第十一話 結界、展開
「深夜、あの赤い髪のチビ……」
「和道様……あの入口にいる黒髪の女……」
二人の声が奇しくも重なっていたことは、当の本人たちは気づくこともない。
「悪魔だよっ!」 「悪魔です」
何しろ、それを聞かされた深夜と和道が共に、ぽかんと間抜けに口を開けたまま、硬直していたのだから。
「悪魔って……まさか、あの女の子が」
呆然自失状態の深夜に代わり、雪代がラウムに恐る恐る問いかける。
ラウムは、あの赤髪の少女を『悪魔憑き』とは呼ばなかったのだ。
「そのまさか。アイツがセエレだ。しかも、私と同じように実体化で召喚されてる」
「あの……お客様?」
そんな深夜達のあからさまに怪しい態度に、業を煮やしたらしいウェイターが声を掛ける。
「なんで和道が……悪魔と……」
「神崎さん! しっかりしてください」
それでもウェイターの声すら耳に届いてない深夜に対し、雪代が耳打ちしてたしなめる。
「あ、ごめん……」
「もうしわけありません。とりあえず、三名。禁煙席でお願いします」
いまだに脳内でぐるぐると言葉にならない混乱が渦巻く深夜は、ウェイターへの対応を雪代に委ね、落ち着くためにも左眼を手で覆い、深く深呼吸をする。
「あ、はい。かしこまりま――」
「ッ!?」
そのわずかな一瞬の隙に、重い重圧のような不快感が深夜の背中を駆けた。
全身を覆うような不快感の正体がわからないまま、気づけば三人の前にいたウェイターの青年が昏倒し、フローリングの床に倒れ伏していた。
「なっ!」
いや、倒れたのはウェイターだけではない。
店内を見渡せば、既に席に座っていた客、ホールを歩いていたウェイトレス、レジ前で並ぶ親子連れ、そのすべての人々が、意識の糸が切れたようにバタバタと鈍い音を立ててその場に崩れ落ちていた。
「何だ、これ……あの悪魔がやったのか?」
「いえ、それにしては様子がおかしいです」
深夜は雪代と共に、咄嗟に和道達のいるテーブルに目を向ける。
だが、赤髪の少女もまた深夜達と同様に、周囲をきょろきょろと怪訝そうに見渡し、眠るように机に顔を突っ伏している和道の肩を揺すっていた。
「あいつや和道じゃない……なら!」
振り返った深夜が視たのは、【一メートルをゆうに上回る巨大な火柱】
「雪代! 避けろ!」
背後から迫るその脅威にまだ気づいていない雪代を、深夜はラウムに向かって突き飛ばす。
その直後、二人の間を火焔の帯が弧を描いて通過した。
「あらあら。いつ気づいたのかしら? 残念ねぇ」
「蒐集家!」
ラウムに支えられた雪代は、入口の硝子戸の前に立つその姿を見つけ、叫ぶ。
対する蒐集家は、コンビニで売っているような安っぽいライターを片手で弄びながら、ラウムと店の奥にいる赤髪の少女、この二人に目線を流して薄ら笑いを浮かべていた。
「うふふふ。一石二鳥。ってこういうことをいうのかしら。お目当てのものがまとめて見つかるなんて、私って本当にラッキーね」
蒐集家からのねばついた視線を向けられた赤髪の少女は、ヘビに睨まれたカエルのように身を強張らせていた。
「あら、あらあらあら。頼りの坊やはお休みかしら。セエレちゃん」
「ッ……!」
セエレと呼ばれたその赤髪の少女は一瞬、深夜をちらりと見たが、すぐに小さくかぶりを振る。
一瞬の逡巡ののち、少女は意を決したようにテーブルに上半身を伏せた和道の肩を掴んだかと思うと、ヒュンと空気を切ったような鋭い音だけを残し、その場から一瞬にして消え失せた。
「……やっぱり、この『結界』じゃああの子は閉じ込められないのね」
蒐集家の視線がラウムと深夜の二人に向けられる。
「まあいいわ、まだ獲物は残っているわけだし。本命は最後に取っておきましょう」
「結界……店の人に何かしたのは、アンタってわけだ」
「ええ、そうよ。この釘は私の集めた魔道具の一つで、ベリトって悪魔の異能が込められているんだけれど」
そう言って蒐集家は、一般的に五寸釘と呼ばれる、人の手のひらほどの長さの金属釘を取り出し、得意げに見せつける。
「この釘で囲んだ四方の内側は、外部からは認識できなくなるの。私は『結界の異能』って呼んでるわ」
おそらく、深夜達がセエレと和道に気を取られているうちに、あの五寸釘でこのファミレスの周囲を結界で取り囲んだのだろう。
「しかも、結界の内側にいる一般人は魔力の負荷に耐えられずに意識も失う、っていうおまけ付き。とっても便利でしょう?」
「この気持ち悪い重圧が、その魔力の負荷ってやつか……」
「でも、流石に悪魔やその契約者、あと退魔銀、だったかしら? アレを持っている悪魔祓いには効かないのがネックなのよねぇ」
蒐集家は残念そうな態度を取っているが、その声色はあまりセエレに逃げられたことを深刻にとらえているようには見えない。
「ちょっとちょっと! 随分と余裕そうな態度してるけど、そんなあっさりと手の内を晒してくれていいわけ?」
「ふふっ。だって私、『蒐集家』だもの。集めたものは誰かに自慢したいじゃない?」
そう言って蒐集家は手首を返し、右手に持つライターを改めて軽く振る。
「例えば、このライターは……ほら!」
「くっ!」
彼女がそのライターをぐっと握りしめて点火すると、そこから煌煌と燃える赤い火柱が上がった。
それはさながら、焔の剣。とてもライターから出せる規模の火炎ではない。
「その炎……火炎の悪魔、アイムの発火能力ね」
「その通り。流石、悪魔は一目でお見通しね。とっても自慢しがいがあるわ!」
蒐集家はその焔の剣を大きく振りかぶり、単身の深夜へと斬りかかった。
「深夜!」
「あぶなっ!」
深夜は大きく一足跳びし、その焔の剣の軌跡を躱しつつラウムの元へと向かう。
「上等だ……セエレの前にお前を先にとっ捕まえてやる。今度は逃がさないよ」
和道とセエレがどういう関係なのか、彼らはどこに行ったのか、気になることは山のようにある。
だが深夜は、それらの疑念を無理やり抑え込み、ラウムに左手を差し出す。
「深夜……大丈夫? 戦える?」
「どっちにしろ、コイツをここに放って和道を探しに行く、ってわけにもいかないでしょ」
「そりゃ、そうかもだけど……」
それに、蒐集家は先ほどセエレを『本命』と言っていた。
ならば、和道達を追ったとしてもまたこの女は襲ってくるだろう。
それなら、今ここで雪代と共に倒してしまった方がいい。
「逃がさない? うふふ、奇遇ね。私も、今日はあなた達を逃がすつもりはないの」
蒐集家は炎の剣の切っ先を地面に横たわるウェイターの青年に向け、深夜達を挑発する。
「人質……のつもりですか」
「ええ、そうよ。そのために一般人がいる場所を狙ったんだもの」
しかも、この結界内に閉じ込めれた一般人はウェイター一人だけではない。
今、この店内にいる人たち全員が実質的に人質に取られているような状況。
雪代としても、蒐集家を無視するわけにはいかなくなった。
「神崎さん、私が店内の人々の安全を確保します。その間、蒐集家を引き付けてくれますか」
「ん……そうだね。人助けはそっちの方が得意そうだし、任せる」
「ただし、蒐集家との戦いは白兵戦に集中してください。くれぐれも、ラウムの異能は使わないように」
雪代の忠告を耳に、深夜は覚悟を決めて隣に立つ悪魔に手を伸ばす。
「わかってる……行くよ、ラウム!」
「おっけ、オッケー! ……小夜啼鳥の伽紡ぎ――」