第二十四話 Take me higher
「あの蛇、飛べるのかよ!?」
「おそらく、あのタクトで浮遊させるつもりです」
セエレの予想は正鵠を得ていた。
金属をひっかく耳障りな金切り音が広場に響き、風も衝撃もなく、ふわりと重力を無視するように大蛇は在原をその背に乗せて宙に浮遊しはじめる。
「お、おい! どうすればいいんだよ神崎!」
「今考えてる……」
今から走ってたとしても離陸には間に合わない。下から跳んで追っても迎撃されるだろう。
「ああ、雪代がいればあの蛇も一発で消せるのに!」
魔力で身体能力を強化していると言っても限界はある。
これ以上の上昇を許せば、深夜が跳躍しても届かなくなる。
安全策を考える時間的余裕はほとんどない。
そこで深夜はチラリと和道の方を、正確にはその隣に立つセエレに視線を向けた。
「瞬間移動すれば下からじゃなくて、あいつの上から狙える……けど」
上からなら在原の迎撃も躱しやすいだろうが、和道もセエレも素手だ。一撃で仕留めるには決め手に欠ける。
ならば、と深夜は覚悟を決める。
「セエレ、お前の異能で俺を在原の上に飛ばせる?」
その問いを受けたセエレの表情は渋い。
「神崎様だけなら可能ですが……」
『ああ、そっか。私の魔力とセエレの魔力が反発しちゃってダメなんだ』
「ラウムがあいつの鎧を壊せないのと同じ理由か……」
「力及ばず、申し訳ございません」
『魔力の抵抗ってのは色々キツイからねぇ』
ここまでセエレが在原や深夜を瞬間移動させなかったことから、ある程度その予想はしていたが、やはりダメか。
「じゃあ、さっきみたいに俺が空中で神崎を受け止めて、二段ジャンプ的なのはどうよ?」
「いや、そんな簡単に空中で姿勢は整えられな……」
と、和道の意見を却下しようとするが、彼の意見の前半にだけ意識が向かう。
「空中で、受け止める……そっか、それならいける。ありがと和道!」
「え? おう!」
「セエレ、ラウムの魔力がなければ……つまり、武装化を解いた俺一人なら異能で跳ばせるんだよね?」
「それでしたら。契約者として多少の魔力は残りますが、十分無視できる範囲です。ですが……」
『却下却下! 武装化解除しちゃったら、身体強化もなくなるんだよ! 私の魔力無しの深夜なんて、ただのへなちょこ人間なんだから!?』
――悪かったなへなちょこで……――
と言い返したいところだが、ここはぐっと堪えて深夜は別の言葉で返す。
「そこは大丈夫。信じて」
『……オッケー。信じる』
「時間がないから説明なしでぶっつけ本番。行くよ」
既に在原は上空高く、鋼鉄の円盤は養護施設の屋上よりも上にある。
時間的猶予はもう残されていない。
深夜は、ふうと一呼吸挟んで肩の力を一旦抜き、両手でラウムの大剣を持つ。
少しずつ馴染ませるように、許容限界ギリギリの魔力を自身の肉体に注ぎ込む。先ほどの一撃の負荷が残っているが、まだ……いける。
「和道とセエレはちょっと離れてて、危ないから」
「わかった。行こう、セエレ」
二人が離れたのを確認して、深夜は、ゆっくりと体を捻り……
『あー……なるほど。そういうことね』
ラウムもある程度は人間社会の知識は刷り込まれている。
なので、深夜のその動きがハンマー投げのフォームによく似ていることに気づくのは難しくなかった。
『もう……ラウムちゃんのこと、大事にしてって言ったばっかりじゃん』
「他に思いつかなくてさ……ちゃんと、受け止めるから、許して」
『しょうがない、許してあげる!』
「じゃあ、あいつの上で武装化解除、お願いね」
『うん、空で待ってるからね!』
「せぇええやぁああああああ!!!!」
人生で初めてと思うほどの腹の底から絞り出した大声。
その勢いは踏み込みと両手に伝播し、黒鉄の大剣は高く、高く、速く、速く。ブーメランのように高速回転しながら天へと飛んでいった。
「……ちょっと、高く投げすぎたかな」
ラウムは在原の乗る円盤の隣を通り過ぎ、その頭上をはるかに超えて地上十メートル以上の空の闇に溶けて見えなくなった。
それからすぐに、深夜の全身の力がふっと抜ける感覚に襲われ、ラウムの魔力が肉体から消えたことを実感する。
「じゃ、次は俺を空に。頼むよ、セエレ」
続いて深夜は、急いでセエレの元に駆け寄り、彼女に手を差し出す。
「悪魔の私が言うのもなんですが……ラウムが空中で再度武装化をしてくれなければ、死にますよ?」
「あぁ……うん、そうだね」
「信用してらっしゃるのですね。ラウムを」
「え? 信用なんか一切してないけど」
その予想外の返答にセエレは思わず目を丸くした。
「では、なぜこんな賭けを……」
「他に手がないじゃん。それだけだよ」
これが最良でも、最善でもないのは深夜の重々承知だ。
それでも在原恵令奈を放っておけば、間違いなくまた和道や由仁が危機にさらされる。
だから、面倒くさいけど、やるしかない。それだけだ。
「ほら、ラウムが落ちてくる前にお願い」
「……かしこまりました」
まったく納得できないという表情のセエレを促し、深夜はその小さな手をポンとタッチする。
その次の瞬間、ふわりと全身が突風に包み込まれる感覚を肌で感じながら、世界が黒く暗転した。
◇
「はぁ……はぁ……」
『大丈夫かね、恵令奈』
べたりと力なく鋼鉄の蛇が形作った円盤の上に横たわる在原。
ザガンの心配に対して、彼女は無言で首を横に振った。
脳震盪だろうか、視界がうすらぼやけているし、手足には全く力が入らない。回復にはまだそれなりの時間を要すると思われた。
『実体化した悪魔とその契約者二組が相手では、流石に分が悪かったな』
「絶対に諦めない……ようやく見つけたの……あの子の力さえあれば」
在原はぶつぶつとうわ言のように呟きながら、定まらない視線を地上のセエレに向ける。
「万全の準備を整えて……次こそは、必ず奪い取って……」
『……恵令奈。まずいぞ』
「小夜啼鳥の伽紡ぎ――」
ザガンの警告とその歌声が重なる。
「嘘、どこから……」
頭を抑えながら、在原は周囲を見渡すがそもそもここは地上数十メートルの上空だ。
地上からの声など聞こえるはずがない。
では、この歌声はいったいなんなのか、彼女には皆目見当もつかない。
『奴らは上だ。先ほど剣を投げつけたのはこのためだろう』
「アレ……悪あがきじゃなかったっていうの?」
ザガンの言葉を受け、彼女ははっと上を見上げる。
その先で、ラウムと手を繋ぎ、月明りを背に落ちてくる深夜と視線が交差した。
「なんなのよ……なんで、私の邪魔をするのよ……私はただ――!」
「あんたの事情なんかどうでもいい」
深夜の左手でラウムの姿が再び、人から大剣へと変わっていく。
「俺達にとって、あんたが邪魔なんだ」
「ザガン! あいつら、串刺しにして!」
在原の絶叫に応えるように、彼女の足場を構成する鋼鉄がぐにゃりとたわみ、鋭利な突起を生み出し空中の深夜を刺し貫こうとする。
だが――。
「無駄だよ、在原……」
「うそ……どうして避けられるのよ!」
まるでその攻撃が来る場所がピタリとわかっていたように、最小の体の捻りで在原の最後の迎撃の隙間を縫って、深夜は更に加速して迫りくる。
「もっと……もっとよ、ザガン!」
『いいや、ここまでだ。もうやめておけ、恵令奈』
「どうして!」
『これ以上、娘子から代償を奪うのは忍びない』
「……そんな……」
もはや彼女に支払える代償は残っていない、と内なる悪魔が残酷に告げる。
鉄色に代わった自身の髪が月明りを反射してキラキラと光り、崩れていった。
「――昏き羽衣 涙雨纏いて」
「お前の終わりは、もう視えた」
「ごめん……なさい」
自身の完全な敗北を悟った在原が呟く言葉は風にかき消され、ただ一人、その内なる悪魔だけが聞いていた。
『さかしまに沈め 星の天蓋!』
自由落下の速度と、魔力によって強化された身体能力の全てを込めた一撃がすれ違いざまに在原の体を討つ。
「……パパ……」
その足が円盤から離れ、宙に投げ出された。
在原は月を見上げながら、落ちていく。
その体が円盤の上に戻ることはなく、その手が深夜に届くこともない。
――ああ、ようやく、ようやく見つけたのに……――
在原恵令奈は探していた。
たった一つ、彼女の願いを叶えることができる異能を。
それをようやく見つけることができた、あと一歩で手が届くところまで来た。
それなのに、何がいけなかったのか、何が足りなかったのか。
もう考えるだけ後の祭りでしかない。
『お父様の頭部に埋まった弾丸は我々では摘出できません』
思い起こされるのは、心から申し訳なさそうに首を横に振る医者の姿。
――走馬灯、ってやつかしら――
ザガンの言うように在原にはもう悪魔に支払う代償が残っておらず、鋼鉄の円盤も氷像が溶けるように崩壊をはじめているし、タクトは殴られた衝撃で手放してしまった。
自身の身を守る手段はもうない。
あとは十数メートルの高さから落ちて、数秒後に死ぬだけだ。
ならばせめて、最期は思い出に浸ろう。




