第十二話 その名は――
「ナイス、直樹、セエレ!」
「いや、ナイスって言われても……なあ、神崎。これマジでどういう状況?」
頭に疑問符を浮かべて、塾長とラウム、そして深夜と周囲の人々のただならぬ状況に首を傾げている和道。とても、深夜のピンチに駆けつけてきたという雰囲気ではない。一方で深夜はというと、あからさまに不機嫌を隠すことなくずかずかと高原を抱きかかえ、意識を失った彼女を介抱しているラウムの元に歩みよる。
「それで、どうして和道がこんなにタイミングよくここに来たのか説明してよ、ラウム」
「アッ、アハハ……凄い偶然もあったもんだねぇ……」
深夜に詰問されているラウムの視線はあからさまに泳いでいる。偶然ではないことは明白だし、そもそも最初からラウムの言う策が「ラウムが注意を引いた一瞬の隙に和道とセエレが塾長を倒す」というモノなのだから、最初から彼らがここに来る事を分かっていた……というよりは彼らをいつでも呼べるように段取りをしていたのは間違いないのだ。
「本日の昼過ぎ、ラウムから直樹様に連絡があったのです。神崎様の妹様が攫われた、救助に入るので、このビルの近くで待機しているように、と」
ラウムに代わり、深夜の質問に赤髪の悪魔、セエレがその幼い外見と不釣り合いな堅苦しい言葉遣いで答える。
「昼過ぎ……俺が喫茶店で寝てる間に俺のスマホを使ったな……」
「おそらくは……ラウムからは深夜様には内密に、動くのはあくまでも非常事態の際に合図をしたときだけ、と念を押されておりましたから、独断だとは思っておりましたが」
セエレの説明を受けて深夜もようやく二人がここに現れた経緯を理解した。おそらくだが、合図というのは先ほどラウムがやっていた『魔力の無駄な放出』の事だろう。セエレもまた悪魔の感知能力を有しているので、ラウムの魔力を目印にすれば内部の構造をよく知らない建物にも問題なく跳躍できる。逆に、悪魔の感知能力を持っていなかった塾長は近くで待機していたセエレ達の存在に気付かなかった、ということか。もちろん、深夜もラウムが教えない限りは彼らの存在に気づきようがない。
「あぁ! なんで全部バラしちゃうのよ! 秘密にしてって言ってたじゃん!」
すると、ラウムは高原をその場に寝かせてセエレに駆け寄り抗議の意味も込めてその小さな肩を掴み揺さぶった。
「深夜様が説明を要求しているのだ。そもそも、今さら隠して何の意味がある。あと、揺らすな離せ、不愉快だ」
「正直に言ったら絶対に怒られるんだもん! 同じ悪魔のよしみで少しくらいは庇ってよぉ!」
「知るか、貴様の日頃の行いの結果だろう……」
先ほどの深夜や和道に対してとはまた違った方向性で幼い少女の外見に不釣り合いな不遜な口調で話すセエレ。
「っていうか、セエレ、私にだけ喋り方違うよね?!」
「当然だろう? 悪魔のお前に敬意を払う必要がどこにある」
「この猫かぶりめ……」
彼女の敬語にはセエレなりの基準があるらしい。そして、割と本気でラウムにうっとおしそうな視線を向けている彼女に対して、その相棒である和道はというと、深夜がいつまでも説明しないことに痺れを切らしたのか、的確に彼の視界の外、背後から狙いすましてその首にヘッドロックをかけに来た。
「神崎テメェ! 今後は俺も協力するって言ったのにまだ一人で勝手に危ない事やりやがって! 本当に、お前そういう所だぞ!」
「仕方ないだろ……さっきまで悪魔とは関係ない相手だと思ってたんだから」
「悪魔とか関係なくても頼りやがれ! あと、状況を説明しろ、俺達が殴ったこのオッサンは誰なんだよ!」
「っちょ! わかった。勝手に一人で来たのは謝るし、説明もするから……疲れてるんだ、今はそのノリは勘弁して……」
自身の首を絞める屈強な腕をタップし、降参の意を表し、解放された深夜は先日の真昼の失踪から今までに至る事のあらましを説明し、意識を失った塾長が着ていたローブを興味深そうに観察しているセエレを一瞥する。
「なるほど、人を操る悪魔と契約して、生徒をかき集めてたってわけか……」
「そういう事、……っていうかさ、和道、セエレの力、使ってて大丈夫なの?」
「ん? ああ、契約の時に魔力はだいぶ回復したから、コレくらいは大丈夫って言ってたぜ」
「セエレの方じゃなくて、お前の血の話だよ……」
数日前、召喚者を失い魔力切れで消滅の危機に瀕していたセエレを救うために和道は彼女と契約を結んだのだが、はっきり言って深夜はいまだにその契約についていい感情を抱いてはいない。何しろ、彼女の異能の代償は契約者の血液、人体はその血の二割が失われれば死ぬ。そして、和道は彼女との契約の際に既に少なくない量の血液を差し出しているのだ。
「大丈夫! あれから毎日レバーとほうれん草食ってるから!」
「そんな簡単な話じゃないっての……」
今度一度栄養学と人体について勉強して和道に教え込まなければいけないかもしれないという危惧を抱く深夜だった。
「その点に関してはご安心ください」
いつの間に深夜達の話を聞いていたのか、セエレが塾長から脱がしたらしいローブを引きずりながら、深夜達の元に寄ってきた。
「私は直樹様と契約はしましたが、私達の間に通った魔力のパスは極細いものしかありません。ですので、私が異能を使っても即座に直樹様から取り立てるという事態にはならないようにしてあります」
「俺達とはまた違うってことか」
深夜とラウムの場合は、異能を使えば即座に代償『他者との関係性』が奪われるのだが、同じ実体化でも契約の履行形態は悪魔によって異なるらしい。
「ただ、いくつか問題もあります。例えば、神崎様とラウムのように魂契詠唱による魔力の譲渡、いわゆる武装化はできませんし。あと、その……魔力の補給は私が消耗した際に適宜経口摂取で血液をいただくことになりますので……」
申し訳なさ半分、恥じらい半分と淡々と表情だった彼女が一転して微かに頬を赤らめて視線を逸らす。
「高校生の男の子とそれに噛みついて血を吸う幼女って傍目から見ると完全に危ない事案だよね!」
「ラウム、貴様、少し黙れ」
「そのいきなり私にだけ口調変わるの怖いんだけど!?」
ああ、なるほど。吸血鬼よろしく和道の首筋から血を吸いとるセエレの姿を想像し深夜はセエレの恥じらいを納得する。セエレの露骨なまでに契約者を立てようとする性格上、どちらかというと主人があらぬ誤解を生むことへの恥じらいといった感情の方が強そうだが。
「それより、ラウム、あちらの方々のケープはちゃんと集めてきたのか?」
「ちゃんと全員脱がせてきたよ!」
「そういえば、さっきからソレを見てたけど、二人して、それがどうかしたのか?」
先ほど、セエレが塾長のローブに興味を持っていたのは見ていたが、ラウムに至っては意識を失って廊下に倒れた生徒達が着ていたものを一つ残らず回収しており、そういえばと深夜は、ラウムがずっとこのケープに不快感を表していた事を思い出す。
「確認したいことがありまして、お二人にも見ていただきたいのです。ラウム、一つ貸せ」
「本当に私にだけ命令口調……ハイ」
ラウムが渋々と言った表情で脱がして集めたケープを受け取ったセエレは手に持ったソレをぐっと握り締めて、魔力を流す。ヒュンとセエレの異能『瞬間移動』が成功したことを表す風切り音の後、その小さな手に握られていたケープが数十センチ上空に現れた。しかし、現れたソレは猛獣の遊び道具にでもなった後のようにボロボロに引きちぎられてケープではなくただの白いボロ布にしか見えない有様となって現れた。
「やはり、魔力抵抗の拒絶反応……このケープ、魔道具ですね」
「ラウムが気持ち悪がってたのも、この拒絶反応が原因か」
「おそらく……」
「おい、ちょっと待った! 悪魔初心者の俺にその『マリョクテイコー』と『キョゼツハンノー』についての説明を求める!」
深夜とセエレだけで納得して話が進みかけたので、和道が手を上げて元気に問い掛ける。そのノリは完全に学校の授業だが。
――そもそも悪魔に初心者とか上級者とかあるのか?――
「これは失礼しました。簡単に説明しますと。私達悪魔の魔力は一人一人で性質が異なり、互いに異物として反発しあうのです、これが魔力抵抗といいます」
「なるほど、で、拒絶反応っていうのは?」
「魔道具のように本来の持ち主の管理から離れた魔力は他の悪魔の魔力に対して過剰な抵抗を示し、結果的にその魔道具自体が破損したり、触れた悪魔に悪影響を及ぼすのです」
「メチャクチャ酷いアレルギーみたいな感じか?」
「理屈は近いかもしれません」
セエレはそう言いながら自身の手に握られたズタボロのケープに目線を向ける。先ほどの説明を合わせて考えるとこのケープには別の悪魔の魔力が込められており、それに対してセエレが無理やり魔力を注ぎ込んだ結果、自壊したということになる。
「神崎様やラウムから聞いた話を合わせて考えれば、このケープには塾生の人々を洗脳するためのアンテナのような役割があったのだと思います」
ラウムの魔力による抵抗のおかげで影響を受けることはないと分かっていても、流石に洗脳のための道具と分かると気味が悪いので深夜は即座にケープをその場に脱ぎ捨てる。
だが、このケープが本当に魔道具だったとすると、気になる事は増える。
「でも、ラウムはこのケープが魔導具だって気付かなかったんだよね?」
「ハイ。というより、今この時点でも私にもこのケープからは魔力の匂いを感じ取れないのです。おそらく、その点に関しては別の悪魔の異能が関係しているかと」
「魔力の匂いを隠す異能の悪魔。ってのもいるわけ?」
「うん、いるよ。たしか、グラシャラボラスや……シャックス辺りがそういう異能だった気がする」
「ですが、彼らの異能とは少し違うようにも思えますので、断言はできません」
ラウムとセエレも心当たりがいないわけではないが、どこか引っ掛かると言った様子。となると、その答えを知っているであろう人間に直接聞くのが最も手っ取り早いだろう。
「その辺りも含めて……続きはアイツから聞くしかないか」
深夜の視線の先にいるのはセエレに蹴り飛ばされて壁にもたれかかる形で意識を失っているこの教導学塾の指導者。悪魔のこと、そして何より妹の居場所を聞き出すためにも、深夜はその男に近づき、その頬を叩く。
「おら、起きろ。アンタには聞きたいことが山ほどあるんだ」
「ラウムちゃんが一発蹴り入れようか?」
「トドメさすんじゃないんだから、余計なことしなくていいよ」
幸い、セエレの一撃も彼に致命的なダメージを与えたわけでは無かったらしく、軽く揺さぶるだけで塾長はすぐに目を覚ました。
「ぅ……なんだ? 私は、何を?」
「おい、お前が攫った人達はどこにいる」
深夜は意識を取り戻した塾長の胸倉を即座に掴み、真っ先に真昼の居場所を問い詰める。だが、寝ぼけたような虚ろな表情から徐々に目線をはっきりとさせ始めたその男の様子はどこか少しおかしい。
「……誰だ、お前達は?」
「……はぁ?」
「……いや、お前達は、侵入者……そうだ、私の邪魔を……じゃま、とは何の?」
「お前、何言ってんの?」
「当たり所悪くてオカシクなっちゃったとか?」
見るからに困惑した表情を浮かべ、質問する側とされる側が見事に逆転してしまったこの状況。深夜の油断を誘っての演技という訳でもないらしく、塾長は自らの頭を押さえて必死に記憶を探りはじめた。その様子を見て、深夜の背筋に薄ら寒い嫌な予感がよぎる。
「……今は、何月だ?」
塾長の縋るような呟きで、深夜の嫌な予感が確信に変わり、震える声を押し殺してその問いに答える。
「今は、六月だ……お前は、何月だと思ってた?」
「一月……だったはずだ、ああ、そうだ。忘れもしない! あのガキが私の元に現れたあの日……あの日? どういうことだ、私の記憶だというのに、私の身に覚えが無い、何だこれは!」
塾長は自身の記憶と認識の祖語に混乱し、頭を抱えて狂乱する。
「お、おい、神崎。どういうことだよ? このオッサン、なんでこんな滅茶苦茶なこと言ってんだ?」
「……こいつも、生徒達と同じように操られてたってだけってことだ」
セエレが言っていたように、ケープが人を操るための道具であるのなら、同じ意匠である彼のローブが同じ効果を持つ魔道具だったとしても何らおかしくはない。いや、それどころか、この取り乱しようから察するに、彼だけは他の生徒や職員とは違い、一月から半年近くも自由意思を奪われ続け何者かの傀儡として振舞っていたことになる。
「オイ! 落ち着け、一月にガキが来たって言ったな! ソイツについて思い出せ!」
深夜は暴れ狂う塾長の肩を乱暴に揺さぶり怒鳴り声をぶつけるという荒療治で、その思考を誘導する。状況証拠は多くないが、現状、塾長を含めてこの教導学塾の人々を操り、暗躍しているのは彼の言うその『ガキ』である可能性は高い。
「……声の高い男……顔はフードを被っていて覚えていない、それと、人形のような赤い目の女……お前達を同じくらいの年齢だった……ああ、確か。男の方はこう名乗っていた……」
塾長脳裏に浮かぶ言葉を吐き出すように、呟いていく。
「……三雲零」
半年前、自らを襲ったバケモノの名を。




