第二十三話 Midnight Struggle
『 小夜啼鳥の 伽紡ぎ 』
ラウムの謳が温室棟の内部に響き渡る。
『 失しきいとしき あま光り 』
声に魔力が込められたように、その旋律は聞くものの魂を震わせる。
「アムドゥシアス……なんだコレは。俺達の時とは全く違うぞ」
三木島は微かな困惑の表情を浮かべ、自身の内側に潜む悪魔に問いかける。
それほどまでに今眼前で繰り広げられるそれは、自身が経験した悪魔との契約と大きく異なっていた。
「まさか……これは……これが第四段階、実体化した悪魔の……」
雪代のその呟きが三木島の耳に届いていたのか否か、それは定かではないが、彼の表情はすぐさま困惑から随喜の笑みに変わる。
今、深夜達の行っているそれこそが、自ら悪魔と契約してもなお底知れぬ、未知の領域の一端だと本能で理解したからだ。
『 ときわ経れども わするまじ 』
『魂契詠唱』
三木島の内に潜むアムドゥシアスが、この謳の正体を答える。
実体化を果たし、召喚者から独立して活動する第四領域の悪魔。
その肉体は質量を持つほどに圧縮された、高密度の魔力で構成された疑似外殻だ。
いわば魔力で出来た紛い物の体。
故にたとえ頭部を抉られようと活動に支障は無く、魔力さえあれば、損傷を取り繕うことも容易い。
そして、人間を模したその姿形はあくまでも、人ならざる怪物である彼らが人間の社会に溶け込むための擬態にすぎない。
「は、ハハハハッ! 最高だ、最高だよ、神崎!」
では、もしも、その膨大な魔力を非効率な人の形ではなく、戦うことに適した形へと変え、契約者に委ねられるならば――
『 昏き羽衣 涙雨纏いて 』
ラウムの全身が完全に魔力の糸へと変換され。旋律が可視化されるように、黒の螺旋が深夜の左手に収束していく。
「アムドゥシアス! 出し惜しみはしねぇ。全力でやるぞ!」
三木島もまた、内なる悪魔に呼びかけ、触手を攻撃態勢へと切り替える。
そして、三木島が放った全十本の触手による一斉攻撃は――
『「 さかしまに沈め 星の天蓋 」』
――深夜の左手に握られた黒鉄の大剣によって、一刀のもとに叩き伏せられた。
「悪魔が……剣に」
それが雪代の唯一発せられた言葉。
今まで対峙してきた悪魔憑きのどれとも異なるその様相。
それは古い文献でしか見たことがないような、人が振るうことを可能とする悪魔の力の極致だった。
「魔力の再構成による悪魔の武装化……ハハハッ! すげぇ、すげぇ! そんなこともできるのか! 実体化した悪魔ってやつは!」
それは剣と素直に呼ぶにはあまりに武骨すぎる一振り。
一切の装飾どころか、鞘も鍔も柄もない。
片刃の刀身の茎に直接くり抜かれた長方形の穴が、辛うじて持ち手と護拳の機能を果たしていた。
その全長は深夜の身の丈の九割に匹敵し、刀身も肉厚。
一目で強固な堅牢な印象を与える一方で、細身の深夜が片手でそれを持つ姿からは、その外観に即した重さを感じさせない。
もはや剣よりも鉄板と呼んだ方が正確なのではないかと思うほどに、実在するあらゆる刀剣と似ても似つかない、異質な黒鉄の大剣。
「いくぞ……」
ラウムが変身したその剣を横に構え、深夜は腰を深く落とす。
そして、剣から流れ込むラウムの魔力を両足の筋肉へと織り込み、人外の速度にて三木島に一足飛びで肉薄した。
「はぁっ!」
「うぉおっと」
初撃となる横薙ぎの一閃。それは三木島を地面から新たに現れた木の幹によって、受け止められる。
だが、深夜にとっては防がれることは予見のうちだ。
彼は即座にその木を蹴って再び距離を取り、今度は三木島を守るために生み出されたその木の逆側に回り込んで、第二撃を振るった。
「っち、また防がれた……」
「いいねぇ! いい顔だ。『悪魔憑き』らしい顔してるぜ! 神崎!」
「いちいち煩いなぁ!」
黒鉄の大剣と樹木の触手、そして、両者の慟哭がぶつかりあう。
躱し、受け、貫き、斬る。時に触手が刃を弾き、時に刃が触手を両断する。
悪魔憑きと悪魔憑きによる、人間の領域を遥かに離れた戦い。
眼前で繰り広げられるその死闘を、雪代はただ茫然と見つめることしかできなかった。
◇
【前方から迫る三つの触手。その刺突を横に跳んで回避した深夜の着地点。そこから新たな触手が槍のように伸び、深夜の胴を貫く】
「右に逃げるのはダメだから……叩き切るか」
深夜は左眼の予知を駆使し、触手の波状攻撃を的確に避けつつ、温室内の状況に視線を張り巡らせていく。
まずは三木島。
彼は温室の中心部に再び陣取り、一歩も動かず、しかし常に深夜をその体の正面に捉えている。
おそらく、植物の操作には体を動かせないほどの集中力を要するのだろう。
次に、その三木島の武器であり、盾でもある樹木の触手達。
現状、深夜が視認できているのは総数七本。
四本は三木島の周囲でゆらゆらと蠢いてこちらの接近を牽制しており、残りの三本が攻撃用として深夜に向かってくるの。
「次は……下からか」
『深夜、ナイス回避!』
時折、地下をからの奇襲として一、二本が攻撃に追加されるが、それでも基本的な触手の攻防の配分は、防御の方に比重が置かれている。
雪代には七本の触手で攻めたてていたのと比較すれば、かなり消極的な戦い方だ。
そこから窺い知れるのは、三木島の慎重な性格と深夜に対する強い警戒心。
「ラウム、あの『アムドゥシアス』って悪魔の弱点とか知らないの?」
『いきなりそんなこと言われてもなぁ……『植物の成長を操る異能』のはずなんだけど』
「それくらいは見てれば俺でもわかるよ」
右、左、背後と左眼の未来予測の通りに迫る触手を切り払いながら、深夜はラウムに問いかける。
「俺が聞きたいのは、この鬱陶しい触手をどうにかする方法はないのか、ってこと」
『植物タイプの敵は燃やせばいい、って昨日漫画で読んだよ!』
「生木はそう簡単に燃えないんだよ」
『そうなの?!』
そもそも深夜は火種になるようなものを持っていないし、温室という密閉空間で火を起こすなど自殺行為も甚だしいのでその案は却下だ。
「なんでもいい。アイツの異能について知ってることは?」
『ううん……。あ、アイツの異能に限った話じゃないんだけど、悪魔の力って、魔力を注ぎ込むのは簡単だけど、魔力を抜き取るのは無理なんだよね』
「つまり……伸ばすことはいくらでもできるけど、縮められないってこと?」
『そういうこと! さっすが、深夜ってばテンサイ!』
「……じゃあ、ちょっと試してみるか」
ラウムの安っぽい賛美の言葉を聞き流し、確認も兼ねて深夜はあえて真正面から三木島に接近する。
目的は三木島の防御を誘うためだ。
「おおっと! 危ない危ない」
狙い通り、深夜の愚直な攻撃は三木島の前面を覆うように伸ばされた触手の壁によって受け止められる。
今までならここで一旦距離を取っていた。だが、今回、深夜はあえてその場にとどまる。
――この壁のせいで、三木島には俺の姿は見えないはず――
深夜は触手の壁によって生まれた死角に身を潜め、その隙間から三木島を狙い、大剣を振りかぶる。
しかし、その触手の壁はすぐさまボロボロと朽ち果てていき、三木島の視界は再度確保された。
「枯れた……!」
――邪魔になった触手を過剰成長させて処理してるのか――
これでは死角からの奇襲は成立しない。深夜は意識を切り替え、後ろに跳び距離を取った。
「なるほど。成長させるだけの異能ってのはそういう意味か」
『そう。アムドゥシアスが操る植物は伸縮自由自在ってわけじゃない。たぶん、あのウネウネした動きも、すっごい複雑な計算で制御しているんだと思う』
「伊達に数学教師じゃないな」
深夜は敵ながら三木島のずば抜けた計算能力に感心する。
もし仮に自分がアムドゥシアスと契約していたとして、同じように植物を触手のように操作はできる気はしない。
「でも、それならやりようもあるな……ラウム、手当たり次第に見えてる触手を叩き折る。魔力を腕の方に回せ!」
『おっけ、オッケー』
ラウムの魔力による身体強化を受け、深夜はまず最も自身に迫っていた触手の一突きを紙一重で躱し、返す刃で乱暴に大剣を叩きつけ、真っ二つにへし折る。
「次!」
その一撃を皮切りに触手と深夜、その攻守が逆転する。
深夜は自ら触手達へと近づいていき、そのすれ違いざま、大剣の質量を乗せた一撃で次々と両断していった。
「ハハハッ! 残念だなぁ。教え子と殺しあうことになるなんて、本当に残念だよ!」
『うっわ! 絶対に残念なんて思ってないよ、あの態度』
三木島が追加で生み出す触手も手当たり次第に叩き折りながら、深夜は挑発の意味も込めて三木島の戯言に乗る。
「どうせお前、最初から俺と手を組むつもりなんてなかったんだろ?」
「いいや、お前と一緒に協会と戦争をするっていうのも、それはそれで面白そうだと思ってたよ。それは本当なんだぜ……」
三木島は少数での攻撃は無意味と悟り、仕切りなおすように温室棟内に点在していた触手達を全て枯らした。
「……でも」
そして、バンと両手のひらを地面に当てる。三木島の手から注ぎ込まれた魔力によって、新たに十本の触手が彼の眼前に生み出される。
そして、その全ての切っ先が深夜へと向けられていた。
「悪魔憑き同士の本気の殺し合いってのも、一度やってみたいと思ってたんだ!」
『ちょ、ちょっと深夜! アレ、全部一気に来そうなんだけど! ヤバくない?』
「一気に来るように仕向けたんだ……集中するから、ちょっと黙ってて」