第六話 洗脳
深夜が御城坂にて高原愛菜から教導学塾についての話を聞いている頃、霧泉市に残って真昼の監視を命じられていたラウムは、霧泉市立図書館で偶然出会った友人、宮下灯里からある興味深い話を聞いていた。
「えっと、一週間くらい前に言われたからちょっと曖昧なんだけど」
そう前置きして、ラウムの隣の席に座った灯里は顎に指を当てて目を瞑り記憶を想起する。
「御城坂って、元々ちょっと治安が悪いっていうか、霧泉よりガラの悪い人が多いんだけどね」
「昔から繁華街には悪ガキが自然と集まるもんだしねぇ」
灯里は紀元前から伝承が残されている悪魔が言う「昔」が一体いつのことなんだろう、という疑問を呑み込み、話を続ける。
「といっても、そういう人たちはそういう人たちの集まりっていうか遊び場があるから、その辺りにさえ近づかなければよかったんだ。だけど、最近はそういうわけにもいかないらしくて」
「具体的には?」
「今まで出てこなかった昼間の大通りで見かけるようになったとか、通行人に声をかけるようになったとか……らしい」
変化としては些細な変化だが、ラウムは先日見た教導学塾の集団を思い出す。
――アイツらが抱えてた人間、見た目は完全に不良グループ系の感じだったんだよねぇ――
「あ、あとお父さんがこうも言ってたな」
灯里は最後に思い出したように、父から聞いた言葉をそのまま復唱した。
「まるで、何かを探しているみたいだった。って」
「探してる……なるほどなるほど、読めてきたよ。キラリン」
ラウムは流し目で灯里を見ながらキメ顔でそう言った。いつものように擬音語を口に出しながら。
「とりあえず、パパさんの言う通り、しばらくは御城坂には行かない方がいいかもね。灯里は可愛いから怖いお兄さんにナンパされちゃうよ、きっと」
「こんなチンチクリンはナンパなんてされないよ、まったく……」
去年から身長が一センチしか伸びず、もう成長期の終わりが来てしまったのではないか、と不安になっている灯里は拗ねたように目を細めてラウムの発言を否定する。
「けど、ラウムの力になれたならよかったよ。ちょっとだけ肩の荷が下りた」
「肩の荷?」
ラウムとしては灯里にプレッシャーをかけるようなことをした覚えがないのでオウム返しに首を傾げる。
「ほら、先月は協力するどころか、三木島先生に捕まってたのをラウムに助けてもらったから」
「気にしなくていいのに、ほんとーいい子だね、灯里は」
「気にするよ、命の恩人みたいなもんだし」
そもそもあの時は灯里が消滅しかけていたラウムを匿った恩返しだったのだが、その理屈を言っても灯里は納得しないんだろうなと感じたラウムは方向性を変えることにした。
「友達なんだし、助けるのは当たり前でしょ?」
その言葉を聞くと、灯里は頬を赤らめて押し黙ってしまった。
――深夜が言いそうな言葉をパクってみたけど、想像以上に効いたみたい――
◇
同刻、御城坂市。教導学塾の生徒、高原愛菜から話を聞き、紹介状を手に入れた深夜は、彼女をナンパしようとしていた三人組の不良集団によって、表通りから裏路地に連れ込まれていた。
――あーもー。面倒くさいなぁ……――
そこは偶然にも先日、教導学塾の集団による誘拐現場らしきものを目撃した場所であり、入り組んだ立地の関係上表通りの人や車の音も聞こえずらい。つまり、逆もまたしかりで――
「ぐぇ!」
一本背負いでコンクリートの地面に背中から叩きつけられた『ドクロタトゥー』。
「あがっ!」
胸倉を掴もうとして顎に手痛い頭突きを食らい、脳震盪を起こして倒れた『福耳ピアス』。
「――――!」
そして、大振りなパンチを躱され、大きく踏み込んだことで無防備になっていた股間の急所を蹴り上げられて声にならない叫びを上げてその場で崩れ落ちた『プリン頭』。
「いってぇ……」
その場で唯一立っている深夜は慣れない頭突きの痛みに頭を押さえ、小さく呻きながら俯いていた。
――危なかった……背中を壁で守れる狭い路地じゃなかったら一対三とか絶対に無理――
ラウムのサポート無しでは体力も腕力も平均以下の深夜ではあるが、彼の持つ左眼の未来予知はこと喧嘩のような短時間の読み合いに関しては無類の強さを発揮する。とにかく相手の攻撃を予見し、回避し続け隙の大きい攻撃にだけカウンターを当て、何とか三人の相手を制圧することに成功した。
「はぁ、疲れた……それで、あんたら教導学塾の関係者? 嗅ぎまわってる俺を捕まえろとか命令された感じ?」
「ぁ……? 嗅ぎまわって……って何言ってんだよ……」
唯一意識があるプリン頭は声を震わせながら深夜を見上げて今なお敵意を向け続けている。しかし、どうも話がかみ合わない。
「お前、あの女の彼氏なんだろ。テメェこそあの妙なヤツらの仲間じゃねぇのかよ」
「……あぁー」
そういうことか。と深夜は納得しつつも、説明が面倒くさいこと状況であることに気づき頭を抱えた。
「ゴメン、アレ、嘘。ちょっとあの子から色々と聞きたいことがあったんだけど……」
「じゃあ何か。テメェもあの塾について調べてたってことかよ?」
「そうなるかな」
「クソっ、だったら最初からそう言いやがれってんだよ」
少し痛みが引いたのか、プリン頭は体を起こし、額の脂汗を拭って深夜を見る。その声は先ほどよりも少しだけ穏やかなものだった。
「どうも、お互いに似たような目的らしいけど、聞かせてくれない? そっちの事情」
「……アイツらは俺達のダチを洗脳してやがんだよ」
「洗脳……」
深夜はプリン頭が吐き捨てるように呟いた言葉を復唱し、洗脳と来たか、と心の内で呟いて頭をガシガシと掻いた。
◇
彼らの説明を要約するとこういう流れらしい。
元々、彼らのグループは十人ほどで昼間は適当にゲームセンターなどで時間を潰し、夜はメンバーの一人がバイトをしているコンビニで買った酒を飲んで騒ぐ程度の大人しい集まりだった。しかし、ある日その中の一人が仲間に教導学塾について話し始めたのだという。
「最初は今更塾で勉強なんてバカらしいってことで誰も相手にしてなかったんだけどよ、ソイツが妙に必死に一緒に行こうって行ってきてよ。理由を聞いたら、家賃が払えなくて家追い出されてたって話になってな」
「教導学塾の衣食住が目当てだったってわけ?」
確か、ホームページには塾生は希望すればビルの一室を塾生寮として貰え、更に施設内の食堂は無料で利用可能と書いてあった。生活が困窮していたその青年にとって、いかに胡散臭からろうとその条件は魅力的に見えたのだろう。
「ああ。タダ飯が目当てで塾長のあのバカみてぇな話は興味ねぇって言ってた……はずだったんだ」
しかし、一人で行くのは怖い。ということで彼は付き添いを求めた。結果的に面白がった二人のメンバーが彼に付き添い、三人で四月に行われた入塾説明会を受けに行ったのだという。
「……そしたらよ、三人とも戻ってこなかったんだよ。付き添いで行っただけのやつらもだぜ? 俺達はおかしいと思ってそいつらに会いに行ったんだ。そしたら、そいつら俺達の事を知らないなんて言うんだよ……あの気持ち悪ぃ被りモンしてさ」
「それが洗脳されたって話?」
「いや、この時はまだ俺達も変だとは思ってたけど放っておくことにしたんだ、ふざけてるか、追い出されないように演技してるんだと思ってな。問題はここからだ」
とプリン頭は思い出すだけでも忌々しいというように親指の爪を噛む。
「それからだ……俺達のグループのメンバーが次々と突然連絡がつかなくなるようになった」
いつもの集合場所にも来ない、携帯に連絡しても繋がらない。業を煮やして家に乗り込んでみれば家族は口を揃えて「あの子は教導学塾に行きました」と言うだけ。
それが一人、また一人と繰り返され、最初は十人いた仲間は今では三人しか残っていない。これは明らかに異常だと他の夜遊びグループから話を聞いてみればどこもかしこも同じような状況だというではないか。
「俺達が分かってるだけで二十人はアイツらに連れていかれてる……実際はもっと多いのかもな」
数か月で二十人も連絡が付かなくなればそれは明らかな異常だ。深夜の中で疑惑に過ぎなかった教導学塾に対する警戒が確信へと変わる。
「一応の確認だけど、警察には行ってみた?」
「バカか。警察が俺達みたいなヤツの話をマトモに聞くかよ。それに……全員実家に連絡入れて自主的にあのクソ塾に入った事になってるらしいからな。言うだけムダだ」
「なるほどね……」
彼らの話を一通り聞き、深夜は顎に手を当て思考を巡らせる。
――不登校児や不良グループ、明らかに消えても大ごとにならない相手を狙ってる。でも、人を集めているにしてもおかしい――
あの手の組織が人を集める理由などほとんど二つしかない。お金を巻き上げるためか、労働力とするためのどちらかだ。だが、教導学塾は金を奪うどころか衣食住を塾生に無料で提供している、そして高原の言葉を信じるなら塾生の行動に決まりは無く何かを強制させられているわけでは無いらしい。
不気味だ。教導学塾が人を集めていることは間違いない。だが、その目的が見えてこない。そして、何よりプリン頭の言う『洗脳』という言葉。それは先日この場所で見かけた高原達塾生の集団の異様な雰囲気と合致する。
「……もしかしてだけどさ、アンタの友達に腕に蛇のタトゥー入れてるマッチョな人っている?」
「蛇のタトゥーなら、ワタルだな。アイツも一昨日から連絡がつかねぇ……もしかして、何か知ってるのか?」
「教導学塾のやつらに攫われてるのを見た」
プリン頭の話によってあの光景が本当に誘拐現場だったのだという確証が得られた。
「ふざけやがって!」
「ちょっと待て! どこ行く気だよ」
深夜の口から更なる友人の被害を聞いたプリン頭が走りだそうとするのを深夜が制する。
「決まってんだろ、もう許せねぇ。あのクソヤロウどもに殴り込みに行くんだよ!」
「数でも立場でも絶対に勝てないだろ。とりあえず落ち着け!」
何より、いまさらになって教導学塾で暴力沙汰を起こされると深夜も困るのだ。
「明日、俺があの中に行ってアンタの友達について調べて来るから、大人しくしててくれ」
深夜がそういうと、プリン頭はきょとんとした表情を浮かべて急に静かになった。
「オマエ、だからそういう事は早く言えよな」
「そういうわけだから、アンタらの分かってる限りの行方不明者の情報を俺にくれ」
こうも感情の振れ幅が激しいと御しやすいのか扱いにくいのかよく分からなくなってくる。深夜は頭痛がしてきたような気がする頭を押さえて、プリン頭に聞こえないように小さく、いつもの口癖を漏らすのだった。
「はぁ……面倒くさくなってきた」
誘拐、行方不明、洗脳とどんどんきな臭くなってきた教導学塾に首を突っ込んでしまったことを軽く後悔し始めていた。




