第十四話 激闘の後に
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それは目覚めというよりも、意識を取り戻したというような感覚だった。
日が沈み切った夜に目が覚めた事も、目を開いた時に瞼に張り付くような眠気を感じないのも、深夜にとっては初めての経験。
深夜はベッドに横たわったまま薄暗い室内を見回す。
清潔な寒色のカーテン、ベッド、点滴台。すぐにここがどこかの病室だとわかった。
「またこういうパターンか……」
一週間前に協会の独房で目覚めた時との類似点の多さにため息が出る。
とはいっても今回は本当に病室にいるようで、枕の脇にナースコールのボタンがあった。
「とりあえず、状況整理からだな」
深夜は話を聞くためという軽い気持ちでそのナースコールを無造作に押す。だが、数分後に彼の病室に現れたのは予想外の相手だった。
「看護師に転職でもしたの?」
深夜はベッドの脇の椅子に腰かけた中年男性、立花藤兵衛にそんな皮肉を投げかける。
ただ、彼も本調子ではないのか、以前のように黒コートは着ておらずスラックスとシャツだけのシンプルないでたちだ。
「冗談が言える程度に回復したようで安心しましたよ。なぜ私が来たのか、という疑問については『ここは協会が直轄管理している病院だから』ですね」
「なるほどね」
だが、事情を知らない看護師から話を聞くより手っ取り早いのは深夜としても助かる。
「今回は、手錠は無しなんだ?」
「私達だって命の恩人に対する礼儀くらいは弁えています……改めて、あなた達のおかげで死者が出ずに済みました。ありがとうございます」
立花は立ち上がって深々と頭を下げる。
「仁戸……だっけ? アイツもちゃんと生きてるんだ」
「ええ、全身ボロボロではありますが命に別状はありませんでした」
「そっか……で、本題だけど俺って何日くらい寝てたの?」
深夜の記憶があるのはスーツの男に刺され、斬られ、ラウムを連れ去られた後、セエレの異能によって窮地を脱したところまでだ。
少なくとも、生きて病院のベッドで寝かされていたということは何らかの処置はされているのだろう。
「三日です。正直に言ってこんなに早く目覚めると思っていなかったので驚いてます」
「三日か。じゃあ、まだ襲撃してきたやつらの居場所とかは分かってない感じ?」
深夜のその問いかけに炭村の眉がピクリと反応する。
「ええ、そうですね。死者はなくとも組織としての被害は甚大。出張中の支部長が戻るまでは事実上の活動凍結です」
「なるほどね」
「紗々ちゃんから聞きました。悪魔……いえ、ラウムさんが攫われたと」
深夜は静かに自分の左手を見つめ、スーツの男に抱えられたラウムに手を伸ばした映像を想起する。
そんな深夜に、立花は言いにくそうに口火を切った。
「神崎さん……これは良い機会ではないでしょうか」
「機会って?」
「彼女との契約を終える機会、です」
炭村の言葉を深夜は黙って最後まで聞くことにする。
「彼女もまた確かに我々にとっては恩人ですから、あまり言いたくはありませんがそれでも彼女は悪魔です。彼女にその気がなかろうと、その力を使い続ける限り神崎さんはいつか破滅します」
立花は本気で深夜を心配している。
おそらく彼は悪魔祓いとして多くの破滅を見てきたのだろう。
「あなたはまだ若い、炭村のように悪魔の力を取り戻そうとして未来を棒に振らないで欲しい」
年長者としての切実な思い。それを受けてなお深夜の答えは変わらない。
「まだ、俺とラウムとの契約は繋がってる」
言葉で表すのは難しいが深夜の中には、魔力の糸のような繋がりが残っているという確信があった。
「それに……俺はまだアイツとの契約を果たしてない」
「今の我々にあなたを止める力も余裕も無い……残念ですがこれ以上は平行線ですね」
立花は短くため息をついて席を立ち、病室をあとにしようとする。
「あ、あともう一つ……」
「なに?」
「紗々ちゃんを助けてくれて、ありがとうございます」
敢えて、深夜の返答を聞かずに立花は深夜の病室を後にした。
そして、残された深夜は天井を眺めて独り言ちる。
「とは言っても、ラウムがまだこっちの世界にいることは分かっても、アイツの居場所が分かるわけではないんだよな」
「それなら分かってるぜ!」
「うぉ!? ……いっつつ」
立花が退室して完全に油断していた深夜は独り言に返事を返された驚きに飛び上がった。
その結果、腹部の傷に響き、鈍痛を堪える羽目になる。
「わ、悪い神崎! 大丈夫か」
「直樹様、お静かに。立花様が部屋を出たばかりですから、気づかれてしまいます」
声の主、立花と入れ替わりで病室に入って来たらしい見慣れた顔、和道とセエレ、そして……。
「まったく、お友達に心配かけるのは感心しないわよ。坊や」
「……在原恵令奈!」
友人達と共に現れたのは半月ほど前にセエレを巡って戦った一級悪魔憑き『蒐集家』在原恵令奈。
「なんでお前が……協会に自首したんだろ?」
「実は私もあの騒動が起こっている時はまだあの協会の建物で拘留されてたのよね。だけど、あの一件で協会の日本支部が実質機能停止しちゃったでしょう?」
「立花も同じようなこと言ってたな」
「いつまでも支部で直接管理する余裕もない。そのうえで私は父の件もあって協会には逆らえない。ってわけで、悪魔や魔道具に関する情報を提供するアドバイザー役をする代わりに特例として仮釈放してもらったの」
在原の姿は以前のようにしゃれっ気のあるものではなく、囚人服代わりのジャージのようなラフな服装。
完全に自由、というわけではないのだろう。
「抜け目ない奴」
「強かと言ってほしいわね」
在原の事も気になるが、深夜はその隣にいる友人の方に顔を向けると、和道もその視線に気づいたらしく、小さく片手を持ち上げた。
「よう、なんだかんだで久しぶりだな」
「和道……よかった、無事で」
「普通逆だろ、そのセリフ……あ、いや。お前の方は無事とも言えねぇか」
和道は呆れたように肩をすくめるが、すぐに入院着の胸元から覗く包帯を見て表情を曇らせる。
「気にしないで、ちゃんと生きてるから。それより、ラウムの居場所が分かってるってどういうこと?」
「ああ、そうだったな。これを見てくれ」
深夜は体を起こして友に詰め寄る。
和道はそんな彼を手で制し、ベッドの掛布団の上にポケットから取り出した方眼紙を広げた。
「これ……地図? しかも、霧泉市のだよね」
「ああ。これは在原さんから借りた魔道具の一つで、設定した魔力の持ち主がどこにいるかを教えてくれる地図だ。俺達はこれを使って神崎がどこにいるのかを探したんだ」
「なるほど? でも、俺を探した地図って……あっ!」
深夜はすぐにその意味を理解する。
そこからはセエレが和道から引き継ぎ、説明を続けた。
「この地図には今、神崎様を探す際に設定した『ラウムの魔力』の居場所が表示されています」
「アイツは今、霧泉市にいる。ってことか」
セエレが指さした一点、地図の中心に描かれた濃いインクの染み。
これこそがラウムの現在地。
「そしておそらく。この場所こそ、我々が探していた『霧泉市で魔導書をばら撒いている組織の本拠地』です」
「ここが……だったらすぐに!」
「ハイストップ」
ベッドから抜け出し、すぐにでも動き出そうとする深夜。その額を在原が指先で突いて強引にベッドに押し戻す。
「セエレちゃんが言ったでしょ。ここは敵の本拠地。坊や一人で行って何ができるの? 迷子の子供を探しに行くんじゃないのよ?」
「じゃあ、なにか? 協会に伝えてなんとかしてくれって頼めって言うのかよ」
そうすれば、霧泉市の一件は解決するかもしれない。
だが、悪魔祓いである彼らが敵に捕らわれたラウムを助ける理由はどこにもない。
協会に解決を委ねるということはラウムを見捨てるのと同義だ。
「だから、俺達で助けに行くんだろ」
剣呑とし始めた病室の空気を断ち切るように、憮然とした表情の和道が静かに、しかし力強く告げる。
「どうせお前、また一人で何とかしようとか考えてたんだろ」
「和道……」
「それに、アイツらは秋升のオッちゃんの仇でもある。これは最初からお前だけの話じゃないんだぜ」
「協会の悪魔祓いに隠れてこっそり会いに来たのはそういう事よ……まあ、私はあくまでも和道くんに恩があるから手伝ってあげるだけだから、勘違いしないように」
深夜は自分が冷静さを欠いていた事に気づき、かぶりを振って落ち着きを取り戻す。
「ああ、頼む。手伝ってくれ、和道、セエレ、在原」
深夜はベッドに座ったまま深々の頭を下げる。
「さて、それじゃあ、各自が持っている情報を一旦整理しましょうか。敵地に乗り込む以上、情報は多いに越したことは無いでしょう?」
「ああ、そうだな」
在原のその提案に同意し、先陣を切ってラウムを連れ去ったスーツの男、そして彼の目的が魔導書であったことを伝えた。
「まず、坊やを斬ってラウムちゃんを連れ去ったスーツの男。彼が契約している悪魔は多分グラシャラボラスね」
深夜から地下訓練場での話を聞いた在原は顎に手を当てて考える素振りの後、敵の正体に当たりをつけた。
「なんでわかるんだよ?」
「昔、魔道具を集めている時に見た事があるのよ。『透明化』の異能を持った魔道具を」
『透明化』
あのスーツの男は自分の姿や持っている細剣、全てを透明状態にして深夜に奇襲を仕掛けてきた。
その結果、深夜は敵の接近に気づくことができず、負傷し、ラウムを連れ去られた。
「私も在原様と同じ意見です。ラウムが奇襲に気づけなかった事。神崎様のおっしゃっていた見えない攻撃。協会の警備を掻い潜って魔導書を盗み出した事。どれもグラシャラボラスの異能なら可能です」
「まさか、そのグラシャラボラスの異能って、見えなくなるだけじゃなくて魔力の感知もできないのか?」
「はい。あらゆる痕跡を消して自由に動き回ることができる。それがグラシャラボラスの異能です」
「厄介極まりないな……」
なまじ未来予知の魔眼を持つ深夜は見ることに頼りがちだ。
だというのに今度の敵は『見えない』。戦う相手としては最悪の相性だ。
「そういや、俺は直接見てないけど。グラシャラボラスの他に敵はもう一人いるんだよね?」
「ロノヴェですね」
セエレは忌々しそうにその名を口にする。
「そのロノヴェって悪魔の異能は何なの?」
「ロノヴェの異能は『分裂』。自身の魔力を切り分け、それぞれを独立させて動かす事が出来る異能です」
「あー、あのメイドさんが操ってた犬とか鳥ってそういう仕組みだったのか」
――メイドに犬に鳥……上手く想像できない……――
エントランスホールでの戦いを見ていない深夜の脳内ではややファンシーな絵面が描かれていたが、とりあえずそれは無視して話を続ける。
「『分裂』に『透明化』……暗躍するにはこれ以上ないって異能だな」
「敵があの二人だけと考えるのも早計よ。霧泉市を本拠地としているなら、そこの守りを担当していた仲間もいると考えるのが妥当じゃないかしら」
在原の意見に深夜は沈黙で同意する。
霧泉市に根を張る黒幕は単身の悪魔憑きではなく、組織として活動していると考えていいだろう。
「敵地に乗り込んでラウムを奪い返すにしろ、組織を潰すにしろ、こっちの戦力が足りないな」
深夜は在原、和道、セエレの順に視線をぐるりと回し、眉間を抑える。
深夜は左眼の予知の異能があると言っても悪魔が奪われた状況で正面から悪魔憑きとやりあえる実力はない。
在原もザガンとの契約は既に解除され、戦闘に役立つ魔道具のほとんどは協会に押収されている。和道に託した魔道具も元々あったコレクションの極一部に過ぎない。
和道は深夜よりも身体能力に優れているとはいえ、根本的に戦闘経験のないただの高校生。
まともに戦力として数えられるのは悪魔であるセエレだけだが、彼女一人でグラシャラボラス、ロノヴェ、そしてまだ見ぬ敵と戦うのは無茶だ。
「…………仕方ない。か」
深夜は意を決したように顔を上げ、セエレの方を見る。
「ちょっと、連れていって欲しいところがあるんだけど、頼める?」
◇
「よっと」
セエレの助けを借り、点滴台ごと瞬間移動した深夜はその特有の一瞬の浮遊感を堪えて姿勢を正す。
「うわっ?! ……い、いきなり現れないでください!」
「まだ起きててくれて助かったよ」
夜も遅い時間だったのでもう寝ているかと不安だったが、目当ての相手は病室のベッドの上で体を起こし、何か書類のようなものに目を通していた。
「雪代。頼みがあるんだけど」
深夜は病室の主、雪代紗々に向けてそう告げた。




