第十話 思うままに、わがままに!
「音がどんどん近づいている……」
協会の地下一階に位置する独房。その一室に閉じ込められた雪代は外部から響く不規則な轟音に耳を傾けていた。
――先ほどの放送と合わせて考えれば、悪魔憑きの襲撃を受けているのは間違いない――
「ラウム達が神崎さんを救出に来た……のでしょうか?」
だが、この狭い密室で身動きが取れない雪代の持ち得る情報から推測できるのはその程度。もっと情報が欲しい、彼女がそう思っていると、タイミングを見計らっていたように独房の扉が開かれた。
「雪代さん、ご無事ですか?」
「あなたは情報部の!」
独房の扉を開けたそのスーツ姿の青年は、雪代の記憶が確かなら情報部に所属している協会の職員の一人。
「あの、いったいどういう状況なのでしょうか?」
直接顔を合わせる機会は多くないが、電話を通して定期報告などのやり取りを何度も交わしている気心の知れた相手。そんな彼ならばと思い、今現在の協会が置かれている状況を尋ねると彼は困惑した面持ちで答える。
「こんな事態は初めてで僕も詳細は掴めていないのですが、複数の悪魔憑きがこの建物に侵入して交戦しているとか」
「複数の悪魔憑きが?」
「情報が錯綜していて、現場にいた同僚が言うには『ラウム』と名乗る少女の姿をした悪魔が助けてくれたとかなんとか……」
「……やはりラウムですか」
「避難区画に行けばもう少し詳しいことも分かるかもしれません、急ぎ――」
「ジャマ、ダ!」
扉の前にいた青年の言葉が終わるより先に、その体は電柱ほどの太さの腕に払いのけられ、廊下の奥へと跳ね飛ばされた。
「っ! 誰です!」
「ヨウヤク……ヨウヤク見つケタ」
独房の内部にいる雪代からは、開け放たれた扉の奥のその巨大な体躯の全容は目視できなかった。
だが、彼が扉の枠を壁ごと砕き、その全身を彼女の前に晒した瞬間、雪代はその名を思わず呟く。
「炭村……」
たとえ何年の月日が経とうと、悪魔の異能によって怪物のような姿になろうと、決して見間違えることなどない相手の名を。
◇
ラウムと合流し、手錠を外した深夜は炭村を追い、雪代がいる地下階の廊下を走っていた。
「アイツ、派手に暴れていったもんだな……」
「これなら迷わずに追いかけられさそうだね」
ただでさえ肉体が常人の数倍に膨れ上がっていたうえに、異能の代償か理性が消失しかけていた彼が静かに移動をしているわけもなく。廊下の壁や床には至る所にひび割れや穴が残され、炭村の移動経路を如実に表していた。
「スンスン……大分近づいてきたかも」
「そっか。じゃあ、今のうちに武装化しておこう」
「えー? 敵の目の前で詠唱するのがカッコイイのにー」
「そういう余計な事は考えなくていいから……」
武装化の際にラウムが行う魂契詠唱はそれほど長くはないがそれでも立派な隙の一つ、事前に消せるなら消しておいた方が賢明だ。
「でもまあ、魔力で身体強化しておいた方が深夜の足も速くなって都合がいいか」
「悪かったな運動音痴で……」
「拗ねない拗ねない。じゃあ、小夜啼鳥の……あっ」
詠唱を始めかけたラウムは、はっと思い出したように取りやめ、上着のポケットをゴソゴソとまさぐりだす。 そして、ポケットから取り出した丸い物体をさし出された深夜の手の上に乗せた。
「コレ持ったままだと上手く武装化できないかもしれないから、深夜が代わりに持ってて」
「何これ? コンパス?」
「コレクター女の魔道具だよ。電流出るらしいから取り扱いには要注意」
「コレクター……ああ、在原か。アイツ、まだこんなもの隠し持ってたのかよ」
その用意周到さに辟易としつつ、同時に魔道具を駆使して複数の異能を操っていた在原の戦い方を思い出す。
この魔道具も何か役に立つだろうと深夜は受け取った魔道具をズボンのポケットに入れておくことにする。
「そんじゃ改めて! 小夜啼鳥の伽紡ぎ――」
その詠唱によってラウムの姿は人の姿から大剣へと変わり、深夜の左手に収まった。
剣から流れ込む魔力は深夜の肉体に作用し、全身の体重が軽くなったかのような錯覚を与えたる。
『あ、炭村の動きが止まった。もしかしたら紗々の所に着いたのかも!』
「なら急がないとな……方向は?」
『前方の角を右に曲がった先!』
「わかった!」
黒鉄の大剣を肩に担いだ深夜は先ほどまでの数倍の速度で廊下を走り抜ける。
「いた!」
そして、彼らの視線の先に膨れ上がった筋肉を持つ異形の男が姿を現す。
その手には雪代が人形を鷲掴みするかのように粗雑に握られていた。
「雪代を……放しやがれ!」
ダンっと床を力強く蹴った跳躍で一気に距離を詰めた深夜は、振りかぶった大剣を炭村の脇腹に叩きこむ。
「ぐぅ!」
油断を突いたおかげか、打たれた炭村は雪代を手放し、廊下の奥へと吹き飛んだ。
「……神崎、さん?」
「おい、雪代。大丈夫か」
「私より……向こうの彼を……」
『深夜深夜! もう一人廊下で倒れてる!』
炭村が手放したことで、ぐったりと地面に横たわる雪代は視線だけを廊下の奥に向け、そこで同じように倒れ伏しているスーツの青年の存在を深夜に伝える。
雪代の意図を汲み、深夜は先にその青年の方へと駆け寄り安否を確認した。
「あんた! 大丈夫か?」
「うぅ……」
――色んなところの骨は折れてるけど、息はある――
「神崎さん。私の事は放っておいて……彼を連れて逃げてください……」
「お前、いきなり何言って――」
「ジャマをスルナァ!」
雄たけびと共に廊下の奥から炭村のタックルが深夜に迫り、深夜はそれを大剣の刀身で受け止める。
「くっ!」
だが、体格とパワーの差は歴然であり、ズルズルと足は床を滑り押し込まれていく。
――武装化しても正面からじゃ押し負ける……――
「おい雪代! いつまでもぼーっとしてないで、コイツ倒すの手伝ってくれないかな!」
「彼の狙いは私でしょう……私を置いて逃げれば追っては来ないはずです」
その声に普段のハキハキとした明朗さは微塵もなく、項垂れた雪代は深夜達に視線を向ける事すらせずに自分を見捨てて逃げろと告げる。
「……お前なぁ!」
「彼を……炭村さんをかつて見逃したのは私です。これは……私が取らないといけない責任ですから」
彼女の言う責任を取る、というのが犠牲になると同義だと深夜達はすぐに理解する。
「ああもう。面倒くさいな!」
『ねえ深夜。ちょっとお願いがあるんだけど』
「お前までなに?」
『三十秒だけ、武装化解いてあのマッチョのこと任せていい?』
「はぁ? なんで!」
武装化してなお力負けしている相手になぜわざわざ生身で挑むのか、深夜はラウムの狙いが分からずに思わず声を上げる。
それに対するラウムの答えは彼女にしては珍しい静かな感情のこもったものだった。
『紗々に一発説教してやりたい』
「……それでアイツを立ち直らせられるなら、三十秒と言わず一分くらいはなんとかしてやる」
『任せて!』
「解除のタイミングは俺が言うから合わせろよ!」
深夜は状況改善の一手をラウムに委ねることを決め、深夜は炭村のタックルを受け止める全身に限界ギリギリまで魔力を流し、一瞬だけ力の均衡を生み出してその動きを押しとどめる。
「今だ!」
その声と同時に深夜は大剣を手放して右に、大剣から人の姿に戻ったラウムは左に避ける。
「ナニィ!」
釣り合っていた力の一方が急に消失したことで炭村は大きくバランスを崩し、そのまま廊下の奥の壁に突進してその身を埋める。
「流石深夜。賢い!」
その隙をラウムは見逃さず、肉体的ダメージだけではない要因によって項垂れる雪代の元へと駆け寄ってその胸倉を掴み、握り拳を振りかぶる。
「紗々! 歯ぁ食いしばれぇ!」
「痛っ――! なんのつもりですか!」
「昔の失敗一つでいじけてるアンタがムカついたのよ!」
「いじけて…………あなたは知らないかもしれませんが、この惨状の原因は私で――」
「赤メッシュから聞いたわよ! アンタが昔にあの炭村って悪魔憑きを見逃したんでしょ!」
ラウムの言葉を聞き、雪代の表情が苦悶に歪む。
「ならわかるでしょう! 私の甘さが招いた以上、これは私が自分で責任を取るべきなんです」
「アンタが殺されたら深夜も、あそこで転がってる人も、立花のオジサンも全員助かると思ってるなら勝手にすればいいわ。本気でそう思ってるならもう一発ぶん殴るけど」
「そ、れは……」
ここで初めて雪代が言い淀む。そんな彼女を逃すつもりはないとばかりにラウムは瞬き一つせずに、琥珀色の目で雪代を正面から見つめ続けた。
「責任を取りたいならちゃんと最後まで取りなさい。一度でも『誰かを守る』なんてうそぶいたなら……それを投げだすな」
「……」
「言いたいことはそれだけ」
思いの丈を吐き出しきったラウムは突き放すように雪代の胸倉を掴んでいた手を放す。
「……ラウム!」
「え?」
「ドケェ! ユキシロハボクノぉ!」
雪代の叫びにラウムが振り返るとそこには拳を振りかぶった炭村の巨体が目と鼻の先にあった。雪代に意識を向け過ぎていた事もあり、回避は間に合う距離ではない。
しかし、その手がラウムに届く直前、銃声が響いた。
「チィッ! マタカァ!」
図らずもそれは立花が炭村を奇襲した状況と酷似しており、理性を失いつつある炭村は銃弾がかすりもしていないにもかかわらず、本能に基づいた動きで大きく跳躍し回避行動に入った。
「初めて撃ったけど……まったく思ったところに飛ばないな……」
そして、その銃声の主、深夜は立花から預かった拳銃を不格好に両手で構え、首を捻る。
「ちょ、ちょっと深夜! 今撃ったのって、どっち?!」
間一髪炭村の攻撃を免れたラウムは顔を真っ青にして深夜の元に飛んでいった。
「どっちって?」
「タマだよ、弾丸!」
「退魔銀」
「私に当たったらどうするつもりだったの!?」
「大丈夫だよ、左眼で確認してから撃ったから」
「それでも怖いものは怖いんだよ!」
わーわーと言い合いを続ける深夜とラウム。そんな二人の元へきまりが悪そうな表情でラウムに殴られた頬を赤く腫らした雪代が歩み寄る。
「あの……神崎、さん……」
「あぁ、はいこれ。立花さんから預かってたアンタの銃」
深夜はまだ熱の残る銃身を握り、雪代へとさし出す。
雪代は一瞬、それを受け取るか悩む素振りを見せたが、赤く腫れあがった左頬を一度だけ撫でると決意に満ちた表情に変わり、力強くその銃を握りしめた。
「……神崎さん、ラウム。わがままを承知でお願いします。私の後始末を手伝っていただけませんか?」
「後始末って、どうするの?」
雪代の表情を見ればその答えは分かり切っているというのに、深夜はわざとらしく問いかける。
「もちろん……炭村さんを止めて、正気に戻します!」
「おっけ、オッケー! ラウムちゃんに任せなさいな! 人間のワガママを叶えてあげるのが悪魔の本懐だからね」
深夜が答えるよりも先に、ラウムは愉快そうに承諾する。
「はい。今回は徹底的に、私のワガママに付き合ってもらいます!」
「お前ら勝手に話を……まあいいや。行くよ、二人とも!」
「やっぱ、詠唱は敵の目の前でやるのが一番カッコイイよね!」
雪代は拳銃の銃口を炭村へと向ける。
深夜は短い溜息を吐きつつも、ラウムへと手を伸ばし。
そして、ラウムの詠唱が廊下に響いた。




