい。
そんなわけで男に助けを求めると、男の背中から大きな黒い翼が生える。思わず男から距離を取ってしまう。やっぱり人間じゃないんだ。
「飛ぶぞ」
「うわ!」
そんな風に驚いている俺の腕を掴んで空に飛びあがる男。当然掴まれている俺も空へと引っ張られる。
「ま、待ちなさい!」
すると、女が俺たちを逃がさないためか、俺の腰に抱き着いてくる。が、関係なく男は高度をあげていく。
「お、重くない?」
俺だけ飛び立つつもりが女まで飛び立ってしまう。それを両腕だけで支えて飛行しているのだ、相当辛いはずだけど、
「問題ない」
事もなげに答える男。よかった、これなら途中で落ちてしまう心配はなさそうだ。
そんな風にホッとしている俺と余裕な男。一方で一緒に空へと舞い上がった女は、
「い、いや! 下ろして、下ろしてください!」
どうやら高いところが苦手なようで、青い顔で叫び続けている。先ほどまで俺を狙っていたという事実は変わらないものの、流石にかわいそうだ。
でも俺の両手は男が掴んでいて支えてあげることができない。何とかしがみついた腕の力を緩めないで到着を待ってほしいところだ。
「あのー、とりあえず大丈夫みたいだよ」
「大丈夫なわけないじゃないですか! この高さですよ!?」
「いや、落ちても大丈夫ってことじゃなくて、そもそも落ちないから大丈夫という意味で」
「飛んでるその人が言うならまだしも、あなたが言っても何にもならないですよ!」
「まさにこの人が言ってるんだけど」
「......やかましい」
男は誰に言うでもなくボソッと呟く。俺は怒涛の展開に手も足も出せず、女の人に励ましの声を掛けながら赤い空を飛んでいくのだった。
「ありがとう。おかげで助かったよ」
シーンとしている校門前。いよいよ妖怪学校『奇々怪々』にたどり着いたようだ。男が俺と女性を下ろす。女性は叫んでいたのもあって相当疲れたようだ、その場に座り込む。だ、大丈夫かな?
ただ、ここまで来るのに相当時間がかかってしまったようだ。というか、出発する時間が遅かったのだろう、学校の周りには誰もいない。
「えっと、それじゃあ行こうか」
「待て」
とりあえず、ここでじっとしていてもどうしようもない。どこに行けばいいか誰かに聞こうと思い足を動かすと、男に腕をグイとつかまれる。
「な、なに?」
「......ん」
俺が振り返ると、男が俺に向かって手を突き出していた。えっと?
「助けてやった駄賃を寄越せ」
「あー。そういえば有料って言ってたな」
危ないところを助けてもらったのだ、お金を払うことに抵抗はない。俺はカバンの中を漁って財布を取り出す。......ん? 命を助けてもらった時の相場っていくらだ? というか、俺が持っているお金って異界でも通じるのか?
「......えっと」
色々困惑しながらも、とりあえず、千円札を一枚取り出して渡す。
「......」
ドキドキしながら男の反応を見守る。男は黙って胸元から財布を取り出して、千円札をしまう。よ、よかったみたいだ。
ホッと胸をなでおろしていると、男が五百円玉を差し出してくる。ん?
「釣りだ。空を飛んだだけだからな、千円は少し高い」
「い、いやいやいいよ。君がいなかったら相当危なかったし」
というか、空を飛んで人を運ぶのってそんなに安いのだろうか? いいや、安くない。
「それと、女。貴様もここまで連れてきたのだ、金を払え」
俺が心の中で自問自答しながら受け取りかねていると、男が女の人に手を伸ばす。女性は座りながらため息をついて答える。
「まあいいでしょう。ちょっと待ってください......って、あ」
そこで女の人はカバンを持ってくるのを忘れたことに気づいたようだ。顔を青くしながら慌てだす。
「え、ええと、その。ご、後日じゃダメですか?」
「......貴様が後日金を払う保証がない。ただでさえこいつを襲っていたのだからな」
「それはそれです。また後日払うので」
「駄目だ」
ここで押し問答が始まってしまった。こうしている間にも時間は過ぎて行ってしまう。かといって、二人をここに置いていくわけにもいかない。
「それじゃあ俺が代わりに払うよ。さっきのお釣りの五百円、この人が払ったってことでいい?」
「え?」
「......俺は金がもらえればそれでいい。いいんだな?」
女性と俺両方に尋ねる男。言い出しっぺの俺はもちろん問題なし。そして女性はというと、
「......あ、ありがとうございます」
受け入れてくれたようだ。よかったよかった。
ある程度落ち着いたところでそろそろ行こうか、って、行き先が分からないんだった。
「えっと、どこに行けばいいのか分かる?」
とりあえず、その場にいる二人に尋ねてみると、二人とも頷く。
「新入生は体育館で入学式のはずだ」
「そうですね。大分時間は過ぎていますけれど、他に行くところも分からないので体育館に行きましょう」
「了解」
三人で体育館へ向かう。もちろん俺は場所が分からないので二人に先導してもらう。
「えっと、とりあえず自己紹介でもしようか。俺は二月照光。君たちは?」
ここであったのも何かの縁。自分の名前を名乗ってから二人の名前を尋ねる。
「俺は土田銭助だ」
「私は七井霞です」
名前だけ言い放つ二人。なんというか、最低限の挨拶という感じであまり関わることもないだろうという考えがひしひし伝わる。
まあ無理して仲良くなる必要もないか。俺もそんなに長居するわけじゃないみたいだし、変な思い入れが出来ても厄介かもしれない。
ちょっと居心地が悪い雰囲気の中、黙々と足を進める。数分間歩くと、体育館と思わしき建物にたどり着く。壇上で誰かが話してるのだろう、体育館の外にマイク越しの声が漏れている。
「ーーーつまり、君たちに求めているものは妖怪としての『本能』でありーーー」
「さて、それじゃあお邪魔しまーす。遅刻してすみません」
小声で謝りながら体育館の入り口から三人でこっそりと入る。壇上にいる女性の話を聞いている生徒たち。おお、入学式って感じだ。もう入学式なんて何年も前で覚えていないけれど、こんな感じだった気がする。
さて、思い出に浸っている場合じゃない。俺たちはどこに行けばいいんだろう? きょろきょろと辺りを見回していると、入り口のすぐそばに立っていた男性に声を掛けられる。
「ん? 君たちは、遅刻しちゃった生徒か。名前を言ってもらってもいいかい?」
言いながら男性が手元の書類を開く。生徒の名簿かな?
「はい。えっと、二月照光と土田銭助と七井霞です」
とりあえず俺が代表して全員の名前を伝える。すると男性は書類にペンで何かを書き込みながら答える。
「ふむふむ。クラス発表はまだだから適当なところに合流して、って言いたいところなんだけど」
「? なにか?」
それでいいんじゃないの? そう考えた俺が首を傾げると、男性が壇上にちらりと視線を飛ばす。
「ーーー以上」
「この通り、理事長のお話が終わったから。これで入学式はお終い。あとは校舎の中に所属クラスを書いた紙が貼ってあるから、それを確認して自分のクラスに行くこと」
「分かりました」
その後司会の女性が入学式の終わりを告げると、学生たちが一斉に移動を開始する。その波に逆らわずに俺も移動をしようとすると、体育館内に呼びかけがかかる。
「えー、新入生の二月照光君、二月照光君。クラス確認の前に理事長室にくること。繰り返しますーーー」
「えーっと。すみません、理事長室って」
男性に理事長室の場所を教えてもらい、銭助君と霞さんに軽く挨拶をして体育館を後にする。結局、俺は何をすればいいんだろうか。
しばらく歩くと、一気に学生たちの喧騒が遠ざかる。というかそれって当然だよなあ。新入生が行く場所に理事長室なんて含まれているわけがないし。
「それにしても、みんな人間にしか見えなかったな」
『妖怪とはそういうものなのじゃ』
俺の独り言に反応してタイトが頭に直接返事をする。これにも慣れてきた。
それより気になるのが。
「そういうものって。妖怪って動物の姿なんじゃないの?」
『それは本能を開放したときの姿じゃ。普段は人型なんじゃよ』
「なんで?」
『その方が活動しやすいんじゃよ』
へえ。人間の体って意外と便利なのかもしれないなあ。
「って、タイトとハルは本能を開放しているの?」
『わしらはまあ、変装じゃな。妖術で姿を変えているのじゃよ』
「なんでそんなこと」
『それは今はどうでもいい話じゃ。ところで、理事長室にはまだ着かんのか?』
と、タイトに問われたところでタイミングよく理事長室にたどり着く。そういえば、俺はなんで理事長に呼び出されたんだ?
......少し理事長室の扉の前で考えるけれど心当たりがない。聞いてみれば分かることか。
人間をわざわざ呼んだ理由は?