第十二話 一点突破
「《黒翼》? ラウム、それはいったい……」
両肩から黒いエネルギーを翼のように放出し始めた炭村を前に、雪代がラウムに問う。
「雪代、避けろ!」
しかし、ラウムが答えるよりも先に、深夜が雪代の体を突き飛ばし、左手の大剣を防御姿勢に構えた。
その刹那、数メートル先にいたはずの炭村が深夜の眼前に現れる。
「■■■■■■■■ッ!」
「ぐっ!」
大剣で拳を受け止めた深夜だが、拳の勢いは全く衰えず深夜は大剣ごと吹き飛ばされ床を転がった。
――動きが全く見えない……瞬間移動……じゃない、目で追えないほど早さだって言うのか?!――
「がはっ……」
「神崎さん!」
「止まるな! 動き続けないと、捕まるぞ!」
深夜が全身の痛みを堪えながら叫ぶ。先ほどの攻撃を防御できたのはあくまでも未来予知で攻撃の瞬間が視えていたからに過ぎない。今の炭村の速さはとても動体視力や瞬発力で対応できるようなものではなかった。
「■■■ッ!」
「速さが上がった……」
深夜の忠告を受け、雪代は大きく動いて炭村の攻撃をギリギリで回避し続けている。だがそれも、ほとんど勘によるものが大きい。
「背中ががら空きなんだよ!」
深夜は雪代への攻撃に意識が集中していた炭村の視界の外から大剣を振るい、全力を込めた一撃を撃ち込む。
『だめだ! ぜんぜん効いてないよ!』
「嘘だろ……」
炭村は深夜には目もくれず、攻撃に気づいてすらいないかのように雪代を執拗に追い回す。
――一瞬で良い、状況を整理する時間が欲しい……仕方ない――
「ラウム、炭村の足元を壊せ!」
『分かった』
深夜は攻撃の先を炭村の体から、その足元の床に切り替える。
ラウムは即座に深夜の目論見を読み取り、床を半壊させた。
「■■■!?」
その結果、炭村はバランスを大きく崩し、更に崩壊した床の隙間に足を取られてしまった。
「今だ、一旦離れるぞ雪代!」
「はい、わかりました!」
深夜と雪代は炭村の動きが止まった隙に距離を取り、荒ぶる呼吸を整える。
「先ほどまでと、パワーもスピードも桁が違いすぎます……」
「あの黒い羽が原因か? ……ラウムがさっき言ってた《黒翼》っていったい何なんだよ」
『簡単に言えば契約のリミッター解除』
「リミッター解除……ですか?」
『そう。今の炭村は深夜と私みたいに異能を必要な時に使うんじゃなくて、異能を常時発動し続けてる』
ラウムが告げたのは悪魔と契約している深夜からしても背筋が凍りそうになる恐ろしい真実。
「異能を常時発動って……そんなことをしたら!」
『当然、代償も常に支払い続けることになる。あの翼はその変換された魔力が溢れだしたもの!』
《黒翼》とはつまり、変換され続け、可視化されるほど高密度となった魔力が契約者の肉体という器に収まりきらず放出されている状態。その放出された魔力があたかも黒い翼に見えているのだ。
「つまり、今の炭村は『身体強化』の異能が発動し続けて、筋肉が増強と回復を繰り返しているってわけだ……」
深夜は額に浮かぶ冷や汗を手の甲で拭う。その手は先ほどの攻撃の反動でまだ微かに震えていた。
――鋼鉄みたいな感触で殴ったこっちの方が痛かった……――
「代償を悪魔に支払い続けているのなら、早く止めないと炭村さんが手遅れになってしまいます」
雪代の心配はもっともだ。《黒翼》の発現以降、微かながらに残っていた炭村の理性はもはや微塵も感じられなくなってしまっている。
それはもはや獣や怪物の領域だ。こちらの言葉が通じているのか、そもそも自分がなぜ雪代を狙っているのか覚えているかすら怪しい。
「でも、俺達の攻撃はアイツにほとんど効果が無くなった……」
『うんうん。筋肉ガッチガチ過ぎて無理!』
これが炭村が鋼鉄の鎧を着こんでいる、とかなら話は簡単だった。ラウムの『破壊』の異能で鎧を壊せばいい。
だが、何も身に纏っていない人間の体をラウムの異能で破壊するというわけにはいかない。
「一応聞いておくけど、退魔銀を使う気は」
「もちろんありません」
『わぁお、即断即決』
「了解っと。それくらい覚悟決まってる方が下手に悩まれるよりやりやすい」
方針が変わらないのなら後は手段を考えるだけだ。
――こっちの武器はラウムの剣と雪代の銃。パンチやキックができないわけじゃないけど、やるだけ無駄だろうし……他に使えそうなのは……――
「あっ。あるな……」
「何か秘策があるんですか? それはいったい?」
「いや、秘策っていうよりはギャンブルに近いんだけど……」
深夜はそう言ってポケットの膨らみを微かに撫で、思いついた作戦を雪代に耳打ちする。
『なるほど……これは確かに一か八かの作戦だね』
「でしょ? どうするかは雪代に任せるけど」
深夜から作戦の説明を受けた、雪代はわずかに目を細め、頬を膨らませながら問い返す。
「あの……前から気になっていたんですが。神崎さんって私のことをビックリ人間か何かだと思っていませんか?」
『「違うの?」』
「本物の予知能力者と悪魔が声を揃えて言いますか!?」
思わずツッコミを入れた雪代は頭を抱えて嘆くが、すぐに切り替えて真剣な目つきで炭村を見る。
「ですが、他の策を考えている時間はなさそうです」
「■■■■ッ! ■■■■■■ッ!」
地面に埋まった足を強引に抜いたらしい炭村はもはや人の言語とは言えない咆哮をあげる。
その体は異能による強化が限界に近いのか、ブツブツと表面がひとりでに切れては修復を繰り返しており、噴き出した自らの血が皮膚を赤黒く染めていた。
理性も肉体も共に限界は近いのだろう。
「その作戦で行きましょう! 行きますよ、神崎さん、ラウム!」
「了解っと」
『おっけ、オッケー!』
「■■■■■■■■■■■■ッ!」
全身の筋肉が悲鳴をあげてもなお、自由となった炭村の動きに衰えはない。
それは目にも止まらぬ神速の領域であり、常人には対処することなど不可能だ。だが、それでも攻撃の瞬間、その方向さえわかるのなら対処は不可能ではない。
【深夜の背後に回り込んだ炭村は床を砕き割るほどの勢いでその拳を振り下ろす】
――背後から、七秒後!――
「――っ!」
炭村が動くよりもさらに早く、深夜はくるりと反転して背後からの攻撃を刀身で受け流す。
――次は……三秒後に右、その直後に……正面!――
『折れちゃいそう……』
「何とか堪えろ!」
《黒翼》を発現させた炭村のパワーは気軽に受け止められるものではなく、深夜は防御するにも攻撃を刀身で滑らせて勢いを逃がすことに専念していた。
左眼の予知があるからこそできる芸当。その細い綱渡りを繰り返して深夜は一瞬の好機を待つ。
『深夜!』
「あと……十五秒!」
絶叫と共に剣と拳がぶつかる音が響く。
炭村の一打ごとに深夜の姿勢は大きくのけぞり、立て直そうとするほどに防御のタイミングは遅れてくる。
「■■■、■■■■ァ!」
そして、炭村の連打の果てに、大剣を握る深夜の左手が高く弾かれた。
炭村はその隙を逃がさず、渾身の力を込めた拳を振りかぶる。
防御は間に合わない。深夜もそれは重々承知。
だが、既に――
「いまだ!」
――時は約束の十五秒後に到達していた。
深夜はあらかじめ構えていた右手をポケットに突っ込み、それを取り出す。
「■■■ッ?」
理性を失ってもなお、炭村は本能で深夜が投げつけたそれを目で追った。
それは一つの方位磁針。
少年の片手に収まるほどの小さなコンパクト状の小物。
炭村はそれを取るに足らない小細工と判断し、振りかざした拳を振り下ろすことを決めた。
その決断をニヤリと笑って見届けた深夜もまた、弾きあげられた左手を強引に振り下ろす。
両者の最後の一撃は吸い込まれるように深夜が放り投げたコンパスを挟んでぶつかりあう。
その瞬間、コンパスから紫電が炸裂した。
「■■……ナニだ?」
炭村の表情が驚愕に染まる。
当然だ、彼はそのコンパスが魔道具だと気づいていなかったのだから。
『受けた衝撃を放電へと変換する魔道具』
ラウムが在原の倉庫から持ち出し、深夜に手渡していた代物。炭村が殴りつけたのはそれだった。
――筋肉量が多ければ多いほど、人体の電気抵抗は低くなる……!――
炭村がどれほど分厚く強固な筋組織の鎧を纏おうと……否、纏えば纏うほどに電流という形の無い攻撃に弱くなる。
そして、強烈な電流を受けた人体がどうなるか。
「ぁ……ぁ?」
炭村は口を開き、攻撃の途中の姿勢のまま声も出せずに完全に停止している。
当然だ、人間の全身の筋肉は脳からの『電気信号』で動いている。故に、外部から強力な『電気信号』を受ければ、肉体は脳よりもその無秩序な電気信号を優先してしまうのだ。
だから、今、炭村の肉体はその一切が彼の意思から切り離されている。
――炭村……お前の負けは、もう視えた――
深夜もまた、炭村と同じく魔道具から放出された電流をその身に受け、体の動きが停止してしまっている。だが、彼の左眼は既に勝利を見据えていた。
「これで、終わりです!」
雪代の咆哮と一度きりの銃声。
炭村の側面から放たれた一発のゴム弾は彼の顎先、そのわずかな一点を貫き、首をひねらせて、頭蓋の内に浮かぶ脳を揺さぶった。
「……がっ!?」
もはや何が起こったのかを理解する暇すらなく、てこの原理による強烈な衝撃によって脳震盪を引き起こした炭村は目を見開いたまま崩れるように倒れた。
『言っといてなんだけど、一撃で銃弾を顎に当てるなんて紗々って十分びっくり人間だよね』
――ほら、やっぱり。雪代、外さないじゃん――
そして、深夜もまた右眼で勝利の瞬間を見届け、バタリと背中から床に倒れた。




