第十四話 深夜の見落とし
『おかけになった電話番号は電波の届かないところにあるか、電源が入っていないため――』
「っち」
深夜は苛立ちを隠そうともせず、舌打ちしながらスマホをポケットに乱暴にねじ込む。
メッセージアプリには一向に既読が付かず、通話も繋がる気配が無い。
市街を走り回ったけど見つからない。
まさか家にノコノコ帰った、なんてことはないはずだ。となると住宅街か開発地区……いや、まだ電車も動いてる時間だ。最悪、霧泉市の外まで行った可能性も……。
「深夜ー!」
「んぐっ……あにしてんの」
ラウムの氷のように冷たい両手で頬を挟まれ、集中が途切れた深夜は舌足らずになった口調で文句をいう。
もっとも、左右から押しつぶされた深夜の顔はひょっとこのような状態なので、いくら睨んでも威圧感など欠片もないのだが。
「もー、ラウムちゃん、ずっと声かけてたんだから、無視しないで!」
「セエレの匂い、見つかったの?」
「いや、それはさっぱりだけど」
だったら場所を変えるよ。と言おうとする深夜だったが、それよりも先にラウムの手が彼の両頬の肉をぐにぃと摘まみ、その声を遮った。
「ファミレス出てからずーっと、しかめっ面だよ。ほら、スマイルスマイル」
そのまま、口角を無理やり持ち上げるように引っ張られ、福笑いのようにアンバランスな顔付きになった。
「おい……」
「そんなに思い詰めてたら、目の前の簡単なことも見落としちゃうよ」
「そう……だね……」
ラウムの言葉も一理ある。これ以上反論する気がなくなったことがラウムにも伝わったのか、深夜の両頬が解放された。
「休憩しようよ。ちょっと座ってさ」
◇
「はぁ……」
公園と言っても、あるのはブランコと滑り台程度でベンチすらない。
深夜は白い街灯に照らされるように配置された二つ並びのブランコに腰掛け、深く息を吐いた。
「座ったら一気に眠くなってきた」
思えば、今日は朝から慌ただしかった。
ラウムにいつもより早く起こされ、走って登校したのに遅刻し、学校の授業を終えてからは秋枡宅の捜索からはじまり、数時間かけて町中を歩き回ったと思えば、そこから休みなく『蒐集家』在原恵令奈との戦いと面倒ごとの連続だったのだ。
疲労感が眠気に変わるのも当然といえば当然だ。
「うんうん。それくらい肩の力抜けてる方が深夜らしいよ」
「俺らしい…か」
などと知った風に言いながら、ラウムも深夜の隣のブランコに腰掛け、そのままぐっと、足を振って漕ぎはじめた。
「悪いね、余計な気を使わせて」
「深夜は私の大切な契約者だからねー、何でもお見通しなのだよ。きゃるん!」
「契約か……」
「そっ、契約!」
ブランコは大きく揺れ、ラウムはその勢いに合わせて手を放し、夜空へと跳んだ。
右眼には羽が舞うようにふわりと天で身を翻す姿が、左眼には【既に地に落ちてにやりと笑うラウムの姿】が映り。けれどすぐにその二つの姿は一つに重なった。
「私の力を深夜に貸してあげる。その代わりに……」
「お前に天使の力を取り戻させる。だろ? ちゃんとおぼえてるよ」
それはトンネル事故のあの日に結んだ、深夜とラウムの契約。
かつては天使でありながら、悪魔へと堕とされたラウムが深夜へと要求した、雪代がまだ知らないもう一つの……そして『本当の代償』。
「って言っても、そっちはまだ何もやってないけど」
「そこはまあ……気持ちの問題? 私もアテがあるわけじゃないし」
屈託のない笑みを浮かべて笑うラウムの姿は悪魔ではなく、ただの人間の少女と変わらなく見えた。
「とにかく! 深夜がいつか私の願いを叶えようって思ってくれている限り、私は深夜の味方なの。だからさ、私は深夜がどうしたいかに従うよ」
「俺が?」
「うん。紗々の味方をするのか。それとも、お友達と一緒にセエレの味方をするのか」
ラウムにそう言われて、深夜は一番大事なことを失念していたことに気づかされる。
「そんなの決まってる。あいつは俺の友達だからね」
「じゃあ、協会と全面戦争、やっちゃう?」
シュッシュッとその場でシャドーボクシングをはじめるラウム。
流石にそれは短絡的すぎる、と深夜はツッコミを入れた。
「いや、それは面倒くさいから。ラウムだって、俺の願いが平和、平穏だって知ってるだろ……そうだよ、願いだよ!」
そこで深夜は大きな見落としに気づく。
「およ?」
「和道が悪魔と契約したなら、あいつにもそれなりの願いがあるってことじゃないか。それがわかれば、あいつの行き先も予測できる!」
「……ね、ねえ深夜……」
今までの付き合いの中、和道が悪魔に願ってでも叶えたいと思うような事柄のヒントが無いか、と記憶を探る。
「和道の願い……願い……だめだ、思い当たる節がない」
セエレの瞬間移動の異能的から考えれば、最も安直な理由どこかに忍び込む等が考えられる。
例えば、銀行の金庫にでも侵入すれば簡単に大金を手に入れられるだろう。
しかし、いくら和道が生活費のためにバイトをしているとはいえ、そのために盗みをする人間かと聞かれれば深夜は即座に首を横に振る。
「そもそも、あいつ自身が人の願いを叶えようとするタイプだし……」
「……あ、あの……深夜さーん……」
「なに?」
ブランコに座ったまま夜空を見上げて唸る深夜に対して、ラウムが何故か恐る恐るといった声色で声をかける。
「あの……その……もしかして、なんだけど……」
「気づいたことがあるならはっきり言って、今はちょっとでもヒントが欲しいんだ」
「いや、気づいたっていうか……気づいてなかったっていうか……気づいてないことに気づいたっていうか……」
ラウムは要領を得ない言葉を数個並べ、なんと言ったものかと考えるそぶりを見せる。
「あのね、深夜。驚かずに聞いてほしいんだけどね」
しばらく視線を左右に泳がせた末に、ラウムは意を決したように告げる。
「多分、あの男の子はセエレと契約してないよ?」
「……え?」
今までの仮定を全てひっくり返すその発言に、深夜は思わず呆けたような声を上げてしまう。
「あ、やっぱり気づいてなかった……」
「それ、どういうこと?」
「だってあの男の子自身からは悪魔の匂いが全くしなかったから……」
「…………なんでそれを最初に言わないんだよ!」
「わ、ごふぇんなしゃい! 深夜も気付いてるとおもっへへ!」
弾かれたようにブランコから立ち上がった深夜は、先ほどの仕返しとばかりにラウムの頬を摘まんで捻りあげる。
「俺は魔力とかわからないんだから、気づけるわけないだろ!」
「へ、へも! あのコレクター女が張った結界の中で、あの男の子も周りの一般人と同じように意識を失ってたじゃない?」
ラウムは頬を引っ張られた状態のまま、半泣きで弁明する。
「あの子があの時点でセエレと契約してるなら、深夜みたいに耐えられてたはずでしょ」
「……言われてみれば、確かに」
在原の襲撃の折、セエレと和道が二人揃って瞬間移動の異能を使って逃げたこともあり、深夜は完全に和道がセエレの契約者だと思い込んでしまっていた。
ラウムの言うとおり、彼らが本当に契約関係にあるのなら、あの結界の中での和道の様子は明らかに不自然だった。
「でも、そうなると今度は、私には『なんで一般人がセエレと一緒にいたのか』とか、その辺がさっぱりわからなくなるんだけどね」
「いや……そっちは……うん。和道がセエレと契約してないっていうなら、わかるかも」
ラウムの頬から手を離してポケットのスマホを取り出すと、すぐさま、昼頃に雪代から送られてきた『秋枡円香』に関するデータを画面に映す。
「え? どういうこと?」
「今回は和道のことは考えなくてよかったんだよ。あいつは、ただセエレの手伝いをしているだけだったんだから」
「人間が悪魔の手助けって、それ普通は逆じゃない?」
「俺の知ってる和道直樹って人間は、困ってるなら相手を選ばない、底抜けのお人好しなんだよ」
おぼろげな記憶を頼りに忙しなく画面をスライドさせた末、深夜はようやく目的の情報を見つけた。
「あった!」
「おぉ、なになに? これ、住所だよね? 霧泉市の……どの辺?」
「和道……いや、セエレが行こうとしている場所。多分だけど」
確証があるわけではない。けれども、他にあの悪魔が向かいそうな場所が思いつかない。
十中八九、この場所に行けば、あの二人と出会うことができるはずだ。
「急ぐよ、ラウム。俺の予想が正しければ、和道達に先を越されるととすっごく面倒くさいことになる」
深夜も伊達に霧泉市で生まれ育ってはいない。
一度も行ったことのない場所ではあるが、住所と番地だけでもおおよその場所とルートは導き出せた。
「おっけ、オッケー! 全力ダッシュでゴー、だね」
「あ、できればそこそこに加減したスピードで……」
「どうせだし、深夜もトレーニングとかしたら?」
「それは、やだ」