第九話 愛菜の願い
「真昼が攫われたって、どういう意味よ!」
「…………言葉通りの意味だよ、君が住んでるあのビルに真昼が捕まってる。だから助けに行きたい」
「それが意味わかんないって言ってるの!」
高原愛菜を教導学塾前にある喫茶店に呼びつけ、真昼の失踪を伝えると、彼女は声を上げて立ち上がり深夜に詰め寄った。
「深夜いきなりぶっこみ過ぎだよ! とりあえず、愛菜も落ち着いて話聞いてくれないかな? っていうか、他の客がメッチャこっち見てるし……」
深夜の隣に座るラウムの言葉に高原は渋々と席に腰を落とし俯くようにテーブルの上で握られた拳を見つめる。
幸運にも他の客や店員には「攫われた」というワードは深く捉えられなかったらしく、若い男女の痴話喧嘩だとでも思われたのか、すぐに彼らに向いていた注目の視線は無くなった。
「いきなり、そんなこと言われても信じられないよ……」
高原は溢すように俯いたまま、深夜の言葉を受け入れられないと呟く。いきなり呼び出されたと思ったらそんなことを言われたのだ、混乱するのも当然だろう。
「そんな嘘をついても仕方ないだろ……少なくとも、真昼のスマホのGPSの反応があのビルの中にあるのは確認済みなんだ」
「そもそも、なんで教導学塾が真昼を誘拐しないといけないの? あの子が捕まる理由なんてないじゃない」
「それは君を教導学塾から連れ出そうとしていたから、だと思うよ」
深夜はそう言いながら、鞄から一冊のスクラップ帳とボイスレコーダーを取り出し高原に差し出す。
「なに、コレ……?」
「真昼の部屋にあった。教導学塾の黒い噂についてとか、資産運用の誤魔化しの痕跡とかそういう資料が纏められてる。あと、こっちのボイスレコーダーは真昼と君の両親との会話とかが録音されてた」
高原はパラパラとスクラップ帳を開き、その内容を黙読していく。深夜も昨夜、真昼の部屋でソレを見つけた時に一通り目を通していたが、教導学塾の経営に関するカネの流れ、失踪した人々のリスト、塾長の過去の不祥事の証拠などが事細かに記されており、とても中学生が一人で調べ上げたとは思えない内容だった。それらを静かに、時間をかけて隅々まで読み終えた高原は視線を下に向けたまま深夜に問いかける。
「教導学塾について調べてた真昼が……邪魔だったから、捕まったってこと?」
その声は口にしたくない言葉を絞り出しているかのように震えていた。
「俺はそう考えてる」
今にも虚勢が崩れてしまいそうなほど弱々しい高原に対して深夜は敢えて淡々とした無感情な返答を返す。彼女は何も言わず、ただ、一滴の雫がスクラップ帳の上に落ちた。
「深夜ぁ……女の子を泣かせるのはラウムちゃん良くないと思うな、もっと紳士的な言い方とかさぁ」
――仕方ないだろ、どんな言い方をしても未来で泣いてたんだから――
深夜達の困惑を他所に、高原は目を赤くしたまま、涙がこぼれるのを堪えるように天井を仰ぎ見て、誰に聞かせるでもなくぼやいていた。
「あーあ。もうわけわかんない。部活辞めて受験勉強に専念しろとか、友達は選べとか煩い両親からやっと逃げられて、教導学塾の人達に救われたと思ってたのにさ……今度はその教導学塾が私の友達を誘拐しました、って……何よそれ、ホント、頭がおかしくなりそう」
信じていたはずのものが、彼女の大切なものを奪ってしまったのかもしれない。その落差が彼女の感情に与えた衝撃を深夜達に推し量ることは出来ない。だが、それでも深夜は彼女の力を借りるため自分なりの言葉を紡ぐ。
「人との繋がりを切り捨てれば願いが叶って幸せになれる。あの塾長はそう言ってたけどさ、俺はそうは思わない……」
「……え?」
高原は天井を見つめていた顔を降ろし、赤く潤んだ目を深夜に向けて、突然何を言い出したんだ、と疑問符を浮かべる。深夜はその表情を気にせずに言葉を続けた。
「だってさ、願いって誰かとの繋がりから生まれるものだよ」
深夜はラウムと共に悪魔契約者と戦ってきた今までを振り返り、人の願いと言うモノに触れてきた。
無辜の人々を悪魔から守りたいと願った雪代紗々のように。
娘との約束を果たしたいと願った秋枡円香のように。
父を死の危機から救いたいと願った在原恵令奈のように。
他にも色々な願いがあった。死んだペットを生き返らせたいという願い。意中の異性に愛されたいという願い。スポーツでライバルに勝ちたいという願い。そして、深夜自身の家族と共に平穏を生きたいという願い。その全てが誰かとの繋がりの中に生まれた願いだった。
「誰との繋がりもなく、自分のためだけの願いなんて、よくよく考えてみればほとんど無いんじゃないかって思う。もし仮に、そんなものがあるとしても、それは願いじゃなくて……」
あの塾長の言っていたことは受け入れられない、しかし同時に半分は正しいと深夜は思っていた。どこまでも他人を切り捨て、手段を選ばずにたった一つの目的を目指せば、きっとどんな願いも必ず叶えられるのだろう。
だが、だからこそ……必ず叶えられるのならば、ソレはもう願いとは言えない。
「ただの欲望だ」
「……欲望……」
「なあ、高原、教えてくれ。お前が教導学塾には行ってまで叶えたかった『願い』ってのは何だったの?」
「私の、願いは……」
愛菜は再び俯き、自分の手をじっと見つめ、数秒の無言の後、その答えを導き出した。
「真昼と一緒にテニスしたり、遊んだりしていたい。これからも、ずっと」
過干渉な家族から離れることはあくまでもそのための手段でしかなかった、真昼から逃げていたのは自分の選択を拒絶されるのが怖かったから。高原は今更ながらにそのことに気づかされ泣きそうな目付きで自嘲気味に笑う。
「アハハ……手段と目的が入れ替わるって、こういう事を言うんだ」
「まあ、若いからそういう事もあるでしょ」
「いやいや、お兄さん。一歳しか変わらないじゃないですか」
抱え込んでいたわだかまりが吹っ切れたのか、先ほどまで肩に入っていた無駄な力が抜けたらしく、高原の声は先日の軽い口調に戻り、何かが腑に落ちたように深夜の顔を見て小さく少しだけ同情の色を混ぜたため息をついた。
「あぁなるほど……スマホのGPSといい、真昼の気持ちがちょっと分かったかも」
「何それ? 真昼がなんか言ってたの?」
「お兄さんは知らない方がいいと思うなぁ……っていうか、お兄さん。私が真昼の友達っていつ知ったの? 最初は明らかに気づいてなかったよね」
――真昼は俺の事をなんて言ってるんだよ……――
悪戯っぽくはぐらかされた上、別の話題まで振られてしまっては気になるがこれ以上掘り下げることもできない。
「昨日、真昼の部屋を調べてて、二人が写ってる写真見つけた時だけど……」
今にして思えば、高原の態度はヒントだらけだったことに気づく。真昼と同じ制服を持っていて、テニスラケットを持っていたならその時点で部活の知り合いくらいは疑うべきだった。
「もしかして、俺の事『お兄さん』って呼ぶ理由も……」
「真昼も『神崎さん』だから違和感あって、かといって深夜さんって呼ぶのも馴れ馴れしいでしょ? だから、お兄さん」
「やっぱりそういう事か……」
どうりで名前を教えた後も変えなかったわけだと深夜は納得する。
「それと、教導学塾の紹介状を二枚渡したのも、お兄さん経由で真昼を誘おうと思ったからなのに……」
高原はそう言いながら深夜の横で知らぬ間に注文していたらしいチョコケーキを頬張るラウムをチラリと見る。
「あー。だから私が深夜と一緒に来た時に不思議そうな顔してたんだ! スッキリ」
――なんだよ、これじゃあまるで俺が鈍感過ぎて余計なことしてたみたいじゃないか――
彼女が妹の友人だと初めから分かっていたら即座に真昼から話を聞いたうえで調査を辞めさせていた。そうすればこのような事態にもならなかっただろう。
「……ゴホン。まあ、その話は置いといて。俺も君も真昼を助けたいっていう気持ちは同じはずだ」
少々強引だが、話が横道にそれかけていたのも事実なので、わざとらしく咳払いをして当初の話に戻す。
「助けに行く、って言ってたけど、どうするの?」
「そのために、君の力を貸して欲しい。俺達だけじゃ中を探そうにも門前払いを食らう」
「なるほどね、わかった。私からの入塾紹介って形なら二人をあのビルの中に入れるのは大丈夫だと思う」
「じゃあ、早速……」
「でも、ちょっと待って!」
今すぐにでも教導学塾に乗り込もうと思っていた深夜を高原が制す。彼女はそのまま喫茶店に置かれた壁掛け時計をチラリと見やった。
「今からじゃなくて、入るのは夜の九時から、じゃダメかな?」
「……なんで?」
夜に忍び込むというのは悪くない提案だが、人々が寝静まった時間、というには少々早い。そんな時間を指定した意図は何なのかと深夜は高原に問いかける。
「その時間から、集会があるの。それも珍しく全員参加が義務付けられてる特別なヤツが」
「……また妙な時間だな」
「セイシンが揃う特別な日と時間だから……って塾長が言ってた気がするけど。とにかく、その間はあのビルにいる人は皆、この間の大ホールに集まるはずだから……」
「他の塾生に怪しまれにくくなるわけだ。わかった、そのタイミングで行こう」
「じゃあ、私の方でもできるだけ準備をしてくるからまた夜の九時に、またここで」
高原はまだ涙の痕が残る目尻をゴシゴシと乱暴に擦ってから、毅然とした顔つきで教導学塾のビルに戻り、喫茶店のテーブルには深夜とラウムだけが残された。
「……なに? 俺の顔じっと見て」
「いや、てっきり『夜まで待てるか、今すぐ乗り込んでやる』って言うと思ってたから」
「……不安が無いわけじゃない、けど。今、ここに雪代がいないんだ、騒ぎを大きくしたら、仮に助けられても協会に俺達の存在がバレるだろ?」
そうなれば、今度こそ真昼を悪魔関係のイザコザに巻き込んでしまうかもしれない。一度だけ助けるだけでは意味が無い、深夜の目的は真昼が平穏無事に過ごしていけるようにする事なのだから。
「ああ、だから直樹やセエレにも頼らなかったんだね」
「セエレの異能を借りれば確かに侵入は簡単だけど……出来るだけ悪魔の力は使わずに解決したいってのが本音」
――それに和道の性格上、下手に頼ったら『代償』の事を気にせずにセエレの力を使いそうだし――
「まあ、確かに悪魔の匂いがしないんだし、私と深夜ならラクショーだよね、きゃるん☆」
いつもの謎擬音と頬に人差し指を当てたぶりっ子ポーズを取るラウムだが、今回は珍しくすぐに穏やかな表情に変わり、深夜の視界の外からこっそりと深夜の後ろに伸ばしていた左手でグイっと彼の頭を抱き寄せた。
「えい!」
「なっ! いきなり何すんだお前は!」
「だって深夜、昨日の夜からずーっと!真昼を心配してて寝てないでしょ? 愛菜との約束の時間まで今のうちに寝ちゃいなよ」
普段なら、この程度の奇襲は許さない深夜がラウムに抱きしめられている、それだけ心身共に疲労が溜まっている証拠だと気づかされた。だが、それはそれとして。
「……俺が寝てる間に何する気だよ?」
「何かする前提!? ちょっとは私の事信頼してよ!」
そんな突然ここで寝ろ、なんて言ってくるなんて何か裏があると思うに決まっているだろうに。
「じゃあ、なにかしたら一か月お菓子禁止な」
「一か月は長くない!? せめて一週間で勘弁して!」
「何もしなきゃいいだろうが……ったく……じゃあ。八時に起こして」
「おけおけ!」
ラウムは全く信用できないが、真昼の救出のためには少しでも体力は回復するべきだ。軽い諦めと共に大人しくラウムにされるがまま、その冷たく静かな胸元に顔をうずめ、深夜はそっと瞼を降ろした。
「……ちょっと硬い」
「ラウムちゃん泣くよ?!」
このハグ魔は枕代わりにするには少々骨ばっていて、寝心地はあまり良くなかった。




