第十五話 お人好しと悪魔・1
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「何やってんだ? 神崎」
「修学旅行のしおり作り」
夕焼けに赤く染まった放課後の教室。
大量のプリント用紙の山に囲まれた深夜は『またか』というような気だるげな表情を隠そうともせず、和道の質問に答えた。
「一人で?」
「見ての通りだよ……っていうか、和道は他のクラスでしょ。こんな時間に何しに来たのさ?」
深夜は作業の手は止めず、目線だけで黒番上の壁掛け時計を指し示す。
時刻は午後五時半。
最終下校時間が六時なので、教室どころか校内にも他の生徒はほとんどいない時間だ。
「部活終わりにたまたま通りかかってさ」
「あぁ……また一人でグラウンド整備とかしてたんでしょ?」
深夜は視線を手元のプリントに戻し、和道がこんなにも遅くまでいた理由を言い当てる。
「よくわかったな。もしかして、神崎って超能力者か?」
当時はまだ深夜の『左眼』のことを知らなかった和道の軽口。
深夜はそれを無視し、自身の発言の根拠を述べる。
「うちのクラス陸上部は一時間前に帰ってたから」
「ああ、なるほど」
和道は、そこが自分の席というくらい自然な流れで、深夜の一つ前の座席を前後反転させ、そのまま深夜と向かい合う形で座わり、プリントの山に手を伸ばす。
「えっと、これ右下に書いてるページ順に並べりゃいいのか?」
「……帰れ」
「言い方、過去一で雑じゃね?!」
「もう一年間は丁寧に断っても無視されて、ちょっかい掛けられ続けてきたからね」
「えー? そうだったか?」
深夜はじっと片目で目の前の少年を睨みつけるが、肝心の和道があっけからんと適当な態度なので、すぐに諦めのため息を漏らすことになった。
「前から思ってたんだけど、和道のソレ」
「ソレってなんだよ」
「……人助け? なんでわざわざ、面倒なことを自分からやるのさ?」
「なんでって言われてもなぁ……理由っているもんか? 神崎のコレだって、人助けみたいなもんだろ」
と和道は隣の机に積まれた、完成済みの修学旅行のしおりの束を指さす。
「俺は居残り作業を何日もしたくないからやってるんだよ。だから、これは全部自分のため」
「自分のためか……なるほど。じゃあ多分、俺も自分のためだな」
「……どこが?」
和道は修学旅行の実行委員でもない。なので、彼がこの作業を手伝ったところで何の利点も無いはずなので、深夜はプリントを束ねる手を止めて呆れた表情を浮かべる。
「なんていうかさ、困っている人を放置したり、見ないふりすると、後になってから『あーっ! あの人どうなったんだろう』とか『ちゃんと解決したのかな』とか気になるんだよ」
和道のオーバーリアクション気味の説明を、深夜は黙って聞く。
「そんでもって、俺にはそういうモヤモヤがすっげぇ気持ち悪いんだわ。寝つきは悪くなるし、飯の味もわかんなくなる」
それは照れ交じりの誤魔化しといった風ではなく、和道は心の底からそう思っているのだと伝わる声色だった。
「だから、目についたら、とりあえず助けることにしてんだよ」
「ふーん、そっか」
「聞いといて反応うっすいなぁ」
「……共感はしないけど、理解はした」
そう言うと深夜はまた視線を手元に戻し、旅のしおり作りの作業を再開した。
「やるなら丁寧にやってよね。後日やり直しとか絶対に嫌だから」
「おう、任せろ! こう見えても細かい作業は結構得意なんだぜ」
「嘘だぁ」
深夜は声、表情、態度の全てを使って不信感をアピールする。
「いや、本当だって!」
「普段の態度で信じられる気がしないんだけど」
「よっし、じゃあ、どっちが綺麗に多く作れるか勝負な!」
「それは面倒くさいからヤダ」
「ノリわりぃ」
そんな風に二人はダラダラと喋りながら、日が暮れるまで作業を進め、最終下校時刻までに何とか終わらせることができた。
ちなみに、和道の作ったしおりは本当に深夜よりも綺麗に作られており、以後深夜は彼への印象を改めることとなった。
◆
「ん……ハックシュン! げほっ、ごほっ……どこだここ?」
意識を取り戻した和道は、風邪の病み上がりのように重い頭を持ち上げて周囲を見回す。
だが、彼の周囲はあまりにも暗く、うまく見通しがつかない。
床の手触りから、なんとなくここがコンクリート建ての屋内であること、それと酷く埃っぽいことだけはわかった。
「あ、そうだ。スマホ……は、充電切れてる……」
照明の代わりにでもなればと思ったが、電源ボタンを押しても一切反応しない。
目に見えて落胆する彼に向けて、闇の中から、途切れ途切れのか細い少女の声が投げかけられた。
「和道……様。お目覚めに、なりましたか。申し訳ございません、咄嗟でしたので、このような場所にしか跳べず」
「あ、セエレちゃん!」
和道は聞き覚えのあるその声を頼りに首を回し、暗闇に目を凝らす。
そうすることで、わずかに彼の目が暗さに慣れてきたのか、黒い闇の中に火が灯ったかのように、鮮やかな赤い髪のシルエットがぼんやりと浮かび上がってきた。
「ご無礼な態度のままお話しすること、ご容赦ください。魔力が残り少なく、体の維持がやっとの有様でして……」
赤い髪の悪魔、セエレは地に倒れ伏した姿勢のまま、その幼い外見には全く似つかわしくない慇懃な言葉遣いで謝罪を述べる。
「ひょっとして怪我してるのか!? まさか、神崎に……」
「いえ、これは……あの場から逃走するのに、異能を使ったためで……」
セエレは和道の早とちりを制しながら、息も絶え絶えの状態で自らの下半身をチラリと見る。
足に何かあるのか、と思った和道はその視線の先を目で追って、絶句した。
「……っ!」
彼女の太腿から下、そこには文字通り、何もなかった。
ファミレスにいた頃までは確かに存在したはずの両足が、今はどこにも見当たらない。
「見ての通り、既にこの距離すら自力では動けぬ体でして。和道様が目覚めるのを待つしかできず、申し訳ありません」
「……そっか、うん。わかった。じゃあ、ちょっと抱き起させてもらうぞ」
「ハイ。ですので、和道様はそのまま逃げていただければ……って、えぇ?!」
暗闇の中、一応天井の高さを確認し、立ち上がっても問題なさそうと判断した和道は、そのまま両足を失ったセエレを自身の背に乗せて立ち上がった。
「わ、和道様!? 失礼ですが、なにをしていらっしゃるのですか!」
「何って、足がなくなったから自分じゃ動けないんだろ?」
「はい。ですので、私を放置して、和道様には他の場所に身を潜めていただきたいのですが……」
「……なんで?」
皮肉などではなく、本気で理解できていない様子の和道にセエレは思わず閉口する。
その時、セエレの脳内で召喚者、秋枡円香から引き継いだ記憶が告げる。
『彼はそういう人間だ』と。
セエレは、数時間前の自分の判断を心底後悔した。