第二十二話 お勉強の時間
「とりあえず……今はしばらくアイツと打ち合って時間を稼ぐ」
『時間稼ぎね、おっけ、オッケー』
てっきり、地味だなんだと不満を漏らすと思っていたが、ラウムはあっさりとその指示を飲み込む。
「そういうわけだからさ……ヌメヌメは我慢してね」
『前言撤回! やっぱりいやだ! 別の役割が良い!』
一度了承したのだからもう遅い。
深夜は大剣を構え、今度は操の触腕ではなく本体に向かって突撃した。
『あとで絶対にお風呂入るから!』
「今回ばかりは一番風呂は譲るよ、だから集中してよね、ラウム!」
「姉さんに近づく男はみんなみんなみんな、消えてしまえ!」
触腕をいなしつつ、深夜は少しずつ操に近づいていく。
今現在、操の体から生えている触腕は二十五本。
だが、深夜は操の攻撃は全く深夜には当たらない。
「ああ! くそっ、害虫が! ちょこまかと!」
「それだけ腕が増えるとさ、お前にとっても邪魔なんじゃない?」
数は増えても全ての触腕の根元は一か所だ。そうなると当然、近くの触腕同士が干渉することも増えるだろう。
まして、先ほどラウムが予想したように、それらの動きのほとんどは無意識の反射行動。
となれば、ほぼゼロ距離の深夜を攻撃できる触腕の数も限られる。
「うるさいうるさいうるさい!」
しかし、今更そのことに気づいても、操にはどうすることもできない。
否、深夜がこの増えた触手を切り落としてくれれば、再生時に数を減らすということもできただろう。
けれども、今の深夜にはその手段がない。
彼はただ、粘液を逆に利用して操の攻撃を受け流し続けているだけだった。
『それで深夜、これいつまで続けるの? コイツの魔力が切れるまではまだまだかかりそうだけど』
「コイツの誘導が終わるまで」
『誘導?』
ラウムはキョトンとした声を漏らす。
粘液に塗れて触腕との打ち合いを繰り返しながら、深夜は足元を見てボソリと呟く。
「……あんまり体力に余裕もなかったから、あっさりと釣られてくれて助かるよ」
「釣られた? 何に? 負け惜しみかな、害虫くん」
「さあ、化学のお勉強だ」
深夜はさらに一歩、操に近づきつつ、大剣の切っ先を足元の瓦礫に突き立てた。
「炎は可燃物質と空気中の酸素によって起こる急激な酸化現象……それくらいは知ってるよね?」
「……何を言ってる?」
その意味深な発言を警戒したのか、操の攻撃の手が止まる。
しかし、もう深夜の手にはライターはない。
ちょうど今、彼らの足元にある瓦礫の下に操自身が叩き落としたのだから。
「だから、密室や狭い場所だと、すぐに酸素が足りなくなって不完全燃焼を起こす。この不完全燃焼ってのが危なくてさ」
だが、深夜は構わずに言葉を続ける。
「酸素不足なわけだから、炎の勢いは目に見えて弱くなる。けどそのか弱い炎は、二酸化炭素の代わりに可燃性の一酸化炭素ガスを出し続けるんだ……」
それは確かに、簡単な化学の燃焼に関する知識だ。
この会話自体が時間稼ぎなのではないか、操の思考は自然とそこに至る。
「……ここで問題だ」
そして、その考えは半分が正解で、半分は間違いだった。
「その状態で密室の扉を開くと、内部で充満した一酸化炭素と外から流れ込んだ酸素が一気に結びついてある現象が起こるんだ……知ってる?」
深夜の問いかけに操はなにも答えない。
離れてそのやり取りを聞いていた和道とセエレもまた、その正答がわからずに首を捻る。
そんな中で、大賀比奈が震えるような声でその答えを導き出した。
「一酸化炭素の急激な燃焼による爆発……バックドラフト!」
深夜が地面に――否、ライターが落ちた穴を塞ぐ瓦礫に突き立てた大剣が紫電を纏う。
それはラウムの異能の予兆。
「流石は大賀先生、大正解です」
雷光となった魔力は剣先から地面へと流れ込み、無数の瓦礫に一気に漆黒の亀裂を描く。
「ってわけで、和道ともども、しばらく息止めててください!」
「何をする気か知らないが……! 小細工ごときで!」
操は最後まで深夜の狙いはわからなかった。だが、何かをしようとしているのなら、叩き潰すだけ。
そう考え、触腕を力の限り振り上げたが――それはあまりにも遅きに失していた。
「大賀操……お前の終わりはもう視えた。酸欠で死にたくなかったら口は塞いでおけ!」
瞬間、轟音と共に足元の瓦礫が粉々に砕けた。
その結果、空気の通り道が大きく広がり、新鮮な酸素が大穴の底へと流れ込む。
「セエレ、和道達を守る壁を!」
「は、ハイ!」
深夜の合図でセエレは土壁の一部を異能で切り取り、和道達を守る盾として移動させる。
直後、穴の奥深くから爆発的な火柱が立ち上がった。
「がぁああああ!」
その猛火は深夜によって穴の直上に誘導されていた操の全身を包み込む。
「あぁああ熱い、あついあつい、いたい! たすけて、姉さん! ねえさん!」
ライターの炎剣とは比べ物にならないほどの圧倒的な火力。
それは操を守る粘液を蒸発させるにとどまらず、彼の神経と直結した大タコの外殻すらも黒く焼き焦がした。
「ねえ……さ……」
そして、最後までもういない姉への恩讐を口にしながら、大タコの外殻は炎と共に消えさった。
「……っぷはぁ」
火の手が弱まったのを確認し、深夜は熱気から気道を守るために閉じていた口を開く。
「一応離れたつもりだったけど……顔とか手がヒリヒリする」
彼とラウムも、近場にあった瓦礫を壁にして火の手から身を守ってはいたが、それでも熱気に当てられてしまったようだった。
すると、彼の手元でラウムがまた大きな声で不満を叫ぶ
『ねえ、こんな派手なことするなら、私にも事前に説明してよ! 炎に巻き込まれると思ってヒヤヒヤしたんだけど!』
「だってさ、ラウムに酸化還元とか、バックドラフトとか言っても伝わらなかったでしょ?」
『それくらいわかるよ!』
「……え。マジで?」
『深夜ってさ、ちょっとラウムちゃんのことバカにし過ぎじゃないかなぁ? かなぁ?』
本気で驚いたのがバレたことで、ラウムの怒りは更に加熱してしまった。
「それより、大賀操のほうは……生きてるね、一応」
深夜はなんとか話題を逸らそうと、ラウムの武装化を解除して大賀操の元に近づいた。
意識はないが、呼吸はある。体には軽く煤がついているだけで、目に見えて酷い火傷の痕跡もなかった。
「あのタコの姿が断熱材になったんだろうね。まあ、痛みは感じちゃったから、しばらく意識は戻らないだろうけど」
ラウムもなんとか怒りの矛を収めてくれたようで、操の体内の魔力がなくなったことを確認し勝利を確信した笑みを浮かべる。
「ひとまず、おばあちゃんに頼まれたことは完遂、だね」
「……そうだね」
大賀操を殺さず、そして彼に誰も殺させることなく事態をおさめることが出来た。
あとは、大賀比奈の方が何もなければ、今回の一件はすべて解決だ。
「セエレ、そっちは大丈……夫」
振り返り、友と恩師の無事を確認しようとしたところで、深夜の体が限界に達した。
「うぉっと!」
電池が切れたロボットのように頭から倒れかけた深夜を、ラウムが何とか受け止める。
その一連の様子を見た大賀は地面に横たわったまま声を荒げた。
「神崎君!」
だが。ラウムは深刻な事態ではないと言わんばかりに軽く手を振る。
「あー、大丈夫大丈夫! 魔力の補助がなくなって、疲労に体が耐え切れなくなっただけだから」
「足痛い……もう動けない……セエレ、後はよろしく」
両足のふくらはぎはパンパンに硬くなっており、限界を超えた筋肉が熱を帯びているのが自分でもわかった。
その疲労の原因も割合としては操との戦闘よりも、この旧宅まで走ってきたことの方が大きいのだろうが。
「しばらくは……走りたくない……」
それは彼の心の底から出た本気の泣き言だった。
そんな、先ほどの戦いぶりが嘘のようにいつも通りの深夜を、大賀は呆然と見つめる。
「ね、ヒナちゃん。言ったとおり、大丈夫だったでしょ?」
そんな彼女に向けて、傷だらけの体をセエレに支えられた和道が誇らしげに微笑む。
「俺のダチは……いつも、なんとかしてくれるんですよ」