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いつか神を殺すまで  作者: 宮浦 玖
第四章「退魔の『協会』」
82/173

序幕 白と黒と赤と……

 ◆


「ねえ、ママ。コーヒーっておいしいの?」


 サラサラした柔らかな金髪の少女は、かすかなとろみのある漆黒の液体を眺めながら不思議そうにつぶやく。

 少女と同じく金糸のような髪とアッシュカラーの瞳を持つ母は、細い湯気の糸がのぼるコーヒーサーバーを見つめてから、うーんと悩む。


「そうね。苦くて、酸っぱい味」

「えー?」


 母の少々カタコトな日本語を聞いて、少女が眉をひそめる。

 当然だ、「苦い」も「酸っぱい」も彼女にとっては美味しくない味を表現する時に使う言葉なのだから。


「だけど、砂糖とミルクを入れると甘くて優しくなる。それになにより、飲むと暖かくなれるからママは好き」

「ふーん」


 そんな会話をしている間にコーヒーの抽出ちゅうしゅつは終わり、母はテーブルの上に置かれた二つの大きなマグカップにそれぞれコーヒーを注ぎ入れた。そして、最後にサーバーに少しだけ残った一杯分に満たない黒い液体を見て、既に食卓に座っている愛娘に問いかけた。


「サーシャも飲んでみる?」

「うん!」


 小さな子供用のマグにトクトクとコーヒーが注がれ、香ばしい焼けた豆の香りが室内に立ち込める。その匂いに釣られたかのようにスーツに着替えた少女の父がリビングに入ってきた。


「おはようママ、おはよう紗々(さしゃ)

「おはよ、パパ」

「おはようございます。ちょうどコーヒーできました」

「ありがとう。いただきます」


 父は母に感謝の言葉を述べてマグカップのコーヒーに口をつけて小さくのどを鳴らす。

 黒い髪、黒い瞳を持つ父には黒いコーヒーが良く似合う。

 娘からの視線を感じ取った父は少しだけ不思議そうな顔をしてから、すぐに彼女が両手で大事そうに持っている小さなマグカップの存在に気づいた。


「おや、紗々も入れてもらったのかい? 熱いから気を――」

「あちゅ!」

「……すこし、遅かったか」


 父の真似をしてグイっと一息に飲もうとしたが、れたてのコーヒーは舌先に触れた瞬間に味覚より先に痛覚を刺激した。


「大丈夫? サーシャ」

「……苦くて酸っぱい……」


 微かに口内に残った雫を舌の上で転がすが、感じるのは野菜とはまた違った苦みと鼻の奥に微かに残るような酸味。

 少女は一度テーブルの上に置いたマグカップを、正確にはその中身の液体を「これのどこが美味しいのだ」と恨めしげににらみつける。


「パパは特別なのよ」

日本こっちだとブラックはメジャーなんだけどなぁ」

「こうすれば、きっとサーシャも飲めるようになるわ」


 母は少女の頭を優しくでると、スプーンいっぱいのバニラシュガーとクリームを彼女と自分のマグカップに注ぎ入れた。そうすると、コーヒーの香ばしい香りはみるみる甘く変わり、スプーンでかき混ぜられた水面に白い色が混ざっていく。


「さあ、どうぞ」

「……! 甘くて、美味しい!」


 母の手によって白く染まったコーヒーに、今度は恐る恐ると言った感じで口につけると少女の目は驚きで丸くなる。


「美味しいコーヒーは甘い物だって、昔の人も言っていたのよ?」

「タレーランだっけ?」

「たれーらん?」


 それは雪代紗々にとって最も特別な記憶。優しい母と父と共に過ごした暖かな日々の思い出。


「悪魔のように黒く、地獄のように熱く」

「悪魔……?」


 幼い紗々が呟いたその言葉はまるでスイッチのように世界を作り替え、おだやかな朝の陽ざしを受けるリビングは、業火に燃える地獄の闇夜に変わった。


 ◆


「ママ! パパ!」


 木製のダイニングテーブルが燃える。観葉植物が燃える。ソファが燃える。床が燃える。壁が燃える。全てが炎へと変わっていく。


「これで、ずっと、ずぅっと一緒ですよ」


 その炎に囲まれながら、母が父を抱きしめている。


「ママ! ママ!」


 決して超えることのできない火炎の障壁。その向こうで、母は娘の声など聞こえていないかのように恍惚こうこつとした表情を浮かべている。

 自らの衣服に火の手が燃え移っていることすらいとわずに、母はぐったりとした様子の父を抱きしめている。


「ママ! ……」


 その声が届いていたのか、それとも最後まで聞こえていなかったのか、雪代紗々は今もまだわからない。


「サーシャ。さようなら、私の天使」


 そして、悪魔に魂を売った母が彼女をそう呼んだ理由もまたわからない。

 おそらくその答えは、もう二度と得られることもないだろう


 ◇


「ん……んっ……はぁ。また、嫌な夢を」

「嫌な夢ってのは、ろくでもない思い出の夢か? それとも……もう無くなっちまった物の夢か?」


 雪代は額の脂汗を手で拭い呟くと、予想外なことにその言葉への突っ込みが飛んできた。


かなえ……戻ってたんですね」


 壁に背を預けて立つ黒いロングコートに身を包んだ同僚、二戸にとかなえが雪代を見下ろしていた。

 膨らみの全くない硬いベッドから身を起こした雪代は、声の主が彼だったことを理解すると肩の力を抜いて、目やにを指先でこすり取る。


「それ、どっちも同じようなものじゃないですか」

「ふんっ、独房に入れられても呑気のんきに眠りこけられる精神がうらやましいぜ」


 赤いメッシュを入れてワックスでツンツンに尖らせた髪型と、不機嫌を一切隠していない鋭い目つき。他人を威嚇いかくすることだけを考えているようなビジュアルで嫌味を言う二戸の姿はかなり高圧的だ。だが、肝心の雪代は萎縮するような素振りは全く見せず、むしろリラックスしきった態度で彼の皮肉を受け流す。


「叶の気が短すぎるだけでしょう。それで、何の用です? こんな何もない独房までわざわざ来て」


 雪代はそう言ってわざとらしく六畳一間の家具も窓もない空間をアピールする。

 ここは雪代と二戸が共に所属する悪魔犯罪対策組織、通称『協会』その日本支部の更にその地下に存在する独房の一室だ。本来は悪魔の力を使い、罪を犯した人間、悪魔憑きを正規の警察に引き渡すまでの間、捕縛、隔離するための設備であり実体はほとんど留置所に近い。

 すくなくとも、雪代の知る二戸叶という人間は、わざわざそんなところまで用もなく挨拶に来るような人間ではない。


「チッ、舐めやがって……まあいい、用件は単純だ。神崎深夜かんざきしんやの悪魔について教えろ」

「聞いてどうするつもりですか?」

「決まっているだろう。俺達は悪魔(ばら)いだ。悪魔は殺す、一匹残らずな」


 やはりか、と雪代は肩を落とす。


「なら神崎さんに直接聞けばいいでしょう? 私と同じようにここに捕らえられているんですから」

「…………」


 しかし、二戸は何も言わない。おそらく、既に深夜のところに行ったが何も情報を聞き出せなかったのだろう。


――叶と神崎さんは相性悪そうですから、適当にいなされたんでしょうね、多分――


「神崎さんが言っていないのなら、私の口からも言えません」

「バケモンの肩を持つってのか! テメェ、それがどういう意味かわかってんだろうな!」

「わかっているから、大人しくここで閉じ込められているんですよ……ですが、相手が悪魔憑きであろうと、通すべき義理と道理はあります」


 神崎深夜とその契約悪魔ラウムとは少なくとも一度は協力関係を結んだ間柄。ならば、本当に彼に非があると確信できるまでは我が身可愛さに売ることはできない。それが雪代の主張だった。


霧泉むせん市の連続襲撃事件。御城坂みしろざか市の共同学塾ビルの倒壊。そして和泉山間トンネルの崩落。神崎深夜は立派な悪魔犯罪者だ。そんな奴に通す義理がどこにある」

「連続襲撃事件については報告した通り、彼がいなければ霧泉市は悪魔と契約した学生達によってもっと深刻な事態になっていた。彼の行動に悪意はありません。それに、一級警戒対象だった『収集家コレクター在原恵令奈ありはらえれなの捕縛にも彼は尽力してくれています」


 雪代はあくまでも神崎深夜は悪人ではないと主張するが、その毅然とした態度は二戸の精神を逆なでするだけであり、彼の声はさらに大きく、荒々しくなる。


「じゃあ、教導学塾と和泉山間トンネルも、アイツは正義のためにぶっ壊したって言いたいわけか?」

「少なくとも、もっと詳細な調査が必要な案件だと上層部には打診しています」

「馬鹿か! テメェは何を勘違いしている。俺達の仕事は悪魔をこの世から消し去ることだ」

「いいえ。私の仕事は罪のない人を悪魔の脅威から守ることです」


 お互いの意見は平行線のまま。

 これは彼女達が悪魔祓いとなった日、最初の仕事を終えた日から何度も繰り返された問答であり、お互いに一度も曲げなかった信念の言葉だった。だからこそ、二戸はこれ以上の問答は無駄だと判断し、忌々しそうに独房のドアに手を掛けた。


「悪魔の力をアイツが何に使ったかなんて関係ねぇ。バケモノに魂を売った時点でそいつは立派な罪人だ」


 バンッ! と叩きつけるように扉を閉めて、二戸は独房から姿を消した。


「仕方ないとはいえ、本当に昔から頭が固いというかなんというか……思いつめて、はっちゃけたことをしなければいいんですけど」


 狭い密室内に反響する音が収まるまで耳を塞ぎながら、雪代は去っていった幼馴染の将来に一抹の不安を抱く。


「っていうか、神崎さんも神崎さんですよ! 私があれだけ大人しくしてくださいって言ったのに! 何が『面倒くさいのは嫌いだ』ですか! 思いっきり面倒なことになってるじゃないですか!」


 二戸の前ではああ言ったが、二戸の短気が感染したのかもしれない。今更になって忠告を無視した深夜への怒りが彼女の中に湧き上がってきた。


「まったくもう……次に会ったら絶対に文句言ってやります」


 そこまで口にして、はたと自分が妙なことを言っていることに気づいた。

 次に会ったら、とはいつのことを言っているのだろうか。

 現状、雪代は組織への裏切りの容疑で、深夜は悪魔憑きとして、それぞれ捕らえられている身。そして、協会の上層部を納得させる算段はまだ一切立っていない。

 だというのに、当たり前のように自分も深夜も無事に出られる前提の未来予測を立てていた自分に驚く。


「神崎さん、そういう悪知恵は働きそうですからね。もしかしたら、もう脱走の目途が立ってたり……」


――あれ? 神崎さんが脱走に成功したとして、私を助ける理由ってないですよね。というか、もし助けられたとしても、その場合、今度こそ完全に協会と敵対することになる気が…………――


 雪代の背筋に、ぞわりと悪寒が走った。


「神崎さん……お願いですから、大人しくしていてくださいね……」


 その言葉が深夜に届くはずはないのだが、声に出さずにはいられなかった。




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