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いつか神を殺すまで  作者: 宮浦 玖
第三章 「教導学塾」
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幕間 一 神崎真昼の物語


 それは五月の中頃、ゴールデンウィークの連休が明けて、神崎真昼がようやく学校に復帰した日から始まった。


「真昼! マジで心配したんだからね? 面会謝絶めんかいしゃぜつなんてドラマ以外で初めて聞いたよ」

「あー、アレ? アレはマスコミの取材がしつこ過ぎたってだけで私はいたって軽傷。ちょっと足首をひねっただけで……あ、そうだ。ねえ、愛菜ってどこのクラスになったか知らない? こっちから連絡入れても全然返事くれなくて」


 真昼に問われたテニス部のクラスメイト達は一様に複雑そうな顔つきに変わり、各々が無言で目を合わせた。


「なに、みんなどうしたのよ? なんか変だよ?」


 まるで時限爆弾を押し付けあっているかのような嫌な雰囲気に真昼は強烈な疎外感を覚え、そんな言葉を口にしてしまう。

 そんな中、意を決したように真昼と三年間同じクラスだった友人が一歩前に出て真昼に告げる。


「あのね……あの子、三年に上がってから一回も学校に来てないんだよ」

「え? 学校に来てないって、どうして? あの子皆勤賞だったよね」


 真昼にはその言葉の意味がよくわからず、愚直に問い直す。対して、周りのクラスメイト達はやはり無言のアイコンタクトを繰り返すだけ、真昼はたった一か月休んだだけなのに自分が知らぬ間に異世界にでも来たのかと思わずにはいられなかった。


「真昼さ……『教導学塾』って、聞いたことある?」


 これが始まり。いや、彼女が気づいた時には『神崎真昼の物語』はとっくに始まっていた。


 ◇


「ああ、うん。ありがと、大丈夫、変なことはしないから」


 真昼はパソコンのチャットツールの通話を終え、ネットゲームの知り合い達から聞いた情報をメモに纏めていく。


『教導学塾』

 五年前から経営されている私塾……という名目で高額な自己啓発セミナーの参加費を巻き上げていた典型的な悪徳組織。


「それが、今年に入ってから急に方針を変えた……」


 今までは拝金はいきん主義としか言いようのなかった教導学塾という組織が突如として無償で塾生の生活を保障するような活動を始めた。その急な方向転換の結果、数十人に過ぎなかった教導学塾の塾生は爆発的に増え、今や千人を超える勢いだという。


「急に慈善事業に目覚めた、なんてありえない。絶対に何か裏がある」


 真昼はパタン、と膝の上に乗せていた教導学塾についての調査資料をまとめたスクラップ帳を閉じ、デスクトップパソコンの上に立てかけていた写真立てを手に取る。

 その写真に写っているのは二人のテニスウェアを着た少女。一人は神崎真昼、そしてその隣で真昼の肩に手を回している前髪を横に流して綺麗な額を見せている少女、高原愛菜。


「なんで相談も無くそんなとこに行っちゃったのよ、あんたは」


 この写真は二人が中学テニスの新人大会で初めてダブルスを組んだ時に撮った写真だ。大会の結果は惜しくも四位、表彰台には一歩及ばなかったがこの日の記憶は二人にとってはとても大切な思い出となっている、少なくとも真昼はそう思っていた。


 神崎真昼と高原愛菜は初めて出会った時から妙に気が合った。理由は簡単、二人は似たもの同士であり、似た悩みを抱えていたからだ。

 真昼は『未来を視る特殊能力』なんてものを持っている兄の過干渉が苦手だった。愛情、過保護と言えば聞こえはいいが、それは深夜が真昼を無力な存在で、信頼に値しないと決めつけられているように思えた。

 愛菜は自分に過度な期待を向ける両親が苦手だった。将来の事を思って、と彼らは口にするが、今の自分の意思が蔑ろにされているのだと思わずにはいられなかった。

 人に言わせれば反抗期の一言で済まされてしまうような彼女達のそんな悩み。だからこそ、真昼にとっての愛菜、そして愛菜にとっての真昼はそんな悩みを打ち明けられる唯一の相手だった。


――愛菜が両親と仲が悪かったのは前から知ってた。だから、今の教導学塾に入る、っていうのは正直、変だと思わない……けど――


 真昼は教導学塾についての調査を進めている間、愛菜の両親に直接話を聞きに行った事があった。その時、彼女の母はこう言った。


『愛菜に関しては彼女が決めたことを尊重してます』


――娘の部活動にすら良い顔せずに一度も応援に来なかった人が、あんなこと言うと思えない――


 彼女の両親は典型的な学歴主義者で、休日のスケジュールも厳格に束縛したがるタイプの人間だった。それがいきなり、娘が学校にいかなくなり、その上私塾で生活をするようになったことを認める。その意見の変化こそ、真昼が今回の一件の裏に潜む何かを感じている最大の理由だった。


「あれじゃ、まるで催眠術にでもかけられたみたい……っていうのは、アニメの見過ぎか」


 真昼は自分の思考が行き詰まっている事に気づき、自嘲気味にため息をついて天井を見上げた。そういえば、もう随分長いことアニメも見てないし、ゲームもしてないな、と真昼はここ最近の自分の生活を振り返り自嘲気味に笑った。トンネル事故以前は勉強している体で隠れてコソコソゲームをしていたものだが、今は同じ要領で兄やラウムに隠れて教導学塾について調べている。気が滅入ってくるのも当然だろう。


「はぁ……次は、どうしよう」


 口に出しながらも、真昼自身、本当にすべきことは既に分かっていた。教導学塾に直接乗り込んで愛菜を呼び出し、説得する。だが、恐怖心がその最期の一線を越える事を躊躇わせていた。


――もし、あの子が私の言葉を全部拒否して、教導学塾に残ることを選んだら――


 その最悪の未来が怖い。だから、真昼は教導学塾の情報を集め、危険であると愛菜に伝えるための状況証拠だけを延々と集め続けていた。


――兄さんみたいに未来が見えたら。こんな風に悩まなくていいのに――


 真昼はじっと壁に掛けられた時計を見つめるが、どれだけ睨みつけても時計の針は一定のリズムを刻み続けている。同じ両親から生まれて何故兄にだけあんな不思議な力が与えられたのか。それは真昼の永遠の疑問のタネであり、兄への苦手意識の根源だった。


――はぁ……分かってるよ。家族に相談した方が良いことくらい……でも、兄さんも明らかに私に何か隠してるし……――


「うわっ! あ、通話? 誰から……」


 突如として机の上で振動音を響かせたスマホを手に取り、通話ボタンをタップする。


「はい、もしもし」

「おお、神崎、俺だ」


 詐欺を疑うような応答を返す電話の相手、しかし真昼はその声に憶えがあった。


「カズミさん? どうかしたんですか?」


 スマホの画面が示しているのは教導学塾について一緒に調べている協力者の青年の名前だった。御城坂市に住む彼も真昼と同じように教導学塾に取り込まれてしまった友人を取り戻すために動いており、真昼は今までも何度か彼らと情報交換を行っていた。だが、どうも今の彼の声からは少し焦りのようなものを感じる。少なくとも、良い知らせが入った、という雰囲気とは違いそうだ。


「いきなりで悪いんだが、今から御城坂に来てくれねぇか」

「今からですか? いいですけど……何かわかったんですか?」

「わかったっていうか、分かりそうなんだが、俺達だけじゃ難しそうなんだよ……とにかく、詳しいことは後で説明するからすぐに来てくれ」


 イマイチ状況が分からないが、とにかく彼らの捜査に何か進展があったという事と推測し、真昼はスマホを肩と頭で挟み、ヘアゴムを手に取って髪を一括りにまとめ上げる。


「わかりました、すぐ行きます。」


 詳しい場所を伝える事すら忘れるほどの何か。それが愛菜を連れ戻す切っ掛けになると信じ、真昼はパソコンの電源も落とさないまま、家を飛び出し、御城坂に向かうことにした。


 ◇


 カズミに呼び出されたのは御城坂の駅近く、オフィスビルに挟まれた狭い路地だった。


――ここ、この前兄さんと来た時に、愛菜を見かけたところだ――


 あの日は、塾の外で見かけると思っていなかった真昼は深夜とラウムを残して、彼女の後を追ったのだが人混みに紛れて見失ってしまったのだった。そんな奇妙な偶然に微かな恐怖を覚えつつ路地裏に一歩踏み込むと、ビルの壁にもたれるように、カズミの友人である両耳が垂れるほどの大きなピアスを付けた青年が真昼を待っていた。


「よう、いきなり呼んで悪かったな」

「ソレは別にいいんですけど、なんでよりによってこんな……」


 真昼がそう言いたくなるのも仕方ないだろう、不良グループが女子中学生を呼び出す場所としては最悪と言っていい。教導学塾の捜査の過程で信頼関係を気づいてなかったらまず来なかっただろう。


「それには事情があってな」

「事情、ですか」

「あのクソ塾の重要人物……らしい女を捕まえたんだが」

「捕まえたって……まさか!」

「勘違いすんなよ、手荒なことはしてねぇ」


 ピアスの青年は慌てたように真昼の疑念を訂正するが、路地の奥を一度見つめ説明に困ったような表情を浮かべた。


「けど、人目のある場所で話を聞けると思わなかったんでここに連れてきたんだが……詳しくは奥でカズミから聞いてくれ。俺はあくまで見張り番なんだ」


 確かに真昼を呼び出したのは他でもないカズミだ。直接彼から話を聞いた方がいいと判断した真昼は路地の奥に向けて歩みを進め、しばらくして、頭の頂点が黒く変わった金髪とドクロのタトゥーの入ったスキンヘッド、二人の大学生ほどの後ろ姿と、彼らの正面に立つ、教導学塾の例の白いケープを着た長髪の女性らしき姿が目に入った。


「カズミさん、お待たせしました」

「よう、神崎……いきなり呼び出して悪かったな」


 真昼が背後から声をかけると、プリン頭の青年が振り返り、疲労の色を帯びた表情で真昼に会釈えしゃくした。


「話は軽く聞いてきましたけど……その人が教導学塾の重要人物、ですか?」


 一応、少女には聞こえないようにするべきか悩んだが、何せ少女と青年達の距離は一メートルほど、間に遮る物も無いとなればひそひそ話もできたものではない。真昼は諦めて少女にも聞こえる声量でそう問いかけたのだが、その少女本人はピクリとも反応しない。


「ああ……どういうわけか、塾のヤツら敬語で挨拶したり、この女だけ特別扱いするんで、何かある……と踏んだんだが、この女、もう一時間こうやって突っ立ったまま一言も喋らねぇ」

「一言も、ですか」


 確かに気さくに話せるような状況では無いが、それでもお世辞にも好青年とは言えない二人に詰め寄られて無言を貫けるのも大した胆力と言うべきか、と思いながら、真昼は目の前の少女に目を向ける。


――うっわ、なにこの人、人形みたいに可愛い顔してる――


 教導学塾の制服ともいえる白いケープとワインレッドのブラウス、コルセットの付いたブラックのロングスカート、そこに加えて、ヘッドドレスのように頭頂部を通ってこめかみの位置で結ばれた黒と赤のツートンカラーのリボンの出で立ちは無感情な面持ちも合わせて等身大の西洋人形がこの場にあるような錯覚を覚えた。


「はっきり言って、俺達にはもうお手上げだ、だから同性ならマシかと思ってお前を呼んだんだよ」

「なるほど、交渉役ってことですか」


 カズミの説明を受け、真昼は改めて正面から件の少女を観察する。豊満な胸、雪のように白い透き通った肌、天然物の長いまつげという整った目鼻立ちも十分目を引くが、何よりも特徴的なのは紅玉のように鮮やかな赤い虹彩こうさいと、光の加減で青くも赤くも見える腰元を越えて太腿ふとももの位置まで伸びた紫紺しこんの長髪。


――凄い美人……だけど……どうしてだろう――


 しかし、その少女はピンと背筋を伸ばし、書店のロゴが入った紙袋を抱きかかえた状態で、まっすぐ真昼でもカズミでもなくどこでもない正面を見続け、瞬きすらしない。そんな異様な雰囲気は類まれな美貌を打ち消す程に不気味な雰囲気を漂わせていた。


――なんとなくだけど、この人、ラウムさんに似てる気がする――


 ラウムと眼前の少女は目の色も、髪型も違う、何よりあの明るく騒がしいラウムがこんな人形のように無表情でいる姿など真昼にはとても想像できない。だが、それでも真昼は二人の姿が思わず重なってしまう。

 『生命』を感じないというただ一点の共通するイメージだけで。


「…………」


 少女は今更真昼の存在に気づいたかのようにゆっくりと首をひねって真昼の方に目線を向け、ぱちりと一度だけ瞬きをした。


「あ、えっと。私は神崎真昼って言います」

「…………」


 人形にしか見えなかった少女が僅かにだが動いたことで、真昼は自分もまた無言で少女を観察し続けていた事に気づき、慌てて自己紹介をする。だが、カズミ達の言っていたように少女は一言も発さず真昼の目を見つめ続けるだけだった。


「あの、あなたは教導学塾の人、ですよね?」

「…………」

「その、私の親友が教導学塾に入ってから、連絡が取れなくて……」

「……」

「あの組織について話を聞かせてもらいたいなって…………」

「…………」


 ここまで無言を貫かれてしまうと真昼も流石に言葉が喉に突っかかって出なくなってしまう。相手がカズミか真昼かという話ではなく、根本的にこの少女にはこちらと対話をする意思が無いのだと真昼にもすぐにわかった。


「神崎でもダメかぁ……どうする? これ以上はラチがあかねぇぞ。おどすか?」

「流石にそれはダメですよ」


 なにか、暴力以外の解決策がないかと模索する真昼だが、一向に妙案は浮かばない。


「…………」


そんな中、目の前の少女の視線が今度は真昼から僅かにずれ、真昼とカズミの間、その奥に向けられている事に真昼は気づいた。


「後ろに、何が……?」


 真昼が首をひねり、少女の視点を追って振り返ると、路地の入口を塞ぐように誰かが立っていた。

 紺色のパーカーのフードを目深に被った誰か。顔はフードの影に隠れ、性別も年齢も分からない、猫背気味の姿勢の悪いその人影を、赤目の少女は真っすぐに見つめていたのだ。


「…………」

「おぉー、いたいたぁ。あんまり世話かけさせんなよなぁ、リオン」


 そして、不安定に間延びした、キーの高い特徴的な少年の声が路地裏に響いた。



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