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いつか神を殺すまで  作者: 宮浦 玖
第四章「退魔の『協会』」
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終幕 始まりの場所へ



 雪代紗々は夢を見た。


「ママはね。おばあちゃんと喧嘩しちゃったの」


 まだ母も父も生きていた頃の幸福な記憶の夢。


「私にはどうして、おじいちゃんやおばあちゃんがいないのか」と訪ねた時の記憶だ。

 たしか、敬老の日だったかで作文を書くとかそういう宿題が小学校から出されたのだ。だが雪代は生まれてから一度も自分の祖父母という存在を意識すること無く生きてきた。

 クラスメイトから聞かされる優しいおじいちゃんやおばあちゃんの話を聞いて、少しだけ羨ましい気持ちになったのもあっただろう。

 幼い娘の質問に母は少し困った顔を浮かべてから、先ほどの答えを返した。

 喧嘩をしたからもう会えないのだと。


「なんで喧嘩したの?」

「ママがルールを破ったから、おばあちゃんが怒ったの」

「うそっ!」


 雪代は驚いた。

 彼女にとって母はいつも穏やかでどちらかと言えば気弱なイメージがあった。ホラーも虫も全くダメだし、危ないことには決して近づこうとしない人だった。

 だから、雪代はそんな母がルールを破り、誰かと喧嘩するなどと言うのは全く想像ができなかったのだ。


「ママが悪いことをしたの?」

「…………そうね、うん。ママはとても悪いことをしたわ」


 幼いが故に残酷な問いかけを、母は真正面から受け止めた。

 しかし、その表情は不思議と穏やかで、彼女は優しく愛娘に微笑みかけていた。


「でもね、私はルールを破ったからパパと結婚できたの。そして、サーシャ、あなたと会えたの」


 母はそう言って、娘を膝の上に乗せて抱きしめる。


「ママは良いことも、悪いことも全部自分で決めたことだから……後悔してない」

「なんか難しい」


 学校でさんざん「悪いことはいけません」と教えられている雪代には母の言い分はイマイチ納得がいかない。


「そうね、サーシャがもう少し大きくなったらわかると思うから、今日、ママとお話したことをちゃんと覚えておいてね」

「はーい」


 母に頭を撫でられて眠くなった幼い雪代は生返事を返して母の腕の中で意識を手放した。



「神崎さんが目を覚ましましたよ」


 雪代の病室を訪れてきた立花は開口一番にそう告げる。


「それくらいの内容なら直接言いに来なくてもいいでしょう。っていうか、立花さん私より重傷なのに動き回って大丈夫なんですか?」


 軽い打撲程度で済んだ雪代と違い、立花は数か所の骨折による全治数か月の重傷のはずだった。

 だというのに、雪代は協会の直営する病院の個室で軟禁状態。対して立花は炭村の一件の事後処理や協会の立て直しに奔走している。普通は逆だ。


「仕方ないでしょう。支部長や退魔課の他の課長は出張らっていて、今東京にいる人間で一番の上役は僕なんですから」

「言ってくれれば何でも手伝いますよ」

「流石に神崎さんの事後処理を紗々ちゃんにはさせられないですねぇ。紗々ちゃん、嘘つくかもしれないので」

「うっ……」


 虚偽申告の件を突かれるともう雪代は何も言えなくなってしまう。

 というか、深夜だけでなく炭村の襲撃も元を正せば雪代が原因のようなものだということを考えれば今の軟禁状態も当然と言えるだろう。


「……おや、せっかく教えてあげたのに、今すぐ神崎さんに会いに行ったりしないんです?」

「しませんよ。っていうか目覚めた直後にドタバタと来られても迷惑でしょ」

「紗々ちゃん、意外とアピール控えめなタイプですか? それだと今のご時世、婚期逃しますよ」

「セクハラで訴えますよ」

「残念ながら協会は非合法組織なのでハラスメントは成立しません」


 ジト目で睨みを聞かせて言うが、立花はどこ吹く風だ。


――本当にこの人は真面目なんだかふざけているんだか……――


 気づけばもう十年近い付き合いだが、それでもこの上司との上手い付き合い方が分からず雪代は頭を抱える。


「冗談に付き合ってくれるくらい元気なら大丈夫ですね。炭村の件も吹っ切れたみたいですし」

「ええ。自分が招いた事態です、後悔なんてしている暇はありません。もちろん、反省はしてますが……」

「真面目ですねぇ。アレ別に紗々ちゃんが反省することも特にないんですけど」


 立花はあまりにもあっさりと言うので雪代は眉を顰める。


「いや、流石に炭村さんを見逃すようにお願いしたのは私なんですから……」

「紗々ちゃん。あの日が初仕事のド新人の意見なんて普通に考えてそのまま上層部の決定に影響を及ぼすわけないでしょ?」

「…………はい?」

「いや、だから。情状酌量の余地ありということで炭村を釈放するように決めたのは協会の上層部で、紗々ちゃんのお願いは何も関係ありませんよ」

「はぁああ!?」


 雪代は時間も場所も気にせずに叫ぶ。

 幸い、防音が行き届いているのかクレームが飛んでくることはなかった。


「あの、すいません! 私、割と真剣に悩んだんですが!? なんで当時にソレを教えてくれないんですか!」

「新人の意見は聞き流されますよ。なんてわざわざ言ったら未来ある若者のやる気削いじゃうだろうな、と思って」

「叶も知ってましたよ! っていうか彼も現在進行形で私の一存で見逃されたと本気で思ってるんですが!」

「過程はどうあれ、紗々ちゃんが上に申告したのも、炭村が見逃されたのも事実ですからねぇ。ただ、紗々ちゃんが何も言ってなくても見逃されてたってだけの話で」

「いやこう……理屈では凄く納得いくんですが! 感情面が全く納得いきません!」

「ハッハッハ若いですねぇ。大人の世界ってそういうものですよ」


 置き場に困った両手をわなわなとさせ、最後にフラストレーションを吐き出すようにウガーと獣のように叫んで枕を一発ぶん殴った。


「そういうわけですので、炭村の件は上層部の見込みが甘かったという話で、紗々ちゃんに責任は一切ありません」

「そうなるんでしょうね……」


 自分に非はないと言われているはずなのに、なぜか複雑な心境だった。


「むしろ君は悪魔への憎しみに目を曇らせることなく、ちゃんと公平な目で見ていた。そういうことでもあります」

「…………」


 立花は言いたいことは一通り言ったとばかりに踵を返して扉に手を掛ける。


「だからきっと、紗々ちゃんがその目で見て信じたのなら、ラウムという悪魔も本当に良い悪魔なのかもしれませんね」

「立花さん……」

「なので、これからも君は思ったようにやりなさい。責任は大人が取ります……まあ、出来れば相談も欲しいですが」


 最後に苦笑いを浮かべて、立花は病室から出ていった。


――思ったように……私がやりたいことは……――


 雪代の脳裏に浮かんだのはスーツの青年に連れ去られたラウムの姿。

 彼女が咄嗟にセエレへの救難信号を出さなければ間違いなく自分も深夜も死んでいた。

 いや、それだけではない。気づけば自分はいったい何度あの悪魔に助けられたことだろう。


「見捨てるのは……後味悪いですよね」


 誰に聞かせるわけでもない呟き。それをきっかけに雪代は病室の棚に隠していた霧泉市の調査報告書を取り出す。


――やつらはおそらく、魔導書のコピーをばら撒いていた組織の一部。つまり、ラウムは今、霧泉市のどこかに……――


 改めて霧泉市に潜む敵について思考を巡らせ始めたタイミングに合わせて、ヒュン。という風を切るような音が締め切られた病室内に鳴った。


「よっと」

「うわっ?! ……い、いきなり現れないでください!」


 それはセエレの異能による跳躍の音。

 小さな声と共に雪代の病室に赤い髪の少女に支えられた深夜がその姿を現した。


「まだ起きててくれて助かったよ」


 点滴台に繋がれた彼の顔色は真っ青だ。

かなりの失血だったし、傷も大きく深かったのだからそれも当然というべきか。


「雪代。頼みがあるんだけど」


 それでも深夜は雪代の目を見据えて願いを口にする。


「ラウムを取り戻しに行く。そのために、雪代の力を貸してくれ」


 雪代は一瞬だけ膝の上に広げた霧泉市の資料に目を落とし、短くため息をついてから顔を上げる。


「悪魔祓いに『悪魔を助けてくれ』って頼むなんて、常識外れもいいところですね」

「それでも、雪代にしか頼めないから」

「……はぁ。わかりました。ただし、あくまで私個人として、協会のバックアップは一切ありませんよ」

「ありがと……これ、先払いのお礼」


 深夜はそう言うと雪代に向けて缶コーヒーを一本投げつけた。

 ぽすん、とベッドの上に落ちた暖かい熱を持つそれを雪代は持ち上げ、表面を見る。


「どうせなら無糖のブラックが良かったですね」

「え? ああ、よくわからなかったからホットのやつ適当に選んだんだよね」

「ふふっ」


 雪代は缶の表面に小さく印字された「加糖ミルク入り」の文字を指先でなぞる。


「買い直してこようか?」

「いえ、いただきます」


 プルタブを持ち上げ、口をつける。


「あちゅ!」

「……大丈夫?」

「大丈夫です……」


 ふーふーと小さな飲み口から息を吹き入れて冷まし、今度はちびちびと舌を湿らせた。


――甘くて、優しくて、暖かい……――


 亡くなった父の真似をして無理をしてブラックコーヒーを飲むようになって十年、久しぶりに飲んだ甘い味は雪代に幸せな家族の記憶を思い出させた。


 ◇


「贅沢は言えないけど、結局この四人だけ、か」


 急行列車の四人掛けの座席に座り、深夜は周囲を見渡す。

 隣には見慣れた季節外れの黒コートとキャスケットに身を包んだ雪代。

 正面にはロノヴェとの戦いで汚れた服のままのセエレと和道が並んで座っている。


「仕方ねぇだろ。神崎や雪代さんが病院から抜け出したのを誤魔化すには在原さんが東京に残るしかなかったんだから」


 協会……もとい立花も深夜達が大人しくしているとは最初から考えていなかったようで、病院の出入りには協会職員による監視が成されていた。

 そのため、やむを得ず在原が隠し持っていた魔道具で監視の目を誤魔化す役割を買って出てくれたのだった。


「人に擬態する人形……あの魔道具がまだ残っていたとは……」


 雪代は以前、自分自身が騙された道具に頼ることに複雑な心境なのかその声はどこか歯切れが悪い。

 今頃は在原が遠隔操作している深夜と雪代の偽物が病室で大人しくしていることだろう。


「しかし、神崎さん。本当に大丈夫なんですか? 昨日目覚めたばかりで……」

「え? ああ、うん。医者の腕が良かったのかな。痛みはもうほとんどないし、飯食ってちゃんと寝たからむしろ、調子が良いくらい」


 深夜はグラシャラボラスに斬り裂かれた胸に手を当て、自分でも不思議だという風に答える。


「次は~『霧泉』~、『霧泉』~」


 そして、車内アナウンスが目的地への接近を彼らに告げた。

 深夜達は無言で頷きあって、霧泉駅で下車し改札を抜ける。


「なんか、久しぶりに帰って来た気分だ」


 深夜は生まれ故郷の街並みを眺めて呟く。

 東京で捕らえられていたのはおおよそ一週間程度のはずだが、今までそんなにも長く霧泉市を離れた事がなかった深夜は不思議な感覚に囚われた。


「地図が示すラウムの場所は市境の山中にある別荘地帯でございます」


 セエレは方眼紙の中心で明滅する黒いインクの点を指し示す。

 山中の別荘地帯に身を隠していたのなら深夜達がいくら市街や住宅街を探しても見つからないはずだった。


「ここって……」


 セエレが持つ地図を覗き込んだ雪代はあることに気づき、深夜の方を見た。


――和泉山間トンネルの近く……あの場所に戻ることになるのか――


 深夜が自らの無力を痛感した場所であり、ラウムと出会った始まりの場所。


「行こう、みんな」



 様々に絡み合う気持ちを振り払い、深夜は顔を上げて足を進めた。


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