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いつか神を殺すまで  作者: 宮浦 玖
第一章 「15秒と破壊者」
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幕間 三 おねがい



 灯里が神崎深夜に抱いた第一印象は「不愛想な人」だった。


 それはちょうど二年前。二人がまだ中学二年生だった五月にさかのぼる。

 全校合同の運動会を終えた放課後。みんなで打ち上げ会をしよう、とクラスの誰かが突然言い出した。

 発起人が誰だったのか、今となっては灯里もよく覚えていない。

 灯里が当時所属していた女子グループ、そのうちの誰かと交際している男子生徒だったような、そんな曖昧な記憶だけが残っている。


 それが理由で、友人の彼氏の顔を立てるために灯里達のグループの全員参加が最初に決定し、さらにはクラスメイトの出欠確認の役を担うことになってしまった。

 灯里もことさら不満を言って空気を乱すようなことはせず、その流れに従っていた。


「ええと……神崎くん?」


 出席番号順に割り振られたリストに書かれた名前と、眠そうな表情をしている色素の薄い髪色の男子生徒の顔、その二つを確認するように往復する。

 彼は既に鞄を肩に掛け今にも帰ろうしているところだった。


「何の用?」


 同じクラスになって一か月。はじめて名前を呼び、はじめて言葉を交わした。

 彼はそれくらい物静かで目立たない男子生徒だった。


「この後、クラスの皆でカラオケに行くんだけど、神崎くんも来る?」

「面倒くさいから、行かない」


 それだけ言い残し、彼はふわぁと欠伸を漏らす口元を手で覆いながら、一度も立ち止まらずに教室から出ていった。


 運動会後の余韻でワイワイと盛り上がっている教室の雰囲気は、自分とは全く関係ないとばかりに。灯里以外の誰にも気づかれることなく。

 結局、クラスの中で「面倒くさい」という理由で不参加を表明したのは彼だけだった。


――嘘でも「用事があるから」くらいは言えばいいのに――


 そう思わずにはいられなかった。今にして思えば最悪の第一印象だ。

 当然、そこから特に二人が親しくなるようなことはなく。ただ時間だけが過ぎた。

 ちょうど運動会の一件の直後に灯里の姉が入院し、宮下家全体が慌ただしく過ごしていたことも、当時の体感時間の速さに拍車をかけた要因だろう。



 灯里と深夜の二度目の会話は、運動会から半年が過ぎた二学期。修学旅行を間近に控えたころになる。

 明日までの宿題に必要なノート。それを持って帰ってくるのを忘れていたことに気づき、最終下校時間ギリギリの教室に戻った灯里。


「一人で……何してるの?」


 彼女はそこで、深夜が一人残って何か作業をしているらしき姿を目撃したのだ。


「修学旅行のしおり作り」


 彼は黙々とコピー用紙の束を折り重ねては、ホッチキスで冊子にまとめており、灯里が声を掛けてもその手は止まらない。


「他の人は?」

「帰った。っていうか、俺が自主的に残っているだけ」


 彼が言うには、仕事を押し付けられたとかではないらしい。

 元々は実行委員会の中で「毎日一時間コツコツ進めていこう」という方針になっていて、他のメンバーはその一時間分の作業を終えて帰っただけなのだと。


「なんで、一人だけ?」

「何日も居残りするのは面倒くさいし……でも、決まったことにわざわざ口出しするのも面倒くさいから。今日で全部終わらせようかなって」


――また、面倒くさい。だ――


 相変わらず協調性のない理由。

 だが、灯里には今回はその言葉とは裏腹に、彼は自分から損な役回りをしているようにも見えた。

 彼が座っている席には完成したしおりが百冊ほど。隣の席にはその倍はありそうな手つかずの紙束。


 今日一日であれを全部終わらせるには、あとどれくらいかかるのだろうか。


「あんた、忘れ物を取りにきただけでしょ?」

「え? あ……うん。そうだけど」


 灯里は彼に言われるまま、自分の机から目的のノートを取り出し、鞄に入れる。

 これでもうこの教室にいる理由はなくなった。


「あの……」

「もうすぐ暗くなるし、早く帰りなよ。いつまでもここにいても仕方ないだろう?」

「うん……じゃあね」


 「手伝おうか?」という言葉は胸でつっかえ、最後まで灯里の口から出ることはなかった。


 彼とは特に親しくないから、とか。

 早く帰って宿題をやらないといけないから、とか。


 色々と理由をつけてはいたが結局のところ、彼に「要らない」と言われるのが怖かったのだ。

 それに気がついたのは翌日のこと。

 予定より一週間以上早く配られた修学旅行のしおりと、眠そうに欠伸をしながらも真面目に授業を受けている深夜の姿を見てからである。


 その日を境に、宮下灯里は彼の姿を無意識のうちに目で追うようになっていた。


 ◆


 そして、灯里と深夜の三度目の交流は灯里の姉が天に旅立ち、二人のクラスも変わった三年生の五月。


「宮下も黒陽が第一志望なんだっけ?」


 三年生になって最初の中間テスト後の補習室。

 追試を終えて項垂れている灯里に、追試を共に戦い抜いた戦友である和道が声をかける。

 彼とはこの三年間同じクラスになったことはなかったが、二人揃って補習、追試の常連だったために、自然と顔を合わせれば気軽に会話をするような関係になっていた。


「うぅ……わかってますよ。どうせ模試はD判定でしたよ……」


 灯里は机の上に並ぶ再追試ギリギリの答案用紙達を眺めて、自虐の愚痴を漏らす。


「おう、安心しろ。俺なんてE判定だ……ああいや、そうじゃなくて。この後、俺のダチと勉強会するんだけど宮下も一緒にどうよ?」

「私、和道くんの友達知らないよ?」


 基本的に女子グループの中で学校生活を送っている灯里としては、男子の知り合いなど和道以外はろくにいない。

 和道の友人とやらが女性の可能性もあるが、共通の友人がいるなら心当たりくらいはありそうなものだが、灯里の知り合いに思い当たる対象はいなかった。


「二人とも去年同じクラスだったから、名前は知ってると思うんだけどな」

「二年生の時のクラスメイト?」

「和道。追試終わった?」


 和道の友人の正体に灯里が頭を悩ませていると、補習室に一人の男子生徒が入ってきて、眠そうな声を和道に投げかけた。


「あ……」

「おう。待たせて悪かったな、神崎」

「別にいいよ、教室で寝てたから」


 その少年は確かに和道の言う通り、灯里の知っている相手だった。

 彼はチラリと灯里を一瞥すると無言で小さく会釈した。和道の他に誰かがいると思っていなかったのだろう。


「ってわけで、勉強会一人追加な」

「いや、どういうわけ? ……っていうか、どういう関係?」

「補習友達」


 偽りはないのだが、灯里としてはその説明を彼にされるのは恥ずかしいのでやめてほしかった。


「そんな、神崎くんに迷惑だろうから……」

「ええと……宮下さん、だよね?」


 灯里は気恥ずかしさから逃れるため断ろうとするが、それと同時に深夜が口を開いた。


「俺は別にいいけど。和道が無理やり言っているなら断った方がいいよ。コイツ、人にちょっかい掛ける時はすっごく強引だから」

「え……」


 予想を裏切られた灯里はぽかんと口を開け、断りの言葉を最後まで言えずに固まってしまう。


――名前、憶えてくれてたんだ――


 彼はこちらの名前など興味を持っていないと思っていたし、そもそも自分は一度も彼に対して名乗っていなかったはずだ。


「おい、神崎! お前、まだ一年の時のことを根に持ってんのかよ!」

「いいや。普段の行いを見ての感想だよ」

「俺、そんなに強引か?」

「えっと……あの、神崎くんがいいなら……私も勉強、教えてほしい……です」


 灯里がおずおずと申し立てると、深夜と軽口を言いあっていた和道がニヤリと笑う。


「だってよ、神崎センセイ」

「……ん。了解っと」


 それが三度目。

 神崎深夜はこれから一年間、二人に勉強を教えている間は一度も「面倒くさい」とは口にしなかった。


 灯里は今でも彼の「面倒くさい」の基準はよくわからない。


 ◆



 放課後、スマホを険しい表情で眺めている深夜に気づかれないよう、こそこそと学校を出た灯里。

 彼女は通学路から外れた人通りのない橋の欄干らんかんに一人で身を預け、先輩から譲り受けたUSBメモリを眺めていた。


「悪魔の力……か」


 ラウムから詳しい事情は聞いていないが、悪魔というくらいだ。その願いを叶える代償はタダではないのだろう。

 ましてや死人の命を蘇らせるとなれば、灯里自身の命が無事で済むとは到底思えない。


――私がいなくなって、お姉ちゃんが生き返ったら。お母さんとお父さんはなんて言うんだろう――


 喜びが勝るのか。悲しみが勝るのか。

 何しろ悪魔や死者の蘇りなどという非現実的な仮定の話なので、灯里もうまく想像できない。


「神崎くんは……私がいなくなったらどう思うんだろう」


 呟いたところで答えなど返ってこない。そのはずだったのに、まるで狙いすましたかのように灯里のスマホが短く振動し、メッセージの着信を告げる。


「あ……」


 お弁当の巾着袋と同じ、ラムペンくんが描かれた手帳型のスマホケースを開くと、そこには「神崎深夜」の名前。

 灯里は数秒の逡巡(しゅんじゅん)の後、運命を委ねるようにメッセージアプリを起動した。


『今度、俺に料理を教えてほしいんだけど、いいかな?』


 深夜らしい絵文字等が一切使われていない愛想のない文面。

 灯里はそれをゆっくりと黙読していく。


『一人で色々とやってみたんだけど全然うまくいかなくて。こんなことを頼れるのは宮下しかいないから、宮下が嫌じゃないなら、おねがい』


 それは日常会話の延長にあるような本当にちょっとしたお願いだった。

 だが、灯里はその文面を何度も何度も読み返し、ギュッとスマホを胸に押しつけるように抱き寄せる。


「はははっ。ほんとう、現金だな、私」


 まだ胸の内に詰まった泥が全てなくなったわけではない。だが、今はほんの少しだけそれが軽くなっていた。

 そうすると、今手元にあるUSBメモリがいきなり恐ろしいものに見えはじめてきた。


――まだ、自分に自信なんて欠片もないけど……それでも、神崎くんがこんな私を頼ってくれるのなら――


 これは自分には必要ない。

 そう決心して、灯里はUSBメモリを川面に向けて投げ捨てようと大きく振りかぶる。


「おいおい、もったいないことするなよなぁ」


 だが、灯里がUSBメモリを手放す前に、彼女の手首は万力のように強烈な力で掴まれた。


「せっかく神崎に怪しまれないよう、遠回しな方法でプレゼントしてやったんだからさ。お前もこっち側に来いよ、なあ宮下」


 その声の主を灯里はよく知っていた。




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