第七話 白と黒の戯れ
◇
「ここ! どーよ、一気に逆転! ドヤァ!」
「はい」
「あっ! 角とられた!」
ラウムの一挙手一投足は騒々しく。対する雪代は少々投げやり気味に。
兄は高校、妹は中学校にそれぞれ向かった家主不在の神崎家に残された二人は、リビングの食卓にて、ラウムが見つけたリバーシに明け暮れていた。
ちなみに現在の盤面は雪代の白が七割、ラウムの黒が三割。
「くっそぉ……でも、まだ勝負はわからないからね!」
「いや、既にあなたが三回負けているでしょう」
口では文句を言いながらも雪代は白面の駒を盤面に置き、黒い駒を裏返していく。
これで比率は八対二になった。
「こんなこと、いつまで続けさせる気ですか」
「んー。深夜が帰ってくるまで?」
「そこまであなたに付き合う義理はありません。蒐集家に、魔導書の写本。調べることは山積みなんですから」
「でもさ。紗々ってば、この前の戦いの怪我がまだ治ってないでしょ?」
ラウムの一手で、白い駒の半数が黒く変わり、戦局が逆転する。
「そんな状態で一人行動は危ないよー」
「……悪魔に心配される筋合いはありません」
「紗々にはなくても、私にはあるんだよね。心配する理由」
「……むしろ、私がいなくなったほうがあなたは清々するのでは?」
雪代の一打の勢いが強くなる。
しかし、試合が進むほどに、盤面の情勢は黒が優勢になっていく。
「えぇー、ひっどーい。私、結構紗々と仲良くなったつもりなのになぁ。ラウムちゃん悲しい、ションボリ」
ラウムは器用に眉だけを寄せて、全く濡れていない目じりを手の甲で擦る。
「白々しすぎますよ……」
「でも、紗々に死なれたくないのは本当だよ? 悪魔祓いの中だと、かなり話が通じるほうだからね」
「後任の悪魔祓いに来られるよりは、私が生きているほうがメリットがある、と?」
「だいたいそんなところ」
雪代の知る限り、他の悪魔祓いが深夜とラウムの関係を容認するとは思えない。
もしこの二人の存在が協会に露呈すれば、衝突は避けられないだろう。
「それは神崎さんのために、ですか?」
「うん。深夜って、そういう面倒くさいの大嫌いだろうからね」
あからさまな嘘泣きの演技から一転して、ペロリと舌を出すラウム。
その一挙手一投足、全てが嘘くさい演技かかったものなのもあり、雪代はいまだにこの悪魔の性格を掴み損ねていた。
「……いいでしょう。なら、今日は神崎さんが戻るまで、トコトンお話に付き合ってもらうとしましょうか」
「お、いいね。こういうガールズトークって私好き!」
雪代が折れたのを受け、ラウムはテーブルに身を乗り出す。
もう興味はリバーシから完全に移ったようだ。
「でもでも、私の体重はヒミツだから」
「それはどうでもいいです!」
そもそも、ラウムの体は魔力で作られた疑似肉体。
太る心配などないだろう。
「……聞きたいのは、貴方の代償についてです」
「それなら前にも話したでしょ。私の代償は『他人との関係性』だって」
ラウムはこの話題はお気に召さなかったのか、頬杖をついて露骨に詰まらなさそうな表情になった。
実際、雪代は既に一通り、彼女の異能とその代償についての説明を聞いている。
「あなたに代償を奪われるたびに、神崎さんは特定個人に関する記憶を失う。それと同時に、その相手を含めた周囲の人間も記憶が修正され、そのことに違和感を覚えなくなる」
「そ、最初から『全然知らない赤の他人だった』ことになる」
やはり何度聞いても、雪代には要領を得ない話だった。
異能の代償に契約者の記憶が無くなる、というのならイメージはできる。
だが、第三者にまで影響を与える代償など、今まで捕らえてきた悪魔憑きからも聞いたことがなかった。
そして何よりも異質なのは、当の本人である深夜すら『いつ、誰との関わり』が奪われたのか、全く認識できていないことだ。
「あなたの代償について、表面的には理解しているつもりです」
「じゃあ、なんでまた改めて聞いてきたの?」
「今回、私が聞きたいのは、代償を奪われた契約者の末路についてですよ」
「末路って、また随分と怖い言い回しをするね」
「ラウム。単刀直入に聞きます。貴方の『召喚者』は今、どうなっているのですか?」
真っすぐにラウムの眼を睨み、雪代がぶつけた問い。
しかし、返ってきたのは、雪代が納得できるような答えではなかった。
「どうって……わかんない」
「はぁ?」
もちろんそんな答えで雪代が納得できるはずもなく、机をダンッ、と叩いて立ち上がる。
「わからないって……今更はぐらかさないでください!」
「いや、別に隠してるとかそんなんじゃなくてさ、本当にわかんないんだって」
対して、ラウムはたじろぐ様子もなく、むしろ諌める側に回るほどだ。
「そもそも、紗々達『協会』がどう思っているのか知らないけど、悪魔の代償っていうのは、私達自身にも制御できないの。いわば、呪いみたいなものなんだよ」
「呪い、ですか?」
「そ、呪い」
そう言ってラウムは、テーブル上にある牛乳が入った飲みかけのグラスと、牛乳パックを手に取る。
「じゃあ、たとえ話。このグラスが悪魔で、こっちの牛乳パックが契約者だとしようか。両方の中に入ってる牛乳が魔力ね」
ラウムはそう言いながら、半分だけ残っていたグラスの中身を一気飲みし、空いたグラスを雪代に見せつける。
「異能を使ったり、攻撃を受けて体の一部が欠損すれば当然、中身である魔力は減る。減った分は契約者から奪った代償を魔力に変えて補給する」
そうして今度は、空になったグラスに牛乳パックから中身を注ぎ入れていく。
「けど……私達は、自分の意志ではこの行為を制御できないの」
「制御できない、とは具体的にどういう?」
「悪魔はね、必ずこの器が満たされるまで契約者から代償を引きずり出してしまうの。たとえ……」
牛乳はなみなみとグラスに注がれ、溢れるギリギリの白い液体は表面張力で張り詰めている。一方、牛乳パックはラウムが上下逆さにひっくり返しても、その中身はもう一滴たりとも落ちてこなくなっていた。
「その結果、契約者の中身が空っぽになるとわかっていても。ね」
ラウムは空になった紙パックをキッチンの隅にあるゴミ箱にポイと放り投げ、手元に残ったグラスに入った牛乳を再び一気飲みした。
「悪魔は自分の意志とは無関係に契約者を殺しかねない。なるほど、確かに呪いですね」
雪代はいままで悪魔の代償は意識的に、悪意をもって奪っているのだと思っていた。
けれども、実際にはそうではないのなら、悪魔達が奪う代償の無秩序さにもある意味納得がいった。
「で、ここからが本題なんだけど。私の『代償』ってのが、どうも人間同士の関係限定、ってわけじゃないみたいなんだよねぇ」
「人間同士に限らない。ということは動物にも影響があると?」
「そう。ついでに悪魔にも、ね。きゃるん☆」
ラウムは両手の人差し指を自身の頬に当てる。
「つまり、『ラウムと召喚者の繋がり』が既に代償としてこの世から失われているから、ラウム自身も召喚者に関する記憶がない、と」
「イグザクトリー、大正解!」
ラウムはパチパチと両手を叩いて称賛する。
もちろん、演技のような軽薄さは据え置きで。
「そんなわけだからさ。私、深夜と出会う前の記憶がほっとんど無いんだよね」
「なるほど、一応理解はしました」
雪代はマグカップのコーヒーを一口飲み、ラウムの言葉を咀嚼する。
聞いている限り、その理屈に矛盾も見受けられない。
「ちなみに、そのことは神崎さんも知っているんですか?」
「うん。そりゃね。深夜にはもう私のあんなことや、こんなことまで全部さらけ出してるから。きゃ、恥ずかしーいー」
理屈の筋は通っていても、この芝居がかった態度が周囲からの信用を一気に削いでいるのだが、その自覚がこの悪魔にあるのだろうか……。
いや、逆を返せば、目に見えてふざけることで「深夜と出会う以前のことを話すつもりは全くない」と言外に告げている、と受け取ることも可能か。
「どちらにせよ、これ以上は問い詰めても無駄か……」
職業柄、悪魔の言葉を全て鵜呑みにすることはできないが、ここらが潮時だろう。そう割り切った雪代の口から、そんなぼやきが思わず漏れた。
「ところで、ラウム。肝心な結論をまだ聞いていないのですが?」
「結論? なんのこと?」
ラウムは、コテンと首を捻って不思議そうな顔をする。
とはいっても今度はとぼけている風ではなく、純粋に長々と説明しているうちに、最初に聞いたことが何だったのかを忘れてしまったようだ。
「末路の話ですよ」
「あー! そういえばそういう話だった!」
「もし仮に、あなたの契約者が全ての関係性を失ったら、その人間はいったいどうなるんですか?」
関係性の喪失は契約者の記憶だけにとどまらず、世界に影響を及ぼす。
失ったものが友人や恋人ならば、確かに重い代償ではあるが、まだいい。
しかし、これが例えば、失ったものが名付け親のような存在との関係性ならば、おそらくその与えられた「名前」も同時に失うことになるのではないか。
ましてや、産みの親との関わりが失われればどうなるか。
「その時は、最初からこの世界に存在しなかったことになる。のかな?」
ラウムはまるで他人事のようにそう言った。