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いつか神を殺すまで  作者: 宮浦 玖
第三章 「教導学塾」
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幕間 三 君の名を呼ぶ



「真昼、危ないよ!」


――(神崎真昼)は、兄さん(神崎深夜)のことが苦手だった――


 きっかけは昔のこと、真昼がまだ小学校に上がったばかりの年。家族と共に少し山手にある自然公園に遊びに行った時の話。



「大丈夫だよ! まひる、木登り得意だもん」


 当時から体を動かすのが好きで、元気が有り余ったやんちゃ盛りだった真昼は、父や母、そして兄に『凄いね』と言われたくて、父と母から少し離れた場所にあった手頃な木で木登りを披露していた。


「もういいだろ! 真昼、早く降りてきなよ」


 高さは既に地上から二メートルに近いところまで昇り詰め、まだ当時七歳の深夜を見下ろすどころか、両親の身長よりも高い所に真昼はいた。

 恐怖が無いわけではない、むしろ、真昼の胸はずっとドキドキしっぱなしだ。そんな胸の昂ぶりを抱えて、真昼は下から声を上げている兄に向かって叫ぶ。


「ねえ、お兄ちゃん!」

「なに?」

「まひる、すごいでしょ?」


 こんなにドキドキするのはこれが危ないことだからで、そんな危ないことをしている自分は凄いのだと、小さな子供が陥りがちな無謀むぼうで的外れな価値観。今にして思えば全くめられるような事じゃない。


「……()()()()()()()()()()()()()、はやく降りてきて」

「おちないもん!」


 だけど、幼い彼女にはそんなことは思いもよらなくて、むしろこの強情な兄ももっと高く、木の頂上までたどり着けば、流石に凄いと言ってくれるに違いないと決めつけて、真昼は更に高く上に上がろうと、先の枝を掴み、足をそこに掛けようと持ち上げ――体を支えていたもう一方の足を滑らせた。


「あっ……」


 全体重がかかった右手はあっさりと掴んでいた枝から離れ、真昼の体は完全に空中へと投げ出され、背中から落ちた。


「……っ!」


 ドスン! と大きな落下音に気づいた父と母が顔を真っ青にして真昼達に駆け寄る。


「大丈夫かい、真昼!」

「真昼ちゃん!」

「大丈夫、ちゃんと受け止めたから」


 両親が青ざめた顔で心配する中、真昼を抱き留めた体勢で地面に仰向けに倒れこんだ兄だけはやれやれといった声色で真昼の頭を撫でていた。


「だから言ったろ、()()()()()()()()()()()って……」


 全力疾走した後のように、早鐘を打つ真昼の心臓とは対極に彼女を抱きしめる兄の胸から聞こえる鼓動はとくん、とくんと変わらないリズムを刻んでいた。

 その口ぶりから、深夜は最初から真昼が失敗することまで知っていていたのだと気づく。だから、真昼が足を滑らせても焦った様子も見せないし、落ちる場所も視えていたから、あっさりと受け止めて見せたのだ。

 その時になって始めて真昼は深夜の異能の本質を理解した。


――ああ、この人は……きっと『ドキドキ』なんてしないんだ――


 未来の結末があらかじめ視えている彼には、不安も無い、恐怖も無い、挑戦しないから、失敗も無い。そして、彼の言葉はきっとすべて正しい。そう思うと、全てを見通しているような冷めた目で未来を宣言する兄が、真昼の未来まで支配されているような気分になって、ずっと苦手だった。


 ◇


「ん……あれ。私、生きてる……?」


 意味のよくわからない、抑揚よくようのないリズムの歌によって、神崎真昼は暗い闇から意識を取り戻し、自分の心臓がまだ脈打っている事、体に痛みや傷が無いことを認識する。


「でも? どこここ? 教導学塾……かな?」


 妙に重い頭を支えながらまだ微かににじむ視界で周囲を見渡し、自分が円形の舞台の観客席に座らされていること、そして他の座席には隙間なくびっしりと教導学塾の白いケープを羽織った人達が立ったまま何かを歌っていることが分かった。


――なんか、不気味な歌……後、私もこのケープ着せられてるし――


 日本語ではないその歌唱は、歌というにはあまりにメロディラインというものが感じられず、どちらかというと読経どきょう朗読ろうどくのよう。その一人一人の声量は決して大きくないが、この大ホールにいる千人に及ぶ人々によってそれは大合唱に変わり大ホールの中に反響している。そんな中で自分一人だけが参加していないというのはかなり浮いてしまいそうだが、周囲の人間達は真昼の存在に目もくれずその謎の歌を歌うことに集中している。

 いや、集中しているというよりも、それはまるで……。


「催眠術にでもかかってるみたい……」


 歌う事しかできないように、彼らは虚ろな視線をホールの中心、円形の舞台に向けてその祝詞のりとを唱え続けている。

 真昼は彼らの目線の先に何があるのだろうか、前の座席にいる人の背を身を隠しながら、舞台の上をのぞき見、そこに立つフードの少年と紫の長髪の少女の姿を見つけ、呼吸が止まった。


――私あの人達に、連れてこられてたんだ……起きたことに気づかれる前に、逃げないと――


 口元を手で覆って息を殺し、姿勢を低く保ったまま物音を立てないように注意して真昼は座席から離れる。


――やっぱり、この歌っている人達……私の事は気にもかけてない――


 真昼が逃げ出そうとしているにもかかわらず、全く意にも介さず詠い続ける姿は異様ではあるが見逃してくれるというのなら好都合。真昼はフードの男が退屈そうに舞台の上をぐるぐると歩き回り、ちょうどこちらに背中を向けたタイミングを見計らって階段と階段の境目、ホールの出入り口に繋がる階段をうように上がっていった


――あと少し、で扉に……――


 そんな中、ちょうど階段に面した端の座席で歌っていた、二十台ほどの女性が糸が切れた操り人形のようにその場にバタンと真昼の通り過ぎた直後、その背後に倒れてきた。


「っひ! ……なに!」


 真昼がその物音に驚き、そちらの方に向く。倒れた女性は、ビクビクとしびれたような痙攣けいれんをしながら鼻や耳からドロリとぬめり気のある血を溢れさせていた。しかし、そんな状態にもかかわらず、地面に横たわった体勢のまま壊れた機械のようにボソボソと謎の歌をぼやくように呟き続けている。

 そこで真昼はようやくこの女性のように倒れている人は一人や二人ではないことに気づいた。耳を澄ませば不気味な詠唱に紛れて定期的にどこかでバタンと受け身も取らずに人が倒れる音が聞こえてくる。


――血……――


「うっ!」


――ダメだ……今はこらえないと、思い出すな、思い出すな、思い出すな――


 顔の穴という穴から血を流し続けてもなお、虚ろな目で言葉にならない言葉をつぶやくその姿。目を逸らしても、まぶたの裏にこびりついてしまったその映像に触発され、真昼の脳内でソレによく似た光景がフラッシュバックする。



 肌を焼く赤い炎と酸素を奪う黒い煙を、痛みにあえぐ傷ついた人々の姿を、崩落した穴から、土砂がこぼれ落ちる音、いつ生き埋めになるかわからない恐怖の記憶。


『助けて……誰か……』


「いやっ……!」


 一度スイッチが入ってしまったら、体はもういうことを聞かなかった。

 頭を抱えてその場に小さくうずくまり、目をぎゅっとつぶり、意味も無く肺が大量の酸素を求める。


「オイオイ。なんで意識があんだぁ? テメェ」

「ぁ……」


 そんな恐慌きょうこう状態の真昼に投げかけれる、少し高い、間延びした声。恐怖に支配された体が真昼の意思を無視して、見えない糸で後頭部を引っ張られるように、顔が勝手にその声の方に持ち上がる。


――見つかった……――


「……へぇ、なるほど、魔力抵抗ねぇ。ま、確かに大した暗示はかけてなかったが……コイツは悪魔と契約してねぇハズだろぉ? どういうことだぁ?」

「悪……魔?」


 我ながら、呆けた声が出たものだと思った。フードの男が突然発したその言葉は現実味の無いはずなのに、それと同時に、カズミ達を襲ったこの男はまさに悪魔と呼ぶのにふさわしいように思えた。


「リオンも気付かねぇレベルの残り香、か。……それにしては、この小娘もどうも何も知らされてねぇみてぇだなぁ」


 真昼の言葉にではなく、独り言のようで誰かと喋っているようなそんな話し方で、フードの男は言葉を続け、その隣に付き添うように立つ紅い目の少女は憐れむような目で真昼を無言で見下ろしていた。


――何も知らされてないって……――


「どう……いう……きゃっ!」


 どういう意味だ、と言葉が出来る前に、フードの男は、真昼の髪を鷲掴みにして耳元に顔を近づけ、囁いた。


「テメェの近くの人間……ま、大方家族の誰かに悪魔と契約したヤツがいるって話だよぉ」


 悪魔と契約。真昼は直感に近い感性でこの男の言っている事を理解する。


――悪魔って、ラウムさんの事だ。だったら、兄さんはあの日……――


 真昼のフラッシュバックがより鮮明になる。

 あの日の炎が真昼の肌を熱く焼く。

 あの日の黒煙が真昼の呼吸をさらに苦しめる。

 あの日の悲鳴が真昼の耳にこびりついて離れない。


「どうした、大声で助けでも呼ぶかぁ? ヒーローが助けに来てくれるかもしれないぜぇ」


 わかっている、いくら声を上げた所で誰も助けになんて来ないかもしれない。


 ◇


『……お父さん……お母さん』


 あの日も、そうだった。両親と共に、トンネルの中で横転した車に閉じ込められた。

 車体は歪み、真昼の体を挟みこむように捕らえて離さなかった。自力で抜け出すことはできない。いや、それどころか、炎の熱と衝撃で全身を打ち付けられた体にはもうまともに動く力など残っていなかった。

 そして、『何かが』トンネルの中で暴れまわり、その余波に晒されて天井からコンクリートの塊が落ち、壁は崩れていった。

 自分はここで、死ぬのだと。兄と違って未来が視えない真昼にもそんな確信が沸き上がってきた。

 痛いのは嫌だ、苦しいのも嫌だ、怖いのも嫌だ、寂しいのも嫌だ。死ぬのは……もっと嫌だ。


『だ……』


 死にたくない。


 意味なんてないかもしれない、誰にも届かないかもしれない。答えはわからない。

 兄と違って特別な力のない真昼には、その行動の先の結末が分からないけれど……いや、分からないからこそ、体に残った最後の力を声に込めることができた。


『誰か……助けて!』


 彼女の最後の足掻きは車の外、崩落した先の見えないトンネルの闇に飲まれて消え……そして、炎の爆ぜる音と土砂の崩れる音と共に、誰かの声となって返ってきた。


『……真昼!』


 残った体力をすべて失い、薄れゆく視界の中で真昼が最後に見たのは、必死に、歪んだ窓枠からガラスの破片で腕を切るのも気にせずに必死に手を伸ばす兄の姿。


『……よかった……間に合った……真昼が無事で、本当に良かった……』


 深夜は灰と泥に汚れた顔をクシャクシャにして、その手で助けた真昼を力強く抱きしめていた。


――……兄さん、泣きそうな顔してる……――


 全身が押しつぶされそうな不安からやっと解放されたのだと安堵する兄の顔は、本当に情けなくて、今にも泣きだしそうで、だけどその顔を見て真昼は心から安心した。


――なんだ……兄さんも、そんな顔、するじゃん……――


 ◇


「……助けて……兄さん……」


 そんな小さな、誰にも届くはずのない声を掻き消すように、大ホールの天井、その中心が轟音を立てて崩落した。


「真昼ぅう!!」


 黒鉄の大剣を携えて天井をぶち破り、神崎深夜は現れた。




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