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いつか神を殺すまで  作者: 宮浦 玖
第四章「退魔の『協会』」
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幕間 一 家族の味



「紗々ちゃん、ちょっといいかな?」


 病室に入ってきた妙齢の担当看護師は、膝を抱えて座る金髪の少女の顔を覗き込むようにそのベッド脇で膝を曲げた。


「体の調子はどうですか? 雪代さん」


 だが、彼女が要件を告げるよりも先に病室の扉が再び開き、黒いコートに身を包んだ三十代ほどの男が馴れ馴れしい態度で入ってきた。


「ちょっと! 立花さん! 私が指示するまで病室には入らないようにって……」

「まぁまぁ。大丈夫ですって、僕こう見えて子供に好かれやすいんですよ?」

「そういう話をしているのではなくて……」

「何の用?」


 突然病室に現れたその怪しげな男に対して、全身に包帯を巻いた痛々しい姿の少女はベッドの上で膝を抱えた姿勢は変えず、酷く面倒臭そうに言葉を投げかけた。

 部屋の主である彼女が曲がりなりにも受け入れたことで、立花は大義名分を得たとばかりにズカズカとベッドに近づく。


「彼女はまだ快調とは言えない状況です。くれぐれも不用意な発言はしないよう気を付けてくださいよ」

「わかってますよ。あ、どうも、初めまして。私、立花藤兵衛と申します。実は紗々ちゃんを助けたのって僕なんですよ」

「……そう」

「ありゃ。つれませんねぇ」


 幼い雪代は相変わらず膝を抱えたまま、興味なさげに短い言葉を返す。


「パパとママはどうして助けてくれなかったの?」

「……僕が着いた時にはご両親はもう手遅れの状態でした。力及ばず、申し訳ありません」


 先ほどまでの軽薄さが嘘のように立花は真摯な声色でまっすぐ頭を下げた。

どちらが彼の素なのか、少し考えかけてすぐに雪代はどうでもいいと結論付ける。


「何の用?」


 同じ言葉を雪代は繰り返す。今度は更に言葉の温度が下がり、立花への興味が失せていることを如実に物語っていた。


「わかりました。では単刀直入に……君のご両親と、君のこれからについてお話に参りました」

「…………」


 立花が何を言いたいのか雪代には全く想像できなかったし、どうでもよかった。だが、立花は虚ろな目の少女に向けて立花は言葉を続ける。


「君のこれからの人生には二つの選択肢があります。一つは『全てを不幸な事故だった』と割り切る人生」

「不幸な事故……?」

「そうです。あの夜の火事はちょっとした火の不始末が原因であり、誰も悪くないただの事故だった。そういうことにして新しい幸せを探す人生を送るんです。時間はかかるかもしれませんが、そこは僕たち大人が全力でフォローします」


 雪代の虚ろな瞳の奥に浮かぶのは炎の中で笑う母の姿。

 あの夜の火災が不幸な事故などではないことはその場にいた当人が一番よく知っていた。


「……もう一つは?」

「もう一つは『あの火事の原因』を知り、犯人と向き合う人生を送る。真相を知ることであなたは前に進めるかもしれません。ですが同時に、一生誰かを恨み続けるか、あるいは怯え続けることになるかもしれない。そんな人生です」

「……そっちが良い」

「紗々ちゃん!」


 黙って二人のやり取りを聞いていた看護師が堪えきれずに声をあげた。


「あなたの人生はまだまだずっとあるの。もっとよく考えて……」

「ずっと考えてたよ」


 雪代はようやく俯き続けていた首を持ち上げ、自らを心配している看護師にその目を向けた。

 光の無い灰色の瞳。その飲み込まれそうな視線に看護師はその行動が間違っていると理性ではわかっていても目を逸らさずにはいられなかった。


「ママのこと、パパのこと、ずっとずっと考えてた」


 なぜ母はあの炎の中で笑っていたのか、なぜ父だけが意識を失っていたのか、なぜ自分だけが生き残ったのか。

目覚めた日から火傷の痛みを忘れるほどに雪代の思考は「なぜ」で埋め尽くされている。


「私はママとパパのことをもっと知りたい」


 ◇


「この施設にいるのはみんな、紗々ちゃんと同じ悪魔によって家族を失った子供達です。仲良くなれると良いですね」


 母のこと、悪魔のこと、そして協会のことを聞かされた雪代。彼女は病院から退院するとそのまま、立花によって都内にある児童養護施設へと連れてこられた。悪魔の存在を知ってしまった以上は情報規制のためにも普通の施設に入れるわけにはいかないのだろう。


「本当に、私と同じ?」

「あー……すいません。正確には『悪魔憑きによって家族を失った』子供達です」

「じゃあ、ママのことは隠した方がいいね」


 そんなことをさらりと言ってのける雪代を見て、立花は苦笑いを浮かべるのだった。




 協会が母体となって運営されているその児童養護施設にいたのは、立花の言っていた通り悪魔憑きによって家族を奪われ天涯孤独となった子供達。

 二戸叶もそんな子供の一人だった。


「叶ちゃん! もう門限とっくに過ぎてるよ!」


 門限を過ぎた夕暮れ時、職員の目を盗んで施設の裏手の塀を超えてきた同期の少年を捕まえて、雪代と同室で生活している少女、柚木ゆずきなごみは心配の意を込めた声をぶつけた。


「げっ、雪代! オマエ、柚木にこの場所教えたのかよ!」

「和ちゃんは大人じゃないから、良いでしょ?」


 そこは隣接する家の塀がちょうど登りやすい形になっていることから、一部の子供達にだけ知られている秘密の侵入ルートとなっており、雪代も何度か利用したことがあった。

 この頃はまだ仁戸叶という少年は雪代にとっては『ルームメイトの幼馴染』程度の微妙な関係性。だが、悪魔憑きに襲われたトラウマからか、柚木が何をするにも雪代に同行を頼むので結果的に彼と会話を交わす機会も多くあるという妙な関係だった。


「もー、頬っぺた怪我してるし服も破れてる。また喧嘩したの? ダメだよ叶ちゃん」

「ちゃん付けで呼ぶな」


 柚木はポケットから取り出したハンカチで仁戸の顔に着いた泥や血を拭い、仁戸も口では文句を言いつつも邪険にはせずそれを受け入れている。

 二人はこの施設に来る前からの幼馴染らしい。

 雪代が柚木から聞いた話では元々家族ぐるみの付き合いがあった中、悪魔憑きの起こした事件に二人の家族が巻き込まれ、彼らだけが生き残ったのだという。


「仁戸。あまり和ちゃんを心配させないで」

「……喧嘩なんてしてねぇよ」


 雪代と柚木、二人が相手では不利と観念したのか、仁戸は顔を逸らしてぶっきらぼうに答える。


「本当? じゃあどうして怪我なんてしたの?」

「…………」


 仁戸は柚木の心配そうな問いかけを最初は無視していたが、じっと目を見つめられすぐに音をあげた。

 ガキ大将然とした仁戸が、色白でか細くいかにも病弱な見た目の柚木にやりくるめられているのは雪代としても見ていてなかなか面白い。


「特訓だよ」

「特訓?」


 まるで漫画かアニメのようなセリフに思わず、問いかけた本人ではない雪代が問い返す。

 そんなボロボロになる特訓とはいったい何をしているのだろうか。


「悪魔祓いになるための特訓」

「……叶ちゃん、悪魔祓いになるの?」

「テメェらはなりたくねぇのかよ? 家族の仇を討つ唯一の方法だぞ」


 仁戸のその言葉に雪代と柚木は互いの顔を見て押し黙ってしまう。

しばらくの無言の後、柚木がおずおずと言葉を紡いだ。


「施設のみんなは……そこまで考えてないと思うよ」


 それは柚木の意見とは言い難かったが同時に的を射た答えでもあった。

 つまり『考えていない』のだ。なりたいとも、なりたくないとも。


「俺は悪魔祓いになる。そして悪魔共を一人残らずぶっ殺す」


 ここにいる子供達は皆例外なく悪魔によって家族を失っている。だが、仁戸のように瞳に悪魔への敵意を燃やしている者を雪代は他に知らなかった。


「やめようよ、叶ちゃん。お父さん達みたいに……叶ちゃんまで殺されちゃう!」

「うるさい。お前には関係ない」

「あっ……」


 柚木は仁戸の服の裾を縋りつくように握るが、彼はそれをすげなく振り払ってしまった。


「……叶ちゃんの分からず屋!」


 柚木は雪代が今まで聞いたことがないような大きな声で叫び、駆け出して行った。

 施設の裏手の薄暗い空間で微妙な距離感の二人が残される。


「おい、雪代。さっさとあとを追って慰めて来いよ」

「自分で行って謝りなさい」


 雪代は友人を泣かせた男に批難の視線を向けて冷たくあしらうが、仁戸はそれでも彼女のあとを追おうとはしない。それは、悪魔祓いになることを曲げる気はない、という意思表示でもあったのだろう。

 その代わりのつもりか、仁戸はぽつりと思い出したように呟いた。


「聞いたぜ、お前と柚木に養子の話が来てるって。柚木の奴は全く俺にそんなこと言わなかったけど」

「……」


 ここも一般的な児童養護施設と同じように養子縁組の話が来ることもある。ただ、その候補の条件に『悪魔について認知していること』という条件が付加される分、一般的な施設よりもその頻度は圧倒的に少ない。

 今回、その話を持ち込んできたのは定年退職を迎える協会の職員だった。

生活態度の優良な子供達の何人かが養子候補として挙げられており、雪代と柚木もその候補の中の一人として挙げられている。

 ただ、雪代の場合に限っては母に絡む特別な事情から早めに施設から追い出したい、という思惑もあってのことだと本人は推測していたが。


「まあ、良いんじゃねぇの? ここにいる奴らのゴールみたいなもんだろ。新しい家族、自分の部屋があってうまいもん食って、好きな時に風呂入って、好きな時に寝る」

「叶は、新しい家族は欲しくないの?」


 何しろ悪魔祓いになる、というのはそのゴールから真逆への道だ。


「要らねぇ。俺の親父もお袋もそれぞれ世界に一人だけだ」


 そう断言してしまう彼は強い、というべきなのかそれとも強情だというべきなのか。

 ただ、雪代は彼のその言葉に共感してしまった。

 どんな過去があろうと、どんなことをしようと雪代にとって母は母のままだった。


「そういうお前はどうなんだよ」

「どうって……何が?」

「雪代は悪魔が憎いのか? 怖いのか?」

「私は……」


 その答えはすぐには口をつかなかった。

 柚木や他の子供達のように、悪魔には二度と関わりたくないというような恐怖の感情は不思議と湧いてこない。だが、仁戸のように家族の復讐を成し遂げたいという激情もない。

 雪代の中にあるのはあの日から変わらない無数の「なぜ」だけだった。


「私は悪魔のことをもっと知りたい」

「はぁ? 知ってどうするんだよ」

「知っていれば、ママとパパは死ななくても良かったかもしれないから」


 むしろ、この施設に来て、柚木や仁戸、他の悪魔によって幸せを失った子供達をその目で直接見て、その「なぜ」は更に増えていた。

 なぜ、何の非もないはずの柚木や仁戸の幸せが奪われたのか。

 その答えを知るためには、きっと雪代は今よりももっと悪魔について知らなければならないのだと思った。


「……それでお前が悪魔に魂売った時は、ちゃんと俺が殺してやるよ」

「売らないよ」


 それ以上はお互いに何も語らず顔も合わせず、二人は柚木が走り去った方へと歩きだし、施設の中に入っていった。


 ◇


「聞きましたよ。養子縁組の話、断ったんですって?」


 施設にある面談用の応接室、そのソファに腰掛けた立花はコーヒーを啜りながら開口一番にその話題から切り出した。


「本当に家族が欲しい人が行くべきだと思ったから」

「……まあ、おっしゃる通りですね」


 雪代は立花の対面に座り、彼と同じようにコーヒーの入ったカップを手に取る。

 それを見た立花はスティックシュガーをさし出すが、彼女は無言で首を横に振ってそれを断り、漆黒の水面に静かに舌をつけた。


「あちゅ!」


 小さな肩が跳ね上がった。


「大丈夫です?」

「……大丈夫」


 雪代は一度コーヒーカップから口を離し、フーフーと息を吹きかけてそれを冷ます。


「それに、私のやりたいことをするためには養子縁組はしない方が良いと思ったの」

「やりたいことですか? もしかして、それが今日僕を呼び出したことに関係あります?」

「うん。ある……」


 協会と直接のつながりがある院長先生に無理を言って、立花を施設に呼び出し、話し合いの場を作ったのは雪代だった。

 要件はまだ伝えていない、伝えると来てくれない可能性があると思ったからだ。だが、立花は何か嫌な予感のようなものを感じ取り始めたのか、その表情はわずかに引きつり始めている。


「で、その要件とは?」


 雪代は何度も何度も息を吹きかけて、ようやく飲めるほどに冷めたコーヒーを一息で口の中に流し込む。


――苦いし酸っぱい……けど、暖かい――


 その味と熱を、父と母の思い出にしっかりと結び付け。覚悟を決めた雪代は自らが決めた答えを告げた。


「私、悪魔祓いになりたいの」


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