第十五話 適材適所
「ほー、宮下に渡した鍵を神崎が返しにくるとはね。へぇー」
職員室で深夜から温室棟の鍵を受け取った三木島は、ニヤニヤと品のない笑みを浮かべながらその鍵を雑に自身の机の引き出しに放り込む。
「デキてんの? お前ら」
「教師の発言じゃないですよね、ソレ」
わざわざ小指を立てて言うのだからかなり悪質だ。
「ちぇ。なんだよ、つまんねえ反応だな」
――どうせなら、被害者について話を聞こうと思ったけど……――
退屈そうに深夜から目線を外し、彼をからかうために立てていた小指を耳に突っ込む三木島。
こんな態度の彼に何かを聞くのは若干癪だが、灯里達を下手に巻き込まないためには他に当てもない。
「ちょっと聞きたいことがあるんですけど」
「ん? 授業の話か? お前、一番最初に課題終わってたろ」
「いえ、襲撃事件の被害に遭った園芸部の生徒についてです。事件の前におかしな様子とかなかったのかなって」
深夜を見る三木島の視線が一瞬鋭くなる。
だが、彼はすぐに普段の気だるげな声色でその質問にノーと答えた。
「いいや、特に変わった様子はなかったかな。っていうか何か知ってるなら、お前より先に警察と教育委員会に話してる」
「それもそうですね」
三木島の言い分はもっともだ。
被害者の共通点や怪しい容疑者を知っているなら、彼はまず真っ先に警察に報告するべき立場の人間。
あいかわらず不真面目に見えてそういうラインは弁えているらしい。
「じゃあ、園芸部の人達以外で温室棟の鍵を貸した相手、とかは?」
「それもなし。なんなら、事件が起こってからはいつも宮下が鍵を取りにきてたからな。アイツ以外には一度も貸してないぜ? 流石に温室でアイツが誰といたのか、までは把握してねぇけど」
三木島は改めて深夜を一瞥し「少なくとも代わりに鍵を返しにきたのはお前だけ、だけどな」と補足する。
「それで、例の襲撃事件について何かわかったのか、少年探偵?」
「妙な呼び方はやめてください」
三木島はふっと、指先の耳垢を吹き飛ばすと、身を乗り出して深夜の話を聞く姿勢になる。
「被害者達が事件の直前、共通の誰かと会っていたかもしれない。って感じです」
「なるほどねぇ」
「……なんか楽しそうですね」
三木島はいつも以上にヘラヘラと軽い表情で、深夜の話を聞いている。
「楽しいっていうか、俺達教師は立場上、自主的に事件について調べたり生徒に話を聞いて回ったり、ってわけにはいかないからな。お前がこの事件をどんなふうに調べているのか。何を知っているのか。この学校のいち関係者としては気になるわけだよ」
深夜としても彼の主張はわからなくもない。
犯人が誰かとか、次の被害者は誰なのかとか、そういう話は本来、警察の仕事。
真っ当な大人が好奇心で首を突っ込むような話ではない。いや、むしろ首を突っ込んではいけない。
だが、人間は本質的に禁じられたことほど興味が湧くものだ。
「だからさ、俺はお前に期待しているんだよ」
「期待って、なんの?」
「さあ、なんのことだろうな」
三木島は相も変わらず、ヘラヘラと軽薄な表情を浮かべながら眼鏡を押さえる。
これ以上は何も言わないし、聞かれても答えない。そういう言外のアピールだろう。
「もうすぐ授業始まるぞ。次は体育だろ? 早く教室に戻って着替えないとな」
三木島は深夜の背後にある時計を指し示す。
時刻はもう予鈴が鳴る直前。ここが潮時だろう。
「じゃあ、失礼しました」
「……あと」
「はい?」
「今日、ここで聞いたことは秘密で頼むな。俺が学年主任のジイさんに怒られるから」
一回くらい怒られた方がいいんじゃないか、とは口に出せなかったが、深夜はため息を返事代わりに職員室を後にした。
◇
――放課後になったけど……誰から話を聞いていこう――
一日の授業を終え、放課後になるや否や、深夜はスマホのメモにまとめた被害者達のリストを見て頭を抱えていた。
魔導書の所持者は相模を入れて六名。
学年の内訳は一年生が二人、二年生が一人、三年生が三人。全員クラスはバラバラ。部活や委員会の共通点もなく、自然と捜査は一人一人順番にとなる。
ここでネックになるのが全校生徒の早期帰宅の命令だ。
――時間的にも、今からじゃ全員分の話を聞くのは無理だし……――
「おい、神崎!」
「あっ……。和道、どうしたの? 悪いけど今日は忙しくて……」
突然頭上から降ってきた友人の声に、深夜は即座にじっと見つめていたスマホの画面を消して応答する。
「ああ、連続襲撃事件のこと調べてるんだろ? 知り合いの先輩達に話を聞く約束、一通り取り付けてきたから、さっさと行こうぜ」
「……は?」
深夜はしばらく言葉を失った後、ガタンッと椅子を弾くように勢いよく立ち上がり、自身より一回り背の高い和道に詰め寄る。
「ちょ、ちょっと待って! いつの間にそんなことしてたの」
「昼休みの時、代わりにやっておくって言ったろ? っていうか、あんまり時間ないんだから、そういう話は移動しながらでいいか?」
「昼休みって……アレ、てっきり適当に言ってるもんだと……」
ここにいたってようやく、深夜は彼が言っていた『適材適所』の意味を理解した。
しかし、そもそも一度も相談もしていない和道がなぜそのことを知っていたのか、むしろ疑問は次から次へと湧き上がってくる。
そんな深夜を見て、和道は悪戯に成功した子供のような笑みを浮かべて肩をすくめると、中身のほとんど入っていないスポーツバッグを肩に掛けて、その身を翻す。
「ほら、いつまでボサっとしてるんだ?」
「あぁ……もう!」
何がなんだからわからないが、それをわからないままにするのは性に合わない。
深夜は思考に絡みつく困惑の感情を一旦振り払い、教科書類の詰まったリュックを掴んで、一足先に廊下に向かう和道の後を追った。
「あのさ……とりあえず、なんで俺が襲撃事件について調べてるってわかったの?」
上級生の教室に向けての移動中、深夜はまず初めにその疑問を和道にぶつける。
何度記憶を思い返しても、和道の前で怪しまれるような素振りを見せた覚えはない。
「ああ、それ? 先輩から連絡がきたんだよ『トンネル事故の生き残りが妙なこと聞きまわってるんだけど』ってな。校内でトンネル事故の関係者ってお前しかいないだろ?」
「嘘でしょ……」
完全に和道の交友関係の広さを見誤っていた。
おそらくだが、深夜が聞き込みをした相手本人、あるいはそれを見ていた誰かが和道に連絡を入れたのだろう。
もちろん深夜もその懸念は有ったので、上級生を優先して聞き込みをしていたのだが、そんな小細工は全く意味をなしていなかったらしい。
「和道って高校では部活に入ってなかったよね? なんで既に上級生の知り合いがいるの?」
「荷物運びとか、掃除とかを手伝ってたら自然と」
「それは自然とは言わないよ……」
だが、中学時代から和道はそういう人間だったことを思い出し、深夜は改めて自分の思慮の浅さを嘆く羽目になった。
「あと、お前が一緒に登校してる金髪の姉ちゃんに襲撃事件について聞かれた、って知り合いも何人かいたからな。理由はわからねぇけど、お前もそれを手伝ってるんだろうな、って思ってさ」
「本当、こういう時に限って無駄に察しがいいよね」
「無駄に、ってなんだよひでぇな」
精一杯の皮肉も笑い飛ばされ、どんどん居心地の悪さが強くなってきた深夜は隣を歩く和道には目を向けずに言う。
「危ないから、首突っ込むのはやめてよ」
「危ないっていうなら、お前こそやめちまえよ。いつもみたいに面倒くさいって言ってさ」
「俺は大丈夫だから」
「はぁ……ったくよぉ」
和道は呆れ果てたとでも言いたげにガシガシと頭を掻き、目線を深夜に向けて告げる。
「お前はさ、俺や宮下が勉強を教えてくれって頼んだ時、嫌な気分になってるのか?」
「別にならないよ、昨日も言ったでしょ?」
二人がもう少し真面目に日々の授業を受けていれば、こんなことにはならないのに、とかそんな風に思うことはある。
だが、それはあくまで彼らの成績を心配しての話。彼らに勉強を教えることを不快に思ったことは一度もない。
「それ、なんでだ?」
「なんでって、友達だから。力になれたら嬉しいって、それだけだよ」
「わかってるんじゃねぇかよ。だったら、お前も俺達を頼れよ」
和道は真剣な表情で深夜の目を見つめ、手を差し出す。
だが、その手を安易に取るわけにはいかない。
「でも、やっぱり、それとこれとは話が違うよ。そもそも、これは俺の問題で……」
「だーかーら! その『お前の問題』をもっと俺や宮下に頼れって言ってんだよ! いっつもいっつも自分のことだけは一人でコソコソやりやがって!」
和道は「このわからず屋が!」と声を上げ、深夜の頭部を鷲掴みにするとグイグイと乱暴に押し込む。
とはいってもまったく痛くはない。
「ちょ、なにすんのさ……」
「トンネル事故の時だってそうだ! 何の相談もしてこないどころか、学校に来るまでこっちの連絡にも反応しねぇし! 今だってちゃんとした飯食って生活できてるのかよ?」
「あ、いや……それは……」
レトルト生活に関しては、改善すべき問題だと常々考えていたので何も言い返せない。
「っていうか、テスト勉強とか、トンネル事故とか、俺の食生活とかは今の話と関係なくない?」
「全部一緒だ。俺も宮下も、今までさんざんお前に助けて貰った分、お前が困った時に返さないと落ち着かないし、お前が危ないことやってたら心配なんだよ」
「…………そういうものなの?」
深夜のその言葉を聞いた和道は開いた口が塞がらず、深夜の頭から手を離し、はぁーと五秒にも及ぶ長い長いため息を漏らした。
「そういうもんなんだよ、このコミュ障」
「言うに事欠いてコミュ障はひどくない?」
「どっちがだよ」
和道によってぐちゃぐちゃになった髪を整えながら、深夜は些細な非難を返すがまともに取り合ってもらえなかった。
自分のことは自分で解決、友人が困っていたら助ける。
それが当然だと思っていたのだが、どうやら和道はその関係性では納得いかないらしい。
しかし、怒鳴られたはずなのに不思議と悪い気分ではない。
「……そういえば、宮下も同じようなことを言ってた」
大変な時にそれを隠されるのは、自分が頼りにされていないのだと思ってしまう複雑な妹心。そんな灯里の言葉を思い出す。
深夜は廊下の途中で足を止めてスマホを取り出すと、その場で灯里に向けてのメッセージを作成する。
そして、一瞬だけ迷いつつも勢いに身を任せ、送信ボタンをタップした。
「和道。今更だけどさ……少しだけ頼っていいかな?」
「おう、任せろ」
二人を危険に巻き込みたくない。
だが、このまま手をこまねいていても、それはそれで新たな悪魔憑きが起こす事件に二人が巻き込まれる可能性を生むのなら、深夜は平穏を守るために手段を選ばないことにした。




