第四話 悪の一族
「ご馳走様でした……はぁ」
六畳ほどの窓の無い白壁の一室にて、神崎深夜は配給された今日の昼食を食べ終え、紙製の皿、プラ製のスプーンを順に眺め、これはとても脱走には使えそうにないと諦めてため息をつく。
――真昼はちゃんとご飯食べてるかな――
皮肉にもここ最近のレトルト食生活よりも冷えた配給食の方が栄養バランスに優れているであろう事実に苦笑いを浮かべながらも深夜は硬いベッドに腰かけて、自らの両手首を繋ぐ白銀色の手錠を見つめていると、ノックも無くガチャリと外側から部屋の鍵が開けられる音がした。
「また来た……」
深夜は辟易としながら扉の方に視線を向けると、そこにいたのは赤いメッシュの入った攻撃的な雰囲気を隠そうとしない黒コートの男。確か、名前は二戸と名乗っていたなと深夜は先日の顔合わせの記憶を思い出す。
「悪魔の居場所を教える気にはなったか?」
「この手錠を外してくれたら気が変わるかもね」
「余裕ぶりやがって!」
【苛立ちを声に乗せ、二戸は深夜の胸倉を掴もうと手を伸ばす】
「よっ、と」
左眼の未来予知を元に、深夜は両手を掲げて二戸が伸ばした腕を手錠の鎖で止める。
「っち!」
「悪いけど、まだアイツの力を使ってやらなきゃいけないことがある。だから、アンタらにアイツの居場所は教えられない」
「やることだぁ? 犯罪者が偉そうな口をききやがる」
「少なくともこの国じゃ、私人の拉致監禁も立派な犯罪ってことになってるはずだけどね」
「減らず口を!」
二戸がコートの内側に手を伸ばし、拳銃を取りだそうとした瞬間、その手首が第三者によって抑えられる。
「はいストップですよ、叶くん。無抵抗な相手への暴力は規律違反です」
二戸の暴行を遮った第三者、二戸、雪代と同じ黒コートを着た恰幅の良い中年男はギリギリと二戸の手首を締め上げ、拳銃の銃口を天井に向けさせる。
「立花さん。アンタもコイツの肩を持つってのか?」
「そういうわけではありませんが、やっていい事と悪い事のラインは弁えようって話ですよ。それに、彼の取り調べは捕まえた僕が担当することになっているはずですが?」
「……っち!」
そうして二戸は露骨に音を立てた舌打ちを残し、乱暴な音を立てて深夜の独房から出ていった。
「ウチの若いのが失礼しました。お怪我はありませんか? 神崎さん」
「手首痛いから、この手錠外してくれない?」
「残念ですが、それは無理ですね」
深夜はそう言って若干肉に食い込んで赤くなった手首を見せつけるが、立花は笑ってその要求を流す。
「手錠つけたまま独房に入れるとか、普通の刑務所じゃやらないでしょ?」
「確かに、普通の人間相手なら必要はありませんが、悪魔憑きに我々の常識は通用しませんからね、退魔銀の手錠は必須なんですよ……悪魔について教えてくれて、契約を破棄してくれるのなら外してさしあげますよ?」
「じゃあいいや、我慢して寝る」
深夜はあっさりと諦め、脇に立つ立花を尻目にベッドに横になる。
「お若いのに大した胆力ですねぇ。何もない部屋でずっと一人は退屈でしょう?」
「ここ最近寝不足だったから、好きなだけ眠れてそれなりに満喫しているけどね」
もちろん、霧泉市に残した家族の事を思う深夜の胸中には日々焦りと心労が募っている、しかし、そんな弱みを見せていては相手の思う壺だ。故に深夜は余裕なフリを続ける。
「全く……そんな感じで、紗々ちゃんも手玉に取ったんですか?」
「なんか言い方に悪意を感じるんだけど」
「コレは失礼……彼女は小さい頃から見知った教え子なもので、ホラ、彼女生真面目でしょう? 悪い男に騙されないか昔か心配していたんですよ」
「そんな親戚のオジサンみたいな……まあ、確かに一回は騙したけど。協力関係を言い出したのは雪代の方だよ?」
「ええ、その辺りは紗々ちゃんからも聞いていますから、嘘ではないのでしょうね」
立花はパイプ椅子を引き出し、深夜が横たわるベッドわきに腰を落とす。どうやら、深夜をゆっくり眠らせる気はないらしい。
「叶くんはあんな態度ではありますが、僕個人としては正直言って、かなり微妙な立ち位置なんですよ。紗々ちゃんの言う通り、君は悪人とはあまり思えない。ですが、悪魔憑きであり、我々協会に対して霧泉市の連続襲撃事件を隠蔽しようとしていたのもまた事実。それに唯一、和泉山間トンネルの事故の真相についても協力的ではありませんしね」
「そこについては俺もよくわかってないだけだよ?」
トンネル事故に関しては深夜自身も実はラウムの関与を疑っていたりする。何しろ彼女の異能は『破壊』だ。トンネルの天板を崩落させるなどわけないだろう。だが、これに関しては何度問い詰めても「よく覚えていない」と返されてしまうのだ。
「紗々ちゃんの主張は『信用できるのなら、悪魔憑きも利用するべきだ』とのことですが……ただ、紗々ちゃんの生い立ちが生い立ちだけに、上層部の心象を悪くしているんですよね」
立花はここにきて突然、弱音のような感情の漏れるような声を吐露する。
「雪代の生い立ちって……両親が悪魔を召喚しようとして死んだ、ってヤツ?」
「おや、聞いていたんですか?」
「軽くね」
あの時、彼女はその生い立ちが故に『自分は悪魔を倒すのではなく、悪魔から人を守りたい』のだと言っていた。今更だが、その思想はおそらく、この協会という組織の中では異端なのだろう。
「実際のところはもっと複雑なんですよねぇ」
「複雑?」
「そうですね……これ、僕が話したって紗々ちゃんには秘密ですよ?」
立花はおどけたように口の前で人差し指を立てる。
「今から十二年前です。僕はある悪魔憑きを探していました。彼女はロシアに根を張る、悪魔をご本尊として崇拝している五百年の歴史を持つカルト宗教のコミュニティから抜け出し、日本にやってきた……いわゆる邪教徒ってやつでして、その邪教コミュニティは世界中の協会とも長く諍いあっている間柄で、その魔の手が遂に日本にまで伸びてきた、と当時はてんやわんやだったんですよ」
「悪魔崇拝の邪教か……まあ、実在する分、下手な神様よりもご利益あるかもね」
黒魔術や悪魔召喚の魔導書などが現存するということは、それを書き記したり伝承してきた組織があったとしてもなんら不思議ではない。立花は邪教と呼称しているが、それはある種の魔術結社と呼ばれるものだったのかもしれない。
「なかなかのブラックジョークですね。とにかく、地道な調査の結果、その悪魔憑きはなんと、ロシアに留学していた日本人の青年に連れ添ってこの国に入国し、なんとその青年と結婚、子供までできていたというわけですから、協会は大慌てで彼女の身元の特定し、確保に向かいました。このままだと五百年続く悪魔憑きの血族がこの国に根を張ってしまう、とね」
「……」
深夜は黙って立花の話を聞くが、この話の結末はこの時点でおおよそ予想がついていた。
「そして……特定した悪魔憑きの住まう家に向かった僕が見たのは悪魔の代償によって燃え盛る家、そして、遺された当時七歳だった悪魔の事など何も知らない一人娘です」
「それが、雪代」
「察しが良いですね、学校の成績も良いタイプですか?」
「この流れなら誰でもわかる」
雪代は以前、自分の両親が悪魔と契約しようとして死んだと言っていたが、彼女の母親はただの悪魔憑きではなく、数百年と悪魔への信仰を受け継いできた一族の末裔だったというわけだ。
――そりゃ、確かに複雑だな――
「っていうか、むしろ協会はよく雪代を悪魔祓いにしようと思ったね」
「彼女自身の強い要望を受けましてね、当時も少々揉めましたが、僕が彼女の面倒を見るということで黙らせました」
「それで、雪代の身の上話を俺に聞かせて、アンタは俺にどうして欲しいわけ?」
深夜は歯に衣着せぬ物言いで立花に対峙する。情に訴えかけてくるつもりなのだろうかと警戒しての態度だったが、対する立花はそんな深夜に対して微かに微笑みかけるとゆっくりとパイプ椅子から立ち上がった。
「何を求めるというわけではなく、あなたには知っておいて欲しかった。というべきですかね」
「なんで、俺に……」
「だって、僕達は悪魔憑きの気持ちだけは一生わかる気がありませんから」
立花は深夜に背を向けて扉に向かう。余裕のある態度を見せてはいても、彼にもおそらく悪魔を憎むそれなりの理由があるのだろう。そして、それは彼だけではなく二戸叶を含めた協会の人間全てそうであり、それはつまるところ、雪代紗々を心から受け入れ切れないことを意味しているのかもしれない。
「そういうわけですから、僕達が信用できなくても、紗々ちゃんの事は信頼してあげてくださいね、神崎さん。これ、オジサンからのお願いです」
最後にそんな勝手な言い分を残して、立花は深夜の独房から出ていった。しっかりと外側から鍵をかけて。
――勝手なこと言われても、困るんだよな……――
深夜はベッドの上で仰向けになり、天井を眺めて深く深呼吸をする。
「真昼、父さん、母さん、和道、ラウム、セエレ、雪代……うん、まだ覚えてる」
深夜は誰もいなくなった部屋の中で、自分の過去の記憶を引きずりだしながら身の回りにいた人々の名前を口に出していく。
「学校の担任が大賀先生、数学が三木島……はもう学校にいないか、国語が遠藤先生で……」
――魔王の腕を斬るのに、どれくらいの代償をラウムに払ったんだろう――
クラスメイトの名前はほとんど思い出せない、だが、それが最初から親しくなかったのか、もしくはラウムの異能の代償で関係性を失ってしまったからなのか、深夜には自信が無くなってきていた。
「立花とかいう悪魔祓いには悪いけど、雪代の事を配してあげられるほど、余裕無いんだよね……」
とはいっても、この捕らえられた状況がそもそも他人を心配している場合ではない。ラウムや和道の性格上、助けようと何かしらの行動を起こしているはず、という信頼はあるのだが。
――ラウムも和道も……こういう時、何をしでかすか想像できないんだよな……――
セエレが二人のセーフティ役をしてくれている、そう信じて今は助けを待つしかない。半ば諦め境地で一旦、眠って体力を温存しようとした直後、
ドォン!
という轟音と共に深夜の独房、否、建物全体が揺れた。
「な、なに?!」
それは地震とは違う、何か爆発や崩落のような、二か月前のトンネル崩落事故を思い起こさせるような衝撃。そして、その正体を伝える焦りを帯びたアナウンスの声が建物全体に響き渡った。
『緊急警報、緊急警報、正面玄関に悪魔憑きが襲撃! 非戦闘員は早急に退避し、所内にいる実戦部の方は至急応戦に向かってください! これは訓練ではありません。繰り返します! 正面玄関に悪魔憑きが襲撃!』
「オイ待て……アイツら……いったいなにやったんだよ!」




