第二十一話 今の俺ができること
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「なんだよアレ……どっちも、やってることがメチャクチャじゃねえか」
セエレと由仁、二人の小さな体を抱えて必死に養護施設の建物の陰へと隠れた和道。
彼はそこから僅かに顔を覗かせて、グラウンドで繰り広げられている深夜と在原の戦いを目の当たりにしていた。
「戦況は……神崎様が劣勢ですね」
繰り広げられる深夜と在原の死闘をセエレが冷静に分析する。
きっとその当事者が彼の友人でなければ、和道はその言葉にも現実味を感じることはできなかったであろう。
「いつっ――」
「神崎!」
深夜の周囲を飛び交う無数の円錐の金属。
その鋭利な先端が深夜の右腕を掠めて引き裂き、鮮血が散るのが見えた。
「……しつこいなぁ!」
深夜は和道が今まで聞いたことのないような感情の籠った雄たけびをあげ、大剣を振るい円錐の一つを叩き壊すが、そもそも在原の操る金属錐の数があまりに多く、一つを壊した程度では大勢は変わらない。
「あらあらあら、動きが悪くなってきたわねぇ」
「くっ!」
それどころか、深夜が破壊したその残骸を在原が軽く蹴っただけで、金属片は再度液状化し、流体となった破片同士が集まって元の円錐の形を取り戻していく。
「だめだ……あれじゃ、神崎がいくら壊してもキリがねぇ」
和道にとって、命がけの戦いなどというものは漫画かゲームの世界の出来事でしかなかった。
そんな彼ですら、深夜にとって圧倒的に不利な状況であることは感じ取れた。
なにか……なにか、自分にもできることはないのか。
友の命の危機、それを肌で感じ取った和道は必死に頭を抱えて考えるが、そう都合よく名案は浮かばない。
むしろその思考は乱雑な感情に埋め尽くされて真っ白になるだけだ。
「和道、様……」
自らの思考に埋没していた和道は、自らの服を引っ張られたことでようやく、背後に背負うセエレがずっと自分に声をかけていたことに気づいた。
「あ、ゴメン、セエレ」
気づいたとは言っても、今まで「セエレちゃん」と呼んでいたのを呼び捨てにしてしまう程度には、変わらず和道の精神に余裕はない。
「どうした、なにが――お、おいっ!」
声を掛けられたから反応した。
そんな無意識の動作で首を捻った彼の目に入って来たのは、自身の背におぶさった小さな赤髪の悪魔が、浅い呼吸を繰り返しぐったりとしている姿だった。
「セエレ、大丈夫か!?」
背負っていてなぜこんな状態になるまで気づけなかったのだと、和道は自分の不注意を歯噛みする。
だが同時に、その姿を目視したことで生まれた強烈な違和感が彼を襲った。
――なんだ、これ。本当にセエレは俺の背中に乗ってる……んだよな?――
和道が思わずそう考えてしまうほどに、今のセエレからは重さがほとんど感じられなかった。
数十分前には確かにあった人一人分の確かな質量、それが今ではほとんどなくなっている。
まるで人ではなく、風船でも背負っているのかのようだ。
しかも、セエレの身に起きた異常事態はそれだけにとどまらない。
「おい、お前、腕まで……」
セエレの肉体は左の肘から先までもが黒い霧に溶けて消失しており、もはや体の七割近くを失った彼女は、和道の首に弱弱しく回した右腕だけでなんとか体を支えているような状態だった。
「……申し訳、ありません……少々、予想外、の、ことが……」
「なんだ、これ。黒い、煙……?」
そのうえ、残った右腕からも黒い煙が細く立ち上りはじめていた。
和道は少しでも楽な姿勢になるようにと、セエレをその場に横たわらせる。その結果、彼はより鮮明に彼女の悲惨な現状を目の当たりにすることとなる。
「な、なんだよ……これ」
セエレの肉体はもはや腰から下は完全に消滅しており、残っているは上半身のみ。
そのうえ、残った部分も至る所から黒い煙が漏れるようにあがっていた。
それはまるで、火が付いた紙が燃えて消えるかのように、この瞬間も彼女の体は失われ続けていた。
「蒐集家の張った結界の負荷で、想定よりも早く消耗が進んでしまったようです」
「じゃ、じゃあ。今すぐここから離れれば……」
「いえ、離れたところで、一度失われた魔力は回復しません……」
つまり、もう自分は助からない。セエレは暗にそう言っていた。
「俺の……せいだ……」
「それは違いますよ。和道様」
「でも、魔力がどうとかは俺にはよくわかんないけどさ。ファミレスで俺を逃がすのに魔力を使ったんだろ!」
異能の理屈がわからない和道でも一人で逃げるより、二人で逃げたほうが負担が大きいことは直感的に想像ができる。
もしあの時に和道を捨て置いて一人で逃げれば、セエレがここまで消耗することはなかったのではないか、と。
「いえ、そもそも私一人ではこの場所がわかりませんでしたから……きっとここにたどり着くことすらできず、一人で終わりの時を迎えていただけです」
和道は両手でセエレの残った右手を取る。
その手は死体のように冷たい。
「それがどうでしょう。私は由仁様に直接お会いすることが出来ました。彼女の真意を聞くことが出来ました」
セエレの表情は虚ろに、視線はあらぬ方向を向いている。
おそらく、視力がもうまともに機能していないのだろう。
「確かに円香様の願いを叶えるには至りませんでしたが、それでも私にとって、和道様と出会えたのは間違いなく、幸運でした」
セエレは最後の力を振り絞るように、万感の思いを込めて和道の手を握り返す。
「ですから、最期に神崎様が求めていた情報だけは……お伝えしなければなりません」
「情報……?」
「はい。この街にて魔導書を人々に与え、悪魔契約者を増やそうとしている存在について」
「悪魔……契約者……」
その言葉を中心にするように、和道の脳裏でバラバラに散らばっていたパズルのピースが集まりはじめた。
ピースが少しずつ形になり、一つの結論へと至ると彼の視線は瀕死のセエレから、今もなお怪我を負いながら戦う友へと向けられる。
「…………なあ、セエレ」
和道は再び視線を横たわるセエレへと戻し、ぼんやりと焦点の定まらない悪魔の灰色の瞳を見つめる。
「悪魔の魔力って、人間と契約すれば回復するんだよな?」
「はい。ですが、あの女と契約を結ぶわけにはいきません……そうすれば、きっと私は、あなたのご友人に……和道様に牙を剥くことになる。それは……嫌です」
セエレは息も絶え絶えだが、それでもその提案だけは飲めないとはっきりと声に意思を乗せる。
「じゃあさ、俺と契約しよう」




